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きまぐれな日々

当ブログは、安倍晋三と断固として闘う姿勢を鮮明にしている講談社を応援すると宣言している。

管理人の財布の都合もあるので(笑)、講談社発行の一般誌をすべて買い揃えるわけにはいかないが、月刊「現代」は、当面毎月買おうと思っている。

その「現代」の2007年1月号が発売されたので、買い求めた。
ここ数ヶ月連続で組まれていた安倍晋三批判の特集が掲載されていないのは残念だったが、魚住昭、鈴木邦男、溝口敦の三氏による「徹底討論・メディアは国家と戦っているか」(副題・「右傾化と言論の役割を問う」)と、自民党の加藤紘一代議士による「反言論テロのシンボルとしての覚悟」の2本は、期待にたがわず良い記事だった。

この中で、魚住さんと加藤代議士が、図らずも同じ指摘をしていたので、今日はこれを取り上げたい。

まず、魚住さんは座談会で以下のように発言されている。

 小泉首相の靖国神社参拝に疑問を呈していた加藤紘一衆議院議員の自宅兼事務所が放火された右翼による言論テロに対して、メディアの反応はたいへん鈍いものでした。また、この事件に対してなかなかメッセージを出さなかった政府に厳しく詰め寄ろうともしなかった。五輪誘致問題では、石原慎太郎東京都知事が、都のライバルだった福岡市の応援演説をおこなった姜尚中東大教授に向かって、「あやしげな外国人」と言い放ったけど、この発言を徹底批判しようともしなかった。
 いまメディアは権力を激しく追及しようという気概を失っているのではないか。
(中略)私がさらに危惧しているのは、政治の右傾化にともなって、メディア全体、あるいは記者たち自身の右傾化が進んでいるのではないかという点です。
 たとえば、加藤さん(注:加藤紘一代議士)への言論テロに対するメディアの反応の鈍さには、報じている記者たち自身に、どこかで右翼的な考え方を許容する素地ができているのではないかとすら感じた。政府がメッセージを出さないことに対して追及しないのは、逆に彼らがある種のメッセージを発していたのと同じことのように受け止められたんです。

(月刊「現代」 2007年1月号掲載「徹底討論・メディアは国家と戦っているか」における魚住昭氏の発言)

同じ号の「現代」に載った別記事で、加藤紘一代議士は次のように述べている。

放火事件当時の小泉首相、安倍官房長官のテロ行為に対する反応が遅かったのではないかとよく問われることがあります。実際、私にもなぜだったのかはわからない。けれどテロに対して、政府が一定の「沈黙」を置いたことである種の負のメッセージが広がったようにも思います。
 あの事件以降、テレビや新聞などの言論の場で積極的な発言をする人が少なくなったような気がします。実は、いま政治家だけではなく、評論家やジャーナリストのもとに脅迫の手紙が届くようになっているそうです。

(月刊「現代」 2007年1月号掲載 加藤紘一「反言論テロのシンボルとしての覚悟」より)

ジャーナリストの魚住さんや、ましてや政治家の加藤さんが雑誌の誌面では言いづらいだろうことをはっきりと書くと、「小泉純一郎や安倍晋三は、実質的に言論テロを容認しており、マスコミはそれを追認している」ということだ。

それに対して、小泉や安倍の政策に普段反対しながら、反テロの声を大きくあげないブロガーや国民もまた、テロを追認しているも同然だと私は考える。

それにしても、テロと戦うというのは、文章で書けばひとことだが、実際に行うのは大変なことだ。自らや肉親の生命を危険にさらさねばならないからだ。

以前にもブログで記事にしたことがあるが、「現代」1月号の座談会にも出席している溝口敦氏は、かつて「週刊現代」の取材に、次のように答えたことがある。

 私のような職業には(暴力テロに対する)『被害者の責任』というものがあると考えていて、たとえ自分や肉親が暴力にあっても、降参してはならないんです。降参すれば、相手に対して暴力の効果を認めたことになります。
(中略)
 加藤氏が今回の暴挙に対して降参しなかったのも『被害者の責任』を果たしてのことだと思いますが、残念なのは加藤氏をバックアップする言論が少ないことです。
靖国参拝をめぐって意見の相違があろうと、このような暴力には政治家はもっと怒りの声を挙げるべきです。
それがないのは、政治家が自己保身に走っているといわれても仕方がない。このままでは、日本はとんでもない暴力社会になるかもしれません。

(「週刊現代」 2006年9月9日号『「言論封殺テロ」を徹底追及しないメディアの大罪』より)

溝口氏は、自身が1990年に暴力団に襲われたことがあるばかりか、20今年1月には、「週刊現代」に連載していた記事が原因で、長男が山口組系の暴力団に路上で刺されている。それでも、言論テロには屈服しないという不屈の意志を貫いておられる。

加藤紘一代議士も、「現代」1月号で次のように述べている。

あの事件があって、私は図らずも、反言論テロのシンボルのようになりました。世の中で3本指に入るぐらいの言論を守る責任が与えられた。ここで私が口をつぐんでしまったら、日本中が静かにならざるを得なくなる。だから、これからも、発言はいままでと同じトーンで同じことを話し続けます。ここで姿勢を変えたりすれば、最後の砦がなくなってしまう。重大な任務を負ったと感じています。

(月刊「現代」 2007年1月号掲載 加藤紘一「反言論テロのシンボルとしての覚悟」より)

あっぱれな覚悟だと思う。

溝口氏や加藤氏は、命をかけて言論活動をしていると思う。彼らに比較すれば、匿名のブログで安倍の言論封殺に反対する声をあげることのリスクなど微々たるものだろう。
何回も何回も書くように、多くの国民、多くのブログがしつこくしつこく声をあげ続ける方が、下手に弾圧を恐れて沈黙するより、よっぽど権力にとってダメージとなるのだ。

安倍政権の言論封殺に対抗する声をあげ続けることをためらってはならないと思う。


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昨年(2005年)の総選挙報道はショッキングだった。選挙期間中、マスコミ、特に電波媒体が一斉に小泉を応援し、自民党を大勝に導いたからである。「朝日新聞」が、小泉の「刺客作戦」を社説で称賛したのにも驚いたが、それにもまして、それまで「反政府的」と見られていたTBSやテレビ朝日が、小泉の狙った、議論の「郵政民営化」への一本化を煽りに煽ったことが、選挙の帰趨を決定した。テレビ朝日の番組に出てくる田原総一朗と古舘伊知郎、それにTBSに出てくるみのもんたと岸井成格を、私は「四悪」と命名し、その時以来今にいたるまで蛇蝎のごとく嫌い続けている。自民党は現在、「郵政造反組」の議員たちの復党を狙っているが、これが実現すれば、議席の二重取りの詐欺行為というしかない。こんなものに協力したマスコミの罪は、限りなく重い。

こんなマスコミなんかに世論を誘導されてはたまったものではない、と思ったのが、私が政治ブログを開設するきっかけの一つになった。

ところで、私がもっとも信頼しているジャーナリストの一人が、魚住昭さんである。魚住さんについては、当ブログで何度も取り上げた。
私は読売新聞のナベツネこと渡邉恒雄会長が大嫌いである。それは、私が大のアンチジャイアンツであることに起因しているが、魚住さんは、「渡邉恒雄・メディアと権力」(講談社, 2000年)という本を書いた。この本は、ジャイアンツの金権補強がついに功を奏し、マスコミが待望していた「ON対決」の日本シリーズで、長島ジャイアンツが王ホークスを下した2000年に出版された。ナベツネの本性をあますところなく描いた名著である。この日本シリーズでジャイアンツが優勝を決めた日、私は魚住さんのこの本を最初から最後まで読み返し、「今に見ておれ、ナベツネめ」という思いを新たにしたものだ(笑)。今没落しているジャイアンツを見るにつけ、安倍自民党も同じ末路をたどるだろう、いやたどらせてみせるなどと思う今日この頃だ。

私が魚住さんにもっとも感心するのは、思考の柔軟さだ。自分が間違っていると思ったら、過去の自著を否定することも厭わない。たとえば、魚住さんには「特捜検察」(岩波新書、1997年)という、特捜検察を称揚した著書があるが、この本を出版した4年後には「特捜検察の闇」(文藝春秋、2001年)を出版し、一転して特捜検察の暗部を暴いた。中道左派といえるスタンスも私と近く、共感を持って著書を読むことができる。

少し古いソースだが、その魚住さんが、「サイゾー」2005年11月号で、元「噂の真相」編集長の岡留康則さんと対談している。これは、「サイゾー」2006年10月号別冊「噂の闘論外伝 岡留安則 vs 12人の論客」に収録されている。この対談は、『"クリーンなタカ派" 安倍晋三をめぐる「NHK番組改編事件」の闇』と題されており(本シリーズの「その2」でも書いたように、安倍は「クリーンなタカ派」どころか「真っ黒な極右」だと私は考えているが)、この本論についてもいずれ当ブログで取り上げるつもりだ。しかし、「言論の自由」シリーズの最終回の今回は、「大マスコミが小泉の新自由主義を支持する理由」について二人が語っている部分を取り上げる。なお、「小泉の」となっているのは、対談が小泉政権時におこなわれたものだからである。

以下に対談記事を引用するが、引用部分の直前で、二人は2004年に「週刊文春」に掲載された田中真紀子氏の長女のプライバシーに関する記事について、田中氏の長女から雑誌の販売停止を求める仮処分が申請された件(東京地裁は同処分を認めたが、東京高裁がこれを取り消した)について論争している。岡留さんは「言論の自由」の観点から文春を擁護し、魚住さんは販売停止処分の取り消しは肯定しながらも、プライバシーを侵害した文春を批判している。以下の引用部分は、その論争に続く部分である。

大マスコミが小泉の新自由主義を支持する理由

岡留 ただ、今回「言論の自由」を声高に強く主張せざるを得ないのは、プライバシー権というのが、権力者にとって、一番都合のいい言葉になりつつある時代だからです。公明党が名誉毀損損害賠償の高額化に力を入れたり、憲法にプライバシー条項を入れようと躍起になっているのは、究極的には池田大作を守るためでしょう。でも、巨大宗教のドンてすらプライバシーは現行法で十分守られているし、裁判を通じて名誉回復だってできる。今、日本がどんどん新自由主義化しているなかで、そういう権力者についてのプライバシーは書いてはいけないという規制が強まっているのは、強者が保護される階級社会の固定化を狙っているとしか思えない。しかも、プライバシー権の保護を個人情報保護法と絡めたら、官報の役回りを果たす新聞は生き残れても、週刊誌などは生き残れませんよ。エロ系とかの社会的認知度の低い出版社では、既に発禁処分を受けているところもありますが、今回はそれがとうとう大手出版社の発行する週刊誌にまで波及したか、というショックを受けました。
魚住 そういう意味では、あの件で高裁が販売停止の仮処分をひっくり返したことはよかったと思います。その点についての危惧は、岡留さんたちと一緒ですから。一方で、メディア側がプライバシーを扱う時は慎重になるだろうし、慎重になるべきですよ。そうでなければ、一般の人は承服しないですよ。だって今、メディアの立場と、いわゆる普通の生活をしている人たちの立場って、すごくかけ離れているでしょう?
岡留 それは、おっしゃる通りです。
魚住 収入にしたって、ステータスにしたって、すごくかけ離れているし、しかもその溝は永久に埋まらないんじゃないかとすら思われているんだから。そこを無視した「表現の自由を守れ」論というのは、なんの効果もないと思うんです。第一、今のメディアって、反権力でもなんでもないんですよ。むしろ、全体状況としては、権力と一体化して、都合の悪い時だけ「表現の自由を守れ」と主張する。普段は権力と一体化しながら、都合の悪い時だけ「表現の自由」を持ち出していると、その理念は、一般には受け入れられなくなってしまいますよ。
岡留 それは個人情報保護法反対運動の時に、典型的に出ましたよね。あれだけメディアが大反対して運動としても一部では盛り上がったけど、一般の人たちからは、「メディアの連中は騒いでいるけど、普段やりすぎている面があるから、規制されてちょうどいいぐらいだ」と冷ややかに見られていた。それほどまでに、メディアと市民との感覚がズレている。
魚住 そこが一番の問題ですよ。結局、メディアの特権階層化というのが、ここ20?30年の間に一気に進んだんでしょうね。戦前のメディアは、戦時体制で統廃合されるまでは、弾圧されて潰れたり、経営不振に見舞われたりして、要するに、エリート層が就くような安定した職業ではなかったわけです。ところが、1940年代の新聞の統廃合で大手メディア5紙と地方紙、ブロック紙ができることによって、メディアが我が世の存を謳歌した。それがすべて悪いことだとは思いませんが、その体制が戦後ずっと続いたがゆえに、メディアというのが、きわめて安定した、しかも高収入の産業になっちゃったわけです。それで、「メディアというのは、市民と共に権力に対峙する機関である」として共有されていた意識が、今や全く失われてしまった。
岡留 基本的に、新聞社全体としては反テロのイラク戦争も郵政民営化をはじめとする行革にも賛成の論理ですからね。要するに、自分たちは官僚同様に勝ち組だから、いい方針、改革だと思っている。僕も、結構年収が高かったから(笑)、税金でン千万頃位で持っていかれる時には「高いよ」と思ったし、それが高額所得者に有利な税制になって払う税金が少なくなると言われれば、政府案に与したくもなる(笑)。もっとも、そうなる前に、高額所得者の座を自ら捨てましたけど。僕は反自民で、政権交代派ですから(笑)。
魚住 「俺はこんなに一生懸命働いていて、能力もあって、エリートなのに、高い税金を取られるのはなぜだろう?」という意識が芽生えてきたところに、新自由主義の思想が入り込んでくるんです。「それはね、貧乏で能力のない奴らが遊んでいて、足を引っ張ってるからだよ」と。だから、大手メディアの本音は、新自由主義に則った小泉構造改革に賛成なんですよ。しかも、彼らは常に高級官僚を取材していますから、考え方も上からの目線になる。僕は会社を辞めて4?5年して、初めてそのことがわかりましたからね。
岡留 気がつくのが遅いとしても、若手の記者に聞かせたい、いい話だなぁ(笑)。しかし、かつて政・官・財の三大権力にメディアを加えて四大権力と言われたけど、その頃はまだメディアが三大権力そのものをチェックする社会的機能や役回りがあった。しかし、今や完全にメディアを含めた四大権力が社会を支配する時代に入ってきた。怖い傾向ですね。

(「サイゾー」 2005年11月号掲載 岡留安則 vs 魚住昭 『"クリーンなタカ派" 安倍晋三をめぐる「NHK番組改編事件」の闇』より)

マスメディアが小泉、竹中、安倍らの新自由主義を支持する理由は、魚住さんが指摘される通りだろう。
マスメディアが権力と一体になってしまった現在、私たち一人一人が声をあげていくしかないのだと思う。


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「鵺(ぬえ)のような全体主義」という言葉を知ったのは、魚住昭さんの「特捜検察の闇」(文藝春秋、2001年)のあとがきを読んだ時だった。
魚住さんは、次のように書かれている。

作家の辺見庸さんは、「今の日本は鵺のような全体主義に覆われ始めている」と喝破したが、法曹界の現状を取材してみて、私は辺見さんの指摘に深くうなずかざるを得なかった。
魚住昭「特捜検察の闇」=文藝春秋、2001年=あとがきより)

これを読んで以来、この「鵺のような全体主義」という言葉が、ずっと頭を離れなかった。
鵺とは何か。「鵺 - Wikipedia」 を見てみよう。

鵺(ぬえ)は日本の伝説の生物。鵼とも書く。『平家物語』に登場し、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビで、「ヒョーヒョー」という鳥のトラツグミの声に似た大変に気味の悪い声で鳴いた、とされる。一説には雷獣であるともいわれる。元来、鵺とはトラツグミの呼び名であり、この怪物はあくまで「鵺の声でなく得体の知れないもの」で名前はついていなかった。しかし現在ではこの怪物の名前が鵺だと思われ、そちらの方が有名である。
(「鵺 - Wikipedia」より)

「鵺のような全体主義」とは、何から生じたのかも不明な、得体の知れない全体主義、という意味だ。

魚住さんも書かれているように、この言葉を初めて用いられたのは辺見庸さんである。以前、月刊「現代」10月号に辺見さんが寄稿された記事を当ブログで紹介したことがある。辺見さんは、2004年3月に新潟で講演中に脳出血で倒れ、右半身に後遺症があるが、今年春に復帰されて、精力的な執筆や講演を行っておられる。

この記事を書くために、辺見さんについてちょっと調べていたら、10月13日付の毎日新聞夕刊に掲載された、辺見さんが小泉純一郎安倍晋三の前職および現職の首相を論じた記事が見つかった。
この記事を「kojitakenの日記」にアップしておいた。下記リンク先を参照いただきたい。

「辺見庸の小泉純一郎・安倍晋三論(ちょっと古い毎日新聞の記事)」(「kojitakenの日記」より)

この記事から、辺見さんの略歴を引用する。

作家。1944年、宮城県生まれ。早大卒。70年、共同通信社入社。78年に中国報道で日本新聞協会賞。「自動起床装置」(91年)で芥川賞、「もの食う人びと」(94年)で講談社ノンフィクション賞を受賞。96年に退社し、現在は近刊「自分自身への審問」の続編と、病前から書き続けている小説を執筆中。

ちなみに、魚住昭さんは同じ共同通信社に勤めていて、辺見さんと同じ1996年に退社し、以後フリージャーナリストとして活躍しているが、魚住さんは1951年生まれで、1975年に共同通信に入社しているから、年齢で7年、記者歴では5年後輩ということになる。

白状すると、私が辺見庸さんの本を読むようになったのは最近のことなので、辺見さんがいつから「鵺のような全体主義」という言葉を使われていたかは知らない。ネットで検索すると、1998年に朝日新聞社から刊行された「眼の探索」には既に出ているようだ。以下引用する。

私がいま感じているのは、いわば、鵺のような全体主義化である。そこには凛呼たるものが何もない。右も左も凛然としないことをもって、主体が消え、責任の所在が隠れ、満目ひたすら模糊とした風景のままに「いつのまにかそう成る」何かだ。その好個の例が新しい日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)だろう。ひと昔前ならば、この国挙げての大騒ぎに確実になったであろう新ガイドラインは、いま、鳴り物入りで「構築」されているのではなく、靄のようなものとして、人知れず「生成」されているようにも思われる。いつのまにかそうなり、巨大な輪郭が眼前にどーんと立ち上がるまで、われわれは生成しているものの貌の凄さに、過去にもそうだったように、はっきりと心づくことがないのかもしれない。

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マスメディアによるテーマの遠心分離が先かテーマの下克上が先か、あるいは両方があずかって主要テーマが見えない現在があるのか、わからない。ただ、蔓延する不安感やアパシーの主な発生源はその辺にあるのではないかという見当はつく。新ガイドラインや関連法案がほぼ無抵抗で登場できる空気にも、法体系を突き破り安保統帥権が屹立する無理無体を許している土壌にも、私たちの生活圏におけるテーマの拡散ないし転倒がありはしないか。マスメディアによる意味の蹂躪がありはしないか。はっきりしているのは、今日の危うい風景が、激しい議論の末に立ち現れたのではないこと。黙ってずるずると受け入れてしまったのだ。

辺見庸「眼の探索」=朝日新聞社、1998年=より)

8年前の辺見さんの予見は、日に日に現実のものになっていった。
前回、本島等・元長崎市長の受けたテロを紹介したが、今回は、今年8月に実家をテロリストに焼かれた自民党の加藤紘一代議士が、「創」2006年11月号掲載の「加藤紘一代議士が語った放火事件の背景」という記事でインタビューに答えているので、これを抜粋して紹介する。

放火事件は、小泉純一郎前首相が靖国神社を参拝した8月15日に起きた。加藤代議士の実家には、97歳になる母親が住んでいたが、散歩に出かけていたため無事だった。

事件の犯人は、堀米正広(65)という男で、右翼団体「忠孝塾愛国連盟」の常任参与と、その下部団体「大日本同胞社」の相談役を兼ねているが、この「忠孝塾愛国連盟」というのは、指定暴力団・住吉会総裁の西口茂男氏が最高顧問を務める「日本青年社」と同系列の団体だ。つまり、堀米は、住吉会系のヤクザだということだ。
堀米は、放火した現場で切腹自殺を図ったが、未遂に終わっている。

加藤代議士は、かつて故大平正芳元首相の側近だったこともあって、若い頃から何度もテロに遭遇してきた。加藤は、下記のように述懐している。

 「1978年暮れに大平正芳さんが総理になり、私は官房副長官でした。総理になった大平さんは、元旦の来客をどこで接遇するかで悩んでいましてね。自宅は厳戒体制ですから、そこで首相官邸の隣にある総理公邸を使えないか、見に行こうということになりました。記者団20人くらいを引き連れて大平さんは行ったのですが、そこに短刀を持った男がいて攻撃してきたのです。
 大平さんの傍には若い首相番の記者たちが取り巻いていたのですが、そこに男が突っ込んできた。ちょうど一番良い位置をキープしていた毎日新聞の記者が男に「冗談じゃない。ここはオレの場所だ、割り込むなよ」と押し返しため、大平さんの心臓を狙った短刀が、それた。
 翌日、大平さんと食事をとっていたら「加藤な、昨日、オレの脇の下を『死』が通っていった。でもな、人間っていうのは本来、死んでいる姿が常の姿、常態なのであって、生きているというのは、たまたま60年か70年の仮の姿を神様にもらっているだけなのだ。いつか、人間は元にもどっていくのだよ」と。かなり淋しげに言うんですね。諦観なのか、あれだけの事件があると、やはりこうなるんだな、と思いました。」

(「加藤紘一代議士が語った放火事件の背景」?「創」 2006年11月号掲載?より)

加藤自身へのテロもあとを絶たなかった。たとえば、拉致問題が話題になった頃について、こう語る。

 2003年の秋でしたかね。拉致被害者5人が一時帰国という形で日本に来た時、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は約束通り彼らを戻してほしいと言い、政府はもうこの人たちを帰さないと言ったんですが、私は自分のホームページに「安倍官房副長官が付き添って北朝鮮まで行けばいいじゃないか。そして『この人たちの安全が保障されない限り、私は日本に帰らない』と言えばよい」と書いたんですよ。さらに、「北朝鮮は何と言っても日本と比べれば小さい国。日本のように大きな国が小国との約束を守らなければ、国際的に信用を失う」と。そしたら鶴岡・酒田の事務所、それに私に近いと思われる人にまでピストルの実弾が送られてきました。ちょうど、辞職後の出直し選挙の間際だったんですが、県警の警備が入りました。
 我々は選挙最後の目に「桃太郎」というパレードをするんですね。これはオープンだし、何時何分に候補者が来ると事前に告知してやる。これが一番危ないと、さすがにあの時は緊張しましたね。

(前述の加藤紘一インタビューより)

これらの件のほかにも、何度もテロに遭遇してきた加藤は、今回のテロをどう思っているのだろうか。

 そんなふうにいくつかテロを経験した中で、今回の放火事件を見ると、全体として淋しい印象があります。確たる信念というより世間の風潮でやったのではないか、という気がします。でも風潮というのは怖い。そば屋の近くに男が乗ってきたレンタカーが残してあったというのですが、その助手席には『SAPIO』があった。『SAPIO』と言えば、小林よしのりの連載「ゴー宣・暫」が連載されていて、靖国問題を激しく論じています。そうした誌面が彼に、どう影響を与えたのか。詳しいことはまだわかりませんが、とにかく危ない状況だという気がします。つまり、火がつきやすい世の中になったということでしょうか。
(中略)
 みんなそれぞれ「何か」から「自由」になった。同時に、それぞれの人生パターンとか、付き合いのパターン、友人との関係とか、自分自身の価値観というのをもつことが、簡単ではなくなってしまったのかもしれません。
 みんな「糸の切れた小さな風船」のように、地上2メートルくらいのところを漂っている。だから、そこにちょっとしたナショナリズムの風が吹けば、わーっと、一挙に流されてしまう?それが闘争的なナショナリズムの要因なんじゃないでしょうか。

(前述の加藤紘一インタビューより)

加藤は、靖国神社に対して、下記のような見解を持っている。小泉純一郎安倍晋三のそれとはかけ離れており、加藤が右翼のターゲットになるのもうなずける。

 靖国神社は神道の神社ではないのですからね。神道の各宗派が入っている神社本庁にも加盟していないですし、明治時代に国家神道になったのが間違いなんでしょうね。

(前述の加藤紘一インタビューより)

これを突っ込んで言うと、私が常々主張しているように、国家神道は明治政府の作り上げたカルト宗教であり、靖国神社はその総本山だ、ということになる。

最後に、言論の自由を巡る現状について、加藤は以下のように述べている。

 私が今一番強く感じているのは、日本全体に、何となくものを言いづらい雰囲気が生まれていることです、自民党の中は安倍さん支持一色で、「何となく」しゃべりにくい。社会全般にも同じ雰囲気があるんではないでしょうか。
(中略)
 政府に批判的な文化人の間でもテレビの討論番組に出る人が減っていると聞きました。日本は今0.7%ぐらいの傾斜で傾いているのかもしれない。よくよく足下を見ないと気づかない傾斜だと思います。10度になれば、誰にでも分かる傾斜です。しかし、ちょっと分からないような傾斜に立っている時こそ、我々は注意しなければならない、そんなことを思いながら政治家として今まで通り、しっかりと自分の考えていることを発言し続けていきたいと思っています。

(「加藤紘一代議士が語った放火事件の背景」?「創」 2006年11月号掲載?より)

加藤紘一はよく「ダーティーなハト」と言われる。一部の評論家は小泉純一郎を「クリーンなタカ」と呼んで比較することがある。たとえば魚住昭さんなどは、「クリーンなタカ」より「ダーティーなハト」の方がよっぽど良い、という意見だ。
私も基本的に同意見だが、そもそも小泉が「クリーン」といえるかどうか自体疑問だと思っている。安倍晋三に至っては、毎週のようにスキャンダルを書き立てられるありさまで、「真っ黒な極右」と呼ぶにふさわしいだろう。いうまでもなく、最低最悪の政治家だ。

そんな安倍晋三が得意とするのは、マスコミへの恫喝などの言論封殺である。今後は、ネット言論の封殺も視野に入れているだろうことは、想像に難くない。

だから、今のうちネットでの「反安倍」の主張を、声を限りにあげていきたいと思うのだ。決してひるんではならない。


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 今回から数回、「言論の自由」シリーズを書きたいと思う。但し、例によって中断をはさむことになるだろう(これまでも、未完結のシリーズがいくつかある)。

 かなり前から、元長崎市長の本島等さんのことをどうしても取り上げたいと思っていた。
 本島さんは、昭和天皇が病に倒れ、昭和という時代が終わろうとしていた1988年(昭和63年)、「天皇の戦争責任はあると思う」との、勇気ある発言をした人だ。

 当時、日本中であらゆる催し物が自粛された。Wikipediaの「昭和天皇」に書かれているように、テレビのバラエティは自粛され、プロ野球セ・リーグ優勝の中日ドラゴンズは、ビールかけも優勝パレードも行わず、「日本歌謡大賞」は中止、五木ひろしの結婚披露宴までもが中止となり、あげくの果てには井上陽水が出演していた日産自動車のセフィーロのCMで、「皆さんお元気ですか?」の音声までがカットされたのだ。

 「天皇陛下のご病気の快癒を祈って」、何でもかんでも自粛しなければならないという、わけのわからない空気ができていた。
 昭和天皇が病気で倒れるまでは、天皇の戦争責任の問題は結構マスコミでも議論になっていた。それが、天皇が病気に倒れるや、天皇の戦争責任について触れることがタブーになってしまった。

 そんなさなかの昭和63年(1988年)12月7日、長崎市議会で共産党議員の質問を受けた保守系の長崎市長・本島等さんは、「天皇の戦争責任はあると思う」と答弁したのだ。
 この、ごく当たり前の発言が、新聞の一面を飾る大ニュースになった。なぜって、多くの人が思っていながら、公の場で堂々とこんなことを言う人は誰もいなかったからだ。
 この「本島発言」をきっかけに、昭和天皇の戦争責任問題は、一転して活発に議論されるようになった。本島さんは「タブー」を破ったのである。

 当然ながら、右翼は本島さんをつけ狙ったが、厳重な警備態勢が敷かれたこともあって、この時は本島さんの身には何も起こらなかった。しかし、昭和天皇の没後1年以上が経過し、警備態勢が緩められた1990年(平成2年)1月、本島さんは右翼に銃撃された。本島さんは重傷を負ったが、幸いにも一命はとり止めた。

 『論座』の2006年11月号に、本島さんが当時のことについて書いているので、ここに一部を抜粋、紹介する。

「天皇の戦争責任はあると思う」
 1988年12月、私は長崎市議会でこう答弁した。問われたから、誠実に答えた。それだけのことだった。常識に反するかなとか、抗議が殺到するかなとか、そんなことはまったく考えなかった。
 しかし、私の発言に市議会各会派は猛反発し、取り消しを求める要求が出された。右翼団体は数十台の街宣車を連ねて市内を抗議パレードしたり、市庁舎や地元新聞社に抗議ビラを張ったりした。実弾入りの脅迫状が送られてきたこともあった。長崎県内の医師の犯行だった。
 身辺警護は警察官による24時間態勢に強化され、トイレにも複数の警察官が立っていた。家族は半ば恐怖状態に陥った。しかし私は撤回も、修正もしなかった。「天皇の戦争責任はあると思う」、良心に従って述べたこの13文字を、1字たりとも削ったり変えたりしたくなかった。それは、私の政治的な死を意味すると思ったからだ。
(中略)
1990年1月、私は右翼団体の構成員に、市役所正面玄関前で、公用事に乗り込もうとしたところを銃撃された。発射された銃弾は左胸部を貫通、全治1カ月の重傷を負った。

本島等「私を銃撃した相手に会いたい」(『論座』 2006年11月号掲載)より

 さて、本島さんは、ご自身が右翼のテロに遭遇した時と、今年8月、自民党の加藤紘一代議士の実家が放火された時を比較して、次のように書いておられる。

(本島さんへの銃撃)事件への社会の関心は非常に高く、全国各地で抗議集会が開かれ、参議院は「言論、政治活動の自由を暴力により封殺することは民主主義に対する挑戦であって断じて容認できない」とする「暴力行為の排除に関する決議」を全会一致で可決した。
 それに比べて、今回の加藤紘一議員の実家放火に対して、世論の反応は鈍い。
(中略)人は「刺激」に慣れていくものだ。親の子殺し、子の親殺しが頻発する現在の殺伐とした時世では、特にそうだろう。
 私は、言論の自由は、人間道徳の根幹だと考えている。しかし日本には果たして、言論の自由はあるのだろうか。あるいは、日本にある言論の自由は果たして本物なのだろうか。義理人情に阻まれて、本物の言論の自由はついぞ発揮されてこなかったのではないだろうか。
 私の天皇の戦争責任発言に対しても、「陛下が病床にある時に発言したことが許せない」という反応が少なからずあった。発言の内容ではなく、時期を云々する。ここに、日本人の「言論の自由」を守り抜くことに対する脆弱な姿勢が見え隠れしているように思う。現代に目を転じれば、小泉純一郎首相が8月15日に靖国神社参拝を断行したら、それまで否定的だったはずの世論が、容認に振れる。このような「とりあえず勝ち馬に乗っておく」といった風潮が広まっているのも、非常に怖いことだと思う。

本島等「私を銃撃した相手に会いたい」(『論座』 2006年11月号掲載)より

 本島さんが、「『とりあえず勝ち馬に乗っておく』といった風潮が広まっているのも、非常に怖いことだと思う」と仰っているのは、本当にその通りだと思う。

 今年の自民党総裁選で、安倍へ安倍へとなびいた自民党の議員たちも、みな勝ち馬に乗ろうとした。
 その、狂気に近いともいえる極右的な政策(それは右翼組織「日本会議」の思想を反映したものだ)を快く思わない議員も大勢いると思うのだが、彼らも声をあげない。

 それどころか、自由な立場でものをいえるはずのマスコミも、安倍批判を自粛している。そして、マスコミよりもっと自由に発言できるはずの一般市民、一般ブロガーまでもが、「触らぬ神に祟りなし」と言わんばかりに安倍政権への批判を自粛する空気があるように、私には思える。

 安倍政権は、そんな腰が引けた態度にこそつけ込んでくる。小泉純一郎も安倍晋三も、加藤紘一の実家へのテロに対して、しばらくの間コメントを発さなかった。彼らには、テロを肯定するとまでは言わないが、少なくともテロを黙認する体質がある。
だが、現時点ではまだ日本には、少なくとも建前上は「言論の自由」があるはずだ。勇気を持って声を上げ続ければ、困るのは政権の方なのだ。そんなこともわからないのだろうか。人と違うことをやるのを恐れてはいけない。

 一時の安穏のために、本島さんが「人間道徳の根幹だと考えて」おられる「言論の自由」を失う事態を招いてはいけないと、強く訴えたい。