きまぐれな日々

 先週は更新を休んだが、その間、民主党(野田佳彦)政権時代に政府が東京電力・福島第一原発の吉田昌郎前所長(故人)から東電原発事故の事情を聴取した「吉田調書」を安倍政権が公表し、このタイミングで朝日新聞社が同調書に関する「誤報」を訂正するともに、この誤報と慰安婦問題に関する誤報の双方について謝罪を行い、大きな話題となった。

 「吉田調書」の朝日新聞報道については、京都弁護士会所属の渡辺輝人弁護士のブログ記事「朝日新聞『吉田調書』報道の功罪」が素晴らしく、『kojitakenの日記』で賛辞を呈した。これにつけ加えるものは何もないのだが、世間一般では相変わらず「吉田昌郎氏の意に反した従業員の撤退があったか」という、朝日新聞記者が誤って設定した論点の議論ばかりが行われている。以下に、渡辺弁護士の記事の核心部を再掲し、この件の議論はそれに基づいて行われるべきだと、改めて指摘したい。

吉田調書が開示されたことで判明した重要なことは、命令下だろうが命令違反だろうが、最悪の事態に向けて対処すべき職員らが、最悪の事態を前に、混乱して指示すら行き渡らない状況で、退避しなければならない、という原子力発電所の性質が再確認されたことでしょう。

(中略)自衛隊員ではあるまいに、東京電力の職員には死に至る可能性がある業務命令を拒否する権利があります。2011年3月15日朝の段階で職員らが退避したことは、命令があろうがなかろうが正しい判断なのであり、残った作業員の奮闘に感謝こそすれ、安易な「名誉」とか美談にしてはいけません。それは「名誉の戦死」を賛美しながら強制することにも繋がる危険な風潮です。

(渡辺輝人「朝日新聞『吉田調書』報道の功罪」(2014年9月12日)より)


 以上の論点の前では、「東電従業員の『命令違反』はあったかなかったか」という議論は意味をなさない。現在までに行われてきた議論を戯画化すれば、「原発事故を目前に吉田所長の『業務命令』に違反して逃げだそうとした東電職員は怪しからん」という朝日新聞の「右翼」的主張と「いや、愛国的な東電職員たちは『命令違反』などしていない」という読売や産経の「極右」的主張とのバトルに、「極右」が勝ったという図式になる。「命令違反」があったかどうかという議題設定自体がナンセンスであって、そんな土俵に乗るなと言いたいのである。

 2人の「吉田」氏の証言に関する謝罪以来、朝日新聞の紙面はそれこそ「自虐」色一色になっていて、安倍晋三、高市早苗、稲田朋美ら極右政治家が朝日新聞の報道姿勢に注文をつけた、などの報道を繰り返してひたすら「恐縮」している。中でもぶっ飛んだのは9月18日付紙面の3面(!)に掲載された投書欄の大特集だった。それを嬉しそうに取り上げているのが産経である。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140918/crm14091809170006-n1.htm

「購読やめた」 朝日新聞、誤報への批判投書欄を拡大特集 慰安婦問題の意見広告も

 朝日新聞は18日付朝刊で、慰安婦問題や東京電力福島第1原発の吉田昌郎元所長=昨年7月死去=の証言をめぐる誤報について、読者の反応を集めた投書欄「声」の特集版を掲載した。通常のオピニオン面とは別に3面の大部分を使う異例の扱いで、「購読をやめた」など厳しい批判を紹介している。

 このうち京都府の英語塾経営者(77)は、今回の不祥事で約40年間続けた購読をやめたと告白。「真実を守ってくれている新聞だと思っていた。謝罪記事は読むにつれ、嫌悪感が増すばかり。ちらちら言い訳が入っていると感じられる」などと糾弾した。

 東京都の会社員(44)は、朝日新聞の「スクープありきの姿勢」が問題だと指摘。「朝日が嫌う『戦争』が起きた構造と同じではないか。軍部の暴走が戦争を招いたとされるが、同じ過ちが朝日にも起きてはいないだろうか」と述べ、社の体質を鋭く批判した。

 一方で、この日の声欄では「今は小さな声で『まだ朝日をとっています』と言うしかない。一日も早い名誉挽回と信頼回復を心待ちにしている」(宮崎県の保育園職員(65))などと、朝日の再生を期待する声も載せている。

 また、朝日新聞は同日付朝刊で「『慰安婦』国際中傷を跳ね返せ」と題する国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)の意見広告も掲載した。広告では、朝日が「女性を強制連行した」とする吉田清治氏の証言記事を取り消したことについて、「吉田氏を『良心的日本人』ともてはやし、32年後に虚報と認めたが、この間日本はどれだけ辱めを受けてきたでしょうか」などと批判している。

(MSN産経ニュース 2014.9.18 09:17)


 私は朝日新聞を購読していながら投書欄にはほとんど目を通していないのだが、これまでに掲載された投書の中に、渡辺輝人弁護士のような視点から朝日の報道を批判するものは果たしてあったかどうか。右翼の指弾にいちいち「お説ごもっとも」と恐縮するばかりの紙面で、朝日は一体何をしたいのか。

 朝日新聞社の木村伊量という社長は、従来から「権力と妥協的な人物」との人物評を耳にしていた。その木村社長は、いずれ自らの意に沿う後継社長を指名して退陣するのだろうが、「刷新」後の朝日新聞がどのような論調を示すのか、これまで以上に監視していく必要がある。その意味からも、朝日新聞の購読は当分やめられないと思う今日この頃なのである。
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