きまぐれな日々

今回の衆議院選挙でよくテレビに取り上げられたのが静岡7区だが、当選した城内実氏がブログで最初にやったのは、ブログランキングにいちゃもんをつけることだった(下記URL)。
http://www.m-kiuchi.com/2009/09/08/blogranking-2/

このエントリをさる右派ブログが揶揄し、それに城内実氏のブログが反論したことが、ちょっとした話題になったのだが、そんなところに「9条護憲」を標榜してかつて人気の高かったさる左派ブログが、上記の件とは関係なしになぜか突然城内実氏を「温かく見守る」と書いたエントリを上げたことから、ブログ村界隈ではけっこうな騒ぎになっている。

この件については、裏ブログの『kojitakenの日記』に多数のエントリを上げたので、関心のある方はご参照いただきたい。ここでは多くを書かないが、一つだけ言うと、「ネットばかりやっていると人間はダメになる」という私のフレーズは変えたほうがよくて、いくらリアルを熱心にやっていてもダメなものはダメだということだ。リアルの世界はネット以上のムラ社会であり、解き放つべき束縛は多い。しかし、自分から村落共同体の論理に無批判に身を任せる人間には何もできない。これだけは断言しておく。

なお、一部に城内実衆院議員が「改憲派ではあるが、9条改変には反対している」という虚偽の宣伝をしている人間がいる。9条を中心とする憲法問題に関する城内実氏の主張については、『いるか缶自白調書』『kojitakenの日記』が調査し、ブログに結果を示している。『Living, Loving, Thinking』のエントリ「ご教示御礼」にその結果のまとめと、静岡7区に含まれる浜松市の雇用問題についてさるブログに寄せられた興味深いコメントが掲載されているので、読者の皆さまには是非ご参照いただきたいと思う。結論から言うと、城内実氏は憲法9条改変に賛成であり、というよりそれ以前にアメリカから押し付けられた現憲法は改正ではなく廃棄し、新たに自主憲法を制定すべきだと主張している。これは、平沼赳夫元経産相とほぼ同じ考えといえる。

さて、鳩山由紀夫内閣が今週発足するが、私が前々から関心を持っていたのは2006年から翌年にかけての安倍政権時代に強行採決で次々と成立した悪法が民主党政権でどうなるのかということだ。

特に、安倍政治の象徴ともいえる改正教育基本法をどうするのか。これに手をつけて元に戻すことができれば評価したいが、それは最初から難しいだろうと予想している。というのは、あの時民主党も教育基本法の改正自体には賛成で、ただ単に自民党の改正案に反対していただけだったからだ。しかも、民主党の改正案には自民党案以上にいただけない部分もあったかと記憶している。

教育基本法を元に戻すのは、鳩山内閣よりあとの内閣に期待するにしても、安倍政権時代の法律に手つかずではいただけないなあと思っていたところ、民主党の輿石東衆院議員が、早ければ来年1月の通常国会に教員免許法改正案を提出したいとの意向を表明した。
http://www.asahi.com/politics/update/0912/TKY200909120178.html

上記リンク先のasahi.comの記事には、呆れたことに "日教組出身の民主・輿石氏「教員免許更新制は廃止」" などという見出しがついていて、これにネット右翼が反応しているさまが「はてなブックマーク」でも観察される。

こんなものを見ていると、「はてなにはサヨクが多い」というのは俗説で、2ちゃんねる同様ネット右翼のたまり場になっているとしか思えないが、朝日新聞の見出しもひどいものである。数年前に「朝日新聞の民主党化」を批判したのは魚住昭だったが、この見出しなんかを見ると、民主党化どころか産経新聞化しているのではないかと思わせる。もっとも、「朝日新聞の民主党化」を指摘した魚住昭自身も、その後佐藤優に取り込まれてしまって「佐藤優現象」の代名詞の一人になってしまった。そして、代表的な「9条護憲ブログ」までもが城内実を(ひいてはレイシズムを)容認している。これも「佐藤優現象」の一つなのかもしれない。

話を教員免許法に戻すと、これは一昨年(2007年)の安倍内閣時代に強行採決で可決された教育改革関連三法案の一つである改正教員免許法によって導入されたものであり、「教育改革」を掲げていた安倍政権の目玉ともいえる政策の一つだった。

当時、『サンデー毎日』(2007年5月27日号)に教育改革関連三法案を批判する記事が掲載された。わかりやすく良い記事だったので、これを当ブログで紹介したことがある(2007年5月21日付エントリ「安倍政治の目玉「教育改革関連三法案」の真の狙い」)。

10年毎に更新される教員免許更新制の真の狙いが、国家に忠実な教師の選別にあることはあまりにも明らかだし、この制度はきわめて評判が悪く、前記「はてなブックマーク」からの引用だが、右派系で自民党支持の全日教連(「美しい日本人の心を育てる教職員団体」とうたっており、「つくる会」にも好意的)ですら教職の専門性向上に寄与しないような免許更新制には懸念を表明している。
http://www.ntfj.net/j/opinion/post_14.php

つまり、廃止して当然の制度なのである。

新政権には、これを皮切りに、「安倍政権の負の遺産」を次々と処理していってもらいたいと願う。


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この間から頭に引っかかって離れなかった言葉がある。

「市民的勇気」である。

音楽評論家の吉田秀和が、朝日新聞のスター記者だった本多勝一が1990年頃に同紙に連載した旧東独に関するルポルタージュ(のちに「ドイツ民主共和国」として単行本化)を朝日新聞の「音楽展望」で称賛した時、この通りの表現だったかどうかは忘れたが、これを意味する言葉を用いた。そのことに、この間「きまぐれな日々」で軽く触れて以来気になっていたのだ。

そこで、昨日、「市民的勇気」をサーチワードとしてネット検索をかけたら、ある記事を見つけた。

ブログ「憲文録?別冊」の2006年3月21日付の「教育と市民の勇気」である。URLは下記。

http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/archives/3074913.html

これは、大変印象的な記事だった。詳しくはリンク先を参照いただくとして、そこでも触れられている、ジークムント・バウマンによる「市民的なるもの」を特徴づけした記述を、孫引きになるが以下に紹介する。

「市民的であるということの要点は、見知らぬ者と関係をもつにあたって、変わった点をかれらの欠陥と考えないこと、変わった点をなくすよう、あるいは、見知らぬ者を見知らぬ者たらしめている特徴を強制するよう、圧力をかけないことにある」

ジークムント・バウマン 「リキッド・モダニティ 液状化する社会」より)

さらに、20世紀前半に、アメリカ連邦最高裁判所のブランダイス裁判官が、ホイットニー事件の裁判の時に述べた少数意見も、同じリンク先の記事から孫引きで紹介する。

「私たちの独立を勝ち取った人びとはこう信じていた。すなわち、国の最終的な目標は、人びとが自由に自分たちの能力を発展できるようにすることにある。そして、政府においては、討議の力は恣意を退けるはずである。彼らにとって、自由は、目的としてだけでなく、手段としても価値あるものだった。彼らの考えでは、自由は幸福の秘訣であり、勇気は自由の秘訣である。思うままに考える自由、考えるままに話す自由は、政治的な真理を発見し広めていくのに不可欠な手段である。自由な言論と集会がなければ、議論は不毛である。このような自由が保障されてこそ、議論は、有害な考えの広まりに対する日常十分な程度の防波堤となりうるのである。自由に対する最大の害悪は、怠惰な人間である。公共の議論は、政治的な責務である。そして、このことは、アメリカの統治の基本原理たるべきである。」

「彼らは、あらゆる人間の制度に潜んでいる危険を承知していた。しかし、彼らの理解では、秩序は、その侵害に対する処罰の脅威だけでは保つことはできない。思考と希望と想像力を弱める危険がある。恐怖は抑圧を生む。抑圧は憎しみを生む。憎しみは安定した政府を損なう。安全への道は、抱いた不満と提案された救済について自由に議論する機会を保障することにある。害ある助言に対する適切な救済は、良い助言である。公共の議論を通じて発揮される理性の力を信じ、彼らは、法のよって強いられた沈黙??最悪のかたちの力の議論??を避ける。支配的なマジョリティによる一時的な専制〔の危険〕を認識し、彼らは、憲法を修正して、自由な言論と集会を保障しようとしたのである。」

(Whitney v.California,274 U.S. 357(1927))

これを受けての、ブログの管理人さんのコメントも紹介する。

 この私の大好きな一節に引きつけて、2つの点を書いておきたいと思います。第1は、前回の投稿の繰り返しになりますが、日本国籍を持たないというだけで外国人をおしなべて「リスク」要因として管理しようとする発想は、上で引用したブランダイスの精神からもっとも遠いところにあるということです。自分たちとは違うという理由から、何をしでかすかわからない存在として、そこに「抽象的な危険」を見いだす態度は、けっして「市民的」ではありません。そのような抽象的な危険に怯えて、見知らぬ他者を排除しあるいは囲い込むのではなく、ぎりぎりまで他者と向き合いねばり強く議論する、それが市民にとってふさわしい態度だからです。ぎりぎりまで我慢すること。具体的な危険が差し迫った状況にいたるまで、他者に対して討議のチャンネルを開いておくこと。このような考え方が、「明白かつ現在の危険の法理」の核心にあります。

 第2は、市民的勇気を涵養し、市民的能力を鍛錬するには、子どもたちに対する政治教育が重要だということです。冒頭掲げた『教育』の著者広田先生は、『「愛国心」のゆくえ―教育基本法改正という問題』(世織書房・2005年)においてその点を強調しています。教育基本法8条1項は次のように規定しています。「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない」。これを受けて、学校教育法は、高校の教育の目標つとして次の点を掲げています。「社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること」(42条)。とりわけ、バウマンがいう市民性の涵養こそが、大切です。

「憲文録?別冊: 教育と市民の勇気」より)

大変素晴らしい記事だ。

教育基本法の「改正」は、決して足早に通り過ぎて良い問題などではなかった。

このブログを運営しておられるのは、北海道にある北星学園大学の岩本一郎教授だが、同じブログの記事「朝日と人間の証明」によると、岩本先生の家では「北海道新聞」と「朝日新聞」の二紙をとっていたが、教育基本法改正に関する、朝日のあまりに腰が引けた姿勢に頭にきて、ついに朝日の購読を止めてしまったそうだ。

朝日新聞は、ジャーナリズムの誇りも勇気も失った三流紙になり下がったというしかないだろう。

そもそも、「ジャーナリズム宣言」などというCMを流すこと自体、朝日新聞がジャーナリズム魂を失った証拠だと、私は思っている。

「美しい国へ」を掲げる総理大臣が、日本を、戦争のできる「醜い国」にしようとしているように。

#この記事は、「kojitakenの日記」に公開した記事とほぼ同一内容です。同ブログのコメント欄にいただいた非戦さんのリクエストにより、「きまぐれな日々」に掲載することにしました。

以下に「kojitakenの日記」への非戦さんのコメントを紹介します。

# 非戦 『この日記、とってもいいから,「きまぐれな日々」に取り上げてくださいね。北海道の大学の先生のブログの最新のところに、改正の翌日の苅谷剛彦先生の論説を批判するところは,同感!です。どうして改正反対の先生がこんなことしか書けないのか、内容を朝日が捏造したのか,と思ったくらいびっくりしました。反対の声をこの程度にしか見ていないのか,国民がチェックだって!そんなこと無駄とは言わないけれど,どんな法律でもそれ自体ひどいものなのにさらに政府が暴走するから、法律が成立しないように、市民は必死だったのに。と悔しい思いで読んだ論調だったので,同じことをこの夫婦は考えていらっしゃたんだなと心強く思いました。』 (2006/12/28 09:07)


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12月15日、ついに「改正」教育基本法が安倍内閣のゴリ押しによって成立した。

翌16日の「朝日新聞」は、一面で『改正教育基本法成立 「個」から「公」重視へ 制定後59年 初見直し』という見出しでこれを報じた。記事は、批判的なニュアンスを込めてはいるが、腰の引けた記事だ。そして、このところ社会面に移っていた「いじめられている君へ」という連載記事がなぜか一面に舞い戻り、漫画家・松本零士氏の文章が掲載されている。あたかも法案の成立を祝するかのように。

二面以下をじっくり読むと、今回の「改正」基本法案に批判的な記事が書かれているのだが、一面に松本零士氏の「夢は大きいほどいい 人生を支えてくれる」などという見出しの文章が載っていると、まるで今回「改正」された教育基本法が、子供たちの人生を支えるかのような錯覚に襲われる。悪質な印象操作というしかない紙面になっている。

一方、「毎日新聞」は、二面以下の記事はたいしたことがなく、社説も朝日よりさらに腰が引けているほどだったが、なんといっても一面の記事が出色だった。

061216_毎日_改正教育基本法成立
(画像をクリックすると拡大して表示されます)

ご覧のように、『改正教育基本法が成立 目標に「愛国心」』という見出しで、法案が可決されたことを淡々と報じる記事を載せ、その左横に「改憲へのステップ」という見出しで、「変わる教育の憲法」という特集記事の「上」編を掲載した。
以下引用する。

変わる教育の憲法・上

 「私の目指す『美しい国づくり』において、教育がすべての基本だ」
 安倍晋三首相は13日の衆院特別委員会で、教育基本法改正への意気込みを語った。審議では「規範意識や道徳の重要性も、『美しい人間』として生きるために必要だ」と繰り返し、「美しい国」という政権のスローガンと基本法改正が「密接不可分」と強調した。
 戦後生まれ初の首相は、「戦後レジーム(体制)からの船出」を掲げる。自民党総裁任期は最長で2期6年。この期間内の憲法改正が目標だ。自主憲法制定を唱えた岸信介元首相が祖父。「岸のDNAを受け継ぐ」(塩川正十郎氏の評)首相にとって、GHQ(連合国軍総司令部)主導でつくられた憲法の改正は悲願だ。憲法と一体関係の基本法改正は改憲へのステップにほかならない。
 「総裁選のころから急に教育改革を語り出した」。自民党町村派幹部は、そう証言する。首相の教育論は、愛国心や規範意識など、戦前に重視された日本の価値観の復活が中心だ。英国のサッチャー元首相が行った教育分野の規制緩和と管理強化にも関心を向けている。英国は88年の教育改革法を契機に、「教育困難校」の廃校を勧告する教育水準局を設置。帝国主義時代を否定的に描いた歴史教科書を見直した。
 首相と下村博文官房副長官、山谷えり子首相補佐官の3人は、かつて保守系の議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」のメンバーで、従軍慰安婦などの記述を「自虐的」と批判する「新しい歴史教科書をつくる会」と連携。「つくる会」は保守系の運動団体「日本会議」ともつながる。
 サッチャー改革に着目した「日本会議」幹部の橋渡しで、下村、山谷両氏は04年9月、国会議員6人による「英国教育調査団」に参加した。両氏は「サッチャーは教育の英国病を立て直した」と高く評価するが、識者の間では「所得によって受けられる教育の格差が拡大した」(藤田英典国際基督教大教授)との批判も根強い。
 10月、官邸に設置された教育再生会議は保守路線一本やりとはいかず、議論は難航。代わって教育改革の推進エンジンになっているのが、政府の規制改革・民間開放推進会議だ。教員評価の厳格化や学校の管理職の増員など民間企業並みの改革メニューには、経済界の意向がにじむ。
 戦前の価値観と経済効率化の調和。安倍政権は法律改正の歯車を回したが、議論は生煮えで、改革の実感は薄い。
(「毎日新聞」2006年12月16日付1面より)

この記事は、安倍の真の狙いが憲法改定であることをはっきりと指摘し、安倍や山谷えり子首相補佐官(元「ウィークエンダー」レポーター)と「つくる会」や「日本会議」とのかかわりまで書いている。

この記事で面白いのは、最後の方に、官邸に設置された教育再生会議での議論が難航し、代わって政府の規制改革・民間開放推進会議が教育改革の推進エンジンになっている、という指摘だ。
11月16日のエントリ「安倍晋三につながる極右人脈」で、小泉純一郎の支持者には「経済右派」が多く、安倍晋三の支持者には「政治思想上の右派」が多いと指摘したが、この毎日新聞の記事は、小泉シンパの経済右派が、安倍の政治思想的な右派政策偏重を快く思わず、巻き返しに出ていることがうかがわれる。
私自身は、前にも書いたように、「経済右派」の新自由主義政策にも、「政治右派」の国家主義的政策にも、ともに反対である。

あと、皮肉たっぷりで笑えるのは、「総裁選のころから急に教育改革を語り出した」という、自民党町村派幹部の証言だ。安倍の「教育改革」は信念に基づくものなどではなく、祖父・岸信介に対する安倍の無批判な崇拝をネオコンに利用され、彼らに操られて口走っているに過ぎないことを、この証言は暗示している。おそらく、この言葉を発した議員は、安倍をひそかに馬鹿にしているだろうと想像される。

ところで、これを機に毎日新聞におすすめしたいのは、思い切った言論を展開する新聞に変わってほしいということだ。

それでなくても、インターネットの普及が、既存メディアの脅威になっているとも言われる。今のように、各紙がお上の提供する情報を垂れ流すようでは、新聞の影響力はますます低下することだろう。それでなくても経営が安定していないと言われている毎日新聞社は、そのうち存亡の危機に立たされるのではないかという気がする。

かつて毎日新聞は、沖縄返還をめぐる密約事件(通称「西山事件」、1972年)で「知る権利」のキャンペーンを張って政府を追及したことがある。この時、権力側によって、記者と取材源の外務省の女性事務官との下半身スキャンダルに問題をすり替えられてしまい、社のイメージを落とした毎日新聞は部数を大きく落とした。
この時の首相は故佐藤栄作で、岸信介の弟、安倍晋三の大叔父にあたる。安倍といい岸信介といいこの佐藤栄作といい、この一族はこういう卑劣な真似ばかりしてきたのだ。

ここは一つ、毎日新聞には34年前のリベンジの意味も兼ねて、安倍政権の改憲政策に対し、はっきりと「反対」の旗幟を鮮明にした報道をしてもらえないものかと思う。

そうすれば、権力を本気で批判する気があるのかきわめて疑わしい朝日新聞から読者を奪い、元来大衆的な新聞のはずなのに弱者イジメの安倍政権を大々的に応援している読売新聞からも読者を奪って、昔のように「三大紙」に返り咲くことができるのではないかと思うのだ。

座して死を待つより、行動すべき時ではないだろうか。これは、毎日新聞だけではなく、われわれブロガーをはじめ、国民全体についてもいえることだと思う。

(注)この記事中で参照した「毎日新聞」は大阪本社発行「13A版」、「朝日新聞」は大阪本社発行「14版▲」です。
2006.12.16 23:59 | 教育基本法 | トラックバック(-) | コメント(5) | このエントリーを含むはてなブックマーク
やや旧聞に属するが、11月14日付の朝日新聞一面に、同紙が実施した世論調査の結果が出ていた。

それによると、安倍晋三内閣の支持率は53%で、前回(10月)の調査より10%減となっている。

061114_朝日世論調査_tiny

(↑クリックすると画像が拡大します)

「AbEnd」を推進している当ブログにとっては、安倍内閣の支持率低下は悪いニュースではない。しかし、これほどの暴政を行っている安倍内閣の支持率が今なお過半数もあるって本当だろうか?

それに、この世論調査の記事には、以下に示す見逃せない記述がある。

内閣が最重要法案とする教育基本法改正案について「賛成」が42%で、「反対」22%を上回った。
(「朝日新聞」 2006年11月14日付紙面より)

この世論調査結果を信じれば、教育基本法「改正」に賛成の人が、反対の人の倍近くいることになる。

だが本当だろうか。

内閣支持率の世論調査が、メディアによってまちまちであることはよく知られている。朝日新聞の調査は、主要紙の中ではもっとも低い数字を出しているが、インターネットでは安倍の支持率はきわめて低い。自民党総裁選の時も、右寄りの人は麻生太郎、比較的穏健派の人は谷垣禎一を支持する傾向にあり、安倍は人気薄だった。

まあ、インターネットで政治関係のアンケートに答える人というのは、左右を問わず、政治への意識が比較的高い層だろうから、安倍は政治への意識が低い層に人気があるのだろうと考えることができる。

しかし、マスメディアの調査で結果がばらつくというのは、設問のしかたやサンプルの抽出のしかたに問題があると考えなければならないだろう(それにとどまらないインチキ、捏造が行われているという指摘もあるが、検証できないので深入りしないことにする)。

教育基本法に関する調査も同様だ。
今年5月の読売新聞調査では、実に66%が「改正」に賛成という結果がたたき出されているが、その後、立花隆さんをはじめとする言論人が立ち上がったのが功を奏したか、ようやく、教育基本法「改正」への反対論が強まってきた。今回の朝日新聞調査で、「改正」に賛成する意見が42%に下がったことは、ある程度その反映といえるかもしれない。

しかし、それにしても、タウンミーティングでの「やらせ」や、それどころかサクラの質問者に謝礼を払っていた問題が発覚した割には、朝日の世論調査結果には「賛成」が多すぎないだろうか。

そのからくりは、朝日新聞調査の設問を見てみればすぐにわかる。
いきなり昨日の記事から180度態度を豹変させて申し訳ないが、「勝谷誠彦の××な日々」で、コラムニスト・勝谷誠彦が胸のすくような指摘をしてくれている。以下紹介する。なお、勝谷の日記には読点が少ないし、改行もなくて読みにくいことこの上ないので、勝手に読点や改行を挿入した(笑)。

(前略)タウンミーティング(TM)の冒頭の質問者へ政府が金を払っていたというのは、政権の正統性を揺るがす重大な事実である。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061114i216.htm

内閣府幹部は<「質問内容を指定する『やらせ』とは違う」>と言っているそうだが、<「キックオフ的に、名前を明示し、代表質問として一番最初に発言をお願いしていた」>というのは、全体のトーンをある方向に誘導する意図があったと思われても仕方がない。「お願い」がないのなら他の一般質問者と同様にタダでやってもらえばいいではないか。

冒頭に指名した人間を仕込んでいるというだけでも、これがテレビの討論番組なら「やらせだ」とメディアは騒ぐだろう。小泉安倍の両内閣は、自民党の古い組織基盤ではなく、衆愚もとい(苦笑)人々の民意を追い風として求心力を維持してきた。

彼らが何よりも重視していたのは支持率だ。小泉内閣があれだけTMを乱発したのは、それが輿論を形成する場として極めて有効だったからにほかならない。そこで論議の行方を金で買っていたとすればひいては支持率をも札束で維持していたことになる。

更にふざけたことに、その原資は私たちの税金なのだ。政権に批判的な人々が支払った金をも権力の維持に使われているのである。冗談じゃない。輿論を買収するなら自民党の政治資金でやるがいい。(後略)

「勝谷誠彦の××な日々」(2006年11月15日)より


昨夜の「報道ステーション」で、質問者に「やらせ」を依頼していたどころか謝礼まで払っていたという、この呆れた件を知った時、私も頭に血が昇ったのだが、なぜか「報ステ」では当時内閣官房長官で現首相の安倍晋三の責任は問われなかった。

昨日は、疲れが出て比較的早く寝てしまったのだが、今朝起きてTBSの「朝ズバッ!」を見ていたら、みのもんたは「教育改革」について論じるばかりで、コメンテーターとして出演していた岸井成格ともども、事実上安倍を援護していた(但し岸井でさえ、教育基本法「改正」案の強行採決には反対していた)。

それで頭にきてチャンネルをテレビ朝日に切り替えたら、勝谷が歯切れの良い政権批判をしているコメントが聞けたのである。勝谷は、安倍晋三を名指しはしなかったのだが、隣に座っていた大谷昭宏は、勝谷発言に鼓舞されたか、安倍晋三を名指しで非難した。こうして、ようやくテレビでも安倍晋三批判の言論が聞けるようになった。

この記事で、私の言いたいことはほとんどすべて勝谷が言い尽くしてくれている。「勝谷GJ」と、当ブログとしてははじめて勝谷誠彦を絶賛したい。

なお、勝谷の日記にこの件が書いてあることを教えてくれたのは、当ブログによくコメントくださる非戦さんである。非戦さんにも感謝したい。


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最近は、ニュースが報じられるたび、「誰がどういう意図でこのニュースをリークしているのか」と考えるようになった。それくらい、情報の流れが妙に不自然なのだ。

それまで、北朝鮮、北朝鮮と連呼していたニュース番組から、ぱったりと北朝鮮の名前が途絶え、代わって、突如として高校の必修科目の未履修問題が声高に叫ばれるようになった。

私などは、あっ、これは安倍晋三が執念を燃やしている教育基本法改定のためのキャンペーンの幕開けだな、と最初からしらけた気持ちでニュースに接していたのだが、某有名コラムニスト氏はうれしそうにこのニュースに飛びつき、自身がネット上に持っている日記で、未履修を報じられた東北の名門公立高校の元教頭をあげつらうなど、連日この件を取り上げていた。

この話には面白いオチがある。その数日後、コラムニスト氏が卒業した高校でも未履修が発覚し、そればかりかその高校にはそもそも家庭科の教室がなく、数十年にわたって未履修がまかり通っていたことが明らかにされたのである。コラムニスト氏がいきなりおとなしくなってしまったことは、いうまでもない(笑)。

もっとも、自分が出た高校で未履修があったことなど、コラムニスト氏は百も承知ではなかったのかとも思うが、それを失念していたとしたら、コラムニスト氏自身がおそらくまともに高校の授業を受けていなかったのではないかと推測される。授業を受けていなければ、ある科目を未履修だったかどうかなど考えもしないだろうからだ。クラブの部室で、少女漫画でも読んでいたのであろうか(笑)。

まあ、「いちびり」というかお調子者のコラムニスト氏のことなどどうでも良いのだが、コラムニスト氏の出身高校は極端な例であるにしても、全国的にあちこちの学校でずっと前から行われていたに違いない「未履修」のニュースが、安倍内閣が「教育基本法」の改定を狙っているこの時期に限ってクローズアップされたことを奇異に思わないほうがどうかしていると私は思う。

フジテレビのような御用放送局は、ここぞとばかりこの件を「教育の荒廃」であるとして、「安倍内閣の唱える教育改革」の必要性へと論を進め、暗に「教育基本法改定」への道を開こうとしていた。

だが、教育基本法改定とは、いかなるものなのか。
この件に関して、どう書いたものか頭を悩ませていたのだが、星影里沙さんのブログ「憧れの風」経由で、東京新聞立花隆さんが優れた記事を書いていることを知った。ブログの記事「興味深いなwというか、自民公明のみなさん、絶対読めw」(下記URL)に全文が転載されているので、是非ご参照いただきたい。

http://yuirin25.seesaa.net/article/27431934.html

ここでは、立花さんのインタビューから、特に注目すべき部分をピックアップして再掲する。

 ――安倍政権が教育基本法改正案可決を急ぐ真意は。

 安倍首相は、日本の戦後レジーム(体制)を変えたいのだろう。根本は憲法を改正したい。戦後世代は皆、改憲を望んでいるかのように(彼は)いうが、実のところはそうではない。ただし彼は違う。岸信介(元首相)の孫だからね。岸氏は安保条約改定で、特別委で議論打ち切りの動議を出し、衆院本会議もあっという間に通した。警官を動員し、一度にやってしまった。自宅をデモ隊に囲まれた中で、祖父がいかに毅然(きぜん)としていたか、安倍首相は記憶している。安保はその後も役立っており、北朝鮮問題でも米国が日本を守っているとか、そういう発想しかない。

 ――教育基本法の改正は憲法改正のためなのか。

 大日本帝国憲法時代は、国体を根付かせるために教育勅語という当時の教育基本法を作った。親孝行をしろとか、天皇に忠義を尽くせとか、命令を並べていた。天皇のために命をささげる国家になったのは、国民にそういう教育を幼少から繰り返したたき込んだからだ。

 戦後新憲法ができたが、国民のマインドが一挙に変わるわけはない。制度を根付かせるために教育の力が必要と、新憲法とペアをなす形で作った法律が教育基本法だ。世界の普遍的な価値の下に憲法を作り、日本全体にしみ通らせるのが目的だった。前文で日本国憲法に触れ、「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」とした。

 憲法改正に必要な三分の二の議席を衆参両院で得るには、憲法を正しいとする教育基本法を変えなくてはならない。「将を射んと欲すれば、まず馬から」という発想であり、憲法改正の地ならしだ。教育基本法の改正もまた、自民党の悲願だった。

 しかし、教育基本法に書かれている普遍的価値とは、フランス革命などの歴史の積み重ねから、国家より上にある価値として人類が築いたものだ。憲法と並ぶような重要な法律なのに、中身のちゃんとした議論もされていない。長くて五年、短くて数カ月の時の政治政権が簡単に変えるようなものであってはならない。

(中略)

 ――政府は「いじめ」「必修漏れ問題」などを「今の教育は崩壊している」と教育基本法の改正に結びつけているように見えるが

 それは明らか。教育の問題のすべてが教育基本法が悪い、という空気を醸成しているのが見え見え。しかし教育基本法を変えれば、全部良くなるわけではないし、そうしていけない。教育基本法をそういうふうに使い、例えば「国を愛する心」に、点数を付けてどうのこうのという話になってしまう。

 ――来週にも採決と言われている。

 それが問題だ。なぜ、そんなにあっという間に決めるのか。昨年の総選挙で自民党が圧倒的な議席を得て、今ならかねて懸案の法律があっという間に通るからという理由でしかない。米国のアイゼンハワー大統領が来るまでに安保条約を通そうとスケジュールを組んだ岸氏と同じだ。この後の政治展開はますます心配。安倍首相はますます祖父に近づいていくのではないか。

(「東京新聞」 2006年11月10日より)

立花さんが明快に指摘している通り、安倍の真の狙いは日本国憲法の改定だ。教育基本法の改定は、そのためのきわめて重要なステップであり、安倍は、それをはっきり言わず、「教育改革」の美名に隠れて、国民を騙してやろうとしているのだ。
このところテレビで氾濫する「いじめ」や「必修漏れ問題」報道は、実は安倍の意図に沿ったものなのだ。立花さんが指摘するように、ミエミエの情報操作なのだが、そのことに気づかない国民が多すぎる。いい加減に目を覚ませ、と強く言いたい。

こんな重要な案件が、あっという間に可決されたのではたまったものではない。ましてや「強行採決」なんて言語道断だ。安倍の野望は、断固としてくじかなければならない。
「なんとなく」安倍を支持している人には、「安倍支持やめますか、それとも人間やめますか?」と言いたい。

最後に、立花さんへのインタビュー記事の末尾に掲載されている、教育基本法の改定案と現行法の「前文」を転載する。よくお読み比べいただきたい。

■改正案前文

 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。

 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。

 ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓(ひら)く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

■現行法前文

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。

 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。

 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

(「東京新聞」 2006年11月10日より)


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