1年前のエントリを読み返しながら思い出すと、昨年の憲法記念日は改憲への道をひた走る安倍晋三内閣の支持率が持ち直す中、「日本国憲法の改正手続きに関する法律」(通称・国民投票法)が衆院で可決され、参院での可決を目前に控えていた。
しかし、安倍の性急な改憲志向への警戒感からか、各社の世論調査では、ひところずいぶん減っていた、憲法改定を「必要ない」とする意見が「必要だ」とする意見を再び上回るようになってきた。しかも、国民の主な関心事は憲法改定よりも年金や社会保障問題にあり、それを軽んじる安倍は国民の支持を失って、5月に「消えた年金」問題が表面化するや支持率が急落した。松岡元農水相の自殺も追い打ちをかけた。安倍自民党は7月の参院選に惨敗し、安倍は9月に退陣に追い込まれた。改憲の鍵を握るのは民主党の議員だが、参院選では改憲に否定的な議員が多く当選し、改憲の機運は去ったかに見えた。
しかし油断は禁物である。先日、民主党の小沢一郎代表と05年の「郵政総選挙」の際に郵政民営化法案に反対して自民党を離党した平沼赳夫が会談したことが報じられた。これは、看過できない動きだ。
もともと平沼赳夫は、「極右新党」を立ち上げて、自民党と連立する構想を持っていた。昨年10月27日付の当ブログ記事 "極右新党を立ち上げ、自民党との連立をたくらむ平沼赳夫"(下記URL)に書いた通りである。
http://http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-484.html
このエントリで、「サンデー毎日」に掲載された平沼赳夫インタビューを紹介したが、ひとことでいうと、平沼は自民党と民主党の極右議員を集めて新党を作り、キャスティングボートを握ろうとしているのだ。
平沼は「日本会議」という日本最大の右翼団体に連なる「日本会議国会議員懇談会」の会長を務めている。前記リンク先をご覧いただければおわかりのように、副幹事長に安倍晋三、会員に福田康夫の前職および現職総理大臣を抱え、民主党よりはるかに自民党と親和性が高い団体である。憲法改定やサッチャー流の教育カイカクに異様なまでの執念を燃やしていることはいうまでもない。
ついでに書くと、前述の昨年10月27日付エントリでも書いたように、平沼という人物は、「アインシュタインの予言」 なるトンデモを信じているおめでたい男だ。「水からの伝言」 も、こんなに悪名が高くなっていなければ、平沼の大好きな道徳教育の格好の教材になるとばかりに飛びついたかもしれない(笑)。
私は、民主党はこんな平沼のごとき筋の悪い政治家が率いる一派と連携などしてはならないと以前から主張し続けているのだが、民主党は平沼の選挙区である岡山3区に候補を立てるのを見送る方針を決めるなど、好ましくない動きをしている。平沼は改憲志向だし、民主党内にも改憲論者は多数いるので、平沼らの動きは改憲の機運を再び盛り上げようとするものであることはいうまでもない。何しろ平沼は安倍晋三に近い人物であり、民主党と安倍晋三が手を組むなどということになったら、悪夢以外のなにものでもない。
もっとも、現実にはそんな動きになるはずはない。この記事はまだ3日付の各紙記事を読む前に書いているので、新聞報道がどうなっているかはわからないが、従来憲法問題というと第9条のことばかり議論されてきたが、今年は生存権及び国の社会的使命を規定した第25条がクローズアップされるものと思う。国民も、医療制度や年金の問題への関心が特に高く、これらの問題が選挙の争点になった昨年の参院選や先日の衆院山口2区の補選では、自民党は惨敗した。そもそも、コイズミ−安倍と続いた政権が推進した新自由主義政策は、憲法第25条の精神に反するものだったから、選挙結果はその必然の論理的帰結だ。
平沼らのもくろむイデオロギー政治は、国民からは関心を持たれておらず、平沼らの主張を取り入れることは、直ちに民心の離反を招く結果となる。損得勘定からいっても、平沼一派との連携は百害あって一利なしなのである。
平沼は、「アインシュタインの予言」を信じるような純真無垢な人のようだから、本人は大真面目なのだろうが、残念ながらピントが外れており、国を良くする政治家では断じてない。民主党は平沼一派との連携を模索することなど止めて、岡山3区には強力な対立候補を擁立することを検討してもらいたい。
[追記]
以上の記事を書き上げたあと朝日新聞を開くと、1面トップが「憲法9条改正 反対66%」(賛成は23%)という記事で、9条改定反対派は、昨年の49%からさらに大幅に増えた。また、社説では予想通り貧困の問題を取り上げて憲法25条について論じていた。また、毎日新聞は生存権とともに表現の自由をクローズアップした社説を掲載した。
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立花さんは、同じ月刊「現代」の昨年10月号で、「安倍晋三への宣戦布告」 という記事を発表し、安倍の改憲路線や教育基本法改定に反対する態度を明らかにした。
その立花さんが、「現代」の今月号と来月号の2回にわたって、安倍の改憲路線に改めて異議を申し立て、護憲論を展開するというのだから、これは必読の記事だ。
今回は、立花さんの記事の中から、特に印象に残った箇所を紹介したい。以下「現代」 7月号から引用する。
なお、立花さんのこの記事は、2007年5月6日に丸善本店で行われた講演会「現代日本の原点を見つめ直す 南原繁と戦後レジームの意味」の内容を元にしたものだそうだ。
先だって、東大出版会が発行している雑誌『UP』 (Universiry Press) 3月号に私は「南原繁の言葉と戦後レジーム」という文章を寄稿しました。そこで私がいちばんいいたかったのは次の一文でした。
「安倍首相は、戦後レジームをネガティブに捉え、これを根本的に変革してしまうことこそ、日本国のために最もよいことと考えているようだが、私の歴史の見方は安倍首相とは正反対である。戦後レジームこそ、数千年に及ぶ日本の歴史の中で、最もポジティブに捉えられてしかるべきレジームだと考えている。
はっきり言って戦後レジームをポジティブに評価できない人は、歴史を知らない人だと思う。あそこで(1945−46年)戦前レジームから戦後レジームヘの一大転換が起きなかったとすれば、日本にはいまでも明治憲法レジーム、大日本帝国レジームが続いていたことになる。それが国家レジームとしてどれほど狂ったレジームであったか、ある年代以上の人にはいまさら言うまでもないことである」
(中略)
私が、日本国憲法、とくに憲法第九条がつくりだしてきた戦後レジームをなぜそれほどまでに積極的に評価するかというと、それはこの憲法が、日本という国を、歴史上もっとも繁栄させてきたからです。戦後レジームこそ、日本の繁栄の基盤だったからです。
どういうことか簡単にふれておくと、政治というのは、要するに一国の社会が全体としてもっているリソースをどう配分していくかを決定するプロセスです。ここでいうリソースには経済的リソース、物質的資源としてのリソースなど、さまざまなリソースがありますが、現代の国家にとっていちばん人事なリソースは人的資源、ヒューマン・リソースです。人的資源を、社会のどこの部分にどう配分するかの決定はいちばん下のレベルでは個人個人が自己決定でやっていますが、大きな枠組的配分は政治が動かしています。それによって、その時代の日本の栄枯盛衰が決まるといっても過言ではないほどそれは重要なリソース配分です。
戦後の日本の社会システムが戦前と大きく異なるのは、この経済的リソースやヒューマン・リソースの配分において、戦前の日本で最も大きな比重を占めていたリソースの配分先、すなわち軍事関係に回っていた分が、戦後はすべて民生に回ったという点です。その結果、日本は経済資源と、人的資源のほとんどすべてを民生に投入することができた。これが戦後日本の、あれほどの未曾有の経済復興と経済成長による国家的繁栄をつくったわけです。
戦前の日本では平時、全予算のおよそ半分が軍事部門に投入されていました。戦争になればそれこそほとんどすべての予算や人材が戦争に注ぎ込まれたわけです。もしも戦後の日本が早くから軍を復活させ、そこに多くの経済的リソース、ヒューマン・リソースを投入し続けていたら、日本にもアメリカのような軍産複合体制がとっくにできあがっていたでしょう。
いまのアメリカを一言でいえば、「戦争マシーン」国家です。アメリカのサイエンスもテクノロジーも、実は半分以上が軍事関係の予算や人材によってまかなわれています。とくにロボット、核融合、スーパーコンピュータ、宇宙航空といった先端技術は半分どころかほとんどが軍事予算でまかなわれています。車からの資金援助まったくなしで、世界とがっぷり四つに組むだけの科学技術力をちゃんと発達させた国は世界中で日本だけです。
軍産複合体を存在させずに経済発展をとげたという意味では日本の成長モデルは世界に誇れる仕組みなんです。そしてそれは何度もいっているように、いまの憲法、とくに第九条という戦後レジームがあったればこそ可能だったわけです。
ところが、いまやそのレジームを捨てようという人たちが国の権力の中心に座る時代になってしまいました。あの人たちは、本当の意味で、国家の繁栄とか、繁栄と憲法の関係といったことがわかっているんでしょうか。
(月刊「現代」 2007年7月号掲載 立花隆 『「私の護憲論」 安倍改憲政権に異議あり』 (前編) より)
この立花さんの意見は、岸信介の改憲路線を否定し、岸のあとを受けた池田勇人ら保守本流の政治家たちが選んだ「経済重視・軽軍備」路線(もちろん吉田茂に源流を発する)を高く評価するものだとも解釈できる。実際に日本でビジネスに携わっている人間にとっては、とても説得力のある意見だ。
昨年立花さんが書かれた教育基本法改定反対論を読んだ時にも感じたことだが、このような、イデオロギーにとらわれない立場からの護憲論が世に広まり、現在猖獗(しょうけつ)をきわめている、安倍晋三に代表される馬鹿馬鹿しいネオコン的言説を駆逐せんことを強く願う次第である。
[追記] (2007.6.14 22:25)
「雑談日記(徒然なるままに、。)」のSOBAさんが、今回の月刊「現代」の記事の元になった立花隆さんの講演会に出席されていて、講演会当日の5月6日に、早速記事を書かれていました。
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2007/05/post_3fa3.html
SOBAさん、トラックバックどうもありがとうございました。
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先日、明月さんのブログ 「反戦な家づくり」 が、民主党と自民党の参院選候補者を対象に、「9条改憲の賛否を問う質問」 を行った。このアンケートには、弊ブログも賛同人に名を連ねさせていただいたが、その結果が発表されたので、ここにお知らせする。
「反戦な家づくり」より
『9条改憲の賛否を問う質問 回答のまとめ(明月)』
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-379.html
結果については、上記リンク先をご参照いただきたい。念のために、当記事の末尾の「付録」(More ... 以降)にも、質問項目と回答結果を転載させていただいた。
さて、いま、1年前のブログ言論などを読み返してみて現状と比較すると、1年前と比較して世論が護憲に傾きつつあることがよくわかるだろう。この傾向は、特に憲法九条に関して顕著だ。
いまやリベラルというよりニュートラルな立場をとるようになった朝日新聞社の論壇誌「論座」 (編集長の薬師寺克行氏は、テレビ番組で「改憲論者」だと明言したことがある)が、6月号で憲法特集を組んだのに続き、7月号に小林よしのりの 「わしが格差拡大に反対するワケ」 を掲載している。この記事に対しては、「Munchener Brucke」 の興味深い論考 『日本に労働者や貧困層の支持を集める右翼政治家が出現する予感(悪夢か?)』 などもあるが、ここでは小林が憲法に触れた部分のみ紹介する。
いまこの国は、とにかくどんどん儲ければいい、自分の利益が人事で国民がどうなろうと関係ないという話なんだから、ナショナリズムなんて最初からありません。だけど「砂粒化した個人」は社会にとって不安定要因になりかねないから、権力の側はそれを統制する手段としてナショナリズムを利用しているわけです。
小泉の靖国神社参拝が、まさにそうでしょう。靖国を参拝してナショナリズムに片足かけながら、もう片方では、靖国に祀られている戦死者たちが守ろうとした故郷や共同体をどんどん破壊するような政策を進めているんだから。本当にインチキなやつだよ。安倍だって同じですよ。「憲法改正」って言いながら、日本の国柄そのものを破壊して、まったくのアメリカニズムに染め上げようとしている。
これは、わしに言わせれば革命です。目本の国柄を破壊しようという勢力がいつのまにか無血クーデターを起こして政府の中枢に忍び込み革命を起こしている。だけど「靖国参拝」「憲法改正」を言っているから、保守の側も誰も批判しない。ばかばかしい話です。
(中略)そして自分たちが日本のエートスを崩壊させておきながら、給食費を払わない親がいるとか道徳心を失っているとか大騒ぎして、教育基本法を改正して「国を愛する態度」を盛り込んでみたり、「親学」とか言って、「子守歌を歌う」とか「早寝早起き朝ご飯」とか、教条主義的な提言をしようとしたりしている。それでみんなが言うことを聞くと思っているわけでしょ。頭おかしいよ。金正日が北朝鮮でやっていることと同じなわけよ。右を向きなさい、左を向きなさいと言ったら、それをそのまま間く人間を育てるつもりかって。全部が狂ってるよ。
教育基本法改正も、憲法改正も、道徳教育も、トータルにわしは否定するよ。はっきりいって。左翼だって思われちゃうかもしれないけどね。わしは運動に直接かかわるのは懲りたから、描き続けることで、みんなにわかってほしいと思っています。
(中略)いまの政権を担っている自民党の政治家にしろ、親米保守にしろ、ネオリベを肯定するような人間は、靖国に祀られている戦死者たちがいったいなにを守ろうとしたのかというところに思いを致すことなんかないんですよ。彼らの関心は、「こいつは利用できるかどうか」にしかない。わしだって最初は、アメリカと一緒に戦争をやるために利用できると思われていた。それがアメリカを批判し始めたとたんに、「危険だ」と排除された。
いま憲法改正が騒がれているけど、わしはもろ手をあげて賛成するわけにはいかなくなってしまってるわけよ。ただただアメリカ軍にくっついていって、イラクでもどこででも戦おうということでしょ。わしはそんな戦争には賛成しない。そんなものは、かつて英霊が戦った戦争とは違うということを、やっぱり言わなければならないと思っています。
(「論座」 2007年7月号掲載 小林よしのり 「『戦争論』、それからわしが格差拡大に反対するワケ」 より)
加藤紘一は先日、TBSテレビ「時事放談」で、右翼雑誌(「諸君!」や「正論」などを指すと思われる)の読者数が減っている、親米右派と反米右派に分かれてきていると指摘していたが、小林は典型的な「反米右翼」であり、安倍内閣の発足前には、安倍に期待していたフシもあるが、政権発足後の早い段階で安倍を見限り、現在では引用文中にもあるように、「安倍政権下での改憲」への反対を表明している。他に、慶応大学教授の小林節なども、「安倍政権下での改憲」に反対しているが(「週刊朝日」 2007年6月8日号など)、興味深いのは同じ「小林」でも、Wikipediaの記述でも指摘されているように、小林節はリバタリアンとされており、安倍の復古主義的な方向性を持ち、かつ対米隷属的な「改憲」に反対しているということだ。つまり安倍(自民党)の「改憲」案は、民族主義的右翼(小林よしのり)にも、本来的な意味でのリバタリアン(小林節)にも反対されるような代物なのである。支持しているのは産経文化人(とネット右翼)、それに自民党・公明党や一部民主党議員だけと言っても過言ではない。
自民党の改憲案は、ただ単に、アメリカやそれに従属する日本の政権に国民を隷属させるだけのどうしようもないものなのだから、それが護憲派はおろか、真面目な改憲派からも支持を得られないのは当然のことだ。
当ブログの昨日の記事にコメントいただいた眠り猫さんのブログ 「平和のために小さな声を集めよう」 も指摘しているように、自民党の改憲案では、基本的人権の特に自由の権利に対して、大幅な制約を加えている。最近出版された保阪正康監修・解説の 「50年前の憲法大論争」 (講談社現代新書、2007年)などを読めばわかるが、これは半世紀も前からの自民党のもくろみなのである。要は、自民党右派の人たちは、敗戦後間もないことから考えていることは何も変わっておらず、ただひたすら戦前の体制を復活させたくてたまらない議員を多く抱えているということだ。安倍晋三は、その中でも特に極端な思想を持つ人物である。
元長崎市長の本島等さんは、憲法九条を守りながら、環境問題や人権問題の条項を加えていく「加憲」を主張しているが(「東京新聞」 2007年5月14日)、そのベクトルの向きは自民党の改憲論とは正反対である。
基本的人権を制限し、政権に都合の良い人間(=奴隷)づくりを目指すふざけた安倍政権を、一日も早く葬り去らなければならない。
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その間、「お前の最近の記事はネット右翼やタイコモチ記者への批判ばかりで面白くない」とか、「お前は安倍晋三と統一協会の関係ばかり書くが、民主党にだって統一協会べったりの人間がいるではないか」などの批判もいただいているが、そんなことをコメントに書いたって誰も読んでくれないのだから、自分のブログで(未開設なら開設して)思う存分書けば良いことだろう。民主党の議員が統一協会とつながっていれば安倍が免罪されるかのような後者の意見など、誰にも相手にされないだろうとは思うが、もっと世間に広く訴える手段があるだろうに、いちいち人のブログに文句をつけてくる神経が理解できない今日この頃だ(笑)。
ところで、先日60回目の憲法記念日を迎えた。どうやら、国民投票法は参議院でも強行採決されてしまいそうな勢いだが、安倍がどんなに力み返ったところで、安倍の真の狙いである「九条改変」に対する賛成意見の比率は、NHKの調査でも読売新聞の調査でも、確実に下がっている。だから、安倍に反対する側は、安倍の頭には「九条改変」しかないことを大いにアピールすべきだと思う。
しかし、「九条改変」賛成意見が減っている一方で、これまでずっと護憲を唱え続けてきた社民党や共産党の支持率も長期低迷がさらに進んでいることは、先日の統一地方選の結果からも読み取れる。
つまり、民意は「九条改変を伴う改憲」と「原理主義的な護憲」のいずれにも懐疑的だということだ。
私自身、今日本国憲法を変える必要は全くないと思うし、九条の改変には大反対なのだが、口を開いたら憲法のことしか言わない「護憲派」にも、率直に言って違和感を感じている。いわゆる「護憲派」に、明らかな犯罪国家である北朝鮮への批判を躊躇(ちゅうちょ)する人たちが少なからずいることも、うさんくささを感じる一因になっている。
こういう感覚を持っているのは私だけではないだろう。だから、内田樹・神戸女学院教授のブログの記事 『憲法の話』 が大きな反響を呼んだのだろう。この記事には、76件の「はてなブックマーク」がついている。
この記事で特に鋭いと思うのは、
『改憲で日本が手に入れるのは「アメリカ以外の国と、アメリカの許可があれば、戦争をする権利」であり、それだけである』 という指摘だ。
しかし、その一方で内田氏は、次のようにも述べている。
『九条どうでしょう』以来、私が憲法について言っていることはずっと同じである。
それは交戦権を否定した九条二項と軍隊としての自衛隊は拮抗関係にあり、拮抗関係にあるがゆえに日本は「巨大な自衛力」と「例外的な平和と繁栄」を同時に所有している世界で唯一の国となった、ということである。
先日も書いたから、みなさんはもう聞き飽きたであろうが、二つの対立する能力や資質を葛藤を通じて同時的に向上させることを武道では「術」と言う。
「平和の継続」と「自衛力の向上」を同時に達成しようと思ったら、その二つを「葛藤させる」のがベストの選択なのである。
(内田樹 『憲法の話』 より)
なんとも刺激に満ちた現実主義者の言葉だ。
私は、内田樹の「下流志向」(講談社) は、しばらく前に買い込んだものの忙しさに紛れてまだ読んでいないし(今回の内田のブログ記事を知って読もうという気になり、ようやく読み始めた)、「9条どうでしょう」(毎日新聞社) は、今回初めて本の存在を知ったくらいだ。内田がブログで書いているように、加藤典洋による内田への言及のある記事が掲載された「論座」の6月号は、たまたま買ってあるが、加藤の長文の記事は、まだ全部読めていない。
こんな調子では、なかなか記事にもできないなともどかしく思っていたところ、メロディさんのブログ 「あんち・アンチエイジング・メロディ」 が、「論座」の加藤典洋の記事と「9条どうでしょう」を取り上げていた。
「あんち・アンチエイジング・メロディ」より
『9条、第三のオプション』
http://blog.goo.ne.jp/ibis083/e/a86103ee289b4efd79d9d3537108e4e2
これは、簡潔にまとめられたすぐれた論考だと思うので、是非上記リンク先をクリックしてお読みいただくことをおすすめする。当エントリは、メロディさんのこの記事を読んで、なんとかその尻馬に乗って公開にこぎつけたものだ。
別の記事でメロディさんが書かれるように、安倍政権は戦後最大の国難だと私も思う。なにしろ安倍は、「戦後レジームからの脱却」などと称しつつ、アンシャン・レジームたる「戦前レジームへの回帰」を図っている人間だからである。
しかし、それを批判するのに、「護憲勢力は議会の3%しかいない」などと言われても、それは「極少数派であるわれわれだけが正しくて、国民の大部分は間違っている」という自己満足の言説にしか聞こえない。
いま求められているのは、憲法九条が掲げる平和主義を守り、安倍の野望を挫くための現実的な道をさぐり、進んでいくことだと思う。
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私はこの本を2000年の夏休みに読んだのだが、大いにはまった。2つの点で、私の好きな作家・筒井康隆を思い起こさせるところがあったからである。
この作品は、物語仕立てで哲学史を語っていく。これは、1991年に日本でベストセラーになった筒井の「文学部唯野教授」と同じやり方である。そして、物語のちょうど真ん中に、あるトリックが仕掛けられている。これ以上書くとネタバレになるので表現をぼかすが、このトリックはいかにも筒井が好みそうなものだ。
この本の訳者の池田香代子さんは、2002年にヴィクトール・E・フランクルの名著 「夜と霧」の新訳 も手がけている(みすず書房から出版)。この本は、アウシュヴィッツに送られたユダヤ人精神医学者による体験記録書で、1961年刊の霜山徳爾の翻訳(同じくみすず書房から出版)で知られているが、その41年ぶりの新訳になった。
私は新版の出る前年の2001年に霜山氏の手になる旧訳でこの本を読んだので、池田さん訳の新版は持っていないのだが、こういう本の翻訳書を出すことからも想像がつくように、池田さんは反戦・平和の側に立つ方である。
その池田さんの「再話」によって構成されたのが、ベストセラー「世界がもし100人の村だったら」(2001年、マガジンハウス)である。これは、もともと「ネットロア」(インターネットによる民話)であり、発信者不詳の、インターネットを通して広まった物語を、池田さんが再構成したものである。当然、格差社会否定の側に立ったものである。
ところが、6月にフジテレビがこの「世界がもし100人の村だったら」に基づく番組を、あろうことか安倍晋三のプロパガンダとして悪用したのである。
私にはこれがどうしても許せなかった。それが、この記事を書く動機になった。














