私は小沢一郎の起訴に至ったいきさつは大いに問題があると思っているが、東日本大震災以降に小沢一郎のやったことを見ていると、この男を擁護しようとする気にはならない。とはいえ起訴には問題ありと思っているから、この裁判の件で小沢一郎を批判する気にもならない。
東日本大震災直後に雲隠れして「安否不明説」まで流れ、ろくに被災地を訪問もしなかったうえ、統一地方選で民主党が敗れると直ちに倒閣運動を起こし、6月の内閣不信任案提出につなげた。しかし自らは不信任案賛成票を投じることもなかった。結局この内閣不信任案にびびった菅直人が退陣を口にして、その後3か月は粘ったもののそこまでだった。東電原発事故を受けて「転向」した菅直人の「脱原発」は、党内や経済界などの抵抗を受けて「脱原発依存」に後退したが、小沢一郎は「脱原発依存」さえ打ち出さなかった。それどころか9月の民主党代表選では原発推進派の海江田万里を担いだ。
以上は、小沢一郎が裁判で裁かれている政治資金規制法違反の容疑とは関係ない話だ。だが、ここは個人ブログであり私の感情を出しているのだが、小沢一郎の裁判に関心を持てない理由は東日本大震災や原発事故への対応や政局にばかり熱心なこの男のあり方に反感を持っているためだ。いくらリンクするなといわれてもそれが正直な感情だからどうしようもない。
「小沢信者」と言われた人々の多くも同じなのではないか。特に民主党代表選以降、主立った「小沢信者」のブログの中にも3秘書の有罪判決をスルーしたところがあったし、当ブログにも「小沢信者」からブログ記事にクレームをつけるコメントが減っている。
その代わりに私の関心を引くのは、会計検査院が電源三法による「立地地域対策交付金」の見直しを経産省に勧告した件や、アメリカの「反ウォール街デモ」である。後者は昨年『鍋パーティー』を始めるに至った私が以前から持っていた方向性だが、原発問題については、それ以前から反原発派ではあったもののそれをブログの記事に反映させる頻度は低かった。やはり「3.11」以降の大きな変化だ。
大きな事件や戦争、災害などは、それ以前と以後ではっきり大きな断絶を生じさせるものだと痛感する。私が生きてきた期間を振り返ると、今までで一番大きな変化は1973年の石油危機に伴う高度経済成長の終焉で、それ以前と以後で日本の文化は一変した。今、高度成長時代を懐かしむ人も少なくないが、あの時代が良かったわけでは決してない。ひどい公害問題はあったし、大衆の嗜好も「原子力の父」正力松太郎・読売新聞社主(当時)が道筋をつけた方向性に引っ張られていた。テレビが人々にとってなくてはならないものになり、プロ野球が国民的人気スポーツになって読売ジャイアンツが9年連続日本一になったが、テレビもプロ野球(ジャイアンツ)もともに正力松太郎が生み出したものだ。70年代の昔に戻りたいとは私は思わない(読売の9連覇なんかを見せつけられたら狂い死にしかねない)。
そして、「3.11」の断絶は、1973年の断絶よりもっと大きいものになるのではないか。原発もまた正力松太郎が決めた方向性に沿って拡大してきた「モンスター」であり、ジャイアンツの人気は凋落しても原発の数は増え続けた。90年代から鈍化していたが、東日本大震災の直前には原発推進を再び加速させる方向に民主党政権(鳩山・菅両政権)は動いていた。それが「3.11」で一変した。
さすがに菅直人は「転向」するしかないといち早く悟って「脱原発」を打ち出したが、政官業の主流にとっては慣性に従って動いた方が楽なので、「脱原発」の動きには強く抵抗する。現状は、「脱原発」対「原発維持」のせめぎ合いだ。野田佳彦首相は軸足を「原発維持」に置きながらも、「脱原発」派にも配慮せざるを得ないことが現在のカメレオン的な態度に表れているのだろう。
もう一つは東日本大震災が招いた東北や北関東への多大なダメージであり、被災しなかった地域との不均衡が生じたため、一刻も早くその不均衡を解消しなければならない。そのためには少なくともある程度は「大きな政府」が必要だろう。
東日本大震災後、あれほど名古屋で勢いのあった河村たかしの人気が凋落し、現在は大阪で橋下徹の人気も落ちているらしい。大阪では橋下が知事から市長選へと転じて、橋下の息のかかった男を知事に据えるべく「ダブル選挙」を行なうつもりらしい。浜岡原発停止のあった中部地方と比較しても、関西は東日本大震災や東電原発事故の影響が小さいと思われ、どこまで橋下の人気が落ちているのか、大阪の空気がわからない私には何ともいえないので、「橋下、危うし」というところまで来ているかどうかは判断がつかないのだけれど。ただ、統一地方選でも踏ん張った橋下は侮れないとは思う。
ただ、長期的には「橋下的なるもの」は凋落することになるだろう。東日本大震災と東電原発事故を境に、新自由主義と原発はいずれ捨てていかざるを得ない。原発事故の悪影響は今後もっともっと出てくることは絶対に間違いない。
今後の日本にとって大事なのは、いかに早期に新自由主義と原発を捨てて国の方向を転換できるかということだ。だが残念ながら野田佳彦はその「変革の時代」にふさわしいリーダーとはいえない。
といっても、何を書くかは決めていなかった。そこで、新聞を見て決めるかと思って朝日新聞の一面を見たら、菅直人首相が松永和夫経産省事務次官、寺坂信昭同省原子力安全・保安院長、細野哲弘同省資源エネルギー庁長官の原発関連3首脳を更迭する方向で経産相の海江田万里と最終調整に入ったとのニュースが出ていた。海江田も3首脳を更迭したら辞めるらしい(下記URL)。
http://www.asahi.com/politics/update/0804/TKY201108030752.html
経産省事務次官ら3首脳更迭へ 首相、経産相と最終調整
菅直人首相は3日、経済産業省の松永和夫事務次官(59)、寺坂信昭同省原子力安全・保安院長(58)、細野哲弘同省資源エネルギー庁長官(58)の3首脳を更迭する方向で、海江田万里経産相と最終調整に入った。東京電力福島第一原発事故の一連の対応や、国主催の原子力関連シンポジウムを巡る「やらせ」問題の責任を問う目的だ。海江田氏も3首脳を更迭後、速やかに辞任する考えだ。
首相は、電力会社と一体となって原発政策全般を推進してきた経産省への不信感を強めている。今回の3首脳の更迭をテコに、経産省から保安院を分離し、環境省に新設する「原子力安全庁」に規制部門を担わせるなどの組織再編を進める考えだ。さらに、太陽光など再生可能エネルギーの拡大や電力会社による地域独占の見直しに道筋をつけたい意向だ。
ただ、辞任表明した首相の求心力は著しく下がっている。経産省や与党内から反発が出るなどして更迭人事が混乱すれば、政権運営が一層厳しくなるのは必至。逆に首相の早期退陣につながる可能性もある。
(asahi.com 2011年8月4日3時2分)
海江田も辞めるのだろうが、私は菅直人ももう辞めるつもりで、その置き土産として「原子力村」の元締めとしてあまりにも悪名の高い松永和夫の首をとることにしたんじゃないかと思った。
金子勝はTwitterで「遅過ぎる」と評し(私はそれでも更迭しないよりした方がマシだと思う)、海江田については、
と書いている。私も見出しを見た時、なんで海江田は同時辞任しないのかと思ったが、そんな海江田を小沢一郎は「次期総理大臣候補」として期待しているらしい。菅降ろしの先兵になるか東電・経産省の利益を守るかで迷う?3首脳と一緒に辞任が筋では。
最近は小沢信者の間からも「小沢派は民主党の『サハッ』」だ、などという妄言は聞かれなくなった。たとえば昨日当ブログに寄越してきた小沢信者のコメントには、山崎康彦という人物がTwitterで、
などと書いているのを紹介して、菅、仙石,枝野は「元左翼」。前原、岡田、野田、玄葉、安住は「新自由主義・市場原理主義」者。米国支配層は彼らを育て民主党内に潜入させた。「元左翼」と「新自由主義」者は「反小沢」「対米従属」で一致。昨年年6月2日「鳩山・小沢辞任」クーデターで民主党を乗り「第二自民党」へ変質させた。
などと抜かしている。ちゃんちゃらおかしい話で、ついこの間まで小沢信者の一部は小沢派を民主党の「サハッ」だとか言っていたが、今では「左派」を僭称するのは止めて、「酷使様」を思わせる国粋主義的なアピールに特化するようになった。これに異論はないだろう?
「山崎康彦」とやらのTwitterは、なにか城内実の支持者を思わせる物言いだが、小沢信者の間で城内実の人気が異様に高かったことを納得させてくれる。しかし時の流れは残酷で、その城内実は「自民党復党」で同党本部と基本的に合意したというニュースが既に流れている。これについて、かつて城内実応援団の旗振り役だった『喜八ログ』をはじめ、同ブログにメダカの群れのように付き従った連中は黙して何も語らない。そして、小沢信者の「ネトウヨ化」はますますその度を強めていっている。
原発問題にしても、かつては「菅こそ原発推進派、小沢は『隠れ脱原発』派だ」と言っていたのが、今では「小沢も菅と同じ程度には脱原発派だ」としかいえないのだから開いた口が塞がらない。そのうち、海江田万里だか馬淵澄夫だか知らないが、前原誠司程度の消極的な「脱原発」さえ打ち出せない政治家を小沢一郎が民主党代表選で担いだら、その候補を天まで届かんばかりに持ち上げるのだろう。かつて植草一秀が民主党きっての新自由主義者である樽床伸二を絶賛したように。
ついつい小沢信者の末期症状を嘲笑する文章が長くなってしまったが、以上は長い長い前振りで、実は今日一番紹介したかったのは、南相馬市が「電源三法交付金」の受け取りを辞退するというニュースだった。朝日新聞(東京本社発行最終版)では5面のトップに、かなり大きな見出しで報じられている。asahi.comにも出ている(下記URL)。
http://www.asahi.com/national/update/0803/TKY201108030706.html
南相馬市、新原発の交付金辞退へ 住民の安全を優先
東北電力の原発新規立地計画がある福島県南相馬市は、この計画に関連する「電源三法交付金」の受け取りを、今年度から辞退する方針を固めた。原発の見返りに自治体財政を潤してきた交付金だが、東京電力福島第一原発の事故で、自治体の判断にも変化が生じている。交付金よりも住民の安全を優先させた被災自治体の判断は、全国に広がる可能性がある。
電源三法交付金は、発電所の立地計画や建設が進む自治体に配分される。南相馬市が辞退するのは、この交付金の一つで、建設計画のある自治体に交付される「電源立地等初期対策交付金」。東北電の計画では、同市と浪江町の境で、浪江・小高原発の2021年度運転開始をめざしている。南相馬市は1986年度から、交付金を受けている。昨年度は約5千万円で、これまでの累計は約5億円にのぼる。
交付金の対象自治体は例年5月と10月に、国に交付申請する。南相馬市は、東日本大震災の影響で5月分を申請していないが、10月も申請しない方針だ。
桜井勝延市長は、朝日新聞の取材に「今回の原発事故を受け、将来的にも住民を脅かす原発を認めない。交付金を申請しないことで、新規立地に反対する市の立場を明確にできる」と説明している。
(asahi.com 2011年8月4日3時1分)
これは大英断だ。南相馬市は、東北電力の新規原発なんて要らないよ、だから「シャブ」もとい「電源三法交付金」なんて要らないよと言っているのだ。まさしく、
の後段、「きる(切る、kill)! 電源三法」を実践しようとしているのである。いる? 電源三法
きる! 電源三法
asahi.comに掲載された記事はここまでだが、朝日新聞本体の紙面には、南相馬市は現在も東電の福島第一原発関連で、近隣自治体として年5500万円の交付を受けているが、この東電分の辞退も今後検討すると書かれている。今年度の南相馬市の一般会計当初予算は277億円なので、東電分の交付金を辞退する影響は小さいとのことだ。
さらに、朝日新聞本紙には「危険の代償 脱却目指す」と題した小森敦司記者の解説が載っていて、電源三法交付金は原発という迷惑施設を引き受けてもらう「アメ玉」であること、地方は交付金による経済効果を期待して原発を受け入れたが、現実には地方経済の自立を促しておらず、ハコモノばかりを造っては財政規模が膨らむことなどを指摘された上で、下記のように書かれている。
運転開始後は、交付金の額や原発の固定資産税が次第に減る。歳出を維持するには、新たな原発が欲しくなる。交付金には「麻薬」のような作用がある。南相馬市の判断は、そうした構造を断ち切るものだ。
交付金の原資は、電気料金に電源開発促進税を上乗せして集められてきた。政府資料によれば、東電管内の標準家庭で月の電気代約6222円のうち、約108円が電促税分だ。
交付金は、自然エネルギーの普及にも使われるが、大半が原発関連だ。電促税は電気料金の明細書には示されず、消費者は知らない間に原発促進のための資金を出していたことになる。
交付金は「危険の代償」ともいえる。その代償があまりにも高くつくことが、今回の事故ではっきりした。地方が原発異存からの脱却を目指すとき、国はどう支援するのか。原発を通じた都会と地方との関係を、どう変えるのか。エネルギー政策の見直しには、そうした視点も欠かせない。
(朝日新聞 2011年8月4日付5面掲載 小森敦司記者署名記事より)
私は、「電源三法」を廃止し、その代わりに違った形で地方の「脱原発」、自然エネルギー推進などを支援するしかないのではないかと思う。最後にスローガンをもう一度掲げよう。
いる? 電源三法
きる! 電源三法
阪神大震災が起きた1995年もそういう年だったが、今回の東日本大震災は、その阪神大震災と比較しても震災への対応が遅れ、そのことをもって政府を追及する声も、特に自民党など野党から強い。しかし、被災した地域の広がりが桁違いであることに加え、東電原発事故が起きた影響を無視するわけにはいかない。そして、原発事故対応は、仮に「原発を守りたい」モチベーションの強い自民党政府であったなら、現政権よりさらにひどいものになったであろうことは、想像に難くない。
現在の焦点は原発の再稼働へと移りつつあり、九州電力で停止している玄海原発2号機と3号機の再開の是非が議論になっている。予想通り、再開容認の姿勢を打ち出した古川康佐賀県知事について、『kojitakenの日記』で、
と書いて、古川康を批判したところ、読者の間でちょっとしたコメント欄のやりとりがあった。この古川康という人物、父親が元九州電力社員で、玄海原子力発電所のPR館の館長を務めていたらしい。古川康自身は中学生時代まで佐賀県で過ごしたあと、鹿児島のラ・サール高校に入学、東大法学部を卒業して1982年に自治省に入省し、2003年から佐賀県知事を務めて現在3期目。もちろん自民党系の知事だ。経歴からも、佐賀の「土豪政治家」といえると思う。土豪の御曹司が40代になって里帰りし、地元の知事になったのだ。こんな人間だから、全国で真っ先に原発の再開に応じる。
論外だ。
kagisou 2011/06/30 09:48
日本という国は電力会社が支配しているみたいですね。恐るべきことです。身の毛がよだつほどいやです。
この際、電力会社のいいなりになるのは嫌で、民主党も自民党も公明党も嫌いわれわれは国民は、一人ぼっちのドンキホーテみたいな菅さんを支持し、ともに進むしか道はないように思います。
yossie90 2011/06/30 10:40
そもそも菅首相が再開要請しなければ知事の判断も問われないわけで、知事の素性を云々する以前に政府の責任を問うべきでしょう。むしろ知事はともかくも最初は慎重姿勢を見せていたわけです。山口二郎氏が言っていたように、逆手にとって、この夏を(新たに稼動させる)原発なしで乗りきれるかどうかというチャレンジにすることもできたのではないですか。「原発解散」やもろもろの法案よりもはるかに少ない労力で(首相の一存で)、最大限の効果が得られる「脱原発」アピールになると思います。
百歩譲ってほんとうに再稼働が必要なら、首相本人が矢面にたつべきだとも思います(福井のように難航が予想されるケースにおけるカードのつもりか?)。いったいこのニュースを見て「一人ぼっちのドン・キホーテみたいな菅さん」なんて感想がどこから出てくるのでしょう。普天間基地問題の鳩山首相について、「官僚とアメリカと閣僚にハメられた」みたいなことを言ってた人たちを思い出します
Gl17 2011/06/30 13:13
どっちも極論だなあ、菅氏は確かに他より現状マシだし、でもアテにできるはずもないでしょ。首相は世の空気を読んでいるだけですから世論が脱原発に盛り上がればそちらへ動くし、政界で維持の動きが強ければ追従するし、社会の要請の向きに行くでしょ当然。
但し首相以外は「脱・原発」の世論を見て逆に旧来方針の固執に動いてるのが困るわけだけど。
私の意見はGl17さんに一番近いのだけれど、古川康の素性に言及してまで古川氏を批判したのは、原発を止められるのは原発立地自治体の首長だからである。玄海原発の例でいえば玄海町と佐賀県、敦賀の原発だったら敦賀市と福井県知事だ。敦賀市の前市長・高木孝一は1983年に
などという暴言を吐いたが、こんな人物を首長に選んでいるようでは原発は止められない。なお高木孝一は1995年に落選したが、その高木を破って以後5選された河瀬一治・現敦賀市長も原発推進派である。しかも、高木孝一の倅である高木毅は福井3区選出の自民党衆院議員であり、5月の国会で菅首相に退陣を迫った。高木毅もまた、古川康同様「土豪政治家」であって、それが国政に進出してきている。もちろん典型的な利益誘導型の政治家であろうことは容易に推察できる。これが自民党なのだ。100年経って片輪が生まれてくるやら、50後に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…。こいうふうに思っております。
今回の東電原発事故で、福島県民の間には「反原発」の気運が高まっている。言葉には言い尽くせない被害を受けたのだから当然だろう。原発推進派の民主党議員・渡部恒三の秘書を務めた経歴を持つ佐藤雄平知事も「脱原発」に転じたし、東電原発事故以前にはプルサーマル計画受け入れを声高に叫んでいた自民党福島県連も、腰を引きながらも「脱原発」を打ち出した。すると、東電原発事故直後には「エネルギー政策の転換」を口にしたこともあった自民党総裁の谷垣禎一は自党の福島県連をとがめるコメントを発するていたらくで、だから自民党はダメなのだ。
かつての「国民政党」から「階級政党」へと堕落した自民党は論外だけれども、私が言いたいのは、首長にどんな政治家を選ぶかが地域の住民に問われているということだ。いつまでも地域の住民が「土豪」の首長を選んでいたのでは、「土豪の、土豪による、土豪のための政治」しか行わず、地域は衰退する一方になる。
これに関連するのが「電源三法交付金」の話だ。地方を重視する論者の間でさえ、「交付金がなければやっていけない過疎の地方」などという表現で、電源三法交付金を問題視しようとしない傾向が強いが、とんでもない。電源三法交付金でできるのは、「なんでこんな場所にこんな立派な建物ができると誰もが思う」(東京電力の社員自らそう語っていた)ハコモノであり、その維持費には、かつては電源三法交付金は使えなかったので、原発立地自治体の中でも財政規律の緩い放漫財政をやっていたところでは自治体の財政を悪化させるところも出た。
さらに問題なのは、どの原発立地自治体においても、原発の黎明期は別として、ある程度原発が各地に建ち始めた時代には、どの地域でも例外なく反対運動が初期には強く、それを政府が「札ビラでほっぺたをひっぱたいて」強引に原発の建設を推進していったという事実だ。その結果、地域のコミュニティでいがみ合いが生じ、原発推進派の数が反対派を上回るようになると、「村八分」が起きた。その結果、今年の東通村議選などもそうだったようだが、原発の是非を争点にすること自体が憚られる悪しき空気が自治体を覆ってしまった。
これらの事情は、たとえば鎌田慧のルポに詳しい。私は鎌田氏の『原発列島を行く』(集英社新書, 2001年)を東電原発事故後に読んだ。
この本に、70年代半ばに愛媛県伊方町で四国電力の伊方原発に反対する運動(原発設置反対共闘委員会)をしていた元伊方町長の川口寛之氏の話が出てくる。川口元町長はもともとは原発賛成派だったが、他の原発立地地域の実態を知って反対に転じていたという。やはり伊方町長を長年にわたって務めていた川口氏の兄・井田與之平氏の妻が、ボーリング調査のための「仮契約書」だと言う四国電力の嘘に騙されて、夫の留守中に「承諾」の判を押してしまった。怒った井田氏に離別された妻は、鬱病になって自殺してしまったとのことだ(前掲書82頁)。これが「原発を建てる」ということだ。
だから、「電源三法」を廃止せよと私は叫ぶのだ。今回はエントリの半ばに合言葉を挿入する。
いる? 電源三法
きる! 電源三法
ここで区切りになるので、ブレイクを入れたい(注:ブレイクが入るのはトップページからアクセスされた場合に限ります。トップページからアクセスされた方が続きを読まれる場合は、下記の "More" をクリックして下さい)。
8月いっぱいの国会の会期延長に合わせた退陣だ。菅首相は再生可能エネルギーの全量買取法案の成立を目指しているが、実はこの法案の成立へのハードルはさほど高くないという観測記事が、22日付の朝日新聞に出ていた。同日付の『kojitakenの日記』でも紹介したが、同法は民主党のマニフェストに沿って経産省がとりまとめた法律で、事前に電力会社などとも調整して、電力会社の負担が大きくならないようにして、もちろん発送電分離や地域独占体制の見直しに触れるものでもないので、電力会社でさえ反対は強くない。強硬に反対しているのは、自民党の原発推進強硬派や鉄鋼などの重厚長大産業だというものだ。
最近、「菅直人にすり寄っている」として小沢信者から強く非難されている飯田哲也は、
と期待している。けっこう正確な分析だ。今国会の一丁目一番地かつ首相が首をかけるまでの法案、いよいよ成案の可能性が高まってきたかも。
ちなみに、飯田氏の同法案に対する評価は、「ダイヤモンドオンライン」に掲載されている「自然エネルギーの実力は世界が実証済み 日本で拡大しない要因は政治と政策の不在」(下記URL)で読める。
http://diamond.jp/articles/-/12806
この記事の4頁に、今回の買取法案に対する評価が出てくる。以下引用する。
全量買取制度に関しては、経済産業省が主導権を持って取り組んでいる。これには良い面と悪い面がある。
経産省は自分が担当する法律だから、自分で自分を攻撃することはない。閣議決定から国会に持ち込むまでは、割と順調に進行した。これが仮に環境省の法律だったら、おそらくつぶされていた。
だが、制度設計は極めて甘い。諸外国の良い部分を取り入れたとは言い難い内容だ。とはいえ法案さえ通ってしまえば政省令マターになるので、細かいことは後でどうにでもなる。とにかくこの法律を通すこと。これに社会全体がもっと着目しなければならない。
この法案が閣議決定されたのは、奇しくも「3.11」の午前中である。私は運命的なものを感じざるを得ない。この法律を闇に葬ってしまうことになれば、将来世代に対して顔向けができないのではないだろうか。
全量買取制度を実現できるかどうか、私たちは今、「歴史の十字路」に立っているのだ。
(ダイヤモンドオンライン掲載「飯田哲也の新・エネルギー言論」第4回=2011年6月23日付=より)
当ブログにお寄せいただいたコメントの中に、「経産省主導の全量買取制度を誰よりも強く批判していたのは飯田氏(『世界』2011年1月号)ではないか、その飯田氏がなぜ菅首相を応援するのか、問題の矮小化ではないか」という主旨のものがあった。非公開コメントだったが、掲示板『阿修羅』でも同主旨のコメントを見かけた。その筆者が当ブログにコメントいただいたのと同じ方かどうかは私には判断できなかったが、別に表に出して問題のあるコメントとは全く思えないので、ここにその要旨を紹介した次第だ。
経産省主導の法案には問題は多々あるものの、たとえば環境省なりがより踏み込んだ法案を出したなら、それは(経産省などによって)潰されていただろう、だから今は不十分な法律であってもまずこれを通し、あとは政省令の運用で対応すればよい(というか、そうせざるを得ない)という飯田氏の主張は、別におかしなものであるとは私には思われない。環境省の政策を経産省が潰し、その結果太陽光発電限定のFITという政策が経産省から出てきたのは麻生政権時代だった。あの時、環境大臣だった斉藤鉄夫(公明党)は、経産省に味方した麻生太郎首相(当時)によって恥をかかされた。
私は3年前から飯田氏の論考に関心を持つようになり、ネットで配信される記事や『世界』に掲載される飯田氏の論文を努めて読むようにしてきたから、「ダイヤモンドオンライン」の飯田氏の主張や、たいしてハードルは高くないという朝日新聞の記事には違和感は全くなかった。だから、朝日の記事を肯定する形で『kojitakenの日記』に紹介したのだが、それに対して下記のコメントをいただいた。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110622/1308698945#c1308768870
shinonome0000 2011/06/23 03:54
逆に言えばこの程度の法案で、あたかも菅首相の偉業の如く大騒ぎしてくれれば、保守派からすれば有難いとさえ言えますよね。本来なら、エネルギー問題を真剣に考えるなら、淡々と処理して電源三法であれ、発送電分離であれ、次の課題にいければよかったわけです。一部で急に「菅首相頑張れ」みたいなことを言い始める人が出てきていますが、あたかも原発推進勢力に一人で立ち向かう菅、といった陰謀まがいの構図は小沢信者が少し前まで描いていた妄想そっくりで、少しおかしくなります。政局の目玉にしたところで、反発が多くては仕方ない。郵政民営化みたいなもので、あとでいらないしこりを残します。やはり重要な一里塚であれば、多くの政党の賛成を得てすすめるのが筋というものでしょう。
そういう見方もあり得るかもしれないけれど、私はもっと自民党に厳しくて、「淡々と処理して」というのを自民党が許さず、安倍晋三の腹心である西村康稔ごときのチンピラ議員らが委員会での審議入りさえ拒否するような「政界火遊び」をしたから、そこを政局立ち回りでは一枚上の菅直人に逆手に取られたと解している。菅直人も決して褒められたものではないけれども、自民党は論外だ。
それから、買取法案で得をするのは金持ちだ、格差が拡大するというコメントもきていて、当ブログのコメント欄の他、「平成海援隊BBS」にもスレが立っているが、この件に関して、『広島瀬戸内新聞ニュース』の記事「自民党政治を擁護してきた方々が『再生可能エネルギーは格差拡大』と叫ぶ喜劇」を紹介したい。
http://hiroseto.exblog.jp/14994782
自民党政治を擁護してきた方々が「再生可能エネルギーは格差拡大」と叫ぶ喜劇
「再生可能エネルギー普及のための全量固定価格買い取り制度(FIT)関連法」を今国会で!">「再生可能エネルギー普及のための全量固定価格買い取り制度(FIT)関連法」を今国会で!
「再生可能エネルギー普及のための全量固定価格買い取り制度(FIT)関連法」ができると、格差が拡大する、などとおっしゃる方々がおられます。
「お金持ちしか、太陽光パネルは設置できないから、お金持ちと、貧困層の格差が広がる」というわけです。
ところが、そういうことをおっしゃる方々がいままで、貧困問題にきちんと取り組んできたでしょうか?
否。むしろ、格差を拡大しまくっていた自民党政治(=自民党、ではない)を支持してこられた方が多いようにお見受けします。
格差を拡大してきた自民党政治を応援しておいて、今度は「格差を拡大するから、固定買取制度はけしからん」というのはあんまりです。
実は、単に(自民党そのものより)、古い既得権にまみれた自民党政治を肯定する事が自己目的化しているように見えてしまう。
単純に、「貧困対策もやるし、再生可能エネルギーも進める」でいいのではないか?
再生可能エネルギーを進めなかったら、それこそ、日本経済は置いてけぼりになる。
また、核のゴミだって処分に困るでしょう。核のゴミがこれ以上増えたら凄まじいコストが日本にのしかかります。
日本経済沈没でも、金持ちは海外へ脱出できるけど、低所得者層はそうもいかないでしょう。
原発がまた事故を起こせば、金持ちは海外へ脱出できるけど、低所得者層はそうもいかない。
そもそも、原発事故への補償のための電力値上げでは、低所得者層も被害を受けているのです。
また、もっといえば、電源三法により、わたしたちの電力料金に上乗せされた税金で、自治体の頬をひっぱたき、原発をつくりまくっていたことを忘れてはいけません。再生可能エネルギーの推進のための固定価格買取制度成立と同時に、電源三法も廃止してしまえばいいのです。とにかく、今まで自民党政治を擁護してきた方々が、「格差拡大」を理由に「再生可能エネルギー」法案に反対するとは、へそで茶をわかすような話です。
(『広島瀬戸内新聞ニュース』 2011年6月22日付記事「自民党政治を擁護してきた方々が『再生可能エネルギーは格差拡大』と叫ぶ喜劇」より)
「そうだ、そうだ!」と叫びたくなる記事だ。かくして、最近の当ブログのテーマである「電源三法」へと話はつながり、そろそろ締めに近づいてきたが、例によって記事が非常に長くなったのでここでブレイクを入れたい(注:ブレイクは、ブログのトップページからアクセスされた場合に限ります)。
東京新聞などがよく書く「菅降ろしに原発の影」という仮説の当否だが、こういった動きを見ると、ますますこの仮説がもっともらしく思えてくる。小沢信者は、これは菅が国民の目を欺こうとしているのだ、今後ますます孫正義や飯田哲也のテレビへの露出が増え、「脱原発の菅」をアピールするのだ、騙されるななどと騒いでいる。それならなぜ小沢一郎は脱原発論者の河野太郎とではなく原発推進の元凶ともいえる森喜朗らと組もうとしたのか、という疑問が生じるが、それについては小沢信者は何も書かない。仮に書いたところで「小沢一郎の深謀遠慮だ」と弁護するのが関の山だろう。
18日に行われたという「小沢一郎と新しい日本の政治」と題されたシンポジウムで、副島隆彦が狂ったような「原発安全論」を唱え、小鳩派の中では決して多数派とはいえない「脱原発」論者の川内博史が副島を激しくなじった一幕があったようだが、ブログを書く主立った小沢信者の中には、これまで副島隆彦を正面切って批判した人間は誰もいなかった。いうまでもなく彼らが信奉する植草一秀と副島が共著を出しているし、副島は4月に行われるはずだった小沢一郎の政治資金集めパーティー(震災の影響により中止)でも講師に指名されるなど、小沢一郎事務所公認の小沢応援団長格だからだ。もちろん植草もまた副島を批判しない。その副島といえば、原発安全論ばかりではなくレイシズム発言も日頃から連発している。「しがらみがある」かもしれない政治家の川内博史が堂々と副島を非難して声を張り上げるのに、安全なところにいるはずの小沢信者のブロガーには、川内の1ピコ(10の12乗分の1)ほどの勇気もない。副島隆彦一人批判することさえできずに、「真の反原発は小沢だ」とブログで訴えても、信用してくれる人など誰もいないのは当然だ。なんという呆れた小心さだろうか。さすがに、今回のシンポジウムにおける副島の暴言に呆れた、決してメジャーとはいえない小沢信者のブログが副島を批判する例が見られたが、メジャーどころは相変わらず沈黙を守り続ける。「卑怯者」とは彼らのためにある言葉だ。
一方、今や原発推進論者側のもっとも頑迷な論者と化した寺島実郎は、昨日のTBSテレビ『サンデーモーニング』でも、菅総理は震災の前には日本の原発依存度を50%にするんだと言っていた人だ、それなのに「脱原発」を言い出すとは、とぼやいていた。私は、決して公式には「脱原発」とは言わない菅直人には油断ならないと思っているが、周りからの注目度が高いにもかかわらず空いている席があったら菅がそこを占めようとするのは当然の行動だろうと思う。むしろ小沢一郎など、震災直後から「脱原発」色を打ち出してアピールできるポジションにいたはずにもかかわらず、これまでそれをやらずにきたことを私は不思議に思っている。おそらく小沢一郎のエネルギー問題に関する関心が低く、世論の空気が読めなかった(KY)だけだと私は推測している。
私は、菅直人だろうが小沢一郎だろうが、「脱原発」政策を行い、「電源三法」を廃止するのであれば良い猫ならぬ良い政治家だと考えている。政治は結果がすべてだ。そして、仙谷・岡田・玄葉や自民党にはそれが期待できないことは明らかだ。たとえば「全量買取法案」の件がある。昨日(6/19)の朝日新聞の社説がこの法案の成立を求めているが、当ブログの読者の中には、この程度の法律は民主・自民大連立政権でも成立させられるという人もいる。しかし、朝日新聞の社説はこう書く。
各党も自然エネルギーの普及を公約している。2009年の衆院選では自民党も「太陽光発電の買取制度など」による自然エネルギー拡大を掲げていた。
なのに谷垣禎一総裁は「法案が実効的か検討の余地がある」と述べ、審議入りに慎重だ。効果に疑問を抱くなら、高めるための提案をすべきだ。
この制度が根づけば、電気は電力会社が巨大な発電所でつくるものという「常識」が覆る。国民が電気の利用者から、供給者になっていく。
裏返せば、電力会社が地域の電力供給を独占してきた既存の体制は揺らぐだろう。それだけに強い抵抗は避けられない。電力業界は民主党にも自民党にも強い影響力を持つ。その意をくんで、法案に反対する政治家が多く出るに違いない。
一方で、超党派の国会議員らが法成立を求め、議員200人余りが署名している。
これは、新しい政治の対立軸になる。採決の際に、党議拘束をかけず、各議員の見識を問うてみるに値する。
(朝日新聞 2011年6月19日付社説「電力買い取り―今国会で成立させよう」より)
自民党案というと、麻生太郎内閣時代に突如経産省がRPSからFITに方針転換したのを受けたもので、但しそれは太陽光発電だけを対象に限定したものだったと記憶する。あの当時、環境省の案をもとに公明党の斉藤鉄夫が何やらぶち上げたのを、経産官僚があざ笑って潰しにかかったとかなんとか、そんな話があったように思う。環境省案にも原発維持色が強かったけれども、経産省案はさらに「原発を守る」色合いの強いものだったとかなんとか。東電原発事故前のそういう体質は、現在に至っても何も変わっていないのが現状だ。だから、経産官僚のいいなり体質が一層強まるに違いない「大連立」政権は、菅政権と比較しても全く何もできないことはあまりにも明らかだ。仙谷・岡田・玄葉や前原などが中核を占める政権など、百害あって一利なし、それこそ自民党政権と完全に等しいと私は考えている。つまり、菅も信用できないが、仙谷一派など論外というのが私の立場。市井のわれわれとしてなすべきことは、菅直人が人気取りでも何でもいいから粘っている間に、「脱原発」の声をさらに高めていき、次の政権に強烈なプレッシャーを与えることだと私は考えている。
本当は今日は「電源三法」の話題に戻るはずだったが、前振りに、と思っていたことを長々と書く羽目になってしまった。問題意識の希薄な読者からは、「電源三法のどこが悪いんだ」とか、「原発立地自治体に『シャブ漬け』になっている意識なんて全然ないはずだ」というコメントをいただくこともあるが、決してそんなことはない。原発立地自治体の首長たちは、自らが「シャブ漬け」になっていることなど百も承知している。内橋克人が80年代に、当時の福井県敦賀市長・高木孝一が、のちに北陸電力最初の原発が建設されることになる石川県羽咋(はくい)郡志賀(しか)町で行ったトンデモ講演を記録してこれを暴露している。
ネット検索をかけたところ、ブログ『川越だより』の2011年5月28日付エントリ「原発依存の町造りリーダー・高木孝一敦賀市長の講演記録」(下記URL)に内橋氏の著書からの転載があったので、同ブログ経由で紹介する。
http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/ad40bf64f63064b07c13e32d03e271ee
只今ご紹介頂きました敦賀市長、高木でございます。えー、今日は皆さん方、広域商工会主催によります、原子力といわゆる関係地域の問題等についての勉強会をおやりになろうということで、非常に意義あることではなかろうか、というふうに存じております。…ご連絡を頂きまして、正しく原子力発電所というものを理解していただくということについては、とにもかくにも私は快くひとつ、馳せ参じさせて頂くことにいたしましょう、ということで、引き受けた訳でございます。
……一昨年もちょうど4月でございましたが敦賀1号炉からコバルト60がその前の排出口のところのホンダワラに付着したというふうなことで、世界中が大騒ぎをいたした訳でございます。私は、その4月18日にそうしたことが報道されましてから、20日の日にフランスへ行った。いかにも、そんなことは新聞報道、マスコミは騒ぐけれど、コバルト60がホンダワラに付いたといって、私は何か(なぜ騒ぐのか)、さっぱりもうわからない。そのホンダワラを1年食ったって、規制量の量(放射線被曝のこと)にはならない。そういうふうなことでございまして、4月20日にフランスへ参りました。事故が起きたのを聞きながら、その確認しながらフランスへ行ったわけです。ところがフランスまで送られてくる新聞には毎日、毎朝、今にも世の中ひっくり返りそうな勢いでこの一件が報じられる。止むなく帰国すると、“悪るびれた様子もなく、敦賀市長帰る”こういうふうに明くる日の新聞でございまして、実はビックリ。ところが 敦賀の人は何食わぬ顔をしておる。ここで何が起こったのかなという顔をしておりますけれど、まあ、しかしながら、魚はやっぱり依然として売れない。あるいは北海道で採れた昆布までが…。
敦賀は日本全国の食用の昆布の7~8割を作っておるんです。が、その昆布までですね、敦賀にある昆布なら、いうようなことで全く売れなくなってしまった。ちょうど4月でございますので、ワカメの最中であったのですが、ワカメも全く売れなかった。まあ、困ったことだ、嬉しいことだちゅう…。そこで私は、まあ魚屋さんでも、あるいは民宿でも100円損したと思うものは150円貰いなさいというのが、いわゆる私の趣旨であったんです。100円損して200円貰うことはならんぞ、と。本当にワカメが売れなくて、100円損したんなら、精神的慰謝料50円を含んで150円貰いなさい、正々堂々と貰いなさいと言ったんでが、そうしたら出てくるわ出てくるわ、100円損して500円欲しいという連中がどんどん出てきたわけです(会場爆笑、そして大拍手?!)。
100円損して500円貰おうなんてのは、これはもう認めるもんじゃない。原電の方は、少々多くても、もう面倒臭いから出して解決しますわ、と言いますけれど、それはダメだと。正直者がバカをみるという世の中を作ってはいけないので、100円損した者には150円出してやってほしいけど、もう面倒臭いから500円あげるというんでは、到底これは慎んでもらいたい。まあ、こういうことだ、ピシャリとおさまった。
いまだに一昨年の事故で大きな損をしたとか、事故が起きて困ったとかいう人は全く一人もおりません。まあ言うなれば、率直に言うなれば、一年一回ぐらいは、あんなことがあればいいがなあ、そういうふうなのが敦賀の町の現状なんです。笑い話のようですが、もうそんなんでホクホクなんですよ。
…(原発ができると電源三法交付金が貰えるが)その他に貰うお金はお互いに詮索せずにおこう。キミんとこはいくら貰ったんだ、ボクんとこはこれだけ貰ったよ、裏金ですね、裏金!まあ原子力発電所が来る、それなら三法のカネは、三法のカネとして貰うけれども、その他にやはり地域の振興に対しての裏金をよこせ、協力金をよこせ、というのが、それぞれの地域である訳でございます。それをどれだけ貰っているか、を言い出すと、これはもう、あそこはこれだけ貰った、ここはこれだけだ、ということでエキサイトする。そうなると原子力発電所にしろ、電力会社にしろ、対応しきれんだろうから、これはお互いにもう口外せず、自分は自分なりに、ひとつやっていこうじゃないか、というふうなことでございまして、例えば敦賀の場合、敦賀2号機のカネが7年間で42億入ってくる。三法のカネが7年間でそれだけ入ってくる。それに「もんじゅ」がございますと、出力は低いですが、その危険性……、うん、いやまあ、建設費はかかりますので、建設費と比較検討しますと入ってくるカネが60数億円になろうかと思っておるわけでございます…(会場感嘆の声と溜息がもれる)。
…で、実は敦賀に金ケ崎宮というお宮さんがございまして(建ってから)随分と年数が経ちまして、屋根がボトボトと落ちておった。この冬、雪が降ったら、これはもう社殿はもたんわい、と。今年ひとつやってやろうか、と。そう思いまして、まあたいしたカネじゃございませんが、6000万円でしたけれど、もうやっぱり原電、動燃へ、ポッポッと走って行った(会場ドッと笑い)。あっ、わかりました、ということで、すぐカネが出ましてね。それに調子づきまして、今度は北陸一の宮、これもひとつ6億で修復したいと、市長という立場ではなくて、高木孝一個人が奉賛会長になりまして、6億の修復をやろうと。今日はここまで(講演に)来ましたんで、新年会をひとつ、金沢でやって、明日はまた、富山の北電(北陸電力)へ行きましてね、火力発電所を作らせたる、1億円寄付してくれ(ドッと笑い)。これで皆さん、3億円既に出来た。こんなの作るの、わけないなあ、こういうふうに思っとる(再び笑い)。まあそんな訳で短大は建つわ、高校は出来るわ、50億円で運動公園は出来るわね。火葬場はボツボツ私も歳になってきたから、これも今、あのカネで計画しておる、といったようなことで、そりゃあもうまったくタナボタ式の街づくりが出来るんじゃなかろうか、と、そういうことで私は皆さんに(原発を)お薦めしたい。これは(私は)信念を持っとる、信念!
……えー、その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、50年後に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…。こいうふうに思っております。どうもありがとうございました。(会場、大拍手)
◇ ◇ ◇
この講演が効を奏してか、会場となった志賀には北陸電力の志賀原発1号機が建設され、運転を開始しています。
★引用文献:内橋 克人著 「原発への警鐘」 講談社文庫
内橋氏の『原発への警鐘』は、最近朝日新聞出版から出された『日本の原発、どこで間違えたのか』に、その一部が復刻されている。私は昨日そちらを読んだ。1983年に行われたこの高木孝一の講演には呆れるばかりだが、会場から笑いや拍手がわき起こったというのも心胆寒からしめる話だ。麻薬中毒者たちは、電源三法交付金では飽き足らず、電力会社に対してタカリ行為にまで出る。原発立地自治体にはよく匿名の「寄付」があるが、それはもちろん電力会社によるものだ。1983年というと、この年私は生まれて初めて能登を訪れた。「羽咋」と書いて「はくい」と読むこともその時知ったのだが、北陸電力の原発建設計画については何も知らなかった。会場で沸き起こった拍手や笑いから思い出したことが一つある。それは、高木孝一と同じ福井県出身の自民党議員・稲田朋美が、2006年に起きた加藤紘一の実家の放火事件を講演で笑いものにして、それに笑いや拍手が沸き起こったことだった。
こうやって、発言から28年も経って、過去の地方自治体首長の発言が改めて発掘され、批判されることになる(というか私が批判しているのだが)。これも、東電原発事故の持つ歴史的意味の重さゆえだが、それほどの大きな事故があってさえ、官僚というのは慣性力で動こうとするものだ。それが彼らにとってもっとも楽だからにほかならない。
私はますます確信を強めている。多くの国民の手で原発を止めなければならないし、「電源三法」を廃止しなければならないと。最後に合言葉。
いる? 電源三法
きる! 電源三法
そういえば、金子勝や飯田哲也はどういうわけか小沢信者の間で不人気だ。それは、金子氏らが地球温暖化懐疑論を批判していたからだろうか。小沢信者の間では、「地球温暖化論は原発推進勢力の陰謀」とする陰謀論が常識とされ、地球温暖化論を否定する武田邦彦が昔から大人気だった。
現在は、小沢信者は「リスク厨」との親和性が高く、何でもかんでも「危険だ」とか「逃げろ」などとばかり言っているばかりなので閉口させられる。それで私は、金子勝や飯田哲也のTwitterをあてにしている。飯田哲也は原子力の専門家だし、金子勝は自身は経済学者だが、原子力に詳しい知人が多い。金子勝や飯田哲也は、何にでも反対するだけの人たちとは全然違うのだが、そこが「何にでも反対だけしていたい」小沢信者のニーズに合わないのだろうか。
ところで、このところ取り上げてきた「電源三法」の話だが、朱の盤さんからコメントをいただいた。一部を紹介する。
台風接近で延期になった『暗い日曜日』の打ち上げ会(予定では)にもプラバッグ持って行ってきましたが、電源三法を知っている人がほぼいないことに驚きました。
どころか、私はTwitterしてないので知りもしない200人規模のデモを「Twitterで05/07の渋谷デモより反応がよかった!」と喜んでいる様にもびっくりしました(感動屋さんなんですね!)
「自分でこのようなプラバッグ作って街中を回るのはどうか」と勧めてみましたが、「Tシャツなら!」というお答えでした。
03/11以来、ほとんどのデモに出ているとおっしゃる方がその有り様(プラバッグはともかく、電源三法や「原発問題は結局、地方経済を如何にするかという問題である」などは把握してて欲しかった…)だったので、あまりデモにも期待しません。(デモはデモで出れるものは参加しますけど)
うーん、そんなものなのか。朝日新聞あたりにも電源三法の記事はしょっちゅう出てくる。同紙5月28日付3面掲載記事では、双葉町の財政が大きく傾いたという、東電原発事故以来かなり有名になった件も取り上げられている。購読していないから詳しくは知らないが、毎日や中日(東京)などにも電源三法がらみの報道はそれなりに出ているのではないか。テレビでも時々取り上げられる。視聴率は10%くらいはあるはずだから、それなりに知られているのではないかと思っていた。だから、「TVタックル」で取り上げられたタイミングを見計らって「電源三法」の記事を書いたのだが、この話題に触れるブログ記事は意外なほど少なく、特に小沢信者系のブログではまず見かけない。
簡潔に「電源三法廃止」を訴えた記事として、トラックバックいただいた『広島瀬戸内新聞ニュース』のエントリ「さとうしゅういちは、『電源三法廃止』を訴え続けます」(下記URL)を紹介する。
http://hiroseto.exblog.jp/14905670
いわゆる電源三法。
電力料金に上乗せして徴収した税金を、電源開発に充てる仕組みです。実際には、地方自治体の頬をひっぱたき、原発を作らせる仕組みとして機能してきました。田中角栄内閣のとき、中曽根通産大臣(当時)がつくりました。中曽根さんは、若き日からずっと原発を推進してきました。
福島でも、福井でも、島根でも原発を進める圧力として機能してきました。ひとたび原発を受け入れると、原発新規受け入れをさらに進めざるをえない状況に自治体は追い込まれます。
そして、最近では、自治体にとって交付金の使い道が広がりました。小泉政権による法『改正』、そして民主党に政権交代後の鳩山政権時代の事業仕分けによってです。
使いやすいということはそれだけ、自治体が原発にのめりこみやすくなるということです。
しかし、一方で新規立地が難航する中、電源開発特別会計にお金はだぶついています。
民主党政権のメインテーマのひとつである特別会計の整理。そして地域主権。
電源三法を放置していては、そのどちらにも反します。
電源三法廃止は、全ての改革に通じる本丸。
電源三法廃止なくして、地域主権なし。
さとうしゅういちは、街頭などで今後も訴え続けます。
小泉純一郎も、郵政民営化なんかじゃなくて、電力の規制緩和にもっと力を入れ、電源三法の廃止をやっていたら評価は全然違っていたと思うが、現実に小泉がやったことはそれとは真逆で、「原子力立国」計画なんかを立てた上に、法改正で交付金を使いやすくした。鳩山政権の「事業仕分け」も同様で、政権交代で「電源三法交付金」がなくなるのではないかと戦々兢々としていた原発立地自治体の首長を、枝野幸男を筆頭とする「仕分け人」たちが喜ばせてきた。自民も民主も、みな原発を推進してきた。そのあげくの果てに、東電原発事故が起きた。
よく小沢信者は政治主導を口にし、菅政権は官僚主導に成り下がったと批判する。その批判は多分に当たっていると私も思うけれども、どうしてその小沢信者が「電源三法」については口を拭うのか。
植草一秀のブログで「電源三法」を検索語にしてサイト内検索をかけてみても、ただの1件も引っかからない。ましてや植草の影響を受けた信者が「電源三法」をブログで取り上げるはずもない。でも、待てよ、最近は人々を小沢一郎支持に流し込んでいるのは、カルト的な植草なんかじゃなくてTwitterに熱心な岩上安身あたりだったよなと思い当たって、「岩上安身 電源三法」でググってみたら、あった。大島堅一・立命館大学教授へのインタビューで言及し、文字起こしもしていた。以下一部を引用する。
http://iwakamiyasumi.com/archives/8207
■電源三法交付金の約7割は原子力向け
大島 「次に財政的な裏付けについての話に行きます。
エネルギー政策には様々なエネルギー対策費が入ってきます。別に、原子力会計というのがあるわけではありません。エネルギー対策費を大きく分けると二つあります。一般会計と特別会計です。一般会計はエネルギー対策費ということで財政資料の中にありますし、特別会計は、かつては電源開発促進対策特別会計でしたが、今はエネルギー対策特別会計となっています。
実際、ここは先程申し上げましたように財政資料なので、電源別に計上されているわけでは必ずしもない。エネルギー対策費なので、例えば石油の備蓄とか石炭なんかの利用に関するものとか電源とは関係ないものもたくさん入っています。ですので、電源と直接関係あるものをピックアップし、それを積み上げていくことをして計算するわけです。
あと、日本に特殊なシステムですが、特別会計の中も大きく二つに分けられて、立地対策、要は地元に対して交付金を与える。原子力であれ水力であれ火力であれ、立地をしている自治体に交付金を与えるというシステムがあるんですけども、そこも電源別に分けてあります」
岩上 「こういうのは普通は一つのざるに入れられてるわけです」
大島 「見えないですね (笑)」
岩上 「ところがこうやって電源三法交付金の約7割は原子力向けであると。実際は負担は非常に大きい」
大島 「そうですね。交付金というのは電源三法と言われてますが、事実上原子力交付金ですね」
岩上 「それだけ反対も大きいので、それに対する見返りも大きくしないと、周囲の人たちを納得させたりすることができないということですね」
大島 「そうですね。実はこれは日本に特有のシステムです。先進国でこんなものがあるというのは日本だけです。いわば自治体をお金で納得させるものなので。本来なら全ての経済活動というのは、その事業自体が地元にとって良いということが前提です。それに追加して交付金があるということ自体がおかしな話なので、他の国にはないんです。
明らかに小沢一郎びいきの岩上安身の肩を持つつもりは毛頭ないけれども、「白猫だろうが黒猫だろうがネズミを捕る猫は良い猫」なのだ。菅直人が言わないのなら小沢一郎が言えば良いし、菅直人も小沢一郎も言わないのなら谷垣禎一が言えば良い。そして、菅直人も小沢一郎も谷垣禎一も言わないのなら、安倍晋三が言えば良い。そして、そういった政治家たちに影響力がある人が、政治家に言わせるように提言すれば良い。そんな気になっている。
まあ、後に名前を挙げた人ほど言い出す可能性は低いし、安倍晋三に至っては本人も周辺もそんな可能性は皆無だろうけれど。それがわかっているからいやみで名前を出しただけだ(笑)。本当のところを言うと、菅直人だって言い出すはずはないと私は思っている。思っているけれども書く。
菅直人だろうが小沢一郎だろうが、電源三法を廃止する政治家は良い政治家だ、と。
もし小沢一郎が電源三法のスイッチを切るなら、私は小沢一郎を支持する(笑)。
最後に合言葉を。
いる? 電源三法
きる! 電源三法
一昨年秋以来、こちらにはまとまった長文を毎週月曜日と金曜日に載せているが、更新間隔が空いているためか、もう一つのブログでコメントを「はてな」ユーザーに限定しているような措置をこちらではとっていないためか、コメント欄での議論はこちらのブログの方が活発だ。だから、こちらのブログは引き続き大事にしていきたいと思うが、今までよりもこちらのブログではテーマを絞る形にしようかと思っている。菅直人内閣が退陣したあと、おそらく登場するであろう民主・自民の「菅抜き・小沢抜き大連立政権」のことなど、週2回しか更新しないこちらのブログでメインテーマとして取り上げる気にはならない。もちろん私はそんなものは全く支持しないけれど。だって、原発維持・東電温存、消費税を増税しながらの社会保障切り捨て、改憲が三本柱の政権になるに決まっているからだ。与謝野馨の退場も、おそらく期待できない。これらについては、ニュースが報じられる都度、もう一つのブログで取り上げたいと思う。
で、現時点でのテーマは「電源三法」だ。これは不人気に属するテーマであり、こればかり取り上げていると、こちらのブログのアクセス数はますます減るかもしれないが、そうなっても仕方がない。再分配をテーマにした「鍋パーティー」の共同運営ブログ(編集長はTakky@UCさん)もあるが、こちらも震災のあとやたらと消費税増税ばかりに激しく傾斜した「社会保障と税の一体改革」の話が出ているのに、なかなか対抗言論が盛り上がらない。私自身もそうだけれども国民が原発の問題に気を取られているうちに、政治権力はやりたい放題を始め、朝日新聞や毎日新聞など、エネルギー政策では脱原発に路線を転換した新聞社も税制のスタンスは以前と変わらず、社説で政府に消費税増税をけしかけているのが現状だ。久しぶりに「鍋ブログ」への記事の応募があったが(掲載日時は未定)、こちらは「みんなで作るブログ」のつもりなので、読者の皆さまの活発な投稿を期待している。
例によって前振りが長くなったが、ここからが本題。もちろんテーマは「電源三法」だ。
まずブログ管理人からのお願いだが、どなたか「いる(ill)? 電源三法、きる(kill)! 電源三法」のバナーを作っていただけないだろうか。別に、かつて安倍晋三排斥のキャンペーンをやった時にバナーに血道を上げていた某ブログみたいに、そんなことばかりに熱中するつもりなど毛頭ないが、キャッチコピーの考案者である朱の盤さんから、
というコメントをいただいているので、それに対応したいと思うからだ。「電源三法」と「原発」が結びつかない人もまだまだ多いと思いますので、そのままで使う時は脱・反原発の主張をした流れで使った方がいいですね。
単発のメッセージとして使う時は、前段を『いる?原発』にすると、言葉が一人歩きした時に「電源三法」に明るくない人にも文脈が通じやすいかなと思います。
朱の盤さんからは、前段を「いる?原発」にするという案をいただいているが、「いる」は「入れる」と似ているので、「電源三法」を知らない人に一瞬、電源を「入れる」「切る」という意味かと思わせておいて、実は原発立地地域を「シャブ漬け」にする法律の話なんだよ、とすぐにわからせる、つまり意外性によって印象を強める方がより効果的で、それには画像を併用するのが良いかと思った。だから、バナーを作るという発想になった。
たとえば私が思いついたものとしては、バックに放射線管理区域の標識の画像を用い、
と表示するとか、バックに事故を起こした東京電力の福島第一原発の画像を用いる、などの案がある。アニメーションなどは必要ない。なぜかというと、デモのプラカードに用いることを想定したバナーにしたいと思うからだ。残念ながら私にはデザインのセンスがないので、一目で原発と関係があることがわかるものが良いと思う。応募がなければないで全くかまわないが、もし作ってみたいと思われる奇特な方がおられたら、お知らせいただければ幸いだ。いる(ill)? 電源三法
きる(kill)! 電源三法
次に、昨日(6/5)の朝日新聞(東京本社発行最終版)の「声」欄に掲載された投書を紹介する。新潟県田上町にお住まいの77歳無職の方による投稿だ。
原子力立地給付金は廃止を
国は電源開発促進税から電力会社を通じ、原発に近い地域の住民らに「原子力立地給付金」を給付しています。
例えば新潟県では、東京電力柏崎刈羽原発のある柏崎市と刈羽村の世帯には年間1万8912円が、隣接する長岡市の世帯には9412円が出ています。
給付金の表向きの理由は「原子力発電立地地域の振興および地元福祉の向上を図る」とされていますが、本当の狙いは、お金を出すことで住民が原発を受け入れ、原発反対の声を押さえ込むことだと思います。今回の原発事故の後にあった地方選挙でも、地元で原発反対を唱えた候補がいい結果を得られなかったのも、こうした背景があると思います。
また「万が一原発事故が起きた時はご迷惑をかけます」という迷惑料的な意味があると思います。お金の力の恐ろしさを強く感じました。今後原子力発電のあり方を素直な気持ちで考えるためにも、給付金制度の廃止が必要だと思います。
(朝日新聞 2011年6月5日付「声」欄掲載の投書)
これこそ、田中曽根(田中角栄首相と中曽根康弘通産相=1974年当時)が始めた「電源三法交付金」の使い道の一つだ。ここから、原発に反対する人を文字通り「村八分」にする、今はやりのエスタブリッシュメントたちによる「原子力村」とは違う、もう一つの、そして文字通りの「原子力村」の「文化」が生まれる。田舎だから「村八分」があるのではなく、中央の自民党政権が田舎に新しい「村八分」の風習を植え付けたのだ。この犯罪的行為をなしたのが「田中曽根」、田中角栄と中曽根康弘だった。
「電源三法」については、朝日・毎日・中日など「脱原発」系の新聞などがしばしば記事にしており、テレビでも取り上げられているが、それでも、日本の報道よりずっと詳しくて長い記事を報じているのがアメリカのニューヨークタイムズだ(下記URL)。
http://www.nytimes.com/2011/05/31/world/asia/31japan.html
これは、非常に長い英文の記事だが、「Tkpilgrim's Blog」が全文を日本語訳している。その中から、「電源三法」を記述した部分を引用する。
流入したお金の大半は、1974年に田中角栄によって創成された洗練された政府補助金のシステム、電源三法の産物である。強大な権力を誇った田中角栄は、日本の原子力業界を形成し、大規模公共工事によって強力な政治マシーンを構築した。この法律により、日本の電力消費者は電気代の一部として税金を払う必要があり、その税金の多くが原発近隣の自治体に支給された。日本の原子力業界を管轄し、補助金を管理している経産省はこれらの自治体がどれぐらい補助金に依存しているかを明らかにすることを拒絶した。「このお金は、原発を現地が受け入れることを推進するために使用されます」と、資源エネルギー庁のナカムラ・タツミは言った。東通原発を操業する東北電力の広報は、「東北電力は補助金には関わっておらず、福島以来、原発の安全性に関して住民に不安を与えないことに注力している」と、答えた。政治専門家によると、補助金は原発誘致だけでなく、時間の経過とともに原発の拡大を誘導しているという。その理由は補助金は原発または原子炉が稼働してからすぐに最大になり、以降減少するように設計されているからだ。「多くの場合、人口が減少し税収ベースが殆どない町が突然多額の金を受け取ることになります」と、この法律を研究しているPurdue大学のDaniel P. Aldrichは言った。Aldrichによると、原子炉の稼働期間が経つに連れ補助金が減少していき、自治体は新たな原子炉建設を受け入れなければならない圧力を受けるという。「地元は最初の原子炉で、貰ったお金を使うことに慣れます。そして二台目、三台目、四台目、五台目の原子炉が彼らの出費を補ってくれるのです」と、彼は付け加えた。
("The New York Times" 2011年5月31日掲載記事 "In Japan, a Culture That Promotes Nuclear Dependency", "Tkpilgrim's Blog" による日本語訳より)
「電源三法」による「シャブ漬け」のメカニズムのわかりやすい解説だ。
ところで、さくらさんからこんなコメントをいただいている。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1186.html#comment12116
キャッチコピーを考えてくださる皆さんの熱意に水を差すつもりはないのですが、霞ヶ関の官僚が特別会計とその利権を死守しようとする時のしたたかさとずる賢さを考えると、そんな事している場合ではない、と焦る気持ちが強くなる今日この頃です。注水中断がガセネタとわかっても、菅政権へのかなりのダメージになったし、今頃原発推進派の経産官僚達は笑いが止まらない状況でしょう。経産省が恣意的に出してくる情報を記者クラブを通じてマスコミが垂れ流す状況が変わらない限り、一般の人たちに問題の本質を伝えるのはとても難しいです。
経産官僚といっても全員が原発推進派というわけではない。官僚に対抗するためには、個人名を明記した記事を書いていくのが大切だと思う。最近では、東電への甘い賠償スキームを作成した北川慎介総括審議官の名前を出して批判する記事もあるけど、まだまだ少数派です。こうした記事がもっと出てきて欲しい。
2011.06.02 00:29 さくら
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1187.html#comment12138
キャッチコピーも決まったところで、脱・反原発の流れを止めないためにも次のステップを考えないと。まずは、原発事故からの復興用資金を電源開発促進勘定の見直し、剰余金と再処理費用積立金でまかなう、という事を実現させたい。(文科省の研修開発費は速やかに大幅カットしてもらいたいし、新規原発建設を見込んだ電源三法交付金分も今年度予算分から復興用資金に回してもらいたい) 安全性や廃棄物処理などいろいろな意味で破綻しているとしか思えない日本の原発推進政策が、今まで暴走を続けられたのは、潤沢な資金があったからです。これ以上無駄に浪費する余裕はないのだから、再処理計画はあきらめて、積立金は補償金として使って欲しい。積立金がなくなれば、原発政策は抜本的な見直しせざるをえなくなる。
河野太郎さんが、「デモに参加するより、地元選出の国会議員事務所に行ったり、電話したりして、直接議員に要望を伝える方が具体的な政策実現に結びつく」と言うような事を言っております。確かに、最後は政治の場で決まる事なので、こういうアナログな手法もバカにできないです。「エネルギー特別会計と再処理積立金を福島の復興資金と補償金に回して!」と地元選出国会議員に電話で要望してみませんか? 地元選出議員が安倍とか森とかだと、電話する気にもなれないかもだけど。
官僚(特に経産省)は抵抗するだろうけど、官僚が恣意的に使う傾向大だった特別会計を表の議論に引きずり出す良いチャンスです。
2011.06.04 17:13 さくら
私は、「デモをするより地元の国会議員に訴えよ」という河野太郎の意見にはあまり賛成でなくて、まずデモの規模を拡大することが何よりも大事じゃないかと思うけれども、もちろん議員への働きかけにも意味はあるだろう。
何より、これは特別会計の問題なのだ。昔、塩川正十郎が「親が母屋(一般会計)でお粥をすすっている時に、子供が離れ(特別会計)ですっきゃき(すき焼き)食っとる」というたとえ話(小泉政権時代の国会答弁)をしていたが、政府やマスコミが財政赤字解消のための消費税増税を叫んでいる一方で、新規原発の立地候補地がないために、電源三法交付金がだぶついていることは公然の秘密になっている。それなのに、「政治主導」だのなんだのと普段から勇ましいことを言っている民主党の人たちが、「電源三法」について誰も何も言わないとは、いったいどういうことなのか。「電源三法 民主党」の検索語でGoogle検索をかけても、私が書いたブログ記事やそれを引用した陰謀論系掲示板の投稿などばかりが上位にずらりと並ぶだけとは、いったいどういうことなのか。
ひとたび、与党の政治家の誰かが「電源三法」について発言し、それをマスコミが取り上げれば、上記のような検索エンジンの検索結果になることはあり得ない。個人ブログの記事など、あっという間に検索順位の下位に下がってしまう。菅直人や小沢一郎も含めて、政治家が誰も「電源三法」に言及しないから現在の惨状になっている。
私は、菅直人が脱原発指向だとか小沢一郎が脱原発指向だなどとは全然思っていない。彼らが本当に「脱原発」を目指しているのであれば、「電源三法」について何も語らないはずがない。
幸か不幸か、菅直人政権はもうすぐ終わるし、後継の政権に小沢一郎の影響が及ぶこともおそらくない。「原発利権」に関していえば、新たな地域における利権はもはや生まれるとは思えないから、あとは現在原発を抱えている地域だとか、山口県上関町のように建設予定の地域における闘争が鍵を握る。「電源三法」が温存されているうちは、地域においては原発推進の力が働く。だからこそ、「電源三法」を廃止しなければならないのだ。
そして、これまで原発推進に使われてきた金を、地産地消の再生可能エネルギーを振興するために付け替えなければならない。それには、「電源三法」をいったん廃止した上で、新たな政策を実行する必要があるのだろうと思う。
いずれにしても、デモに参加するにせよ、政治家に陳情するにせよ、ブログに記事を書くにせよ、各人がそれぞれ思うことをやっていくしかないだろう。
最後にお願いをしたい。人間の人一人の知恵などたいしたことはなく、私のブログ記事の中身などたかがしれている。そもそも私は政治や経済には専門的知識を持たない素人であり、記事のレベルの低さは十分自覚している。だからこそ、当ブログにどしどしコメントをお寄せいただければ幸いだ。別にコメント欄の常連になる必要など何もない。普段はROMでも、何かあった時に気楽に投稿していただけるとありがたい。多くの人の知恵を集めれば、それだけ大きな力になり得ると思うからである。今後の当ブログは、極力読者の皆さまのコメントを記事本文に反映させる形で運用していきたいと考えている。
結局、菅直人首相は遠くない将来の辞任の約束と引き換えに、鳩山由紀夫と話をつけて、内閣不信任案成立を阻止した。梯子を外された小沢一郎は激怒したが、鳩山由紀夫という人間の正体を知らずに信じてしまった小沢一郎の自業自得であり、「身から出た錆」だ。鳩山由紀夫は、あの「裏切りの人生」で知られる鳩山邦夫の兄なのである。裏切りこそ、鳩山兄弟の宿痾(しゅくあ)である。
不信任案否決に怒り狂う読売新聞政治部記者が書いたいくつかの記事から、今回の政争の裏側が浮かび上がってくる。ある記事には、
と書かれているが、この記事から小沢一郎と鳩山由紀夫が、震災の復興に当たらなければならない時期に何をしていたかがはっきりと浮かび上がる。伊吹氏や森元首相らは、小沢元代表の周辺や鳩山前首相と接触を重ね、4月中旬以降、谷垣氏に「不信任可決に必要な数がそろっている」との見通しを繰り返し伝えた。
今回の不信任案提出劇は、自公に小鳩が乗ったのではなく、小鳩の仕掛けに自公が乗ったものだったのだ。
そして、いうまでもなく鳩山由紀夫は民主党のオーナーを気取っているから、最終的に民主党多数の与党という枠組みを崩す気など毛頭なかった。小沢一郎だけではなく、自民党の長老連も梯子を外されて激怒したというが、小沢一郎と同様に自業自得であり、「身から出た錆」である。
そして、特に強調しておかなければならないのは、小沢一郎や鳩山由紀夫が接近したのが伊吹文明や森喜朗だったことだ。間違っても河野太郎ではない。自民党長老連はみな原発推進派だ。そして、新聞なども指摘する通り、民主党の政策を「バラマキ」と批判する自民党と、「菅政権が2009年の民主党マニフェストを後退させている」と批判する小鳩では、ベクトルの向きが正反対なのだが、それでも野合しようとした。いや、鳩山由紀夫は最終的には裏切るつもりだったのかもしれないが、少なくとも小沢一郎は本気だった。
このことは、2009年の総選挙における民主党のマニフェストは、ほかならぬ小沢一郎にとって「どうでもよいこと」だったことを証明している。あれは、選挙に勝つための方便に過ぎなかった。小沢一郎の正体は、今こそ明白になった。
内閣不信任案に賛成した民主党の議員は、松木謙公と横粂勝仁の二人。欠席または棄権したのは、小沢一郎のほか、田中真紀子、内山晃、太田和美、岡島一正、古賀敬章、石原洋三郎、笠原多見子、金子健一、川島智太郎、木内孝胤、黒田雄、瑞慶覧長敏、三宅雪子、三輪信昭の各議員。最終的にはこれだけしか小沢一郎について行かなかった。当たり前であって、内閣不信任案の否決が確定的になるや、みんな自分の身を守ろうとしたのだ。「数の力」を頼る小沢一郎と行動をともにした議員がたったこれだけだったという事実が、「小沢一郎の終焉」を物語る。松木謙公は除名されるようだが、小沢一郎は部下一人守ることさえできなかった。
一方、不信任案可決を阻止した菅直人だが、鳩山由紀夫とかわしたという覚え書きには、退任の日時が書かれていないとやらで、また政局になろうとしている。なんだか、昔岸信介が大野伴睦と交わした念書を裏切ったとかいう話を思い出させるが、「鳩山一郎の孫」ならやりそうなことだ。
「バル菅政治家」の悪い癖で、退陣は年明けとかわけの分からないことを言って自ら混乱の火に油を注ぐ菅直人だが、普通に考えれば、ブログ「反戦塾」が、
と書いている通り、秋には菅直人が退任し、民主党代表選を経て、新代表が新総理大臣になるのが自然だろう。ちょうど2006年に小泉純一郎が退任し、自民党総裁選で勝った安倍晋三が総理大臣になったと同じ図式だ。菅直人は、いたずらに言葉をもてあそぶことなく、自らの退任の期限を早く明確にするとともに、次の衆議院選挙には立候補せず、議員を引退してもらいたい。秋にはオバマ大統領と会う約束がある。辞任を表明した首相が大統領と正式会談をするわけにいかないので、決着をどうつけるか、それがひとつの目安となりそうだ。
いうまでも私が念頭に置いているのは、1年前の鳩山由紀夫の引退発言であって、あの時総理大臣たる者はそうでなければならないと思い、鳩山の引退発言を支持したものだった。しかし、鳩山は自らの言葉を裏切った。今朝の新聞を見ると、その鳩山由紀夫が「人間うそをついてはいけません」と言ったと書いてあったが、腹の皮がよじれるほど笑ってしまった。それこそ「お前が言うな」である。それを言うなら鳩山自身が1年前の公約に立ち返り、次期総選挙に立候補せず政界を引退しなければならない。
各紙の社説を見ると、例によって朝日と毎日が小沢一派を厳しく批判し、特に朝日新聞は小沢一郎の除名を求めているので、またぞろ「小沢信者」の怒りを買うだろうけれども、今回に関しては小沢一郎の除名やむなしと私も思う。小沢一郎の行動に筋が通っていればまだしも、平然と原発推進勢力と野合しようとした今回の行動はひど過ぎる。「国民の生活が第一」のスローガンや、子ども手当や農業者戸別所得補償制度、それに朝鮮学校除外の件でミソをつけたとはいえ高校無償化などの政策に見るべきものはあったが、それとはベクトルの向きが正反対の「減税日本」への協力に走るなど、小沢一郎という政治家に一貫した理念があったかというと、それは「否」だと思う。中には小沢一郎に社民的な政策を期待する向きもあったようだが、小沢一郎の限界はもはや明らかだ。小沢一郎には、「国民の生活が第一」のスローガンを掲げれば国政選挙に勝てることを示したという大きな功績があるが、小沢一郎もまた歴史的使命を終えた政治家だ。現在では百害あって一利なしの存在に成り下がり、政争でも連戦連敗を重ねている。菅直人や鳩山由紀夫とともに、次期総選挙には出馬せず政界を引退すべきだ。また、社民主義的な政治を志向する者は、もはや小沢一郎に期待をかけるべきではない。無惨に裏切られるだけだからだ。
朝日の社説は、ほかにも菅直人に退陣の次期を明確にすることを求めたり、今回の政局で小沢一郎や鳩山由紀夫に踊らされた自民党の長老連にも総退陣を求めるなど、納得できる部分が多いのだが、一点どうしてもいただけないのは、
と書いているくだりだ。マニフェストの見直しや消費税率引き上げに否定的な小沢氏らのグループの存在が、野党との大胆な妥協を阻んできた。
このところ朝日新聞は、再び消費税増税の主張を前面に出すようになってきた。だが、震災の影響で景気が大きく落ち込みつつある現在、消費税増税は自殺行為だ。「鍋パーティー」(「再分配を重視する市民の会」)のブログに、今朝、新しいエントリ「消費税と法人税」が公開されたので、読者の皆さまには是非ご参照いただきたい。
私はむしろ、菅内閣の最大の問題は、閣僚に与謝野馨を抱えていることであって、財政再建原理主義者の与謝野馨が経済政策を壟断する政権が長く続くのも困ったものだと考えていた。だから、「首相退陣やむなし」と考えるのは朝日と同じだが、考えていることは朝日とは正反対で、次の内閣には与謝野を入閣させるな、と言いたいのである。
与謝野には、原発積極推進派という面もあり、原発政策を巡って枝野幸男と激しい口論をしたとも伝えられた。政権から与謝野馨を放り出す環境は整いつつあるともいえる。
とはいえ、それは次の政権を誰が担うかにもかかっている。税制の問題もあるけれども、何より大きいのは、原発推進勢力に属する人間を首相にして、発送電分離の問題をうやむやにしたり、「電源三法」に手つかずであっては困るということである。
そう、今日のエントリは「ストップ電源三法」のキャッチコピー決定を発表し、それをメインにするはずだった。だからタイトルもそうなっているが、中身は大部分が内閣不信任案の政局の話になってしまった。イントロ程度に収めるつもりだったが、イントロが本論になってしまった。
だが、いまさらタイトルは変えない。次の総理大臣も決まっていない以上、われわれ市井の人間がやるべきことは、「脱原発」の動きを盛り上げて行くことだ。前回のエントリに、
というコメントをいただいたが、はっきり言って書いた人間は馬鹿じゃなかろうかと思った。脱原発は中長期の重要な課題だが合言葉を募集するほうも募集するほうだが合言葉を作ることに大きな意味はない。
それよりなぜ脱原発をしなければいけないのか各自が考えることがはるかに重要。
原発・放射能事故の収束がみえていないのにそんな悠長なことをしている時間はないはずだ。
原発・放射能事故の収束が見えてないといったって、一般人には事故を収束することなどできはしない。中には、小沢一郎の剛腕を持ってすればメルトダウンは起きなかったし、福島にミサイルを撃ち込むなり決死隊を送り込むなどして放射性物質の漏出も今頃抑えられているなどと考える能天気な人間もいるようだが、現実はそんなに生易しいものではない。
市井の人間のなすべきことは、今後同じような事故を起こさせないように、段階的にせよ原発を停止にもっていくべく圧力をかけることであり、新たな原発立地自治体を出したり、既存の原発を抱える自治体に原発を増設させないことだ。そして、原発の新設や増設をさせるモチベーションを与えてきたのが「電源三法」なのだ。その「電源三法」の廃止の声を上げることは、当然われわれがなさなければならないことだと当ブログは考える。
そのためには、キャッチコピーは早く決めなければならない。そこで、独断で「朱の盤」さんのアイデアを採用することにした。ただし、ちょっと表記を変えて、下記のようにした。
いる? 電源三法
きる! 電源三法
ここで、「いる」は「要る」と "ill" の、「きる」は「切る」と "kill" の、それぞれ掛け言葉だ。かつて、"AbEnd" で、安倍晋三の終了と「異常終了」を掛け合わせた私は、朱の盤さんのアイデアが大いに気に入った。ただ、「いる」と「きる」の表記を、英語から日本語に書き換えさせていただいた。
このスローガンのもと、原発推進勢力の魑魅魍魎が跋扈する政局を尻目に、「脱・原発」の声を上げていきたいものだ。
私は1980年に大平内閣不信任案が可決された時のことを覚えているのだが、NHKの中継が「不信任案が可決されました」とアナウンスしたのを聞いた亡父が、「可決?」という素っ頓狂な声を上げた。あの時は、社会党が深く考えもせずにフラフラと出した内閣不信任案に、自民党の福田派や三木派が乗り、まさかの不信任案可決になったのだった。その直前まで、内閣不信任案は新聞でも大して取り上げられてはいなかった。
それに対して、今回はいったいいつから不信任案についてバカ騒ぎしているのだろうか。昨日、たまたま古新聞を処分するために整理していたところ、4月下旬の統一地方選後半に民主党が敗北したあと、小沢一郎と鳩山由紀夫がこれを民主党代表・総理大臣交代の政局にすべく動いたものの、不発に終わったという記事が出てきた。そして、今度は自公が出す不信任案をめぐって小沢一郎が妄動している。この69歳の民主党の長老は、よほど政局が好きらしくて、年中こんなことをしている。思えば昨年の今頃は、鳩山由紀夫が「社民党を切ったら小沢さんに政局にされる」とビビりながらも、普天間基地移設問題で社民党を切り、鳩山の予想通り小沢一郎に政局にされて鳩山は総理大臣辞任に追い込まれた。しかし、前原誠司らがいち早く菅直人と結託して「クーデター」を起こしたため、小沢一郎自身も失脚してしまったのである。
それからの1年間というもの、民主党内の権力抗争が収まることはなかった。それどころか、昨年の参院選で自民党が勝利したことによって、自民党も政局に加わり、「政局の日常化」という事態になった。自民党政権の末期、特に麻生政権時代もそれに近かった。1979年の自民党の「40日抗争」には、いったい何をやっているのかと呆れたものだが、今ではそれを年中やっている。32年前の私がこんな悪夢のような未来図を知ったら、卒倒したに違いない。
今回の政局では、安倍晋三が晒した醜態もひどかった。そして、「海水注入」の件でいつまでも騒ぐのも、不信任案のことしか言わないのも、ともに安倍晋三や自民党の議題設定にまんまと乗ってしまう姿勢だ。マスコミはどうせそういうことしかしないのだが、ネットの市民まで同じでどうする、と言いたい。
そこで本エントリもようやく本論に入り、前回の続きで「電源三法」について書く。ネットで「電源三法」でググってみると、ネット市民の関心があまりに低いのに驚く。私が少し何か書くだけで、いきなりGoogle検索の最初のページに表示されてしまうほど関心が低い。これを書いている現時点で「電源三法」でググると、当ブログの前回のエントリが7件目に表示されるが、前回のエントリは当ブログとしてはむしろ不人気エントリの部類に属する。
先月の統一地方選後半戦の投票日直前に、別のブログで東京電力と東北電力の原発がある青森県東通村やその近隣自治体を指して「シャブ漬け」と書いたところ、当ブログに鍵コメで「被災地の方々を分断するようなことを書くな」とのお叱りをいただいたのだが、それ以前に「電源三法交付金」について世間ではほとんど知られていないらしいことに最近気がついた。そう考えてみると、私自身も地元に補助金がばらまかれることをもちろん知ってはいたけれども、問題意識を持ってブログで取り上げたことはなくて、ただ漠然と「ひどいもんだなあ」と思っていただけだと思い当たった。それで、「電源三法」をテーマとして取り上げなければならないと思い立った次第だ。
そのきっかけの一つは、先週のテレビ朝日「TVタックル」であり、この番組の放送後、「こんな仕組みになってたとは知らなかった」と書かれたブログをよく目にするようになった。マスコミはそれなりに「電源三法」について書いており、たとえば毎日新聞が4月18日に原発を推進した人物として正力松太郎、中曽根康弘、田中角栄の名前を出した記事を掲載した時にも言及があった。朝日新聞の小森敦司記者は「電源三法」の弊害について熱心に記事を発信しているし、今朝(30日)の朝日新聞3面に高橋純子、冨名腰隆両記者が書いた記事にも、原発推進派にして利益誘導政治家である民主党の渡部恒三の述懐を引用しながら「電源三法交付金」の話が出てくる。以下引用する。
原発立地を促すため、田中内閣は電源三法による交付金制度をつくる。「札束で反原発の住民運動を圧殺しようとしている」との批判に、田中は「電源開発地域に恩恵を与えなければならない」と反論した。
(朝日新聞 2011年5月30日付3面掲載記事 「神話の陰に 福島原発40年」第6回より)
時の通産相は原発推進の元凶ともいえる中曽根康弘。「田中曽根政治」が「電源三法交付金」という「シャブ漬け」のシステムを作ったのだった。
電源三法の仕組みについては、下記リンク先がわかりやすいのでご参照いただきたい。
http://www.nuketext.org/yasui_koufukin.html
電源三法交付金の原資は、電気料金に上乗せされた税金で、それが最終的には原発立地自治体に落ちる形だから、一種の「再分配」といえるかもしれないが、これはなんと歪んだ再分配だろうか。現地に立派なハコモノができるものの、税収がいきなり増えた自治体は放漫財政に陥る。そして、原発のプラントができて年数が経てば税収は減るから財政が苦しくなる。それをどうやって克服するかというと、原発の増設だ。そうすると再び税収は増える。でも何年か経ったらまた税収が減る。原発を増設する。この繰り返しになる。原発を増設せずにはいられなくなるという仕組みがよく「シャブ漬け」にたとえられるわけだ。
この「電源三法交付金」は特別会計であり、当然2009年の政権交代後、「事業仕分け」の対象となった。当時「電源三法交付金」の事業仕分けは、大都市をはじめ原発のない自治体ではほとんど話題にならなかったが、原発立地自治体では大問題であり、マスコミも取り上げている。今でもリンクが残っているのが読売新聞福井版の記事だ。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukui/feature/fukui1267715720334_02/news/20100313-OYT8T00922.htm
これを読むと、民主党の事業仕分けは電源三法交付金に関しては非常に甘いものだったことがわかる。仕分人の枝野幸男は、「自治体の自由な判断で使えるようにというのが、一つの結論」と総括して、「自治体の事情をよく理解いただいた内容であり、ホッとしています」と高浜町長の野瀬豊に言わせている。枝野はまさか1年後に東電原発事故の対応に追われ、自ら「エネルギー政策の転換」を口にすることになろうとは夢にも思わなかったに違いない。
福島に関しては、もともとの新聞記事へのリンクは消えているが、毎日新聞の記事を収録した下記のブログ記事を読むことができる。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/30421f49c51a545a9e704262504eaa8a
毎日新聞記事を紹介した山崎久隆さんは、
と書くが、それが震災前までの民主党政権の実態だった。鳩山政権もひどかったが、菅政権ではさらに原発傾斜に前のめりになっていた。民主党政権になって仕分け対象になるかと思えばとんでもない。仕分けでもいわば聖域化され拡充されていた。
この毎日新聞記事には、東京電力の福島第一原発がある双葉町について、
と書かれている。このことは、震災後すっかり有名になったからご存知の方も多いだろう。これが「シャブ漬け」の実態だ。財政破綻(はたん)した北海道夕張市の一歩手前の「早期健全化団体」に県内で唯一指定されており、交付金を借金返済に利用したいと最も望んでいる自治体だ。
こんなものは、一刻も早く止めなければならない。「電源三法の廃止」を訴える「広島瀬戸内新聞」社主のさとうしゅういちさんは、「電源三法の廃止なくして地域主権なし」と訴える。浜松在住の伊賀篤さんは、菅首相に電源三法の廃止を進言するメールを送った。
こういった声を拡大していかなければならない。そこで、当ブログでは「電源三法廃止キャンペーン」を始めたいと思うのだが、まずキャッチフレーズを募集したい。
『kojitakenの日記』でも告知記事を書いたので、既にいくつか案をいただいている。それらを紹介する。
daimonjiさん考案:
「『電源三法』は、街の破滅、身の破滅」
kidotaka1103197さん(=daimonjiさん?)考案:
「食うな!『電源三法・毒まんじゅう』」
朱の盤さん考案:
『ILL〈いる?〉the 電源三法
KILL〈切る!〉 the 電源三法』
(前段は《『ILL〈いる?〉the 原発》でもいいかもしれない)
※ ill…1.悪, 罪悪 2.害悪 3.病気, 不快 4.不運, 災難
皆さまの案をどしどしお寄せください。お待ちしています。
予想通り「脱原発」とも「原発推進」ともとれない「鵺(ぬえ)」のようなメッセージを発する菅直人に脱力感を覚えるが、それでも、「自公」や小沢一郎を入れた「自自公」が復活して原発推進路線が維持されるくらいなら菅政権が継続した方がマシだとしか思えないから、なおさら閉塞感が募るのである。同様の感覚を持たれる方は多いのではないだろうか。このところ、「原発政局」も膠着状態になってきて、攻める側の自民党も小沢一派も「手詰まり」の状態だ。
安倍晋三がメルマガで騒ぎ立てた「海水注入問題」は、どうやら経産省の原発推進官僚の入れ知恵だったようだが、昨日(5/26)になって東京電力が「注水中断の事実はなかった」と言い出し、さらにわけがわからなくなった。安倍晋三や谷垣禎一は、2006年に虚偽の情報をもとに国会で質問した「偽メール事件」の責任をとって議員辞職し、その3年後に自ら命を絶った永田寿康や、当時の民主党代表・前原誠司の出処進退を見習ってはどうだろうか。
そんなバカげた政局の話はさておき、現在も東電の事故原発が深刻な状況下にあるというのに、政財界ではいまだに原発推進勢力が主導権を握っているのは情けない限りだ。
最近は、民放テレビで政治を扱ったバラエティ番組でも「電源三法」が取り上げられるようになった。たとえば、今週月曜日(5/23)にテレビ朝日系全国ネットで放送された「TVタックル」がそうだ。この番組は、出演者に右翼や新自由主義者が多いことで悪名が高いが、原発問題に関しては、右翼政治家は自身が原発利権に絡んでいることが多いので、主に右翼よりも新自由主義系の人たちのコメントが目立っている。
23日の放送では、よく「シャブ漬け」にたとえられる「電源三法交付金」の仕組みが解説された。田中角栄首相・中曽根康弘通産相時代の田中角栄首相・中曽根康弘通産相時代の1974年に制定されたこの法律によって、原発を立地した自治体はどこも「麻薬患者」同様になってしまった。六ヶ所村しかり、東通村しかり、御前崎市しかり、福井県しかり。
シャブ漬けを拒否した自治体もある。森喜朗が北陸電力の原発を誘致しようとした能登半島の珠洲(すず)がそうだ。私は、JRがまだ国鉄だった頃に能登半島を旅行したことがある。その時には珠洲駅で下車し、そこからバスで能登半島先端の狼煙(のろし)まで行った。その後、能登線はのと鉄道になったものの、2001年には穴水-輪島間、2005年春に穴水-蛸島間が廃線になったが、後者の廃線直前に当地を再訪し、今度は終点の蛸島まで乗った。その時、金沢から能登半島の先までは驚くほど遠いことを改めて思い知った。そんなところに原発を作ろうとしていた。そして能登は地震の多い土地でもあり、最近では2007年の能登半島地震が記憶に新しい。もし珠洲に原発が建設されていたらどんな事故が起きたかわかったものではない。
東日本大震災(東電原発事故)の直前、朝日新聞が「2003年12月5日をもって凍結(事実上の計画撤回)となった珠洲での原発立地計画が再浮上する可能性がある」と報じたそうだ。珠洲市議を務める北野進さんの2月26日付ブログ記事が伝えている(下記URL)。
http://blog.goo.ne.jp/11kitano22/e/96fbe8830d99b4f29db10f4cbe49ae90
北野さんは書く。
原発計画は民主主義がないところに浮上する。市民が政治に無関心になったりお任せ意識が蔓延するなら、そこに唯一電力会社に攻め込まれる入るスキが生じる。
東電の原発事故が起きた福島第一原発の地元自治体の住民は、今は責められないし、差別等があっては決してならないと思う。しかし、被災地以外の原発立地地域の自治体に住む人々は、交付金に頼ってきた自治体や住民のあり方が問われるし、都会の人間はそうした地域に原発を押し付けてきた責任が問われる。
「電源三法交付金」が始まった1974年には既に、原発の新規立地を受け入れる自治体はほとんどなくなっていた。上記の北陸電力珠洲原発は、北野さんの記事から逆算すると1974年に計画が始まったことになるが、これはまさしく「電源三法」が成立した年だ。つまり、田中角栄と中曽根康弘が作り出した「シャブ漬け」計画を、珠洲の人たちは長い年月をかけて克服したのだ。既に「シャブ漬け」になってしまった自治体も、そこからの脱却が問われることはいうまでもない。
能登半島地震が起きた2007年に、高レベル放射性廃棄物の処分場建設構想が、推進派の現職町長(当時)の町長選落選で頓挫した高知県東洋町も同じだ。こちらも一昨年に訪れたことがあるが、公共交通機関を使って高松から3時間以上かかった。足摺岬エリアと並ぶ、四国の中でももっとも交通の不便な地域だ。そして、この東洋町もご多分に漏れず地震の巣である。ネット検索をかけたら、原子力資料情報館経由で、石橋克彦氏が毎日新聞に寄稿した論文に行き当たった(下記URL)。
http://historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/070318hatsugenseki_ishibashi.pdf
「震源断層上に核のごみ捨て場」とは実にひどい話で、このとんでもない計画を蹴った東洋町の人たちに敬意を表する。甲浦(かんのうら)の町を訪れた時に私が感心したのは、見知らぬ旅人に対してフレンドリーなこの町の人たちであって、私は大いに好感を持った。四国は遍路客が多いためにもともと「お接待」の文化があるが、その中でも高知県と愛媛県は、香川県や徳島県と比較して、より人情が厚い印象を私は持っている。中国地方なら岡山や広島よりも鳥取や島根の方が明らかに人々は親切だ。全国で最悪なのは東京だろう。そしてその東京は、福島や新潟に原発を押し付けてきた。
「シャブ漬け」は、そんな人情の厚い地方の人たちを「原発中毒」にしてしまう罪深さがある。そして、東洋町がダメならモンゴルに「核のゴミ」を押し付けよう、などととんでもないことを政府は考えていた。これなど、モンゴルの人々に対する差別以外のなにものでもなく、およそ人間の所業とは思われない。
話を「電源三法」に戻そう。電源三法交付金がいかなる使い方をされてきたか、たとえば福井の例でいうと、こんなブログ記事に行き当たった。
http://d.hatena.ne.jp/katamachi/20110511/p1
電化された小浜線と、ローカル線に似つかわしくないしゃれた駅舎。だが乗客はいっこうに増えない。私は若狭湾にも思い出があって、それは1973年夏に海水浴に訪れた印象だ。帰りに乗った列車は、普段知っている国鉄の東海道線や阪急、阪神などの電車と違ってディーゼル車で、車窓の風景も都会とは全く違った。その車内で、「少年ジャンプ」に連載されていた漫画「はだしのゲン」の、原爆投下の回を読んだのである。1973年は戦後日本の歴史の中でも革新勢力のもっとも強かった頃で、漫画の世界でもその前の時期なら戦記ものが全盛だったし、そのあとの時代には「はだしのゲン」のような漫画は少年漫画雑誌には載らなくなった。70年代後半から、日本の社会は急速に右傾化して行ったのだった。
あの1973年8月から2か月後。第四時中東戦争勃発とともに石油危機が到来し、これを機に田中角栄と中曽根康弘が原発推進に政策の舵を切って「電源三法」を制定したのだった。当時、石油に頼らない再生可能エネルギーの話を、小中学生向けの科学読み物で読んで、子供心に期待したものだったし、当時は小学生に向けた原発推進教育など行われていなかったから、私は子供時代から今に至るまで原発に対して肯定的だったり好意を持ったことなど一度もない。そんな人間は珍しくもないと思っていたから、今回の原発事故が起きた早々にブログで東電を非難した時、まさか猛反発を受けるとは思っていなかった。そこまで日本中に「原発安全神話」が浸透していたとはと驚いたのである。
現在、「電源三法交付金」はずいぶんだぶついているという。新規原発立地の候補がなかなか現れないためだ。だから、自民党から現民主党政権に至るまで続けられた原発推進政策にもかかわらず、日本の電力における原発依存度は、近年むしろ下がっていた。
与謝野馨は、一方で財政難だ、消費税を増税しろなどと言う一方で、特別会計の電源三法交付金が余っていることには頬かむりして、壊れたレコードのように「原発推進政策は正しかった」と暴言を吐き続けている。論外だ。
原発推進を目的としたこの「電源三法」を抜本的に改める動きが、政治の世界で起きなければならないと思うが、日々「電源三法」を検索語にしてネット検索をかけてもなかなか情報に行き当たらない。朝日新聞の小森敦司記者の発信が目立つくらいだ。小沢一郎も何も言わない。「電源三法 小沢一郎」でネット検索をかけると、私がブログに書いた文章や私がつけたソーシャルブックマークがやたらに目立ち、苦笑いさせられる。
だが、政治が本当に「脱原発、再生可能エネルギーへの傾斜」を目指すのであれば、電源三法交付金の見直しは必要不可欠ではないのか。
今こそ、「ストップ・電源三法」を脱原発派の合言葉にすべきだ。われわれは「田中曽根政治」から脱却しなければならない。