きまぐれな日々

 ついに稀代の悪法、憲法違反の安保法案が強行採決の末に成立した。

 この件に関するメディアの報道について、『kojitakenの日記』に書いた。こちらには簡単な総括記事を書く。『kojitakenの日記』には、「はてな」への登録という障壁があってコメントできないと仰る方も少なくないので、こちらでは今後(というか前回からだが)簡潔な記事を書いて、どうぞコメントしてください、というスタイルで行こうと思う。正直言って、こちらのブログはアクセス数もだいぶ減っているので、長文の記事を書いても「労多くして功少なし」になっているのである。

 今回の安保法案成立の核心を突いた言葉だと感心したのは、今やすっかり「リベラルの闘士」と化した岸井成格が9月18日放送の『NEWS23』でフリップに書いて示した「日本の土台を破壊!」だった。

 結局そこなのだ。憲法による政権の縛りを解き、政権が、そして軍隊が好き勝手に自衛隊員を世界のどこにでも派遣できるようにしたのが今回の「安保法案」(もはや「安保法制」と表記すべきかもしれない)である。ここで「軍隊」と書いたが、自国の防衛とは関係なく他国の戦争のために世界のどこにでも出かけていく暴力装置(=国家)の実行機関は、もはや「自衛隊」の名で呼ばれるべきではないと私は考える。

 当然ながら憲法違反である。

 結局最後まで一番説得力のあった法案反対論は、憲法学者たちの「憲法違反」「立憲主義に反する」であった。暗愚魯鈍な私も、長谷部恭男が「安保法案は違憲」と断言したあとに、彼が2004年に書いたちくま新書を読んで、付け焼き刃で「立憲主義」のにわか勉強をしたことは既に書いた。

 「戦争反対」にももちろん共感するが、「立憲主義の蹂躙」、「日本の土台を破壊」はそれよりもさらに深刻で大きな問題だと思う。これを座視していたら、人々は権力のなすがままにされてしまうからである。兵隊に虐殺されたり、特攻隊員に選ばれて権力によって強制的に自殺させられたり(権力による殺人と書くべきかもしれない)ということは、日本でもまだ起きてから一世紀にならない過去にあったし、世界では無辜の民の虐殺や自爆テロなどが今も行われている。

 放置しておけば、現に今の日本でそうなっているように、安倍晋三のような無知でわがままな馬鹿者が権力を握って好き勝手をやるかもしれないので、その権力に縛りをかけるのが憲法であり、立憲主義である。

 今回、安倍晋三と自公連立政権は、あろうことかその「立憲主義」に戦いを挑み、数の力で違憲の安保法案を成立させた。

 当然、違憲の立法は廃棄されなければならず、今後、野党は安保法制の廃棄を公約に掲げるのが筋であろう。

 しかし、とりわけ野党第一党の民主党や、第何党だか知らないが維新の党が、仮に後者から大阪を中心とした橋下徹一派が抜けたとしても、その期待に応えてくれるかどうかは大いに疑問だ。もちろんあの何やら長ったらしい名前の政党も同じだ。

 とはいえ、そんな頼りない野党に、安保法制の廃棄を訴えさせるのは、われわれ一般の人間の役割だろう。

 今後は、安保法制の廃棄を求めた持続的な闘いをするしかない。

 言うは易く行うは難しで、安倍晋三が2006年に改悪した教育基本法が今もそのままであることからもわかる通り、ひとたび国会で成立した法律の廃棄の難しさは筆舌に尽くし難いものがある。

 しかし、それを追求しなければ、安倍晋三と自公政権が破壊した「日本の土台」を再構築することはできないと思う今日この頃なのである。
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 とうとう違憲の安保法案を自公与党が強行採決により成立させると報じられる週が始まった。

 最後まで安倍晋三以下自民党や、それを全面的に応援するNHKや読売新聞などの右翼マスコミのかたくなさは変わらなかった。

 安倍晋三は、野田聖子の自民党総裁選立候補を認めず、力ずくで推薦人を剥ぎ取って総裁選の無投票当選を果たした。公明党は、多くの創価学会員が安保法案反対デモに参加したが、全く動じなかった。安保法案反対の世論がいくら盛り上がっても、NHKや読売新聞の論調は微動だにしなかった。恐るべき「鉄の結束」である。

 ふらついていたのは「リベラル」の側だった。中でも、「安倍談話」に「4つのキーワード」が入っただけで喜び、「無難な言葉を使っているから批判しづらい」などと言って安倍内閣支持率を押し上げたことは痛恨事であり、これで憲法学者の「違憲」発言で変わったと言われた潮目が再び変わった。この国の民主主義の未成熟さを象徴していると思った。激戦となった山形市長選で自公の推す候補を当選させた有権者の中にも、同じような感覚の持ち主がいたのではないかと疑う。

 しかし、いつまでも「リベラル」の脆弱さを嘆いてばかりいても仕方がない。今回はもうこれ以上余計なことは書かない。違憲の安保法案の成立阻止を叫び続けるだけだ。
 今回は簡潔にいきたい。アクセス数のすっかり減ったこのブログに、ねちねちと「リベラル」への批判を書いても骨折り損のくたびれもうけなので、今回はそれは『kojitakenの日記』に書いた。

 昨日(8/30)、友人に誘われて安保法案反対集会に参加した。帰りの電車で話題になったのは、NHKが報道したかどうかだったが、どうやら報道したらしいので、NHKニュースのサイトから引用する。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150830/k10010209801000.html

安保法案 国会周辺で最大規模の反対集会
8月30日 18時43分

安全保障関連法案に反対する、これまでで最も規模の大きな集会が国会周辺で開かれ、参加した人たちは「戦争法案を今すぐ廃案に」などと訴えました。

集会は30日午後2時ごろから国会周辺で開かれ、主催者の発表でおよそ12万人、警視庁の調べで3万人余りが集まり、これまでで最も規模の大きなものとなりました。

このうち、国会の正門前では参加者が歩道だけでなく車道にも広がり、プラカードを掲げて、「憲法9条を壊すな」とか、「戦争法案を今すぐ廃案に」などと訴えました。

集会には音楽家の坂本龍一さんも参加し、「憲法の精神、9条の精神がここまで根づいていることを皆さんが示してくれ、勇気づけられている。憲法や民主主義を取り戻すためのとても大事な時期で、僕も一緒に行動していきます」と述べました。

続いて若者の代表として大学生の寺田ともかさんが発言し、「私の払った税金が弾薬の提供のために使われ、遠い国の子どもたちが傷つくのだけは絶対に止めたい。『やられたらやるぞ』と威嚇するのではなく、そもそも敵を作らない努力を諦めない国でいたい。戦争法案は絶対に止めることができると信じています」と訴えました。

看護師を目指す学生は

集会に参加した東京の佐竹美紀さん(23)はボランティア活動で、戦争で傷ついたアフガニスタンの子どもたちの医療支援をした経験から、「正しい戦争などない」と考えるようになったといいます。自衛隊員が誰かを傷つけたり、傷つけられたりする事態を招くべきではないと、法案に強く反対していて、看護師を目指す勉強の合間を縫って集会に駆けつけました。

佐竹さんは、「これまでの海外派遣で、自衛隊が武力を行使しないことで築いてきた信頼を、法案が崩してしまうのではないかと危機感を抱いています。一度、武力を行使する方向にむかうと歯止めがきかないと思うし、日本は人道支援や技術の提供で各国からの信頼を地道に得ていくべきだ」と話しています。

若者グループのメンバーは

安全保障関連法案に反対する若者たちのグループ「SEALDs」の中心メンバーの1人で大学4年生の元山仁士郎さんは、「きょうは多くの人たちと声を上げられることができ、勇気をもらった。今後も全国の若者と連携し、法案に反対の声を上げ続けていきたい」と話していました。

また、沖縄県出身の元山さんは「ずっと平和を求めてきた沖縄の思いが本土でも広がってきていると思う。これからもっと連携していけたらと思う」と話していました。

著名人も法案撤回求める

集会には安全保障関連法案に反対する著名人も参加し、ステージから法案の撤回を求めました。

作家の森村誠一さんは「戦争で最初に犠牲になるのは若者たちです。私はかつて戦時中に女性が竹やりを持たされ、訓練させられる光景を見てきました。だからこそ、絶対に戦争可能な国家にしてはいけない」などと訴えました。

このほか、宇宙物理学者で総合研究大学院大学の池内了名誉教授は「科学の軍事利用が具体的に始まり、海外に出かける兵士たちに武器を与える研究を科学者にさせるという状況が生まれつつある。今の段階でこうした芽を取り去るべきだ」などと主張しました。

警視庁 約2倍の警察官動員

安全保障関連法案を巡っては、国会の周辺で、これまでにも定期的に反対集会が開かれていますが、警視庁は今回、集会の規模が最も大きくなると予想されたため、これまでの2倍近い警察官を動員して警備と参加者たちの誘導に当たりました。
警察官は参加者たちに一か所にとどまらず進むよう呼びかけたり、不審な物がないか国会周辺をパトロールしたりしていました。警視庁によりますと、参加者たちは、当初の想定を超えて国会前の車道にまで広がりましたが、けが人などは出ず、大きなトラブルはなかったということです。

全国各地で反対集会

30日は国会周辺だけでなく、全国各地で安全保障関連法案に反対する集会やデモが行われ、名古屋市では、母親らのグループの呼びかけで名古屋駅前でデモ行進が行われ、参加者は「子どもを守れ」などと声を上げていました。

また、北九州市では参加者たちがサッカーの「レッドカード」をイメージしたという赤い服などを身に着けて中心市街地を歩きました。
広島市でも市民グループの呼びかけで集会が開かれ、参加者は街頭でチラシを配ったり、「戦争反対」などと声を上げたりして法案への反対を訴えました。

国会周辺での集会を主催した団体によりますと、30日は把握しているだけで全国のおよそ300か所で法案に反対する集会やデモが行われたということです。

(NHKニュースより)


 もしかしたら普段安倍政権べったりの「報道」が目立つNHKとしては破格の扱いかもしれない。

 意地の悪い見方をすると、参院での採決の日程(9月11日とも、9月14日の週ともいわれる)が報じられるようになって、法案の可決成立の目処が立ちつつあるから、反対運動も報じているよというエクスキューズの意味で報じたのかもしれない。

 私がこの種の集会に参加したのは、2012年の脱原発デモ以来3年ぶりだが、率直に言って高揚感はその時には及ばない印象があった。また、動員は主催者発表で12万人、「警視庁の調べ」で3万人とのことで、おそらく実数はその(等比数列での)中間である6万人程度と思われるが、実際多くの人が来ているなという印象はあったものの、「身動きがとれないほど」ではなかった。

 何が言いたいかというと、6月4日の憲法学者たちの「違憲」発言で「潮目が変わった」と言われた安保法案反対の流れだが、その後攻勢の決め手を欠くうちに、『kojitakenの日記』に先ほど書いた記事「安倍晋三の『積極的平和主義』の何が問題か」でも批判したように、「ネトウヨの多くが高く評価する『安倍談話』に『理解を示す』腰抜けの『リベラル』」が少なからず現れたことによって安倍内閣の支持率が下げ止まったばかりかやや上昇し、再び潮目が変わってしまったように思われるが(自民党総裁選で安倍晋三の無投票再選の流れが固まったのもその影響だろう)、それをはね返すためには、もはや野党や知識人は頼りにならず、われわれ一般人がより強い圧力をかけていくしかないかもしれない、ということだ。

 いや、それでもダメかもしれないが、一度成立した法案を廃棄することは、何度も指摘するけれども2006年に第1次安倍内閣が改悪した教育基本法が今もそのままであることからもわかるように、きわめて難しいのだ。

 だから最後まで諦めてはならない。
 8月に入った。例年にも増して暑い今年は例年にも増して熱く「戦争」が語られるだろう。そして、安倍晋三を日本政府から排除できるかどうかの「正念場の月」でもある。

 たとえば毎日新聞が「安全保障関連法案への対応で内閣支持率が急落したことを受け、首相と距離を置く議員らが色めき立っているという状況だが、対抗馬擁立は容易ではなさそうだ」などと(毎日に限らず)新聞特有の表現で無責任に書く9月の自民党総裁選くらいは最低限、無投票ではなく有力な対抗馬が立って行われなければならない。それによって自民党という政党に生命力が残っているかどうかが問われる。

 というより、安倍晋三が日本という国に決定的なダメージを与える前に日本政府から排除できるかどうかに、今世紀前半のこの国の命運がかかっているといっても過言ではないと私は考えている。

 昨夜遅くに書いた『kojitakenの日記』に、7月12日付朝日新聞4面に掲載された前田直人編集委員のコラム「政治断簡:政治と芸術 全体主義の教訓」を紹介した。1992年に武蔵野美大視覚伝達デザイン学科卒という学歴を持つ前田記者は、崩壊直前のソ連を訪問した学生時代にスターリンの前衛芸術弾圧を知り、それをきっかけにナチスドイツの同様の蛮行を知ったことを、

政治権力が気にくわない芸術を「難解」「退廃」と排撃。意に沿う芸術家の表現力を権威の宣伝に使う――。全体主義の弾圧・統制プロセスを学び、背筋が寒くなった。

と書く。私は20世紀ソ連の作曲家、ドミートリー・ショスタコーヴィチの音楽に親しむことを通じて、スターリンの「社会主義リアリズム」の悪逆非道さを痛感した。やはりソ連崩壊直前の頃だった。

 前田記者は、「文化芸術懇話会」と銘打った自民党議員の勉強会で、報道威圧発言が飛び出したことに「ゾッとした」。そして母校・武蔵野美大の柏木博教授に取材した。下記はそのやり取り。

 「気味悪くないですか」(前田)

 「不気味です。言っていることが、スターリニズムやナチズムの道と同じ。言論の自由は権力の側ではなく、個人の表現者のためにあるのに逆転している。いちばん怖いのは、政治的な力で個人の表現を圧殺することなんですよ」(柏木)


 安倍晋三の「親衛隊」とはこんな連中なのである。

 思えば、安倍が自らの政権を長期化したあとの後継者として思い描いているといわれる稲田朋美も、2008年に映画『靖国 YASUKUNI』を検閲して公開を中止させようとした。そしてそれに応じて公開を取り止めた情けない映画館が続出した(結局一部の映画館が上映し、私は2008年の憲法記念日に東京・渋谷の映画館でこの映画を見た)。

 こんな稲田朋美への政権禅譲を許してはならないし、それ以前に一刻も早く安倍政権に終止符を打たなければならない。

 支持率低下に苦しむ安倍晋三は、ついに安保法案制定の本音を出してきた。ホルムズ海峡への言及を止めて、代わりに「中国脅威論」を打ち出してきたのである。

 安倍晋三の「9月訪中」が報じられてから3週間しか経っていない。その訪中予定を前に国会論戦で安倍が中国脅威論を打ち出したことを「政権の焦り」と断じ、「禁じ手」として批判するのは、近年「リベラル回帰」が著しい岸井成格だ。しかし一方で「中国脅威論」がそこそこ通用することは、「中国脅威論」を持ち出されるとすぐにそれに靡きそうになる古舘伊知郎を見てもよくわかる。だからこそ安倍晋三はこの危険な「禁じ手」を切ってきたのだ。

 そもそも、安倍内閣の支持率がどんなに下がっても、安倍晋三が最後の最後に最強の切り札を持っていることを忘れてはならない。それは中国との戦争である。

 既に国会論戦で、安倍政権は先制攻撃を可能にしようとしているのではないかと指摘されている(民主党の大塚耕平)。もちろん日本がおおっぴらに中国に先制攻撃をかけるはずはない。謀略によって中国に仕掛けられたという形をとって先制攻撃を仕掛けるのである。

 欧米では、政府の支持率が下がると政権が軍事行動に走り、それを国民が支持して下がっていた支持率が跳ね上がることがよくある。たとえばビル・クリントンは1998年、モニカ・ルインスキーとのスキャンダルが発覚して支持率が下がるや、アフガニスタンやスーダンへの空爆を実施した。ミエミエの目くらましだったが、これでクリントンの支持率が上がったと報じられた時、「やっぱりアメリカ人は戦争が好きな、ダメな国民なんだなあ」と呆れたものだ。しかし今年、ISISが引き起こした日本人人質事件に安倍晋三が強硬姿勢をとって人質を見殺しにした時、日本でも安倍政権の支持率が上がった。人質事件ですら支持率が上がるのだから、対中戦争ともなればさらに支持率が上がることは間違いない。そして、表向き「中国の挑発」の形をとった(偽装した)場合でも、それは容易に偽装であるとはわからないから(たいてい後世の史家によって事実が暴かれる)、その時には民主党や維新の党が政権に靡くことは当然だろうし、領土問題では一貫した強硬派である共産党も戦争を止める方向に動くかどうかは大いに疑問だ。

 以上が杞憂であれば良いが、安倍晋三というのは追い詰められればそういうことを平気でやりかねない政治家である。だからこそ安倍晋三は絶対に総理大臣にしてはならない人間だった。不幸にして総理大臣の座についている今は、絶対にこれを引きずり下ろさなければならない。

 このブログのコメント欄にも、たとえば総理大臣が野田聖子になっても安倍と同じような政治が続くぞ、と主張される向きもある。確かに平時の政策は安倍晋三だろうが野田聖子だろうがいくらも違わないだろうし、仮に野田聖子政権が誕生したとしても、私は一貫して批判するだろう。

 しかし、安倍晋三と野田聖子で決定的に違うのは、政権が本当に追い詰められた時に対中戦争に踏み切るような狂気を持っているかどうかだ。私は野田政権ならそんな可能性は低いが、安倍政権が続いた場合はその可能性が無視できないほど大きいと考えている。

 だからこそ安倍政権を早期に終わらさなければならないし、その観点からも自民党総裁選がどうなるかを注視している。

 差し当たっては、総理補佐官の礒崎陽輔の首を取れるかどうかだ。今日行われる予定の礒崎の参考人質疑はわずか15分とのことだから大して期待はできないが、公明党がかなり強気だし、やはり自民党総裁選への出馬が取り沙汰される石破茂も礒崎を批判している(但し石破政権になった場合の安全保障政策のリスクは、安倍ほど巨大ではないが野田聖子と比較するとかなり大きいと私は考えている。なお誤解なきように付言しておくが、私は野田聖子をハト派であるとは全く考えておらず、タカ派政治家の一員であると認識している。それでも安倍や石破よりはリスクが小さいと思っているだけである)。

 岸井成格は、安倍晋三が礒崎陽輔を更迭しないのならば、安倍の考えは礒崎と同じということになると繰り返し言っているが、もちろん安倍と礒崎の考えは同じに決まっている。

 今にして思えば、衆院特別委の質疑で安倍が「我々が提出する法律の説明は正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」と言った時、私はその発言に呆れたが、「立憲主義にもとる」という言葉でそれを説明することはできなかった。それを知らしめてくれたのは、6月4日に3人の憲法学者が安保法案を「違憲」と断じてからのことであって、私はそれで長谷部恭男の書いた新書本を読んで、付け焼き刃の「立憲主義」の勉強をしたという情けないていたらくであった。

 私自身の恥はともかく、この安倍発言を思い出せば、「法的安定性は関係ない」と言い放った礒崎陽輔の考えが「私が総理大臣だから私が正しい」と言い放った安倍晋三の考えと寸分違わず同じであることは自明だ。

 礒崎陽輔の首は、絶対に取らなければならない。
 2週間ぶりのブログ更新。先週は夏休みをとっていた。また2週続けて週末に『kojitakenの日記』もほとんど更新しなかった。意図したわけではないが、安保法案(戦争法案)の衆院強行可決から参院審議入りの間の中休みと梅雨明けと私の夏休みは重なった。

 さて、今日(7/27)も朝から猛暑で、39年前にロッキード事件で田中角栄が逮捕された日を思い出させるが(今日と同じ7月27日だった)、安倍内閣の支持率低下は止まらない。読売の世論調査(7/24〜26)でも前回(7/3〜5)よりも支持率が6ポイント減って43%、不支持率が9ポイント減って49%となった。とはいえ、読売の調査は自民党内閣支持への誘導尋問があることで悪名高いから、「まだ支持率が43%もあるのか」と思わせる数字になっている。また読売は、下記の記事に見るように、9月の自民党総裁選で安倍晋三を無投票3選させようと躍起になっている。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150724-OYT1T50146.html

石破氏、総裁選不出馬示唆…無投票3選強まる?

 石破地方創生相は24日、TBSの番組収録で、9月の自民党総裁選への出馬について問われ、「安倍内閣として、ものすごい大きな課題を負っている時に、閣僚の一人がそんなことを言えますか。内閣支持率を上げるのは閣僚たる我々の責任だ」と述べ、出馬を見送る考えを示唆した。

 動向が注目される野田聖子・前総務会長も、出馬に向けた目立った動きがないことから、安倍首相(党総裁)が無投票で3選する流れが強まりそうだ。

 石破氏は、内閣の課題として、参院での安全保障関連法案の審議や、新国立競技場建設問題などを挙げ、「内閣支持率を上げるため、それぞれの閣僚が担当している分野で頑張ることだ」とも語った。

(読売新聞 2015年07月25日 08時54分)


 私は石破茂はもちろん、野田聖子だって間違っても支持しないが、安倍政権がここまで人心から離れているこの期に及んでも、安倍の独裁政治を守ろうとする読売の報道はいかにも異常だと思う。

 安倍が保守層からの支持をも失っていることを痛感させられたのは、昨日(7/26)のTBSテレビ『サンデーモーニング』だった。この番組では、最近とみに右寄りの意見発信が強まってイライラさせられてきた田中秀征が、安保法案について「資金、人、危険の3つの面でアメリカの肩代わりをするものだ」、「これは決してしてはいけない、後戻りできなくなる」などと、強い危機感をにじませて反対意見を述べていた。そして、第2次安倍内閣発足から間もない一昨年(2013年)の年初の放送で、「政権が自民党に戻って本当に良かったと思う」とほざいた右派・新自由主義者の幸田真音(「まいん」と読むらしいが私は勝手に「まねー」と呼んでいる)までもが安保法案に反対する口ぶりの意見を歯切れ悪く述べた。

 反面、「なんだこいつ」と思わせたのが、朝日新聞に私の気に入らない「論壇時評」を何年も書いている高橋源一郎だった。私は毎年春になると、論壇時評の筆者変わってくれないかなあ、と思いながら、もう何年も裏切られ続けている。それどころか高橋は人気が高いらしく、過去の論壇時評をまとめたとおぼしき本を朝日新書から出しており、それがそこそこ売れているらしい。この高橋源一郎とか内田樹あたりが最近の「リベラル」に大人気らしいが、ご両人とも私とは合わない。

 前振りが長くなったが、高橋源一郎は安保法制が国会で通るだろうとの見通しを述べたのである。このブログでは、過去に同じ番組に出演した姜尚中が安保法案の審議を「消化試合だ」と述べたことを強く批判したが、高橋源一郎も姜尚中と同じだ。むろん高橋は安保法案に反対の立場なのだが、危機感が全くない。高橋は視聴者に迎合していると思しき幸田真音と五十歩百歩がせいぜいのところであって、保守の田中秀征が見せる危機感とは雲泥の差である。こんな人が「リベラル」から大人気というのだから頭が痛くなる。

 安保法案廃案と安倍内閣打倒によって、姜尚中や高橋源一郎に目にもの見せてくれる、と強く思う今日この頃なのである。