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きまぐれな日々

 この週末は2011年の東日本大震災と東電福島第一原発事故(以下「東電原発事故」と略称)から5周年、かつ暦が5年前と同じということで、嫌でも大地震と原発事故が思い出された。5年前の11日金曜日、私は東京でビルの上層階にいて大きな揺れに驚かされたが、同じビルでも下層では上層よりかなり揺れは少なかったようだ。しかし上層階ではこれまでに経験したこともない大きな低周波の揺れがかなり長く続いた。震源地が東北沖と知って驚き、東京でこんなに揺れるのだから東北ではたいへんな被害なのではないかと思ったが、帰ってテレビを見ると予想を大きく超えたたいへんな災害だった。翌朝には東電の福島第一原発に異常が生じていることを知り、テレビでは情報が遅いのでネットで2ちゃんねるにかじり付いていた。いい加減な情報も多かったが正確な情報もあり、夕方起きた1号機の爆発は2ちゃんねるでいち早く知った。日テレ系の福島中央テレビが映像を流していると知り、チャンネルを日テレに合わせると、事実爆発が起きていた。しかし政府(菅政権の枝野幸男官房長官)からの発表は遅れに遅れ、夜にずれ込んだ。私は爆発が水蒸気爆発だと勝手に思い込み、大変なことになったとネット(『kojitakenの日記』)で大騒ぎしていたが、夜の枝野官房長官の発表で、水蒸気爆発ではなく水素爆発だと知った。それでひとまず胸をなで下ろしたが、その数日後、2号機から大量の放射性物質が撒き散らされたのだった。

 被災したとはいえない私でさえ、あの週末のことは忘れようにも忘れられない。ましてや被災された方々や現在も震災や原発事故の悪影響を受けている方々の心情はいかばかりか、察するに余りあるものがある。

 一方、懲りないのが安倍晋三政権や自民党の面々であって、彼らに対しては激しい怒りを禁じ得ない。

 たとえば自民党の谷垣禎一は、震災5周年の3月11日に、こんなことをほざきやがった。以下11日のTBSニュース(http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2723402.html)より。

自民・谷垣氏、東日本大震災の初動対応検証組織を立ち上げへ

 自民党の谷垣幹事長は、東日本大震災の当時の初動対応を検証する組織を党内に立ち上げる考えを明らかにしました。

 「5年たちますと、やはり少しみんな冷静になってきて、いろいろな行政関係者等のご発言も出てきているように思います。しっかり検証していくことが、やはり経験を蓄積しておくということが必要じゃないかということですね」(自民党 谷垣禎一幹事長)

 自民党の谷垣幹事長はこのように述べ、震災当時の初動対応などを検証する組織を党内に新たに設置する考えを明らかにしました。

 検証する内容として、谷垣氏は「原発事故だけでなく津波の対応なども含めて、整理をしたいと思っている」と述べ、当時の民主党政権の対応や東京電力の対応などについて検証するものとみられます。

(TBS「News i」 2016年3月11日 14:16)


 何が「震災当時の初動対応などを検証する組織を党内に新たに設置する」だよ、と呆れてしまった。東電原発事故は菅政権が東電の邪魔をしたから3基の原発を炉心溶融に至らせてしまったのであって、そんなことをしなければ「原発は安全」なのだから、自民党政権だったら東電原発事故は起きなかった、とでも言うつもりなのだろうか。

 どうやら自民党は、東電原発事故でも得意の「歴史修正主義」に走ろうとしているかのようである。

 民主党と維新の党が野合してできる「新党」の名前も公募する(なんでも今日決定らしいが)という野党のていたらくを良いことに、自民党はちょっとつけ上がりすぎだろう。

 私は覚えている。谷垣禎一が東電原発事故直後の2011年3月17日に何を言っていたかを。事故当時自民党総裁だった谷垣は同日、「現状では、原発を推進していくことは難しい状況」と述べた。しかしその1週間後には「安定的な電力供給ができないと製造業など維持できるのかという問題もある」と軌道修正した。これは2011年5月5日付朝日新聞に、「自民 原発推進派はや始動 『原子力守る』政策会議発足」との見出しが打たれた記事に基づいて書いているのだが、谷垣がわずか1週間で発言を修正したことは、「党内では『推進派から反発されたため』と受け止められた」と論評されている。

 そして、事故から5年も経った今になって、すべてを民主党政権のせいにして原発の「安全神話」の再構築をしようとでもするかのように動く。厚顔無恥も極まれりと言うほかない。

 自民党寄りのマスメディアも呼応するかのように動いた。たとえばフジテレビは8日、原子力安全委員会(現・原子力規制委)の委員長だったあの班目春樹にインタビューした内容を報道した。1週間近く経つが、まだその内容は参照できる(http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00318311.html)。呆れたことに、班目は「あんな人を総理にしたから天罰が当たったんじゃないかな、というふうに、このごろ運命論を考えるようになっちゃってますよ(笑)」と言い放った。震災当時似たような暴言を石原慎太郎が吐いたが、当事者の班目本人が「5年も経ったから誰も覚えてないだろう」とばかりに自分の責任を棚に上げたのだ。

 リテラはこれを

“原発事故は菅直人を総理にした国民への天罰”──。そんな耳を疑う発言をしたのは、東日本大震災時に原子力安全委員会(現・原子力規制委)の委員長だった班目春樹・東京大学名誉教授だ。

と評した。また、フジテレビの報道についた「はてなブックマーク」の「人気コメント」7件は、すべて班目を批判するものだった。以下いくつかのコメントを引用する。

FUKAMACHI 原子力安全委員会の班目春樹元委員長。いろいろと発言もやばいが、他人事のように笑う姿が印象的。わりと必見。

Gl17 脱原発に反感抱く層の主張に「政治マターや党派性で騒ぐな」てのがあるが、そもそも原子力行政と保守政治側の主たる問題対処がこういう「政敵に責任を擦り付ける」メソッドなんだよな。安倍メルマガのデマとか。

snobbishinsomniac こんな男が責任者だったのに菅内閣はよく辛抱強く対応したものだと改めて感じる。自民党政権だったら全ての責任を押し付けられてこんな思い出話などできなかったに違いない。

sotokichi 菅元総理にもいろいろ落ち度はあっただろうけど、事故をこの程度で済ませたのだから及第点。事故に至るまでの主に自民党による原発行政と事故防止の機会をスルーした第1次安倍政権の責任の方が問題。


 自民党幹事長・谷垣禎一のありようを見ていると、「自民党政権だったら(班目春樹は)全ての責任を押し付けられてこんな思い出話などできなかったに違いない」とは、本当にその通りだと思える。そして、引用した最後のコメントにある通り、「事故に至るまでの主に自民党による原発行政と事故防止の機会をスルーした第1次安倍政権の責任」の方がよほど問題だろう。

 安倍政権と自民党は「一強多弱」の現状に浮かれて、際限なく倫理を弛緩させてしまっている。斜陽国ニッポンのダメさ加減を象徴するありようとしか言いようがないが、このていたらくではいずれまたとんでもない災厄をこの国にもたらしかねない。

 せめて、謙虚さを持とうとするくらいの心構えを持てないものか、などというのはないものねだりでしかないのだろう。こんな政権と政権政党は一刻も早くお払い箱にするしかないのだが、日本国民もあの政権を容認していることからもわかるように、意気阻喪してしまっていて、明るい展望は何も持てない「崩壊の時代」の今日この頃なのである。
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明日3月11日で、東日本大震災から丸3年になる。3年前は金曜日だったが、閏年は2つ、平年は1つ、同じ日の曜日が先に進む。だから3月11日は2012年が日曜日、2013年が月曜日、今年は火曜日になる。次に3月11日が金曜日になるのは2016年である。

昨日(9日)のTBSテレビ『サンデーモーニング』は、被災地である岩手県宮古市から中継していた。明日はテレビ朝日の『報道ステーション』あたりも、どこかから中継するのではないかと思う。

東電原発事故や今後の原発再稼働についても言及されているが、東電原発事故から3年経って思うのは、たとえば原発事故からまだ間がなかった2011年の夏頃までと比べて、公立の図書館の書架における原発関係の本が一変したことだ。2011年当時は原発推進の立場から書かれた本が、反原発あるいは脱原発の立場から書かれた本の2倍くらい置いてあったが、現在では9割方が反原発あるいは脱原発の本の立場から書かれた本に置き換わっている。かつて置かれていた原発推進本は、閉架書庫にでも移されたか、さっぱり見かけなくなってしまった。驚くべき様変わりである。

東電原発事故で炉心溶融(メルトダウン)が起きたことは、原発事故発生直後のマスメディアの報道によって確信していた。その後、東電や政府が炉心溶融をなかなか認めなかったため、マスメディアの論調も後退してしまったが、事故発生直後には産経新聞の紙面にさえ「炉心溶融」の文字が躍っていたのだった。

炉心溶融が起きた以上、原発事故がそうそう簡単に収束するはずがないことなどわかり切った話だったから、私は原発事故の影響はじわじわと現れて長く続くと事故発生直後から確信し、その予想をブログの記事にも強く打ち出した。そしてその通りの状態になった。物理学者の大槻義彦などは当時ずいぶん楽観的な予想を書いていたが、これでも本当に物理学者なのかと目を疑ったものだ。そして当時大槻らが誤っていたことは、今や誰の目にも明らかだろう。

ただ、「脱原発運動」の劣化も当時から私は予想しており、これも残念ながら現実のものになってしまった。「『右』も『左』もない脱原発運動」が起きることは、その数年前にネットで一部の人間が「『右』も『左』もない政権交代」を求めて、当時自民党を離れていた城内実や平沼赳夫らの「極右政治家」にまで肩入れした事実を思い起こせば容易に予想できた。ただ、大江健三郎や澤地久枝といった人たちまでもがその悪影響を受けるとまでは想像もつかなかった。

図書館の話に戻ると、昨年文藝春秋から発売された小熊英二編著の『原発を止める人々―3・11から官邸前まで』も置いてあった。読んだが、著者と私では東電原発事故に対するスタンスはかなり違う。例えばこの本には「それぞれの証言」として、反原発・脱原発の運動家50人の寄稿を紹介しているが、そのうちの1人である「おしどりマコ」は「自由報道協会」の「理事」を務めていた芸能人だが、この人が「週刊文春取材班」との連名で出した『週刊文春』のトンデモ記事を、私は『kojitakenの日記』で批判したことがある(下記URL)。このトンデモ記事にはあの政治ゴロ・上杉隆が関与していた。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20120226/1330219939

「おしどりマコ」や上杉隆のような人士を厳しく批判せずして「脱原発」運動の未来はないというのが私の立場である。

しかし、著者と私の立場は不一致点ばかりではない。この本には著者と東日本大震災・東電原発事故発生当時の総理大臣だった菅直人との対談が掲載されているが、対談の最後に著者・小熊英二が述べた下記の発言には深く共感した。そのくだりを以下引用する。

 明るく考えるしかないですよ。いまの日本の状況を暗く考えていたら、何も出てきません。自民党が選挙で勝ったのを見て、「日本は何も変わらない」といった「暗い」見通しを語る人がいますが、その見方のほうがよほど楽観的です。これだけ雇用も家族も不安定になっているのに、「日本は何も変わらない」なんて、のんきな見方としか言いようがない。政治にしても、自民党がそれなりにしっかりしていた三〇年前ならいざ知らず、下手をすればこのままでは国が持たない。「社会は変わらない」などと言っていられるほど、もう余裕はないのです。

(小熊英二編著『原発を止める人々―3・11から官邸前まで』(文藝春秋,2013)191-192頁)


著者と菅直人との対談は第2次安倍内閣発足直後の2013年1月25日に行われ、『現代思想』2013年3月号に「官邸から見た三・一一」後の社会の変容」と題して掲載されたものが再録されている。

この小熊英二の言葉から私が思い出したのは、昨年末、やはり私とは意見の合わない部分の多い、保守系の思想家・松本健一が書いた文章である。それは、松本氏の著書『官邸危機―内閣官房参与として見た民主党政権』(ちくま新書,2014)に載っている。この本の感想文を『kojitakenの日記』に書いたので(下記URL)、それから孫引きする。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20140301/1393650150

(前略)三年三カ月まえの民主党への国民の幻想は、一気に幻滅へと変じていった。そしてそれは、政権政党としての長い経験を持つ自民党への幻想を大きくふくらませることになった。しかし、安倍晋三政権を支えているのもまだ、大衆の幻想にすぎないのである。

(松本健一『官邸危機 - 内閣官房参与として見た民主党政権』(ちくま新書,2014)272頁)


このように、実は「大衆の幻想」という根拠も実体もないものに支えられている安倍晋三は、原発再稼働に向けてまっしぐらであるばかりか、原発の新増設まで視野に入れている。しかし、「脱原発」にも今や十分強い慣性力がついている。それには、東電原発事故の現状からいかに目をそらそうとしても、厳然としてそれは存在するという事実の力がもっとも強いと私は考えている。

さて、小熊英二といえば、昨年10月31日付朝日新聞に小熊英二が寄稿した論考「『脱原発』実現しつつある日本」が思い出される。これを、『kojitakenの日記』にメモしておいたので(下記URL)、それを引用する。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20131031/1383178822

 福島第一原発事故後に、もっとも劇的に脱原発した国はどこか。そう質問すると、多くの人が「ドイツ」と答える。しかしドイツは、政府が脱原発を宣言したが、実際には多くの原発を動かしている。
 では、政府は宣言していないが、実質的に脱原発した国はどこか。いうまでもなく日本である。いま日本では、一基の原発も動いていない。
 ではこの状況を作ったのは誰か。政治家がリーダーシップをとったのか。賢明な官僚が立案したのか。財界やマスコミの誘導か。アメリカの「外圧」か。いずれでもない。答えはただ一つ、「原発反対の民意が強いから」だ。それ以外に何かあるというなら、ぜひ挙げてみてほしい。

(朝日新聞 2013年10月31日付「オピニオン面」掲載「あすを探る - 思想・歴史」小熊英二「『脱原発』実現しつつある日本」より)


 昨年来の選挙結果は何か、と思う人々がいる。即席で脱原発を唱えた政党が信用されなかったのは、むしろ健全というべきだ。自民党の比例区得票数は大敗した2009年の数を回復しておらず、09年の民主党の約6割である。自民党は棄権の多さと野党の分裂で、少ない得票で漁夫の利を得たにすぎず、基盤強固とは言えない。しかも自民党の得票の7割は脱原発支持者のものだ。(小熊英二著『原発を止める人々』参照)

(前掲記事より)


赤字ボールドに下部分は、「政党」を「候補者」に置き換えれば、先の東京都知事選にも当てはまると思うが、それはともかく、小熊英二自身が朝日の寄稿に「『原発を止める人々』参照」と書いている通り、この本にも同じ主張の文章が載っている。但し私は、昨年朝日の記事が載った時、下記のように書いた。

 いちいちお説ごもっともではあるが、どうしても気になることが一つある。それは、現在の「脱原発」には、浜岡原発停止によって作られた流れが「惰性」で続いている面が多々あるということだ。経産省と海江田万里は、浜岡原発をスケープゴートにして、他の原発の再稼働をもくろんだが、九電の玄海原発再稼働を阻止された。原発再稼働のバリアが高くなったのはこの時からであり、この点だけは、首相在任中功績が極めて少なかった菅直人の数少ない功績に数え入れて良いだろう。

 しかし、強引に事を進めて悪しき「既成事実」を作ることを得意とする安倍晋三が総理大臣に返り咲いていることを、間違っても甘く見てはならない。2006年に安倍が改悪した「教育基本法」は今もそのままである。現在では「秘密保護法案」の強行突破を図っている安倍だが、今後原発に関しても再稼働をどんどん推進して、それによって作られた「既成事実」を国民は再び黙認してしまうのではないか。その懸念から私はどうしても離れられない。

(『kojitakenの日記』2013年10月31日)


上記の文章を書いた時点では「特定秘密保護法」はまだ成立していなかったが、私が予想した通り、2006年の「改正教育基本法」と同様、安倍晋三は「特定秘密保護法」成立を強引に推し進めた。

このような安倍晋三の強権的な政治手法に油断は禁物であって、絶対に警戒を緩めてはならない。残念ながら、日本の政治においては、いかに既成事実を作り上げて慣性力を発生させるかが政治の要諦になっているが、第1次内閣時代から、安倍晋三の悪しき実績は枚挙に暇がないのである。

すっかり「トンデモ極右勢力」と化した安倍晋三一派は、昨年暮の安倍晋三の靖国参拝以来、米オバマ政権との関係も悪化させてしまい、今では新聞の株価欄に載る保守系のコラムにも「首相と側近の言動が米中という二大貿易相手との経済関係まで損なう危うさが出てきた」(3月7日付朝日新聞「経済展望台」)と書かれるようになった。自民党の憲法改正「第二次草案」にしても、自らが推した東京都知事・舛添要一に「近代立憲主義憲法について理解していない」、「そもそも憲法論議に加わる資格がない」(舛添要一『憲法改正のオモテとウラ』(講談社現代新書,2014)116頁)などと痛烈に批判される始末である。どこからどう見ても安倍晋三の政策に持続可能性など全くなく、こんな政権を倒すことができない方が不思議に思われるのだが、安倍内閣支持率が高止まりしているのもまた事実なのである。

こんな危険極まりない政権は一刻も早く打倒しなければならないのだが、残念ながらその手がかりはまだ誰にもつかめていない。

原発に関して、今後安倍政権が進める原発政策は、既に十分強まった「脱原発」の慣性力とぶつかり合うことが予想されるが、それを安倍政権打倒のきっかけにできるかどうか。こう書くと、「われわれの目的『脱原発』なのであって、政局などどうでも良い」と言う人が出てくるかもしれないが、安倍晋三が属する集団のイデオロギーを考えると、「脱原発」は安倍晋三(安倍政権)の打倒と密接につながらざるを得ない。

これを「安倍政権打倒なくして『脱原発』なし」というと、私の大嫌いな誰かさんを連想させるのでわれながら不満だが、安倍政権は原発問題に限らず、あらゆる政策において「反国民的」「反市民的」「反人民的」なのであるから、これを打倒せずして日本に未来はないのである。
今日で東日本大震災・東電福島原発事故からまる2年になる。震災で犠牲になられた方々にお悔やみを申し上げるとともに、今なお不自由をされている被災者の方々にお見舞い申し上げる。

本来静かに祈りを捧げる日であってしかるべきだろうが、そうはさせないのは東電原発事故以降の原発をめぐる混迷だ。

昨夜のNHKの番組を含み、東電原発事故の検証報道もずいぶんなされているけれども、東電の事故対応がお粗末だった原因は、原発派絶対に事故を起こさないという「安全神話」であり、それを作り上げてきたのは歴代の自民党政権、経産省や文科省、それに当の電力会社だった。安倍晋三は野党時代から自民党の責任を棚に上げて、東電原発事故当時の菅政権批判を繰り返し、そのためには海水注入をめぐるでっち上げさえ辞さなかった。こんな人間を再び総理大臣にしてしまった日本人は、まず根本的に狂っているとしか言いようがない。

もちろん民主党(菅・野田)政権の事故対応にも問題が多かったのは事実だし、岩手県選出でありながら震災を顧みず政争に明け暮れた小沢一郎の問題もあった。小沢に関していえば、被災地選出の政治家として立ち上がり、原発政策に関しても、事故後1年以上も経って離党してからではなく、事故直後から「脱原発」を鮮明にし、かつ自公の菅内閣不信任案提出を煽るなどの愚行を行わなければ、今日のような無惨な姿を晒すことはなかったのではないか。小沢もまた、事故対応を誤った政治家だった。だが、民主党離党後に「脱原発」を打ち出しただけ安倍晋三よりはマシだろう。

その安倍でさえ、施政方針演説で「省エネルギーと再生可能エネルギーの最大限の導入を進め、できる限り原発依存度を低減させていきます」と言わざるを得ないのが現状なのだ。前首相の野田佳彦(「野ダメ」)が愚かにも一昨年末に東電原発事故の収束宣言をしたが、実際に収束などしていないことは、安倍晋三が野ダメや民主党を批判しながら認める通りだ。もっとも、この件で安倍に野ダメや民主党を批判する資格は一切ない。

昨年末に発売された『週刊朝日』2012年12月28日号に、田原総一朗がこんなことを書いていた。
http://dot.asahi.com/news/politics/2012121900008.html

 ただ、民主党政権で原発事故が起きたことはよかったと思っている。これがもし自民党政権で起きていれば、自民党は全力で事故の内容を隠蔽(いんぺい)しただろう。民主党は隠し方を知らなかったから、原発事故はほぼすべてが露呈した。民主党政権でなければ、いまも事故の詳細は闇の中だったかもしれない。

(『週刊朝日』2012年12月28日号より)


私は田原総一朗が大嫌いだが、この件に関しては田原が言う通りだろう。もっとも、それ以前に、自民党政権、特に安倍晋三が総理大臣であれば、東電が事故対応にお手上げになって、福島第一原発からの撤退を言い出した時にそれを認め、その結果原発は致命的な事態に至って東日本には人が住めなくなり、今頃は首都はどこかに移転していたのではないかとさえ私は思っているのだが。

東電福島第一原発でまた新たな問題が起きれば、それは原発再稼働にブレーキをかける要因になるし、その時政権が原発再稼働に前のめりになっていれば支持率の急落につながる。それは、現時点では自民党の圧勝以外に考えられない参院選の情勢を一変させる可能性もある。脱原発を求める民意は根強い。だから、安倍晋三は「できる限り原発依存度を低減させていく」などという心にもないことを言わざるを得なかった。

だが、安倍の本音はどこまでも原発推進であって、参院選後にはその正体をむき出しにするだろう。福島を切り捨てようがお構いなしである。だが、その当の福島の原発事故被災地でも、先の衆院選では自民党が議席を獲得した。

以上、安倍晋三批判を述べたが、最後に、「脱原発」陣営の問題点にも触れなければなるまい。特にネットで顕著だが、一部脱原発派の暴走が「脱原発」の流れに大きく水を差した。いわゆる「放射脳」問題である。ここではいちいち具体例は挙げないが、特に問題なのは個々の症例を東電原発事故の関係を短絡し、それに対して懐疑的な論者を「原発推進派」と決めつけて論難する「脱原発派」が後を絶たないことだ。よほど特殊な場合を除いて、東電原発事故の影響の有無は統計的にしか推論することはできないと私は考えている。

極端な例をいえば、誰かの訃報が報じられるたびに「東電原発事故の影響だ」と書く人間がいるが、明らかに人の死や東電原発事故を娯楽として消費している態度だ。その延長上に、あえて名を秘すが小野俊一や木下黄太などのネットの人気者がいる。こういった人間のクズをまともに批判できない「脱原発派」は、脱原発運動そのものに水を差していることを自覚すべきだ。

トンデモに堕さない脱原発運動の持続が強く求められる。
中国本土に行ったことは過去1度しかない。台湾には4度、香港にも1度行ったが、中国には2004年に広州の某所を訪れたことがあるだけだ。

だから、広大なかの国の南部の一都市をピンポイントで、しかももう10年近く前に行っただけであって、その経験をもって中国を語ることはできないのだが、その時に強く持ったイメージは、中国とは巨大な新興土建国家であり、かつ貧富の差が極めて大きい格差の国だということだ。

中国の大気汚染は以前から言われている通りだが、黄砂が増え始める季節になって、また報道されるようになった。黄砂自体は大気汚染とは別の現象だが、特に西日本では首都圏と含む東日本とは比較にならないほどこれに悩まされることが多い。私の記憶では2002年が特にひどくて、この年の3月に九州に行った時には信じられないほどの黄砂によって景色がかすんでいた。但し、気象庁のサイトを見るとグラフが出ていて、2002年は突出して黄砂の観測が多かった年らしく、別に黄砂の観測日数が近年特に増えているわけではない。それに、前述のように黄砂そのものは大気汚染とは別の話である。

しかし、中国の大気汚染が以前にも増してひどくなっているのは事実で、黄砂の季節になるとそれと結びつけて報じられるのだろう。私が思い出すのは、光化学スモッグなどの公害が重大な社会問題になっていた1970年代の日本のことである。

この問題に関して、「公害を撒き散らす中国は怪しからん」と言ってこのところ高まっている対中国軍事衝突の気運を強めるほど馬鹿げたことはない。最近の対中関係はますます抜き差しならないものになっていて、例のレーダー照射の問題も、中国がやったことはおそらく事実だろうが、首相の安倍晋三がこれを政治利用しようとしているフシも濃厚だ。少し前に日経をはじめ朝日など各紙が報じていたように、民主党政権時代にもレーダー照射はあったが、野田政権がこれを公表しなかったというのはおそらく事実だ。特に日経は、官邸が公表を主導したと書いていた。つまり、安倍晋三が強い意向を示したということだ。

ただ、現在の日本の世論は、この件に関しても、「弱腰」もとい「『媚中』のミンス政権のていたらく」を批判するだけになっている。実際、昨年末の衆院選のあと、ニュースで報じられることもなくなった民主党の支持率はさらに凋落し、今夏の参院選では現在民主党が持っている議席は、自民党と維新の怪にとって絶好の草刈り場になるだろう。みんなの党もおこぼれにあずかるかもしれないが、共産党は現状維持、社民党は現有の2議席を1議席に減らし、左翼政党ではないが生活の党も現有の6議席から1〜2議席に激減する可能性が高い。

話題がそれたが、大気汚染に関しては、一昨日(10日)のTBSテレビ『サンデーモーニング』で、過去に大気汚染を改善した経験のある日本の知見を中国に応用する手助けをすべきではないかと言っていた。これもまあ穏当な意見だと思うが、番組では上記の問題と、まさに現在日本で大きな問題になっている東電福島第一原発事故の収束に失敗したために現在もなお放出され続けている放射性物質の問題がリンクされていた。こういう視座の提供は、局全体としては他局同様に姿勢が怪しくなっているTBSに残る異色の番組として存在感を発揮したなと思った。もちろん番組を監視するネトウヨ諸氏は怒り心頭だったに違いなかろうが。

いうまでもなく安倍晋三は強硬な原発推進派の政治家であり、昨日(11日)の朝日新聞にも、経産相の茂木敏充がサウジアラビア政府と原発の支援で合意したとの記事が出ていた。
http://www.asahi.com/politics/update/0210/TKY201302100136.html

経産相、サウジに原発建設支援を申し出 事故後初めて

 【リヤド=福山崇】中東訪問中の茂木敏充経済産業相は、原発建設計画があるサウジアラビア政府と、原発関連の人材育成などで協力することで合意した。東京電力福島第一原発事故後、将来の原発輸出を視野に入れて外国に新たな原子力分野の支援を申し出るのは初めてで、原発輸出に前向きな安倍政権の姿勢が鮮明だ。

 茂木氏は9日、サウジの首都リヤドで原子力政策などを担う政府機関「アブドラ国王原子力・再生可能エネルギー都市」のファラジ副総裁と会談した。ファラジ氏は、2030年に国内の電力供給の20%を原発でまかなう計画を示し、協力を求めた。これに対し茂木氏は、原子炉の運転技術や法規制などを担う人材を育てるため、サウジから研修生を受け入れることなど、支援の意向を伝えた。今後両国間で協議を進め、支援内容を盛り込んだ「原子力協力文書」をまとめる。

 世界最大の産油国・サウジには現在原発はないが、人口増で原油消費が急増し、原発を16基程度建設する計画があるとされる。日本は09年、アラブ首長国連邦(UAE)のアブダビ首長国の原発受注をめぐって韓国勢に敗れており、経産省内では「同じ失敗を繰り返すわけにはいかない」(幹部)との声が漏れる。

(朝日新聞デジタル 2013年2月10日22時28分)


但し、ネットでは無料で読めない記事の続きの部分に、日本とサウジアラビアは原発輸出の協定を結んでおらず、既に協定を締結しているフランス、韓国、中国や交渉中のアメリカ、イギリス、ロシアを相手に厳しい受注競争が予想されるなどと書かれている。

ネトウヨは日本と同様に原発の輸出をもくろんでいる中国や韓国の姿勢こそ批判すべきではないかと思うが、そんなことをしたら直ちに自民党や安倍晋三への批判に跳ね返ってくるからそれは批判しない。ネトウヨとてずいぶんなご都合主義なのである。

いかに強硬な原発推進派である安倍晋三とて思うに任せないのが国内の原発の再稼働だが、現在も原発事故を収束できていない東電が、次々と悪行を暴露されている現状ではそれも当然だろう。つい最近も東電が国会事故調に嘘をついて福島第一原発1号機の建屋内に入らせず、調査を妨害したことで批判の槍玉に挙がった。東電原発事故において、東電がポンプで海水を汲み上げられず、SR弁(主蒸気逃がし弁)を開くためのバッテリーが調達できないなどの失態を重ねたことが今では明らかになっており、少なくとも福島第一原発の2号機と3号機のメルトダウン(炉心溶融)は事故後の対応で防げたはずだというのが現在の定説のようだ。

だが、東電がそれをできなかったのは、原発派絶対に事故を起こさないという「神話」があったために、事故対策を講じることがはばかられるような本末転倒の状態にあったためであり、その「神話」を作り上げてきたのが自民党政府、経産省、それに東電自身を含む電事連(電気事業連合会)という悪の三角形だった(これに御用学者と電力総連を加えると、誰かさんの大好きな「悪徳ペンタゴン」になる)。

そもそも原発のような不経済なものに、必要不可欠になってしまった廃炉の技術は別として、新規原発の建設などを行うなどの金をかけることくらい、日本経済の首を絞める愚挙はない。これは、新自由主義的な立場からもいえることであって、だからこそ先日亡くなった加藤寛も「脱原発」を主張したし、現在の日本でもっとも過激な新自由主義者である橋下徹も「脱原発」に飛びついたのだ。その橋下に招かれ、のちには小沢一郎とも野合して日本未来の党の幹部になってもののみごとに自爆し、脱原発派の期待をさんざんに裏切ってくれた学者センセイもいたけれど、最低限「脱原発」が今後の日本にとって必要不可欠であることは間違いない。

第2次安倍晋三内閣は、それを妨害するとんでもない政権である。
昨日(3月11日)で東日本大震災と東電原発事故からまる1年が経過した。

昨日は日曜日だったが、大震災は金曜日の午後2時46分に起きた。だから先週の後半はあの日のことが思い出されてならなかった。

1周年が日曜日と重なったことでテレビは朝から特番を組んだし、脱原発デモも行なわれたが、私はテレビの特番は少ししか見なかったし、過去2度参加した脱原発デモにも出なかった。前者は昨年の大津波の様子はもう見たくなかったし、復興や東電原発事故に関する「エラい人」のコメントを聞きたくもなかった。後者は、特に3月11日という日に「脱原発デモ」に参加する必然性を感じなかった。もとより私は東電原発事故が起きる以前から「反原発派」だし、事故発生直後から東電を大々的に非難し、その時点においては「今はそんなことを言う時じゃない」と非難されたが、事故が起きたタイミングで批判せずしていったいいつ批判するんだと思ったものだ。その意見は今も変わらないし、事故についても一般に言われる「福島原発事故」という呼称ではなく、ましてや「フクイチ」なる符丁めいた略称でもなく、「東電原発事故」と表記することにしている。東京電力が引き起こした犯罪だという意味を込めているのである。

だが、その一方で火山学者・早川由紀夫の福島県民に対する暴言を批判できない一部の「脱原発」派に対して「何のための『脱原発』か」と感じるようになってきている。

何かが似ている。そう、「政権交代」を求めた当時の世論と同じだ。「手段」であるはずの政権交代が「目的」と化し、当時の野党第一党の指導者・小沢一郎を信奉する「小沢信者」と呼ばれる人たちが出現した。

現在、早川由紀夫を支持する人間と「小沢信者」はかなりの程度オーバーラップする。誤解を恐れずにいえば、「脱原発」運動は、彼らを十分に批判できていないという一点においてだけでも、かなりの程度危機的な状況にある。

それを尻目に、野田(「野ダメ」)政権やマスコミは「原発再稼働」に向けて必死だ。昨日(3月12日)の東京新聞記事(下記URL)から引用する。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012031202000027.html

「原発再稼働 先頭に立つ」 首相、自ら地元説得意向

 野田佳彦首相は十一日、東日本大震災から一年を受けて首相官邸で記者会見し、定期検査中の原発再稼働に関する地元への対応について「政府を挙げて説明し、理解を得る。私も先頭に立たなければならない」と述べ、再稼働を妥当と判断した場合、自ら地元の説得に乗り出す意向を表明した。

 首相は、再稼働を判断する手順について、まずは自身と藤村修官房長官、枝野幸男経済産業相、細野豪志原発事故担当相の四人が国の原子力安全委員会による安全評価(ストレステスト)の一次評価の妥当性を確認すると説明。「(原発再稼働の)安全性と地元の理解をどう進めるかを確認する」と述べた。

 政府は首相らが一次評価の妥当性を確認した後、地元の同意を得る方針を藤村氏が明らかにしている。関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)については、原子力安全委による一次評価の審査が大詰めを迎えている。

(東京新聞 2012年3月12日 朝刊)


最近の野田首相は、原発再稼働と消費税増税しか頭にないように見える。この2件さえ実現できればいつ辞任しても悔いはないとばかり思いつめているようにも見える。当然次の総選挙では民主党は壊滅的打撃を受けると思われるが、どうせ政界再編があるからそんなことはどうでも良いと思っているに違いない。「どうせ政界再編を仕掛けるから」と考えているのは小沢一郎も同様だろう。野田の場合は自民党との合流、小沢一郎の場合は野田首相や谷垣自民党総裁らに不満を抱く勢力との糾合をもくろんでいるものと思われるが、いずれも新自由主義勢力であり、私のとうてい支持できるところではない。

少し脱線するが、それならお前はどういう政権を望むのかと聞かれた場合は、「政治改革」によって保守二大政党制をでっち上げられてしまった現状、望ましい政権など思い浮かばないけれど、あえて挙げれば加藤紘一あたりを首班とする内閣を「つなぎ」で作ることだろうか。民主党や自民党の政治家の大半が新自由主義派になってしまった現状、他に思い浮かばない。加藤紘一には支持できない点が多々あるのだが、それでも「他の保守政治家たちよりはまだマシ」と言わざるを得ないのだ。同じ「保守本流」のはずの谷垣禎一さえ、「新保守」から強い悪影響を受けている。ましてや新自由主義色の強い「野ダメ」だの小沢一郎だのは論外だ。後者が橋下徹にすり寄る姿は「醜悪」の一語に尽きる。

話を民主党政権の「原発再稼働」路線に戻すと、実は原発再稼働とは民主党と国民新党の連立与党の政治家たちが菅直人政権時代からやりたくてやりたくてたまらなかったことだ。10日付毎日新聞記事(下記URL)を以下引用する。
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120310ddm002040056000c.html

東日本大震災:議事概要公表 閣僚次々「原発再稼働を」 菅前首相方針よそに--昨年7月

 政府は9日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の対応に関し、原子力災害対策本部や緊急災害対策本部など7会議の議事概要などを順次公表した。政府は緊迫した状況で多忙だったことなどを理由に、震災関連15会議のうち10会議で議事録を作成していなかったが、未作成への批判を受け、会議出席者のメモや聞き取りをもとに概要を作成した。電力需給に関する検討会合の議事概要からは、菅直人首相(当時)の「脱原発依存」方針をよそに、複数の閣僚が原発再稼働を次々に訴えるさまが明らかになった。

 関西電力管内の10%節電要請を決めた昨年7月20日の会合では、大畠章宏国土交通相(当時)が「原発が(定期検査入りで)次々と停止していく状況だ。政治の責任としてこれでよいのか」と指摘。「このままでは電力会社も弱っていく。つらいとは思うが、政府としての方針を示すべきだ」と、原発再稼働を暗に求めた。

 自見庄三郎金融担当相(同)は「どうすれば原発が再稼働できるのか。ビシビシと道筋をつけていただきたい。泥をかぶってでもやる話だ」と力説。九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働を菅首相に止められた海江田万里経済産業相(同)は、自見氏の発言を受け「ありがたいお言葉」と述べた。菅氏はこの会合には出席していなかった。(以下略)

(毎日新聞 2012年3月10日 東京朝刊)


日立製作所出身のエンジニアで原子炉の設計にも携わっていたという大畠章宏。2006年に当時の民主党代表・小沢一郎に民主党の原発政策の転換を働きかけた人間だ。小沢はこの時には大畠の意見を入れなかったが、翌年民主党の政策をそれまでの「慎重な原発推進」から「積極的な原発推進」へと転換させた。自見庄三郎は金融担当相として証券優遇税制の延長に関して財務相の野田佳彦と渡り合い、優遇税制の延長を勝ち取った男。要するに新自由主義者だ。そして、海江田万里は言わずと知れた大の原発推進派。昨年菅直人に泣かされ、民主党代表選では小沢一郎に担がれた。大畠章宏、自見庄三郎、海江田万里、ついでに小沢一郎といった「原発推進派」の名前をよく覚えておきたいものだ。

野田佳彦が原発再稼働に執念を燃やすのにはこういう流れもある。そもそも野田政権の成り立ち自体、「前原誠司の民主党代表・総理大臣は断じて容認できないけれども、野田佳彦ならどうに容認してやる」との小沢一郎の意向がある程度反映されていた。ある「小沢信者」は昨秋の野田政権成立を「菅、岡田、仙谷が閣外に去った『秋風爽やか内閣』だ、きっと『国民の生活が第一』の政治をやってくれるに違いない」と絶賛していた。しかし現実には野田佳彦も小沢一郎も「同じ穴の狢」だった。私は菅直人については、東電原発時の対応で東電の撤退を阻止したこと、「脱原発」を打ち出そうとしたこと(すぐに「脱原発依存」へと後退した)、海江田万里と経産省がたくらんだ玄海原発再稼働を阻止したこと、以上3件の原発関連のアクションを除いては全く評価できない総理大臣だったと思っているが、それらの件が気に入らなくてたまらない大新聞の「政治部脳」の記者たちによって民間事故調の報告書がずいぶんねじ曲げて報じられたようだ。特に読売と朝日がひどかったと聞くが、読売はともかく「脱原発」が社論のはずの朝日の政治部記者たちは一体何をやっているのだろうか。

原発問題に関しては政治は「再稼働」へと一直線だが、震災からの復興に関しても政治の無作為が目立った一年だった。その最悪の例は、またしても東日本大震災発生と同時に「雲隠れ」していた小沢一郎だが、論外な小沢はさておくにしても、こういう大災害の時こそ税金を投入して当然なのに、それを渋った「財政再建厨」の責任はきわめて重いと言わざるを得ない。そしてこの流れの果てに「自己責任」「なんでも(トンデモ)民営化」「しばき主義」の橋下徹が大人気を博するというお寒い現状が生じている。

東日本大震災と東電原発事故から1年が経ち、日本は復活するどころかますますひどい泥沼にはまっているように見える今日この頃、気分は暗く沈む一方である。
今回はまた原発の話に戻るが、このところ「脱原発」がらみで書くのはいささか気が重くなってきている。

一つは、「脱原発」が「ハシズム」に回収されかかっている件であり、中でも脱原発・自然エネルギー推進の論者として東電原発事故以来名を上げた飯田哲也がTwitterで橋下徹を絶賛した件にはいたく失望させられた。この件に関しては『kojitakenの日記』のエントリ「『敵の嫌がることをやる』橋下徹侮り難し。小沢一郎は顔色無し」に書いたのでここでは繰り返さない。

飯田哲也のような著名な「脱原発」論者の「ハシズム」への回収と並行して起きているのが、一部の「脱原発派」の「カルト化」だ。中でも目を覆いたくなるほどひどかったのが、さる有名ブロガーが3月11日に福島県郡山市で行なわれる予定の反原発集会の呼びかけ人に名を連ねているにもかかわらず、「『汚染地域でのイベント』だのって放射能に浪花節や精神論で立ち向かうバカは自分だけで被曝してろ!」と暴言を吐いたことだ。

当ブログにもしばしば被災地にお住まいの方からコメントをいただくが、「脱原発」運動に福島を利用するな、という声が多い。「3.11」のイベントに関していえば、東電原発事故が起きた日でもあるが、それよりも東日本大震災が起きた日であり、被災地の方々にとっては静かに祈りを捧げる日のはずだ。その日に福島で「脱原発」の集会を行い、そこでコンサートや行進が行なわれること自体、その意図はどうあれあまり良いアイデアとは私には思われない。私は阪神大震災の起きた「1.17」には極力余分な記事を書かないようにしているが、それは既に転居していたために自分自身や家族を含めて被災こそしなかったものの、それ以前に十年以上住んでいたことのある場所で起きた震災で被災された方々に思いを致すためだ。ましてや東日本大震災は昨年起きたばかりなのだ。その日に東京から福島に日帰りの「バスツアー」を組むというのは、あまりに「東京中心」の発想ではないか。それどころか、「汚染地域でのイベント」云々と暴言を吐くに至っては、あの早川由紀夫と同類としか思えない。もっとも彼らのクラスタはほぼ手放しで早川由紀夫を礼賛しているから、まさしく「類は友を呼ぶ」ではあるけれども。

上記は極端な悪例だが、「類は友を呼ぶ」例はあちこちで見られる。「南京大虐殺を犯した日本軍兵士は福島出身だった、東日本大震災も日本がこれまでに犯してきた罪を清算しないがために起こったカルマではないか」などと石原慎太郎も真っ青な暴言を吐いた者もいっぱしの「脱原発」論客気取りで、それに対して仲間内からとがめる声ひとつ上がらない。彼らのクラスタは陰謀論や捏造も大好きだ。以前にも書いたと思うが、すぐに「工作員を発見した」と言いたがる、東電福島第一原発で働いていたこともあるらしい九州の某開業医は、原発事故と無関係に亡くなられた方の死因を事実をねじ曲げて原発事故と関連づける印象操作を行ない、抗議を受けるとブログのコメント欄を閉鎖した。こういう人非人であっても「脱原発」さえ掲げていれば許されるのがこのクラスタの特徴である。彼らの多くは「小沢信者」でもあるが、小沢一郎が「脱原発」の邪魔しかしてこなかったことは周知の事実だ。

上記のような悪例が日頃から奇矯さで知られる「小沢信者」にとどまっているならまだ良いのだが、「汚染地域のイベント」云々と抜かした人間は社民党党首の福島瑞穂とつながっている。私はもうだいぶ前から社民党に完全に匙を投げており、今後は自民党や民主党に加えて、間違っても社民党なんかに投票してやるものかと思っている。

以上のように極端にひどくはなくとも、同じ脱原発派の学者でも他の論者より少しでも楽観的な見通しを口にする人が「物足りない」と評されることもある。具体例を挙げれば、京大反原発6人衆の今中哲二氏は、小出裕章氏に比べて「予想が楽観的なので物足りない」というのだ。まるで東電原発事故の被害がもっとひどくあってほしいと言わんばかりで、そんなことばかり言っているから「脱原発」が「ハシズム」に回収されてしまうんだろうが、と毒づきたくもなる。

そんなのばかりが目についてうんざりしていたところに、昨日、目のさめるような論考に接した。猪飼周平・一橋大准教授が書いた「原発震災に対する支援とは何か ―― 福島第一原発事故から10ヶ月後の現状の整理」と題する記事である(下記URL)。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1891136.html

長文の記事だが、是非とも原文を直接お読みいただきたい。広く読まれるべき論文だと思う。著者は、福島の放射能汚染地域に残る選択をする人たちが多いが、決してメディアが「安全」を煽るために騙されているのではなく、被曝の危険を十分承知の上で残っていることを指摘する。著者は書く。

私がここで福島に留まる人びとの存在を強調しているのは、特に、東京を始めとする域外で発言する人びとが、避難こそが「人道」に叶っていると考える傾向があるようにみえるからである。そもそも、今日の論争の構図である「避難か除染か」という2項対立自体、避難する人と留まる人が両方あるという前提を踏まえていない。そして、上のような避難論者は、少なくとも現状では少数派の選択肢に肩入れしている。とすれば、彼らは2重に実態を踏まえていないということになる。その意味では、私たちにとって、まず福島県の人びとが、「遊牧民」的な東京人よりははるかに「定住的」であるということを踏まえることが何より重要であるといえるだろう。

(猪飼周平「原発震災に対する支援とは何か ―― 福島第一原発事故から10ヶ月後の現状の整理」より)


この件を議論は著者が指摘するこの点を踏まえて行なわれるべきだと前々から私は考えている。だから、「汚染地域でのイベント」云々などとほざく輩にはいつも腹を立てている。彼らは「除染」と聞くだけで拒絶反応を示し、例えば猪飼氏の論文にも言及される児玉隆彦氏を「除染を推進している」として「御用学者」扱いさえするのだが、そんなのの親玉のような某有名ブロガーとつるんでいるのが左翼少数政党の党首なのである。避難や移住を選択する人たちと現地に残る選択を選択をする人たちの両方を支援していかなければならないのは当然ではないか。

いや、論外の人たちのことはもう書くまい。著者の指摘にはいちいちうなずかされることが多い。原発震災に対する専門家の支援は、原則として住民主体でなければならないことはもちろんだが、特に鋭いと思うのは、国民が総じて福島の人びとの被曝に対して冷淡であるために、福島の人びとに対して十分な税金が投入されるということについて、国民的合意ができないことと、「現在の民主党政権に、福島の人びとに冷淡な態度を取る国民に責任を取ることを呼びかけるだけのリーダーシップが欠けている」ことの2点の指摘だ。

民主党政府の政治家として、具体的には細野豪志原発相の名前を挙げているのだが、著者は下記のように書く。

私は、細野原発相は、彼のもつ誠実さの限りを尽くしてこの問題に当たっていると思う。だが、究極的責任が国民にあるということを国民にわからせることができなければ、彼の被災地住民に対する約束の多くは、「やろうとしたけれどできませんでした」という形で反故にされ、最終的には、できもしない約束をしたことで、被災地がその約束を前提として振舞うようになる分だけ、現地に害をなす結果となるだろう。たとえば、人びとが「待ち」の姿勢を取ることで福島の人びとの総被曝量は増大することになる 。

原発震災の結果として、世論は脱原発の方向性を支持するようになっている。このことは、国民が原発震災について「反省」していることの証左であるといえるであろう。だが、それでもなお、日本人が考えるべきは、脱原発を実現しても、福島の地が放射能で汚染されたままであること、福島の人びとが日々被曝しつつあるということ、そして福島の人びとがそのことで大きな精神的苦痛を強いられていることのどれ1つとして解決されるわけではないということである。

私は、現在の政治状況を前提とすると、残念ながら国民に、福島の人びとを納得させられるレベルまで「元通り」にする責任を自覚させることは極めて難しいと思う。とすれば、問題を解決するには、結局のところ国民全般の態度を変えてゆくよりも、福島の地と人びとの抱える問題をなんとかしたいと考えている人びと(マジョリティではなくとも、たくさん存在する)が、どんどん問題解決に動いてしまうのが一番よいと思われる。市民社会的解決法といってもよい。

(猪飼周平「原発震災に対する支援とは何か ―― 福島第一原発事故から10ヶ月後の現状の整理」より)


これ以上の下手な紹介は止めておく。読者の皆さまには、とにかく一度猪飼周平氏の論文をよくお読みいただきたいと思う次第だ。
いよいよ2011年も残すところあと2週間を切り、テレビは年末恒例の一年を回顧する番組をやっているが、今年は正直言ってこの手の番組をあまり見たくない。今年の重大ニュースといえばなんといっても東日本大震災と東電原発事故であって、何もこの時期に特別に回顧しなくても一年中、いや3月11日以来ずっとこのことばかり考え続けていた。

最初は「念のための措置です」、「直ちに影響はありません」という言葉が、政府高官だけではなくテレビ、特にNHKから集中的に放射されていたが、原発事故はいっこうに収束しなかった。5月に菅前首相による中部電力浜岡原発の停止要請があり、「脱原発デモ」が大きく盛り上がり、マスメディアの世論調査でも時を経るにつれ「脱原発派」が増えていることが示された。

しかし、その動きと正反対だったのが政治の動きだった。民主党と自民党の政治家がもっとも強くエネルギー政策転換の必要性を語ったのは東電原発事故の発生直後であり、枝野幸男内閣官房長官(当時)と谷垣禎一自民党総裁だった。しかし、谷垣禎一はすぐに自民党内の原発推進勢力の突き上げに遭って発言撤回に追い込まれた。枝野幸男も菅前首相が打ち出そうとした「脱原発」を「脱原発『依存』」に押しとどめた。

それでも、まるで浜岡原発停止要請をとがめるかのように自民党と公明党の内閣不信任案提出を煽ったのが小沢一郎と鳩山由紀夫だった。鳩山由紀夫は、「小沢信者」たちさえ庇い立てすることが難しいほどの筋金入りの「原発推進論者」であり、今現在も平沼赳夫(たちあがれ日本)が会長を務める「地下式原子力発電所政策推進議員連盟」の顧問を務める。小沢一郎は代表時代の2007年に民主党のエネルギーをそれまでの「慎重に推進」から「積極的に推進」へと舵を切った。小沢自身はエネルギー政策には関心がないと思われるが、東電福島原発の利権に絡んでいるともされる。ただ、小沢は「脱原発」派にも媚を売りたいらしく、川内博史を使ってあたかも「脱原発」派に転向したかのように見せかける「飛ばし記事」を週刊誌に書かせたり(『AERA』2011年6月6日号;『kojitakenの日記』6月5日付記事「小泉純一郎に続いて小沢一郎も「脱原発」に転換、と思いきや」にて論評)、「脱原発」に目覚めたという14歳(現在は15歳)の「B級アイドル」(12月3日付朝日新聞で高橋純子記者が用いた表現を借用)の少女に手紙を送る(『kojitakenの日記』11月23日付記事「東北の被災者はシカトして14歳の少女に手紙を送る小沢一郎の偽善」にて論評)などの小細工を弄していた。

しかし現実に小沢一郎がやったことは、自公の内閣不信任案提出を煽りながら自らは欠席で逃げたことのほか、8月末に行なわれた民主党代表選で原発推進論者の海江田万里を擁立したことだった。海江田万里の擁立に関する論評としては、下記に示す8月30日付の金子勝氏のTwitterが印象に残っている。

原発推進、再生エネ妨害、TPP推進の海江田氏を候補者にした時点で、小沢グループはマニフェストを守れという錦の御旗を失いました。やりたくないことを語る海江田氏の演説は惨めでした。鹿野氏を妨害して中間派の離反を招きました。もう一度、政策の基本に立ち返ってほしい。


代表選で小沢が海江田万里を担いだことは、「小沢信者」のみならず、リアルの「小沢ガールズ」たちにも衝撃を与えたらしい。それに対して、小沢一郎が「(海江田を)俺だと思って(応援して)やってくれ」と語ったという話は、若干の表現の違いがあるとはいえ複数のソースで確認できるので、おそらく事実だろう。ここでは、『週刊現代』9月17日号掲載の記事から引用する。

 代表選直前の8月26日夜、ホテルオークラに集まったグループの議員を前に、それまで態度を曖昧にしていた小沢氏が「海江田を応援しよう」と呼びかけると、会場からは一斉に「えーっ!?」と落胆した声が上がった。特に激昂したのが、いわゆる〝小沢ガールズ〟と言われる女性議員たちだ。ガールズはこの会合後、別の店に15人が再集結。「海江田さんには決断力がない」「泣いたしね」「原発も推進派だよね」と、不満をぶちまけあったという。彼女たちを宥めるためか、間もなく小沢氏がその場に駆けつけた。すると、ガールズたちはここぞとばかりに、「なんで海江田さんなんかを!」と、ボスを吊るし上げたのだという。「彼女らの剣幕に、小沢氏はタジタジとなったそうです。あまりに突き上げが激しいため、『とにかく、今回は海江田をオレだと思ってやってくれ』と、小沢氏が頭を下げ、ようやく彼女たちも矛を収めたとか」(民主党若手代議士)


「小沢ガールズ」たちが怒ったのは当然だが、小沢一郎に頭を下げられておめおめと引き下がるあたりが情けない。結局彼女らは小沢の言いつけに従って代表選では海江田万里に投票したのだろう。

もっとも、その海江田と決選投票で争ったのが現総理大臣の「野ダメ」こと野田佳彦なのだから、どちらが民主党代表・総理大臣になったところでともに「論外政治家」であって、似たり寄ったりだったには違いない。そもそも民主党代表選で「脱原発」を訴えた人間は誰もいなかった。

海江田万里だったら小沢一郎の傀儡政権になったはずだと仰る方もおられるかもしれないが、野田佳彦にだって充分「角影」ならぬ「一影」が差している。参院で問責決議案が可決された一川保夫と山岡賢次の首を切れないことがそれを物語っている。小沢は、表で海江田万里を推す一方で、裏で野田佳彦と取引をしていたことが代表選後に報じられた。これには、野田が1993年の衆院選初当選時に所属していた「日本新党」元党首にして元首相の細川護煕が仲介したとされる。

首相に就任した野田佳彦は、発足当初、国内では「脱原発依存を継承する」と言いながら、外遊先で「世界最高水準の原発の安全性を目指す」と原発維持を明言し、さらに原発の輸出にも積極姿勢をとった。先日(16日)は東電福島第一原発が「冷温停止状態」に至ったとして事故の「収束宣言」をしたが、原発事故が収束からほど遠いことは誰の目にも明らかであり、内外の強い批判を浴びた。気づいてみれば、東電原発事故発生直後によくテレビに出ていた、関村直人東大教授に代表されるような「御用学者」の出番は少なくなり、マスメディアが普通に政府を批判するようになった。つまり、メディアは収束する気配のない事故の現状を前に、安全幻想を振りまくことが徐々にできなくなってきたのに対し、政府や経産省、電力会社などは事故の「風化」に期待してなし崩しに「原発再稼働・維持」をなし崩しで進めてきたのであって、そのことが野田政権の原発対応に7割の人が不満を持つという世論調査の結果につながった。そして、「脱原発『依存』」を目指しただけの菅内閣を不信任案で倒そうとした小沢一郎は、「野ダメ」政権の原発対応については何も語らない。このまま総選挙を迎えては「小沢チルドレン」全滅必至の小沢は、いずれ政界再編を目指すのだろうが、小沢一郎自体を排除しない限り政治の混迷は続く。

小沢一郎がいなければ、原発維持、TPP推進、消費税増税、辺野古基地建設などの方向性が強まるではないかと仰る方に言いたいのは、小沢一郎が影響力を行使している現在、果たしてそれらの動きに歯止めがかかったかということだ。小沢一郎は何もしていないではないか。ネット住民だけではなく、リアルでも鳥越俊太郎や江川紹子、それに佐藤優に取り込まれた魚住昭らなど、今なお小沢一郎に幻想を持っている「リベラル」ないし「左派」の連中は珍しくない。有名無名を問わず広く見られる小沢一郎の「剛腕」への幻想が日本の「リベラル・左派」を徹底的にダメにしていることを痛感した一年だった。年末に世間を騒がせた火山学者・早川由紀夫の暴言もろくに撃てない一部の「脱原発派」も情けなかったが、特に「小沢信者」に早川を擁護したがる傾向が強く見られた。

東電原発事故と小沢一郎以外については、今年最後の更新になるであろう次回の記事で触れたい。
前回の記事を書いた時には、特に群馬大教育学部の火山学専攻の教授・早川由紀夫だけを批判する意図はなかった(前回の記事では「地質学」と書いたが、「火山学」とするべきだったらしい)。だがその後、群馬大が早川由紀夫を「訓告」にして、それを早川自身がtogetterで拡散したため、大騒ぎになった。

私も『kojitakenの日記』などでこの件を取り上げてきたが、騒げば騒ぐほど、早川由紀夫のみならず早川と対立関係にあるはずの原発推進勢力の思うつぼにはまってしまうので、この騒動とのかかわりに区切りをつける意味も込めて今回取り上げることにする。

といっても私の言いたいことはごくシンプルである。早川由紀夫にどのような意図があるにせよ、あのようなやり方では多数派を形成することは到底できず、一部で言われているように「脱原発・反原発派」の「分裂」を招くなどして原発推進勢力の思うつぼにはまってしまう、従って、早川は結果的に「脱原発」、「反原発」を妨害しているとしかいえない、ただそれだけである。

早川は単に「ネットワーク・ハイ」になっているだけにしか私には見えないのだが、ネットの世界には「早川信者」が次々と生まれ、早川由紀夫を「殉教者」のように崇め奉っている。

このことから私が思い出したのはもちろん「小沢信者」のことである。かたや東京地検の暴走の「殉教者」となった小沢一郎、こなた「原子力ムラ」とつながった群馬大当局に迫害される早川由紀夫。この類似性に気づいた「小沢信者」たちがこの騒動に参入してきた。これが先週の「ブログシーン」だった。

ああ、あほらしい。

学問の世界、特にいくら「白」を「黒」といいくるめようが最後には自然によって嘘が覆される自然科学の世界と違って、政治では多数派を形成できなければ意味がない。そのためには、「殉教者」を祭り上げて入れあげ、自己陶酔する態度は有害以外の何物でもない。「早川信者」や「小沢信者」に見られるのはそういう態度であり、世論にとっては彼ら「信者」たちに浴びせかけられる「放射脳」という(主に)原発維持・推進勢力による揶揄の方が説得力を持つ。そんな事態を招くだけの早川由紀夫の暴言の数々には何の意味はないと言いたいのである。

あと、早川で問題なのは政府や東電よりも福島県の農民に対してすさまじい罵詈・雑言を浴びせかけていることであるのはいうまでもない。食品に含まれる放射性物質の含有量に関しては徹底的な情報公開をすべきだと考えている私から見ても、福島の生産者に対して早川が発している激烈な罵詈雑言は到底容認できるものではない。

人が住んでいる土地や従事している職業、所属している共同体から引き離されることがどういうことか、正直言って関西、中国、四国、首都圏などを移住してきた私に実感を持って理解できるかというと自信はないけれども、間違ってもゆるがせにできないことであることは了解しているつもりだ。だが、一部の「リスク厨」に代表される人々はそんなことを歯牙にもかけない。

昨年、中国地方の限界集落をとりあげた本を読んだついでに調べものをしていた時に痛感したことだが、「限界集落で農業にこだわって貧困に陥るなんて自己責任だ」と主張する新自由主義者が多かった。いま早川由紀夫や早川の主張を支持する「リスク厨」たちも彼ら新自由主義者と同類だ。「福島はもう再生できない、福島の人々は土地を捨てて逃げ出すべきだ」とはあまりにも無責任な主張である。

だが、そんな彼らの主張であっても、もし「脱原発」の実現につながるものであればまだ少しは見るべきところも出てくるかもしれない。しかし、「福島を廃県にせよ」などと主張する早川由紀夫の主張は、誰が考えたって多数派を形成するためには百害あって一利なしである。

「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」というトウ小平(「トウ」は機種によって正しく表示されないのでカタカナにする)の名言があるが、「小沢一郎であれ早川由紀夫であれ、『原子力ムラの住人たちを取り逃がす』のは悪い人間である」としか私には思えない。小沢一郎は自公の内閣不信任案提出を煽ることにより、早川由紀夫は福島の農民たちに罵詈雑言を浴びせかけることにより、それぞれ「原子力ムラ」に多大な貢献をした。

最後に、小沢一郎や早川由紀夫の信奉者たちに対して言いたいことは、政治的発言とは「反権力ごっこ」のオママゴトではないということである。彼らの多くは、前回の記事のタイトルにもしたように「反権力ごっこ」を娯楽として消費しているだけにしか、私には見えない。
「TPP」と「橋下徹」が話題をさらった11月が終わり、師走の12月となったが、今年の大きな出来事というと東日本大震災とそれに伴う東電原発事故に尽きるだろう。しかし震災と原発事故の議論は先月はTPPと橋下の陰に隠れた形となった。

このあとは消費税増税が政治の焦点になって、TPPも橋下も人々の関心の外に去るのではないかと私は思っているが、それ以上に気になることがある。それは、東電原発事故が他ならぬ「反原発派」の間で「娯楽」として「消費」されるようになってきていることだ。

具体的に言えば、急性白血病に関する話だ。誰それが急性白血病で亡くなった、その人は東電原発事故後に福島入りしていた、などという話がネットで広まる。しかし、東電原発事故が起きてから9か月も経たない現在、不運にして白血病で亡くなられた方が罹患した原因が東電原発事故であることなど断じてあり得ないのだ。それらは「根も葉もないデマ」である。しかし、次から次へとその種のデマが発生して拡散される。

誤解を与えやすいのは、「急性白血病」という病名である。名前こそ「急性」となっているが、決して「急に」発症する病気ではない。「血液のガン」と言われる急性白血病は、その大半の症例において、病気に罹患していることがわかった時点で、最初に骨髄で異常が発生した時点から年単位(2年以上)の時間が経過しているのである。つまり、「急性白血病」は「早期」に発見されることは現実的にほとんど考えられない(自覚症状もないのに非常な苦痛を伴う骨髄検査がなされれば早期発見もあり得るが、現実的な想定ではない)。だから、上記のようなネットで広まるうわさ話は「根も葉もないデマ」と断定して100%間違いない。

私の知る限り、その種のデマの早い例は、8月に東電福島第一原発で1週間働いていた従業員が急性白血病で亡くなった時に拡散された。この件に関しては、当時注目を集めた『NATROMの日記』の記事「今回報道された急性白血病と福島原発作業の因果関係は?」(2011年8月30日付、下記URL)に詳しい。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20110830

リンク先の記事に引用されている毎日新聞記事によると、

 東電によると、男性は関連会社の作業員で8月上旬に約1週間、休憩所でドアの開閉や放射線管理に携わった。体調を崩して医師の診察を受け急性白血病と診断され、入院先で亡くなったという。東電は16日に元請け企業から報告を受けた。事前の健康診断で白血球数の異常はなく、今回以外の原発での作業歴は不明という。

とのことだ。これについて、ブログ主は

作業と急性白血病での死亡の間の期間が短いことから、「因果関係がないはずがない」と、つい考えてしまうのは無理もありません。しかしながら、報道されている情報が事実だとすると、現在得られている医学的知見からは「原発事故後の作業と急性白血病での死亡の因果関係はない」と言わざるを得ません。

と断定する。その根拠として、次のように書いている。

そもそも、被曝と白血病の因果関係を我々が知っているのはなぜでしょう?それは、原爆による被爆者の中に白血病を発症する人が多発したからです。しかし白血病が増え始めるのは被爆後約2年からだとされています。急性放射線障害で死亡するほどの量の放射線被曝を受けた人が多くいたにも関わらずです。もし、被曝後数週間で白血病になりうるとしたら、広島や長崎で、同様の症例が観察されていたはずです。

さらに、0.5ミリシーベルトという被曝後、短期間で白血病になりうるとしたら、これまで、原発作業員、放射線業務従事者、医療被曝を受けた患者さんからの白血病の発症が観察されるはずです。

そうは言っても、今回の事例が特別に運の悪い事例である可能性を否定しきれないという主張もあるでしょう。しかしながら、疫学とはまた別の、白血病細胞が増殖する速度という知見からも、「8月上旬に被曝、少なくとも8月16日までに死亡」という期間を考慮するに、8月上旬の被曝が白血病の原因であるとは言えないと考えられます。

腫瘍細胞が増殖して体積が2倍になる時間を「ダブリングタイム」と言います。白血病細胞の場合は数日から10日ぐらいとされています。仮にダブリングタイムを4日とすると、1個の白血病細胞が生じてから急性白血病の症状が出るまで、どれくらい時間がかかるでしょうか。

大雑把に1兆個まで増えると白血病を発症するとして計算してみましょう。私の計算が確かなら、約160日で発症します。ダブリングタイムが2日なら80日で発症します。ダブリングタイムが1日なら40日で発症します。つまり、知られている限りもっとも早い増殖をする白血病細胞であったとしても、白血病細胞が生じてからわずか2週間あまりで発症から死亡にいたるようなことはありません。

なお「数日から10日ぐらい」のダブリングタイムは、既に白血病を発症した患者さんの白血病細胞から得られた情報です。生じたばかりの白血病細胞の増殖速度はそれほど速くないと考えられます。増殖しているうちに、より速く増殖できる能力を獲得しますし、相対的に数が少ないころは免疫系により増殖が抑制されるからです。そう考えると、「原爆による被曝から早くて2年間で白血病が発症する」という疫学的な知見は、白血病細胞が増殖する期間の知見からも、矛盾なく説明できます。

「事前の健康診断で異常がないのに、福島での作業との因果関係はないというのはおかしい」という意見もあるようです。数週間後に死亡するような病気を事前の健康診断で発見できないというのはおかしいと感じる気持ちは理解できます。しかし、報道が事実であるとするならば、事前の健康診断で白血球数の異常がなかったとしても、まったく不思議はありません。

もし、事前の健康診断で、骨髄の検査まで行えば、なんらかの異常が発見されていたかもしれません。あるいは、末梢血であっても、白血球の形態の異常の有無を顕微鏡で詳しく見ていれば、なんらかの異常が発見されていたかもしれません。けれども、白血病を疑われているわけでもない人に対する健康診断で、骨髄や末梢白血球の形態まで見る検査は行われていません。

(『NATROMの日記』2011年8月30日付エントリ「今回報道された急性白血病と福島原発作業の因果関係は?」より)


長々と引用したのは、この記事に書かれていることこそ、白血病について語る時に必ず押さえておかなければならない基本的な事柄だからだ。

私はもとより医学の専門家ではないが、必要があって白血病について詳しく調べたことがあった。その時に得た知識と照合しても、『NATROMの日記』の記述が簡潔にして要を得たものであることはよく理解できる。逆にいうと、ここに書かれていることを押さえていない議論には全く意味がないのである。

ところが、ネットで横行した議論はそうではなかった。それは、上記『NATROMの日記』の記事のコメント欄を見るだけでもよくわかる。そして、白血病で亡くなった方の死を東電原発事故と結びつける例は後を絶たなかった。

私が知る限りもっとも悪質な例は、現役の医者であって白血病に関する専門知識を十分に持っているはずの、ある九州在住の開業医が、動物保護活動をされていた女性が福島第一原発から20km圏内に入ったために白血病を罹患して亡くなったというデマを拡散したことだった。亡くなった女性の友人が、このデマを広めたTwitterのまとめサイトに抗議して、「院長」氏のブログにもそれを指摘したコメントが掲載されたにもかかわらず、「院長」氏は当該エントリに

この件に関するコメントは、以降投稿禁止処置をとります。

という冷血な文章を書き添えて、コメントを受け付けなかったのだ。

この件は思い出すのも汚らわしいので当該ブログ名も書かないし記事へのリンクも張らないが、当エントリを書くために見に行ってみたところ、コメント禁止は解除され、ブログ主の意図に沿ったコメントが掲載されていた。どこまでも卑劣な人間であり、こんなのが開業医をやっていると思うとぞっとする。

それから4か月近くが経って、またまたデマの拡散が相次いで問題になった。一つは、9月に急性白血病で死去した釣りコラムニストが「原発周辺で野宿し、釣った魚を食べていた」という噂がネットで流れた件だ。この件について、噂を否定するのであれば亡くなった方が福島で釣った魚を食べなかったことを示す挙証責任があるなどという馬鹿げた議論を、医学の門外漢であって放射性物質の拡散マップ作成に寄与した某地質学者がしていたとのことだが、上記『NATROMの日記』に書かれている通り、亡くなられた方が白血病に罹患した原因は東電原発事故ではあり得ない。地質学者氏の議論はナンセンスである。この件に関しては、『産経新聞』が(いつもとは全く違って)文字通りの「正論」の記事を書いているが、産経に一本取られるようではどうしようもない。産経の記事中にある専門家(北海道がんセンターの西尾正道院長)のコメントを以下に紹介する。

 北海道がんセンター(札幌市)の西尾正道院長は「被曝によるがんや白血病は通常、数年以上潜伏する。この時期に(原発事故での)被曝が原因で発症する確率はゼロと言い切れる」と断言する。

 西尾院長によると、被曝で細胞が傷ついてがん細胞が生じても、がん細胞が増えるには何十回もの細胞分裂が必要で、期間は年単位になるという。その上で西尾院長は「誤った情報を国民が安易に信じたり広めたりしないために、国はもっと正確で丁寧な情報発信をすべきだ」と話した。

(産経新聞 2011年12月2日付記事「『被曝発病』デマがネットで拡散 『原発周辺で釣った魚食べ死亡』 『福島にいたから急性白血病に』より)


この西尾院長のコメントは上記『NATROMの日記』の記述と一致することはいうまでもない。これが医学的な「常識」なのだ。

さらにひどいと思ったのは、東電福島第一原子力発電所の所長を先日まで務め、病気を原因に退任した吉田昌郎氏の病名が「急性白血病」であると決めつける噂が流れていることだ。まるで、「吉田前所長のかかった病気は『急性白血病』であってほしい」と願っているように見える醜い文章がネット上のあちこちに見られた。

私が調べた限り、この噂の出所は「2ちゃんねる」であり、根も葉もないその噂をブログだのTwitterだの陰謀論者と「小沢信者」の巣窟として悪名高い某掲示板などが拡散している。それらの中には、ひところは貴重な情報源として私が買っていたブログも含まれていたし、Twitterや陰謀論系掲示板のコメントの中には、勝手に吉田前所長を殺してしまっているものさえ散見された。

ここまできたら、もう呆れ返るほかはない。これらの件で騒いでいる自称「反原発」派の人たちは、実際には「東電原発事故」を「娯楽」として「消費」しているに過ぎない。私が思い出したのは「万物の商品化」という言葉だった。人々は、ネットにアクセスして、ブログやTwitterや掲示板のコメントを書く、あるいはそれらを読むというコストを支払って、人の死や病気という不幸、あるいは「東電原発事故」を楽しんでいるのだ。そんなのと比較したら、まだしも『産経新聞』の記事や、「リスク厨」たちの馬鹿騒ぎを批判する「原発容認派(あるいは推進派)」の指摘の方がまだしも説得力を持つ。これは「反原発」「脱原発」にとって危機的な状況なのではないだろうか。

放射能による白血病やガンなどのリスクが顕在化するのはもっと先の話であり、その時どの程度放射性物質の影響が出るかはまだわからない。以下、前記『NATROMの日記』の記事の結びの部分を引用する。

忘れるな

今回の東電の対応について、不満を表明している人たちが多くいます。「これ以上調査する予定はない」とした東電の対応には私も問題があると考えます。しかし、「福島での作業との因果関係はない」という結論については同意せざるを得ないのです。東電を批判するとしても、少なくとも、現在得られている医学的知見からは「原発事故後の作業と急性白血病での死亡の因果関係はない」としか言えないことを十分に理解した上で、批判するほうが望ましいと私は考えます。

「現在の科学ではわかっていないだけかもしれないだろう」という理屈でなら因果関係を疑うことも可能です。しかし、そのようなことが容認される世界では、たとえば、「1ヶ月前に撮影したCTが原因で白血病を発症した」といったクレームも容認されるでしょう。あまり良い世界だとは私には思えません。

数年後から十数年後には、今回とは違って、本当の「因果関係は不明」という事例が発生します。それまで、今の気持ちを忘れないようにしましょう。たとえば、3年後に、原発作業員からの白血病の発症が報道されたとして、現在ほどの関心を呼ぶでしょうか。東電批判が流行に終わらないことを願っています。

(『NATROMの日記』2011年8月30日付エントリ「今回報道された急性白血病と福島原発作業の因果関係は?」より)


現在のような「リスク厨」の軽挙妄動が続くと、「数年後から十数年後」には原発推進勢力の思うがままになっていて、それがいつになるかわからないさらなる将来に「第二の東電原発事故」が起きるのではないかと私は恐れる。

それともう一つ。数年後から数十年後、本当に白血病やガンによる死者が増えたとしても、個人個人の病気と東電原発事故で発生した放射性物質との因果関係を証明することは難しいことも強調しておきたい。わかるのは統計的な数字だけであって、個々の場合に因果関係をはっきり証明できる例は極めて少ない。だからこそチェルノブイリ原発事故による死者数を「御用学者」たちが過小評価するという詐術がまかり通っているのであるが、それにもかかわらず個々の症例と原発事故の因果関係は一般的には示せないことが多い。

何が言いたいかというと、誰それが白血病にかかった、それは東電原発事故のせいだ、とはやし立てることは、病気に罹患された方や不幸にして亡くなられた方の尊厳を侵すものだということだ。病気や死がはやし立てる人間の政治的な主張を強化するために利用されるのでは、やられた方としてはたまったものではない。

そんなおちゃらけた態度を排し、あくまで統計的なデータに基づいて放射線の影響を議論し、原発の危険性を訴え、「脱原発」のゴールを目指すのが「反原発派」、「脱原発派」のあるべき姿ではないかと思うのだ。現在横行している「リスク厨」をまともに批判できないようでは、「脱原発」など永遠に実現できない。

「脱原発」運動に関しては、他にも「脱原発」を妨害した某大物政治家や「『右』も『左』もない」という一種のイデオロギーによって利用されようとしているさる少女アイドルの件など、気がかりなことはたくさんあるのだが、長くなったのでこれらについては機会があれば別途取り上げることにしたい。
毎年8月は戦争に思いを致す月なのだが、東日本大震災と東電原発事故のあった今年は、原爆と原発をリンクさせることから逃げてはならないと考えている。だが、8月6日の松井一実・広島市長の「平和宣言」はそれから逃げるものだった。

この平和宣言の中に、

今年3月11日に東日本大震災が発生しました。その惨状は、66年前の広島の姿を彷彿させるものであり、とても心を痛めています。

というくだりがあるが、66年前の広島と今年の東北は違う。地震は天災だが、戦争は人災だ。さらにいうと、津波は天災だが東電原発事故は人災だ(ちなみに、東電原発事故は、単に津波による全電源喪失だけではなく地震動によって原子炉の配管などが破壊されたという説が有力だ)。その東電原発事故に関して、

「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。

と片づけられると、これはもう力が抜けてしまう。今年ほど広島の「原爆記念日」で脱力感を抱いた年はなかった。

菅直人首相はかろうじて「脱原発」を「個人の考え」としてではなく政府の立場として表明したが、既に経産省の人事争いで海江田万里-経産省官僚のラインに敗れ、原発輸出の継続を閣議決定したとあっては、その言葉に説得力があろうはずもなかった。

当日の朝日新聞も、BLOGOS編集部などは毎日新聞ともども「特集満載」だったと書くのだが、原爆特集は紙面の中ほどに追いやられていて、何か力を感じなかった。毎日新聞はどうだったのかなともちらっと思ったが、確認しようという気にもならなかった。毎日新聞の原発報道にもっとも力が入っていたのは震災直後で、これは主に社会部の記者たちの活躍によるものだったのだろう。原発推進派だった岸井成格を転向させるほどの力があったが、同紙の政治部長は頑迷固陋な保守派であって、「脱原発」の言論が活性を失ってきた現在、同紙も政治部や経済部の悪弊が目立つようになって、最近ではあまりパッとしない印象を持っている。

首都圏では東京新聞(名古屋の中日新聞が親会社)がもっとも「脱原発」に力を入れている新聞だが、同紙も定評のある社会部の記者たちの奮闘には敬意を表するけれども、論説面では高橋洋一に近い論説副主幹の長谷川幸洋がリードする形となっていて、手放しでは賛意は表せない。その長谷川幸洋はこんなことを書いている。

 首相官邸サイドは先週から、改革派官僚として知られた古賀茂明官房付審議官に数回にわたって電話し、事務次官更迭を前提にした経産省人事について相談していた。そこでは次官の後任だけでなく、海江田経産相が辞任した後の後任経産相についても話が出たもようだ。

 このタイミングで古賀に相談したのは、当然、古賀自身の起用についも視野に入っていたとみていいだろう。少なくとも、官邸サイドが「改革派の起用は論外」とは考えていなかった証拠である。

 経産省のスパイとなる官僚は官邸にいくらでもいるから、官邸サイドが古賀に接触したのは経産省も知っていたはずだ。そんな動きを察知して、経産省が先回りして松永ら3人のクビを自ら差し出し、引き換えに後任人事を牛耳ろうとしたのではないか。

 2日に海江田が官邸を訪ねて菅に後任を含めた人事案リストを提示した段階では、問題が決着していなかった。朝日が4日朝にスクープしてから、経産省は一挙に勝負に出て同日午後、なんとか安達昇格の発表にこぎつけた。そんなところではないか。


この長谷川の推測が当たっているかどうかは私は知らない。ただ、あらゆる情報は海江田と経産官僚は一枚岩、というより海江田が経産官僚の言いなりになっていることを指している。例の海江田の記者会見にしても「人事権者はあなたなんですよ」と念を押された操り人形の言葉とでも解さなければ意味が通じないものだった。

とはいえ、「改革派官僚」の古賀茂明を手放しで礼賛する、一部の「脱原発派」の論調にも私は与しない。ベストセラーになっているという古賀の著書を本屋で手に取ってページをめくってみたが、買って読む価値はないと判断した。私は当ブログでも別ブログでも古賀茂明を取り上げたことは一度もなかったはずだ。

だが、古賀茂明は評価しないけれども、今回の東電原発事故を引き起こしたばかりか、数々の問題が明らかになった原発を維持することなどとんでもない、その立場には変わりはない。あの東電福島第一原発の近くに再び人が住めるようになるのはいつのことだろうか。おそらく今世紀中には不可能なのではないかと思う。世論調査でも、「脱原発・反原発」の世論は、およそ7割から8割を占める。

それでも動けないのが権力機構というものなのだろう。「ポスト菅」として名前の挙がっている政治家たちが、ことごとく菅直人程度の「脱原発」の姿勢さえ示せないことは、当ブログでも少し前から論難しているが、最近よく頭に浮かぶアナロジーは、先の戦争に敗れた日本政府が占領軍に憲法改正案の作成を要求された時、松本烝治らが国体護持を基本として明治憲法から大きく踏み出すものではなかった憲法草案を提出して、GHQにあっさり否定されてしまったことだ。今の民主党を見ていると、当時の日本政府と同じではないかと思えてしまう。

憲法に関しては、マッカーサー草案を下地とした日本国憲法が制定された。右翼はこれを「押し付け憲法」として否定するが、GHQが叩き台とした憲法研究会の憲法草案は、古くは植木枝盛らの思想なども反映されており、日本にももともと下地があったものだ。そもそも当時「国体」と称されていたものには、明治以来80年弱の歴史しかなかった。

とはいえ、GHQの強制力なくして平和憲法が生まれなかったのは事実だ。外国からの強制力のない現在、いかに「脱原発」を実現していくかはわれわれ日本国民に問われているのだ、そうずっと思っている。

東電原発事故後、特に5月か6月頃から、書店に大量の「原発本」が並ぶようになった。その大部分が「脱原発・反原発」の立場に立つものだ。つまり、「脱原発」はもはやコマーシャルベースに乗っている。東電原発事故の直後にテレビ番組で過激な原発擁護発言を行った勝間和代の人気が、その後勝間が「脱原発」への転向を表明したにもかかわらず凋落気味であることなど、「原発推進」の方が「金にならない」のが現状だ。

しかし、東電原発事故後に新たに出版された「脱原発」本の多くは、私の心をとらえない。私が読んで「これはいい」と思ったのは、高木仁三郎著『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書, 2000年)や鎌田慧著『原発列島を行く』(集英社新書, 2001年)など、東電原発事故以前に出版された本がもっぱらだ。内橋克人『日本の原発、どこで間違えたのか』(朝日新聞出版, 2011年)も、中身は非常に良い。ただ、事故後あわてて編集されたらしく、初出が明記されていないなどの難点がある。この本では、80年代に取材を始めた時には原発に対して中立だったと思われる内橋氏が、取材を重ねるうちに原発に疑問を持つようになったことがよく伝わってくる。

ところで、現在の国政および地方行政の関係者では、自民党も民主党(菅直人も小沢一郎も含む)も「原発」にがんじがらめになっているところに、一件奔放に「脱原発」を論じているかに見えて人気を集めている橋下徹のことがどうしても頭に引っかかる。橋下は、巧みに民意の多数を占めながら国や地方の政治家がなかなか踏み込めない「脱原発」にポジショニングすることで自らの人気の浮揚を狙っている。

たまたま昨日から佐野眞一著『巨怪伝 - 正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文春文庫, 2000年=単行本初出は1994年)を読み始めている。まだ上巻の半分ちょっと、第5章までしか読んでおらず、原発どころか終戦にさえ至っていないが、正力松太郎とは橋下徹に似た人間だったんだなという思いを持ち始めている。

「原子力の父」と言われた正力松太郎は、最近では「ポダム」とのコードネームを持つCIAのエージェント、という印象が一人歩きしているきらいがあるが、正力がアメリカに忠誠を誓う「ポチ」だったわけでは全くない。警察官僚時代の関東大震災の時には「朝鮮人の煽動」のデマを自ら撒き散らして朝鮮人虐殺を招く張本人となったり、王希天虐殺事件の真相を知りながら沈黙を貫いたりなどの悪行で知られるが、1924年に事業が傾いた読売新聞を買収するや、戦時中には読者の目を引く戦場の写真を大きく掲載するなどの扇情的な紙面作りによって部数を大きく伸ばした。

以上の点が、タレント弁護士時代には光市母子殺害事件の弁護団懲戒請求を煽るなどの悪行で知られながら、当初劣勢を予想された大阪府知事選を圧勝で制するや、次々と人気とりの政策を打ち出しては大阪府民の拍手喝采を得て、現在は気に食わない平松邦夫・大阪市長を追い落とそうと躍起の橋下徹と重なり合う。

1923年の関東大震災では、東京の新聞が大打撃を食い、大阪に本社を持つ朝日(東京朝日新聞)や毎日(東京日日新聞)が勢力を拡大したが、朝日も毎日も大阪本社でお家騒動があり、朝日の騒動によって社を追われたリベラル派の記者が読売に流れ、正力による買収以前の読売は、東京でもっともリベラルな新聞だった。それを正力は、センセーショナリズムを売り物にする紙面が特徴の新聞に変えてしまい、戦争も利用して部数を拡大した。といっても読売の特徴は国家主義ではなく、あくまでセンセーショナリズムだった。もちろん私は「朝日・毎日=善玉、読売=悪玉」などという立場に立つものでは全くない。東京日日新聞の幹部は、正力暗殺を企て、正力は暴漢に襲われて大怪我をしたこともあった。その事件には、正力を快く思わない警察の一部が関与していたというのだから驚きだ。

正力が育てた読売は、その後正力自身の原発推進によって、現在でも原発推進勢力の中枢を占める。橋下徹が育てたものは、いったい日本にいかなる災厄をもたらすのか。現時点では想像もつかない。

尻切れトンボになったが、時間切れでもあり今回はここまで。この続きを書くかどうかは気分次第だ。きまぐれな個人ブログのこととて、ご了承いただきたい。