FC2ブログ

きまぐれな日々

原子力安全・保安院が、小泉純一郎政権から安倍晋三政権当時にかけての2006年と07年に、中部電力と四国電力で行われた経産省主催のシンポジウムで、電力会社の社員らに、プルサーマル計画に賛成する内容の「やらせ」の質問をさせるよう電力会社に要請していたことが報じられた。

私は正直言って、そんなことは保安院だったらほとんどすべてのこの手の催し物で手を回していたのは当たり前であって、むしろ一度でもガチンコでやったことがあったなら、その方がよほどニュースバリューがあるんじゃないかと思った。小泉政権とやらせといえば、即座に同政権が頻繁に開いた「タウンミーティング」におけるやらせの件が思い出させる。特に「郵政総選挙」で自民党が圧勝した2005年以降、強烈な原発推進政策をとった小泉・安倍政権時代には、プルサーマル計画に関するシンポジウムでも「やらせ」が行われなかったことなど、まず考えられない。

だが、このように斜に構えて「何当たり前のこと騒いでるんだ」と思ってしまうのが、おそらく私の悪い癖なのだろう。世間の人はもっと忘れっぽい。ブログで不特定多数の人に訴える場合は、己の感覚と多数の世の人たちの感覚が同じだと思ってはならないことは、ブログ開設以来の5年間にいやというほど思い知った。だから、内心食傷気味ながら、中部電と四電の「やらせ」シンポジウム、しかもやらせの張本人が原子力安全・保安院(「不安院」と揶揄されることが多い)であることが明らかになった事実を、ここに書き留めておく。

この一件で、保安院を経産省から分離する必要があるとの声が、政府・与党の政治家の間で強まっている。ここでポイントになるのが、これらの「やらせ」が小泉・安倍政権時代に行われたことだ。つまり、これまでなかなか「前政権の自民党が原発を推進したせいだ」と言えなかった民主党が、ようやくこのことで自民党を攻撃するきっかけをつかんだのだ。

鼻で笑ってしまうのは、自民党の反応だ。読売新聞時事通信といった、「保守系」とされるメディアが、自民党国対委員長・逢沢一郎らの発言を「歯切れ悪く」と報じている。以下、時事通信の記事から引用する。

保安院解体求める声=自民は歯切れ悪く-電力やらせ問題

 経済産業省原子力安全・保安院が、原発推進に肯定的な発言をシンポジウム参加者にしてもらうよう中部電力などに指示していた問題は29日、政界に波紋を広げた。自民党は政権与党当時の不祥事発覚に困惑しており、幹部らは記者会見などで歯切れの悪い受け答えに終始。与野党で原子力行政の見直し論議が勢いづくのは確実で、国会での攻防にも影響を与えそうだ。
 自民党の逢沢一郎国対委員長は同日の会見で、「やらせ」指示について「今初めて耳にする。事実であるとすれば大変遺憾なことだ」と述べるにとどめた。小池百合子総務会長は会見で記者団から質問を受けたものの、「確認してからということで答えとさせていただく」と、コメントを避けた。(以下略)

(時事通信 2011/07/29 19:35)


「今初めて耳にする」とは、なんと白々しい言葉だろうか。脱力してしまう。一昨年の総選挙で幸福実現党とコラボして話題になった "ecoyuri" こと小池百合子のコメントも、この女の「化けの皮」をはがすのに十分なものだ。もっとも、幸福実現党と選挙で「共闘」したトンデモ陰謀論者でもある小池のごとき化け猫に総務会長をまかせていること一つとっても、自民党は「終わった」政党だといえる。さらに、一連の報道からはっきり読み取れるのは、自民党の政治家たちが保安院の経産省からの分離をひどくいやがっていることである。

さらに、保安院ばかりではなく、先日のNHKスペシャルで「苦悩する原発立地自治体の首長」として同情的に紹介されていた佐賀県知事・古川康が九電の「やらせメール」事件を誘発していた悪行も明るみに出た。以下asahi.comの記事から引用する。

佐賀知事やらせ誘発 「発言軽率だったが依頼ではない」

 九州電力の「やらせメール」問題で、佐賀県の古川康知事は30日、記者会見を開き、玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)2、3号機の運転再開を巡る国の説明番組放送前に、九電副社長らに「この機会に再開容認の声を出すべきだ」と促していたことを明らかにした。この問題を調査している九電の第三者委員会は同日、知事の発言が結果的にやらせメールを引き起こしたとの見解を発表した。

 古川知事によると、番組放送5日前の6月21日朝、段上守副社長(当時)が退任あいさつのため知事公舎を訪問し、諸岡雅俊・原子力発電本部長(同)と大坪潔晴・佐賀支社長も同席した。その場で知事は「運転再開の議論を深めるには賛成、反対双方の幅広い意見を寄せてもらうことが必要。自分の所に来るのは反対意見ばかりだが、電力の安定供給の面から再開を容認する意見を出すことも必要だ」と話したという。

 ただ、会見では「やらせメールを依頼したことは全くない」「九電として何かをやってほしいという意味ではなかった」などと述べ、具体的に番組への賛成メールを増やすようなことは求めていないとした。

 九電の調査報告書によると、(知事と会談した)幹部3人は直後に番組について協議し、賛成の投稿を増やす必要があるとの認識を共有。大坪支社長から対応を指示された佐賀支社の3部長が賛成メールを投稿するよう支社の取引先26社に働きかけることを決めた。

 30日夜に福岡市で記者会見した第三者委の郷原信郎委員長(名城大教授、弁護士)によると、大坪支社長が作成した古川知事との会談メモには、知事の発言として「インターネットを通じて、賛成意見も集まるようにしてほしい」と記録されていた。メモの内容は社内の複数の関係者にメールで配信されたという。

 郷原委員長は「知事の発言は結果的に、やらせメールの引き金になった」と述べた。ただ、メモの発言内容は古川知事自身の説明と食い違い、番組へのメール投稿を、より明確に求めた表現になっている。この点について第三者委は今後、事実確認を進める方針。

 古川知事は会見で「当事者である九電に『声を出すべきだ』と発言したのは軽率で、反省している。私が言ったから(やらせメールが)行われたとは考えていない。第三者委による事実関係の解明を待ちたい」と述べた。

 7月6日に、やらせメールが発覚した際には、古川知事は「原発の運転再開に理解を、という思いからだと思うが、行き過ぎだ」などと話していた。

(asahi.com 2011年7月30日23時44分)


古川康とは、なんと呆れたペテン師なのだろうか。開いた口が塞がらないとはこのことだ。

この古川康は、父親が元九州電力社員で、それもよりによって玄海原子力発電所のPR館の館長を務めていた。古川康自身は中学生時代まで佐賀県で過ごしたあと、鹿児島のラ・サール高校に入学、東大法学部を卒業して1982年に自治省に入省し、2003年から佐賀県知事を務めて現在3期目。もちろん自民党系の知事だ。経歴からも、佐賀の「土豪政治家」といえる。土豪の御曹司が40代になって里帰りし、地元の知事になったのだ。こんな人間だから、平然と九州電力に「やらせ」を促す。この件では、九州電力も悪いけれども、経産省やその配下にある保安院、それに官僚あがりの「土豪首長」である古川康らが、一大「癒着」の構造を形成していたことは明らかだ。

一方の政府・民主党だが、党内に多数の原発推進勢力を抱えていることは周知の通り。少し前まで私は「ポスト菅」も「脱原発」を打ち出さざるを得ないと見ていたが、その観測は楽観的に過ぎたと反省している。実際に名前の挙がっている前原誠司、馬淵澄夫、野田佳彦らの主張を聞いていると、彼らはいずれも菅直人程度の「脱原発」さえ打ち出せない。いずれも民主党右派にあたるこの3人の中では、改憲派にして新自由主義者だとして評判の悪い前原誠司が「脱原発」度では他の2人よりまだまし、多少は前向きといえるほどだ。

昨日のNHKテレビ『日曜討論』では、原発推進派だとばかり思っていた玄葉光一郎が、来年夏の原発全基停止を視野に入れた発言をしていて驚かされたが、これには玄葉が福島県選出の議員だという特殊事情がある。福島では、自民党県連でさえ「脱原発」を打ち出さざるを得ないほど、県民感情が「反原発」で固まっている。東電原発事故で大きな被害を被ったわけだから当然のことだろう。だが、昨日の玄葉の発言や、先週までの間に『報ステ』で見た前原誠司と馬淵澄夫の発言を比較してみると、実質的に「ベストミックス」論に立つ馬淵澄夫や、旧態依然の原発政策維持を唱える野田佳彦らしか対抗勢力がないのであれば、早くも「自然エネルギー利権」に注目している(肯定的な表現をすれば「産業構造の変革を目指している」)ように見える前原誠司や玄葉光一郎の方がまだしも、今後の民主党をリードしていく可能性があるのではないかとふと思った。

もちろん、前原誠司も玄葉光一郎も、「松下政経塾」出身の新自由主義政治家であり、私は全く支持しないが、菅直人を除けば民主党内で原発へのこだわりが比較的少ないのは前原らであるように思われる(玄葉は無派閥とのことだが、前原との親和性が強いように私には思われる)。

野田佳彦や、野田派から分かれた馬淵澄夫は、前原らよりもっと復古的な右派であり、原発への執着は前原らより強いように思う。また、鳩山派は多くの旧民社系議員を抱えており、鳩山自身も原発推進派だ。涙を流して同情を買おうとするあのゲス男・海江田万里も鳩山派である。小沢一郎も、連合を手中にしているといわれるものの、その連合が足かせになる弱みがある。連合全体としては原発推進論を凍結したとのことだが、電力総連は相変わらずの原発推進勢力だ。そして、関西電力労組出身で原発擁護発言を繰り返している藤原正司は、昨年の民主党代表選で小沢一郎に投票し、小沢への支持拡大を呼びかけた人間である。

こう考えていくと、小沢信者が妄想するような「小沢派=脱原発、反小沢派=原発推進派」などという単純な図式には収まりそうにもない。「七奉行」の筆頭格である仙谷由人は原発推進派だが、玄葉や前原が「自然エネルギー利権」と言って悪ければ、自然エネルギー推進による産業構造の変革に目を向けている点は、「ポスト菅」の政権がいかなる政策をとるかを暗示しているといえるかもしれない。

残念なのは、民主党には「リベラル」といえる有力政治家がほとんどいないように思われることだ。自民党の「脱原発」政治家である河野太郎も新自由主義者だが、本当に市場原理を重視する政治家なら自然エネルギーに目をつけることはわかる。しかし、自然エネルギー推進は社民的立場とも矛盾しないはずだ。現に社民党はそういう主張をしている。それなのに、民主党リベラル派から力強い「脱原発」の主張で頭角を現す政治家が出てくる気配がいっこうにないのは残念だ。そもそも、「民主党リベラル派」に相当する政治家の名前さえ出てこない。だから「民主党左派なんてそもそも初めから存在しないのではないか」という疑念が頭をもたげる。小沢信者が好む、あらゆる増税(所得税や法人税も含む)に反対する「ティーパーティー」的な政治家は「リベラル」の対極にある存在だと私はみなしている。馬淵澄夫にはそういう傾向が感じられるので、強く警戒している次第だ。

結局、誰が「ポスト菅」の総理大臣になろうが日本の政治が良くなることは期待できないのが現状であって、そのことがまた閉塞感を強める。たとえば、仮に前原誠司や玄葉光一郎らが中心となる政権が成立するとして、彼らが自然エネルギーを推進し、「脱原発」政策をとったところで、それと格差や貧困の問題はまた別であり、その方面では彼らには何の期待もできない。同じことは河野太郎や「みんなの党」についてもいえる。

だからといって、小沢派の支持が得られるような政権ができ、「増税なき復興計画」とやらの「実験」を行ったとして、本当にうまく行くのか? 「復興のための消費税増税」には私も反対だが、あの経団連でさえ震災直後に政府に申し入れていた法人税の一時的増税(もちろん昨年菅政権が決断した法人税減税は凍結)による復興財源捻出の案まで、一部の学者や政治家から批判を浴びてなかなか前に進まない状態は異常ではないか? エネルギー政策では「原発」を選択肢に入れる「ベストミックス」論は認められないと私は思うが、復興や景気の回復、格差や貧困の解消のためには、増税を含む政策の「ベストミックス」が必要なのではないのか? 少なくとも再分配効果のある所得税や法人税の課税強化でさえ「日本版ティーパーティー」に相当する人たちが否定しているのは筋が通らない話だ。

これまで、私は「鼻をつまんで菅直人支持」という意見には否定的だったが、それも考え直さなければならないと思っている。菅直人にはイライラさせられ通しなのだが、それでも少なくともこの1か月は「鼻をつまんで菅直人容認」で行かざるを得ないのではないか。遅かれ早かれ民主党代表選は行われるのだろうが、次期総理大臣選びに直結するこのイベントのあと、国政の混乱がさらに深まることは避けられないと思うのである。
いわゆる原発政局は、九州電力の「やらせメール」事件で九州電力社長の眞部利應(まなべ・としお)の首が飛ぶかという情勢になり、ますます先行きが混沌としてきた。というより、多くの人々が期待しながらも実現が無理だろうと半ば思っていたであろう「脱原発」の現実味が急に強まってきた。

今回の「やらせメール」で思い出した事件が2つある。いずれも2006年の事件だが、2つは私が当ブログを開設した同年4月を挟んで起きた。

一つは、ライブドア事件に絡んだ「偽メール事件」(2006年2月)だ。先日、安倍晋三が東電原発事故の海水注入を菅直人首相が中断させたというガセネタで菅政権を追及した件も「偽メール事件」を思い出させるものだったが、それは安倍晋三が事実無根の「ガセネタ」を政府攻撃に用いたからだった。

「偽メール事件」の時には、誰が見ても怪しいと思ったであろう電子メールのプリントアウトをもとに小泉政権を攻撃した故永田寿康衆院議員(当時)と、それを後押しした民主党の前原誠司代表(同)や野田佳彦国対委員長(同)には呆れ返ったものだ。

今回は、なんでメールで「やらせ」を依頼するなどという無防備な真似を九電の課長がしたのかと呆れた。テレビ報道(テレビ朝日の『報道ステーション』)では、こんなヤラセは電力会社は昔からやっている、普段は足のつかない口頭での依頼なのだが、今回はメールで流して足がついてしまったという、匿名の電力会社社員のコメントを紹介していたが、それは私が想像していたことと寸分違わず同じ内容だったので、非常に説得力が高かった。

社長の眞部利應をはじめ、実際に指示を発したと伝えられる九電の執行役員も、それを受けて課長に直接メールを流す指示を出した部長も、皆「なんで今回に限ってマスコミに騒がれるんだ」という思いに違いない。電力会社は日常茶飯事でこんなことをやってきて、経産省も政権もグルだったのだ。だが、それは東電原発事故が起きる前の話だった。時代がすっかり変わったことを認識できなかった彼らは、常識的に考えたらバレるに決まっている手段に訴え、自分で自分の首を絞めたのだ。私は、まるで「偽メール事件のメールが本物だった」ような事件だなと思った。

もう一つは事件が世論を騒がせるにまで至った経緯だ。朝日新聞は、この「やらせメール」が「(7月)6日にわかった」と書いたが、その日には共産党の笠井亮衆院議員が国会で質問していた。そして、同党の「しんぶん赤旗」が2日付で記事にしていた(下記URL)。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-07-02/2011070201_01_1.html

しかし、もっと早い段階でこの件はネットで情報が拡散されていたのだ。それをなんとフジ産経グループの『夕刊フジ』が報じている。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1107/07/news062.html

九電の原発やらせメール、ネットで暴露されていた

九電が原発賛成のやらせメールを送るよう指示していた内容は以前からネットで暴露され、これを皮肉る“賛成メールの例文”も作られていた。

2011年07月07日 15時54分 更新


 玄海原発再稼働に向けた佐賀県民への説明番組で、九州電力が原発賛成の「やらせメール」を出すよう指示していた問題で、インターネット上では放送があった先月26日以前から、やらせメールの存在が暴露されており、九電の姿勢を皮肉る複数の例文がネットユーザーらによって用意されていたことが分かった。

 「明日の説明会で、九電がグループをあげて佐賀県民を装って発電再開容認のメールを送るよう業務命令が出されている」

 6月25日、ツイッターなどで、こんな情報が出回った。参加の方法なども詳しく記されていたため、報道各社は九電側に事実関係を問い合わせたが、広報は真っ向否定。しかし、共産党の日刊機関紙「しんぶん赤旗」は7月2日付で「九電が“やらせ”メール」などと報じていた。

 眞部利應・九電社長によると、問題のメールは、原子力発電本部の課長級社員が6月22日、子会社4社や九電の原発関連社員3人に「説明会の進行を見ながら自宅から、再開容認の立場で意見を発信してほしい」といった内容で送信。実際に何通のメールが番組に送られ、紹介されたかは把握していないという。子会社の社員は福岡市民を中心に約2300人。

 ツイッターでこの事実が暴露された直後から、ネット上では、「真摯にかつ国民の共感を得ることができる」メールを求める九電への皮肉を込めて、次のような例文が公開されていた。

 《原子力発電所とは何の利害関係もない、中立的な県民の一人です。保安院や専門家のお話をお聞きし、福島の事故は津波によるものだと確信できるようになりました。地震対策は後でもいいと感じられるようになり、暑い夏にクーラーが使える日が楽しみです》

 この例文をもとにしたメールが実際に送られたかは不明だが、やらせメールを送った子会社はすべて福岡市が本社。メールを受信した原発関連社員も、2人が川内原発(鹿児島)所属で佐賀県民ではない可能性が高い。佐賀県民は県外の“九電ファミリー”に寄ってたかって小馬鹿にされた格好だ。



私はこの話は知らなかったが、昨日の『kojitakenの日記』のエントリ「偽メールならぬ『やらせメール』が潰した『玄海原発再稼働』」に、

5年前の「安倍晋三、統一協会に祝電」の件と同様、赤旗が報じる前にネットでは知られた話だったに違いない。

と書いた。

そう、同じようにネットが火をつけ、「しんぶん赤旗」が取り上げ、『週刊朝日』や『サンデー毎日』といった新聞社系週刊誌が取り上げた政府要人のスキャンダルがあった。5年前の2006年6月、ネットの一部を中心に騒がれた「安倍晋三、統一協会系の大会に祝電」の事件だ。この事件は、私がブログで政治について書くきっかけを与えてくれた。報道が広がった経緯を、当時、2006年6月23日付エントリ「『電通と暴力団とカルトが作ったものじゃない』」にまとめたが、この件の報道は、テレビがほとんど報じず、大新聞も東京本社版や大阪本社伴の朝夕刊セット地域でベタ記事程度の扱いをするにとどまったために(当時私が住んでいた四国に配達された朝日新聞の大阪本社発行朝夕刊統合版には載らなかった)、安倍晋三にダメージを与えるには至らなかった。

今回の「九電『やらせメール』事件」は、まずネットで広がり、赤旗が取り上げたところまでは安倍晋三の祝電事件と同じだったが、マスコミが大きく取り上げたところが違った。それは、5年前の「ポスト小泉」一番手のスキャンダルよりも現在の原発問題に対する国民の関心が高いせいもあるだろうし、もしかしたら5年前と比較してネットが世論に与える影響が強くなったのかもしれない。

いずれにしても、もはや政官業労報学の六角形が(植草一秀流の言い方だが)どんなに原発を守ろうとしても守れない事態に立ち至っているといえるだろう。

そもそも総理大臣の菅直人自身が、原発問題を政権延命のダシに使おうとしている。しかし、流れの激変は菅首相自身にも到底制御できないほどだ。

菅直人は、当初は玄海原発再開を容認する意向だった。原発の「安全宣言」が海江田万里の独断だったなどと誰に信じられようか。しかし、菅直人は「安全宣言」に対する反発の強さに驚くとともに、ネットで騒がれている情報も官邸に入ったに違いなく、それで態度を豹変させたのだろう。それでストレステストを持ち出した。ストレステストはコンピュータシミュレーションだから、パラメータの設定によってどのようにも結果を操作できるという指摘もあるけれども、菅直人の意図が原発再稼働の引き延ばしにあることは疑う余地もない。過去何度も議論され、時の政権が検討を約束したこともありながら全然実行されていない、原子力安全・保安院が経産省からの分離しないままストレステストを行う主体となることの問題も議論され、保安院の経産省からの分離もようやく動くことになるかもしれない。というか、分離は必ずや行われなければならない。ストレステストの妥当性も当然議論されるだろうから、「原発を再稼働させるための口実としてのストレステスト」にしようという経産官僚のもくろみは、そうそう簡単には実現しない。

そうこうしているうちに、原発推進勢力が原発を増設するどころか、定期点検のために停止した原発を再稼働させるハードルも上がる。どこも、最初に再稼働させて国民の非難を浴びることはやりたくないからだ。「村」の論理が一転して逆方向に作用する。つまり、日本全国横並びで原発を止めているのに、それを再び動かすためには強い力、言ってみれば「剛腕」が必要になるのである。別に、特定の政治家だとか、その男が原発再開のスイッチを入れるなら支持すると表明した某電波芸者のことを言っているわけではない。ただ一つだけ今になって感心するのは、菅直人には原発の再稼働をできないと早くから見抜いていた森永卓郎(おっと実名を出してしまったw)の眼力だ。目のつけどころは良いが、原発を再稼働させたい森永の方向性には全く感心しない。

ここで話題を変え、昨夜の『報道ステーション』でも取り上げられた、原発のコストと電源三法交付金の話へと移る。トップページからご訪問の方は、下記の "More ..." をクリックすれば続きが表示される。「また電源三法の話かよ」という方は別にお読みいただかなくてもかまわない。
岩波新書の新刊である内橋克人編『大震災のなかで』という本を読んでいる。これは、岩波新書編集部によると、

 現地で活動を続けた医師やボランティアをはじめ、作家や学者ら33名が、〈3・11〉の意味、復興のあり方などについて、それぞれの思いと考えをつづります。

とのこと。それに内橋克人(と岩波書店の編集者)が編集したものだ。

3番目に柄谷行人が「原発震災と日本」という題で書いた文章が載っている。柄谷氏は、「原発に関する本以外に何も読めなくなった」と書いている。私もそうで、震災前に読み始めていた本の続きが読めなくなった。それで、全然ん本を読まない日が続いたが、ある日原発に関する本を読んだら、あっという間に読めてしまった。それで今に至る。

柄谷氏は、私は自身が原発建設に対して何の抵抗もしなかったということに、忸怩たる思いがある。

と書いているが、私も含めて同じ思いの方は多いのではないだろうか。私は、原発事故がここまでひどいものになろうとは予想もしていなかったが、被曝労働や放射性廃棄物の問題、それに今ブログでキャンペーンを張っている「電源三法交付金」による原発立地自治体の「シャブ漬け」の問題などを認識していた。でも知っていただけで何もしなかった。4年前に東電が柏崎刈羽原発の事故隠しをしたことを指摘する英語記事を訳して『kojitakenの日記』に書いたりもした。でも、辛うじてそれくらいのことをして、以前からの原発批判派だった証拠を残しているだけであって、それ以上のことは何もしなかった。

昨日、テレビ朝日の『サンデーフロントライン』で、大学を辞めて在野の科学者として原発を批判し続けた高木仁三郎(1938-2000)を紹介していた。高木仁三郎の『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書、2000年)は、現在書店に並んでいる数多くの原発本の中でも特に推薦したい一冊だ。リンクを張ったamazonのサイトに掲載されている読者レビュー10件のうち9件までが東電原発事故後に書かれている。

夜にはNHKスペシャル「広がる放射能汚染」で、放射性物質を多く含んだ雲のようなもの(プルーム)が上空を通過している時に雨が降ると、放射性物質が雨粒によって地上に叩き落とされ、ホットスポットができるのだと言っていた。その例として、東京電力の福島第一原発から100km以上も離れた栃木県のある地域で線量を計測した例を紹介していた。私は原発事故の直後から、事故の悪影響はじわじわ出てくると予想してそれをブログにも書いたが、ホットスポットの話などをよく認識していたわけではない。

この番組が終わるとNHKはスポーツニュースを始め、それが終わるとウィンブルドンテニスの男子シングルス決勝戦の中継を始めた。私はパワーテニス全盛になって以来あまりテニス中継を見なくなっていたので、新聞のテレビ欄を見ると、なんと6月に「Eテレ」に改称したらしい教育テレビの「ETV特集」で原発特集をやっていた。大江健三郎と第五福竜丸の乗組員だった大石又七氏が対話していたが、東京の夢の島に第五福竜丸が展示されていることも知らなかった。昨日、たまたま夢の島公園の横を通過し、はるか昔、関西で過ごした小学生時代にこの地名を初めて知った頃のことを思い出していたが、第五福竜丸が展示されているとは、これは一度見に行かなければならない。

番組はその後、中曽根康弘や読売新聞の正力松太郎が原発を始めた話が紹介され、読売が紙面で原発キャンペーン記事を書いた現物を画面に映し出していたが、ああ、とうとうNHKまでもがこの史実を紹介するようになったんだなあと思った。しかし、このあたりで疲れが出て不覚にも寝てしまった。再放送があれば続きを見たいと思う。

延々と書いたが、このように時代は急激に変化している。変化は被災地の福島でもっとも大きく、これまで原発を推進してきた自民党福島県連でさえ「脱原発」を掲げざるを得ないまでになっている。原発から離れれば離れるほど「脱原発」の強度は弱くなるが、首都圏ではまだかなり強く、だから首都圏での「脱原発・反原発」デモは盛り上がる。柄谷行人も参加したという6.11のデモに私も参加したが、通りがかった長距離バスが信号待ちで止まったと思うと窓が開いて、「頑張れよー」という応援の声が飛び、デモ隊が歌う替え歌にバスの乗客が唱和してくれた。道を歩いていたスーツを着た男性がデモに飛び入り参加したりもした。そのくらい脱原発の気運は高まっている。ただ、同じ東京であっても永田町は外界から遮蔽されているらしくて、未だに原発を推進した自民党を引き入れて「大連立」政権をつくろうなどという妄動を、民主党側でも岡田克也らが展開している。呆れ返るばかりのKYぶりだ。

一方、西日本ではどうなのだろうか。空気を読んで「脱原発」へと舵を切ったあの橋下徹に牽引されているようでははなはだ心もとない。橋下の狡猾さには舌打ちするばかりだが、それでも「脱原発」を言わないよりは言った方がマシには決まっている。「原発銀座」の福井に近い滋賀県では、知事が「脱原発」のスタンスを示した。

前回のエントリで取り上げた玄海原発が現在は焦点になっているが、次に注目されるのは四国電力の伊方原発だろう。四国電力も関西電力や九州電力と同様、原発依存度が高いが、伊方原発には玄海原発や高浜原発(3号機)同様プルサーマル燃料を用いた原子炉がある(3号機)。東電の福島第一原発でもそうだったが、なぜプルサーマル燃料は「3号機」にばかり用いられるのだろうか。

伊方原発に話を戻すと、これは鎌田慧が「金権力発電所」と表現した(鎌田慧著『原発列島を行く』 集英社新書, 2001年)ほど、四国電力が札束で地域の人たちのほっぺたをひっぱたいて作った原発だ。この伊方原発に関して、南海日日新聞社の社主を務めて2006年に亡くなった斉間満氏の著書『原発の来た町―原発はこうして建てられた/伊方原発の30年』が2002年に南海日日新聞社から出版されている。現在では絶版で入手困難とのことだが、pdf化されており、読むことができる(下記URL)。ちなみに私は、この本のことをブログ『SIMANTO114残日録』で知った。
http://www.hangenpatsu.net/files/SaimaIkataBook.pdf

ここには、原発建設が単に環境に悪影響を与えて放射線の危険を生じさせるだけではなく、いかに地域のコミュニティを破壊するかが描かれている。元伊方町長・井田與之平さん(1890-1990)の妻・キクノさんの自殺については、伊方原発を「金権力発電所」と痛烈に批判する鎌田慧のルポにも触れられているが、それがより詳細に記述されている。

こういう本を読むと、ますます強く原発を止めなければならないと思うのだ。「菅の脱原発は悪い脱原発、小沢の脱原発は良い脱原発」なんて言っている場合ではないし、そもそも菅直人も小沢一郎も「脱原発」などとはいえない。共産党支持者の一部には「脱原発」に冷淡な人や批判する人もいるようだが、そういう人たちに対しては、今回の東電原発事故の深刻さとか、事故前から営々と続けられた被曝労働の問題とか、積みあがる一方の放射性廃棄物の問題とか、札ビラで過疎地の人たちのほっぺたをひっぱたき、地域内でのいがみ合いや痛ましい自殺その他を引き起こした電力会社や政府のやり方(「電源三法交付金」の問題を含む)などなど、もろもろの問題をどう評価するのか聞いてみたい。

単にムード的に「政権交代熱狂に疑問を挟んだら『自民の補完勢力』になることなど、脱原発に疑問を挟んだら『原発推進派』になることとはよく似ている」などと言っている場合ではない。今朝(7/4)の朝日新聞にも、「志位氏が原発撤廃強調」という見出しの小さな記事が出ているが、それによると、志位和夫・共産党委員長は共産党の第3回中央委員会総会の幹部会報告で「多くの国民が『原発撤退』を真剣に考え、行動し始めている。その一点で広い共同をつくり上げたい」と述べて原発撤退を前面に押し出す考えを強調したという。これを「共産党も『脱原発』の翼賛体制に加わった」というのは勝手だが、原発の危険性、放射性廃棄物、被曝労働、地域の破壊などの論点について説得力のある主張を示せなければ、誰もついてこないだろう。
原発問題が政局を引き起こしている。

自民党と公明党が不信任案提出をもくろみ、小沢一郎がそれをけしかけているのは周知の通り。また、民主党の樽床伸二と自民党の菅義偉を中心とした「大連立議連」(と私は呼んでいる)には100人以上が参加し、これには「反菅」だけれども民主党なら小沢一郎、自民党なら森喜朗といった長老の支配もよしとしない連中が集まっている。それが証拠に、議連の参加者を当選5回以下に限っている。メンバーの名前は毎日新聞記事で確認できる。河野太郎も加わっているが、自民党の下村博文、民主党では長島昭久、笠浩史、北神圭朗、神風英男、吉良州司などの極右議員がキラ星のごとく並んでいる。特に長島、笠、北神は呼びかけ人に名を連ねているから、これは「大連立右翼議連」といっても良いだろう。しかしなぜか稲田朋美は入っていない。

自公政権や小沢一郎を入れた「自自公」の復活にせよ、「大連立右翼議連」にせよろくでもないが、この両者のうち特にひどいのは前者だろう。読売新聞や産経新聞は前者と結託して、あの手この手の「菅降ろし」の手を繰り出してくる。週末には、海水注入をめぐってあの安倍晋三(笑)がメルマガに書いたという「新事実」をめぐって政局に一悶着を引き起こした。3月12日に東電が原子炉に海水を注入し始めていたのを、再臨界を起きる可能性を示唆した班目春樹の助言を受けた菅直人が止めようとしたという話だが、班目が「言っていない、私に対する侮辱だ」と反論したために、騒ぎが拡大した。結局、菅に質問を受けた班目が「再臨界の可能性はゼロではない」と答えた、と言ったらしいところで話が落ち着いた。

これは、安倍晋三(というより安倍に話を吹き込んだ連中)が取り上げた題材の方が筋の悪いもので、そもそも東電の幹部が海水注入を渋った、というのはこの話にからむ時間帯よりずっと前の段階の話だ。この件を考える時に絶対に忘れてはならないのは、東電の経営陣は「資本の論理」に従って「原子炉の維持」を第一に考えて動いたのに対し、現場は事故の収束を第一に考えて動いたということであって、東電の現場と経営陣は絶対に切り分けて考えなければならない。それは、全く業種は違うけれども私自身の経験と照らし合わせてもはっきり断言できる。

安倍晋三や読売新聞や産経新聞がやりたかったことは、東電の経営陣や原発推進の政策を守ることであって、だから「東電は原子炉の維持を第一に考えて海水の注入を渋った」という定説を覆すとともに、菅政権転覆の決定打としたかったのだ。事故発生直後に「東電幹部は原子炉の維持を第一に考えて海水の注入を渋った」という定説は、今回の安倍・読売・産経の妄動にもかかわらず、他のメディアの検証などによって覆されることはなかったが、それにもかかわらず安倍らの狙いは一部達成された。それは、班目が反論して政府内で内紛が生じ、「菅政権の事故対応はなっていない」という印象を強めることには役立ったからである。

とはいえ、これは不信任案可決に向けての決定打にはならなかった。昨日のTBSテレビ「サンデーモーニング」で、毎日新聞主筆の岸井成格は、「不信任案可決のためには、民主党内の不信任案賛成者が70~80人必要だが、今の情勢だと50人いかない、だから不信任案は出せない」と断言していた。実際、以前小沢一郎が言っていた「サミット前の不信任案可決」はもはや絶望的で、自公は不信任案提出のタイミングを6月1日以降に再設定したらしい。

安倍晋三の妄動の前には参議院議長・西岡武夫による衆院での不信任案可決の督促発言があり、これに対しても岸井は「不信任案は衆院の専権事項で、参院議長が口出しする権限はない」、「三権の長が他の三権の長の首を切る発言をするのはおかしい」と正論を吐いていた。西岡は菅直人退陣論を読売新聞に寄稿し、読売は翌日の社説でこれを支持して菅退陣を求める社説を掲載した。これに対し、朝日新聞はさらにその翌日の社説で西岡の発言と不信任案提出の動きを批判した。

このように、現在、「朝日・毎日」対「読売・産経」の対立の構図になっているが、これはそのまま「脱原発」陣営対「原発推進」陣営の対立構図でもある。つまり、脱原発派であれば、自公や自自公政権が復活するくらいなら、現在の菅政権継続の方が「よりまし」という判断をせざるを得ないのだ。

それを示すもう一つの例が、同じ「サンデーモーニング」における寺島実郎と金子勝の議論であり、岸井成格の西岡武夫批判の発言を引き取った原発推進派の寺島が菅政権の退陣を求める発言を行ったのに対し、脱原発派の金子勝は「今のまま自公が政権に戻ったら、電力改革も何もできず元に戻ってしまう。自公が不信任案を出すというなら、自公がこれまでの原発推進政策の責任を認めて謝罪した上で、菅政権より良い改革案を示してほしい。それができるなら自公の主張に説得される」と言っていたが、これが番組の中でももっとも説得力のある言葉だった。

これに付け加えると、金子勝の自公批判は、2007年に民主党のエネルギー政策をそれまでの「慎重に推進」から「積極的に推進」に切り替えた小沢一郎に対しても当てはまる。小沢が実質的な「自自公連立政権の復活」を目指していることを否定することは、さしもの小沢信者にももはや不可能と思われるが、小沢もまた自公同様、電力業界の再編成を含むエネルギー政策の転換案など何も示していない。小沢の盟友・鳩山由紀夫は、ブレーンの寺島実郎と同じ「エネルギーのベストミックス」、つまり原発推進論者である。読者の皆さまには、「ベストミックス」という言葉を聞いたら、「原発推進」という意味だと認識していただきたい。

ところで、このように「自自公」は論外なのだけれど、一部の新自由主義者からの原発批判には一定の説得力がある。竹中平蔵のブレーンだった高橋洋一や、その高橋と親しいことで知られる東京新聞論説副主幹の長谷川幸洋らによる「原発利権」の批判である。一方、他の経済政策に関しては見るべきところのある「大きな政府」派の亀井静香は、鳩山由紀夫、安倍晋三、森喜朗らとともに、平沼赳夫が主宰する「地下原発推進議連」に参加するなど、こと原発政策に関しては全く評価できない。

これには、原発とはどういうものかということと密接に関連している。原発とは、原子力推進という国策に沿って、本来自由競争であればコストが高くついてどうしようもない原子力発電に対して巨額の政府支出を行って、民間部門にとってのコストメリットを生じさせた上で「国策民営」として9つの地域独占電力会社に運営させるというものだから、自由競争下では成り立たず、「国家独占資本主義」体制下でこそ成立するものなのだ。もちろん共産主義国家でも成立するわけで、だからこそソ連は原発を推進し、チェルノブイリ原発事故を引き起こした。

だから、いわゆる「新自由主義者」が本当に「市場原理主義者」であるなら、高橋洋一らのように原発批判派になって当たり前なのだ。ところが、「原子力立国政策」を打ち立てた小泉純一郎や、今回「菅降ろし」の妄動に走った安倍晋三らは、総理大臣在任中にあれほど新自由主義政策を推進しながら、原発だけは利権を解体するどころか利権をより強化した。

つまり、新自由主義と市場原理主義は同義ではない。デヴィット・ハーヴェイが言うように、「格差を固定し、富裕層をより富ませるためのプロジェクト」として新自由主義を定義すべきだ。そしてそれに当てはまる勢力が小泉、安倍や読売新聞・産経新聞などだということだ。彼らこそ、われら人民にとって最大の「敵」だといえるだろう。
毎度毎度東電原発事故に関する同じような記事を書くのは、このところ私の関心がこの一点に絞られているからで、再分配の問題になかなか時間が割けないのもそのせいだ。

で、今回は少しは他のことを書こうと思ったのだが、やはり原発のことを書く。どうしても、その時に一番書きたいことを書いてしまうが、個人ブログだからしょうがない。

今回は最初に、原発をめぐる議論において、私がもっとも強く違和感を持っていることを書いておこう。

それは、脱原発・反原発側の人でも、自分たちの力で脱原発・反原発の社会を作っていこうという気概が感じられない場合が多いことだ。たとえば政権の浜岡原発停止要請の件にしても、原発推進派である仙谷由人らには、浜岡原発以外の原発を稼働を確保するためという狙いがあるという件がある。これは仙谷自身が認めている話だし、同様のことを考えている政治家は他にも大勢いるだろうが、それを騒ぎ立てるだけでよしとする人がいる。この感性が私にはわからない。

そんなのは、止めた原発を再稼働させなければ良いだけではないか。地方選挙で、原発推進派を落選させ、原発慎重派や脱原発派を当選させれば良いのだ。また、現在の静岡県知事・川勝平太のように、菅直人とも相通じるような「鵺(ぬえ)」的な体質を感じさせる人物が首長を務めている場合、原発の再稼働を許さないような世論を醸成させていけば良い。要するに、私たち自身の手で「原発のない未来」を切り開く、という意志からすべては始まるはずだ。

一番いけないのは、腕力のありそうな誰かさんにすがる行き方であって、過去から現在に至るまで一度も「脱原発」側に立ったことのない小沢一郎を「生き仏」として崇め奉る小沢信者は、その典型といえるだろう。

最近私が痛感するのは、一昨年の「政権交代」をピークに民主党への支持が膨れ上がった弊害であって、あれでかつては旧社会党や新左翼などを支持していた人たちが民主党支持に回ってしまい、民主党の政治が自民党と大差ないことが明らかになってからも、与党内野党的な態度をとる小沢一郎に固着するという形をとり、結局かつての革新勢力が大幅に退潮してしまった。

特にもっとも退潮の著しいのは社民党であって、昨日(19日)の朝日新聞には、先の統一地方選で「反原発」を熱心に訴えた社民党の現職県議が、前回の選挙と比べて得票を千票以上も減らして落選したことが報じられていた(asahi.comには出ていないようだが、『kojitakenの日記』で紹介した)。また、社民党以外でも、東京で反原発を訴えた革新系無所属の現職候補が落選した例があった。

前回の統一地方選が行われたのは4年前の2007年で、今でも覚えているが、この当時の総理大臣は安倍晋三で、まだ「消えた年金」問題が露見したり、当時の農水相・松岡利勝が自殺する前で、安倍内閣の支持率はかなり高く、その3か月後に自民党が参議院選挙で大敗するとは思いもよらなかった頃だ。この頃には当ブログは既に開設していて、当時は毎日このブログに記事を書いていたが、日本はどうしようもなく右翼化したものだなあと日々思っていた。しかし、その当時と比較しても、現在はさらに右翼化の度合いを強めている。

なんだかんだ言って一番たちが悪いのは「小沢一郎神話」であって、小沢信者はもちろん論外だが、そうでなくても「小沢さんならなんとかしてくれる」と安易に考える人間が多過ぎる。「左」側でそれを誘導しているのが、現在「反原発」に熱心であるらしい岩上安身だと指摘する人がいて、なるほどと思うが、岩上安身批判は別途行うこととして、今日はこれ以上は書かない。

小沢信者が「小沢さんは『脱原発』だ」と主張する根拠は、しばらく前に小沢が「ニコニコ動画」で原発を再生可能エネルギーが中心となるまでの「過渡的エネルギー」と位置づけたことと、岩手県には原発がないという二点に過ぎないが、前者は小沢一郎自身が民主党に合流して、民主党の原発政策を「積極推進」に変える前の民主党の政策に立ち戻っただけに過ぎないし、後者に至っては、原発とは地元に誘致するものではないという単純な事実をわざと無視するトンデモ論だ。岩手県には確かに東北電力の原発がないが、それは単に原発を宮城県や青森県に押し付けているだけの話である。

中国電力が建設を強行したい上関原発にしても、故岸信介・安倍晋三らの地元である下関からはるか離れた山口県南東部に位置する(下関は長門国に属するが、上関は周防国に属し、長州には含まれない)。上関町の原発推進派は、「海がきれいだと都会のもんは言うが、それでは腹は膨らまない」と朝日新聞の経済記者・小森敦司に語ったという(5月20日付朝日新聞14面掲載記事=東京本社発行最終版=より)。小森記者は「毒まんじゅう」と書き、私は「シャブ漬け」と呼んでいるが、中身は同じであり、小沢一郎の師・田中角栄が始めた「電源三法」による交付金を指す。

現実に小沢がやっていることは、原発に関する自らのスタンスを隠す一方で、明らかな原発推進勢力である自公と連携して倒閣を目指していることであって、これには民主党内の中間派からも「自自公連立と同じだ」と批判を浴びているらしいが、どう考えても「脱原発」にプラスになる行動ではない。小沢一郎が連携する相手は、間違っても河野太郎なんかじゃないだろう。北陸電力(志賀原発)の匂いがする「鮫脳」のおっさんあたりではないのか。一つだけ間違いないのは、小沢が主導する倒閣が万一実現したら、東電原発事故の処理を含む原子力行政はさらに決定的に悪化することだ。

ところで、今朝(20日)の朝日新聞に、またまた加納時男のインタビューが出ているのだが、早朝に当ブログにいただいたholenailthawさんからコメントをいただいているので、以下引用する。

5月20日付け朝日新聞「耕論 原子力村」に他2氏とともに加納時男元参院議員・現東電顧問のインタヴューが載りました。
彼の見出しは「『使い走り』とは失礼千万」。
内容は言わずもがなですがちょっと抜粋すると「あくまで経済界全体の代表として出馬したのであり…日立社長、三菱重工社長も…駆けつけてくれた。経済界を挙げての『草の根選挙』だった」それ原発製造メーカーじゃないですかw
「『原子力村』という言葉自体自体差別的」「原子力産業はさまざまな分野の知見を結集しなければ成り立たない」そりゃそうでしょう。でも懐疑派は入れないのだからやっぱり「閉鎖的」と言われて当然。
「反原発を主張する研究者は出世できないそうだが、業績を上げれば昇進できるはず」「反対派では高木仁三郎さん以外尊敬できる人に会ったことがない」「そもそも『反原発』という学問体系などあるのか」もう言葉もありません。

(holenailthawさんのコメントより)


もっともなご指摘だが、私は、加納時男のような凡庸な人物がマスコミにしゃしゃり出てくれることは、原発推進派に対する国民の反感を煽る効果があるので、歓迎しているくらいだ(笑)。

今回の記事では、「原子力村」の住民でありながら、3月末に「福島第一原発事故についての緊急提言」を出した16人のメンバーである田中俊一のインタビューが加納のインタビューのすぐ下に乗っているので、ますます加納の主張の滑稽さが際立っている。

田中は縦割り行政の弊害などについて語ったあと、東電が軽水炉の安全性を軽視していたことを指摘している。以下朝日新聞記事から引用する。

 私の見るところ、東京電力は、軽水炉はもはや完成された技術で、安全研究など余計な研究開発をする必要はないという態度だったように思える。最大の電力会社が技術に対する謙虚さを失ってしまったことが、最悪の結果を招いた。

(2011年5月20日付朝日新聞掲載 田中俊一インタビューより)


私は繰り返し、営利企業に原発のプラントを運転させていることが今回の大事故につながったと主張している。東電の温存など、決してあってはならないことだ。

田中俊一は他に、40年以上前に決まった高速増殖炉による核燃料サイクルは、世界の潮流から完全に外れているのに、原子力村は今もそれにしがみついていて、原子力委員会で異論を出したら激しい反論を浴びた、まさに村社会だと言っており、「『ムラだ、ムラだ』とおちょくるのは、いかがなものか」という加納時男の能天気な発言に対する直接の反論になっている。

しかし田中は、日本では原子力への異論が「すぐに原発を全廃」という極端な意見になりがちで、そのために原子力関係者が失敗を認めにくい状況になっているとも主張している。日曜日のテレビ番組で民主党の玄葉光一郎や自民党の石破茂も同じようなことを言っていたのだが、これは言いがかりと言って悪ければ原子力屋による責任転嫁の発言であって、いただけない。

田中は「完全無欠な技術はない」というのだが、原発はそれどころか全く未完成の技術だ。というのは放射性廃棄物の問題があるからだ。既に半世紀以上前、星新一がショートショート「おーい、でてこーい」で寓話化した通りである。現在も、原発依存度が5割に達する関西電力をはじめとして多くの原発プラントが稼働しているが、要するに未来の世界の空高く開いている穴に高レベル放射性物質のゴミを投げ込み続けているようなものだ。

その他にも、原発には「被曝労働」という大きな問題もある。田中俊一のほか、現在大人気の武田邦彦らも依拠している「安全な原発推進論」もまた、強く批判されるべきだ。

繰り返すが、私たち自身が「原発のない未来」を切り開いていかなければならない。
東日本大震災で、大地震の同日に発生した東京電力原発事故に対して、原発推進勢力の動きは早かった。

テレビで御用学者に「安心」を連呼させる傍ら、3月末のテレビ朝日「朝まで生テレビ」では、司会の田原総一朗が、「原発推進政策を継続するのは当然」という前提を予め設定した上で討論を仕切るという最悪の態度をとり、それにつられたかのように、中部電力のテレビコマーシャルで原発を宣伝していた勝間和代が、

  • 放射性物質が実際よりかなり怖いと思われていることに問題があるのではないか
  • 放射線がちょっと増えただけだけなので問題はないのではないか
  • プルトニウムは、特に大きな危険はないはずだ
  • チェルノブイリの事故で小児甲状腺ガンは顕著に10倍ぐらい増えたが、それ以外の病気はクリアに見えてこない

などと、原発推進側の意見、というより暴言を撒き散らした。

同じ頃、森永卓郎

原発のスイッチを入れよ。もし小沢一郎氏が「原発のスイッチを入れる」と宣言するなら、私は彼を全面的に支持する。

と右翼雑誌(『SAPIO』4月20日号)に書いた。

だが、彼らは今回の東電原発事故を甘く見過ぎていた。おそらく彼らは、もっと早期に原発事故が収束すると考えていたに違いない。だが、メルトダウン(炉心溶融)を起こした原発の状態は、彼らが想像していたであろうような生易しいものではなかった。

前回の記事に書いたように、3月13日の新聞は、一斉に「炉心溶融」(メルトダウン)が起きたと見られると書き立てた。つまり、その時点では「メルトダウンが起きた」という解釈が当たり前だった。だが、原子力安全・保安院や東京電力が「メルトダウンとは認識していない」と繰り返し、「嘘も100回繰り返せば本当になる」を実践しているうちに、脱原発・反原発の側の人間までもが「もしメルトダウンが起きたら」などと言い出すようになった。私は、「メルトダウンならとっくに起きてると見られてるんですけど。3月13日付の産経新聞でさえそう書いてましたよ」と指摘したのだが、信用してもらえなかったようだ。

昨日(15日)になって、ようやく東京電力が発表した事故の解析結果によると、炉心溶融は津波到来の5時間半後に始まり、翌日早朝には炉心が完全にメルトダウンしていた。つまり、3月12日に悲観論者(多くは反原発ないし脱原発論者)が想定していたよりもさらにずっと早く、事態が深刻化していたことになる。

どう東電を弁護する言い方をしたところで、東電は考えられるシナリオのうちもっとも楽観的な見通しをこれまで語ってきたことになるし、おそらくは意図的に自社に不都合な情報をこれまで公表してこなかったものだろう。もし本当のことを発表していたなら、3月14日朝の段階で、玄葉光一郎が「このまま事故が収束すれば日本の原発技術の優秀さが認められることになる」といったような楽観的な見通しを口にすることなどできなかったはずだし、この時点で反原発、反東電の世論が沸騰していたはずだ。

私は12日の時点から東電非難のボルテージを上げたが、当初そのことによって相当激しく批判されたものだった。だが、やはり事故発生当初から東電を非難したことは正しかったと自信を深めるばかりだ。私は原発の技術自体には無知だが、プラントを運転する営利企業の体質に関してある種の見解を持っていて、それは企業とは「資本の論理」によって動く、というものだが、超危険な原発にさえそれが当てはまることがわかって、ぞっとする思いである。やはり、地震国日本で原発の運転を続けるのは無理だ。

たとえば浜岡原発の停止は当然だし、同原発は運転を再開せず廃炉に持っていかなければならないと思う。他にも新規の原発建設は認めるべきではない。岡田克也は建設中の原発の建設を続行すべきだと語ったというが、これは問題だ。

浜岡原発停止の是非を問うマスコミの世論調査がようやく発表されたが、原発停止を「評価する」意見が6~7割を占めた。『kojitakenの日記』に、毎日新聞、共同通信、読売新聞、日本テレビの調査結果をまとめたが、今朝の朝日新聞にも世論調査の記事が出ていた。

この朝日の調査が前マスコミの調査の中でももっとも問題含みのしろものであり、朝日は原発推進勢力から金でももらっているのではないかと勘ぐりたくなるが、今は時間がないので、今夜にでも『kojitakenの日記』で別途ゆっくり朝日新聞を批判させてもらう。「鵺」(ぬえ)とは、朝日新聞を指すためにあるような言葉だ。

朝日以外の調査でもっとも注目されるのが、事故直後の調査と比較して「脱原発」派が大幅に増えたことだ。特に、ふざけた見出しのついた読売新聞の調査でその傾向がもっとも顕著だ。読売のサイトの記事本文は読むに値しないものだが、右の方に表示されている表をクリックして拡大し、数字を眺めてみることを読者の皆さまにはおすすめする。いかに原発推進派や「原発維持」を求める意見が激減しているかが一目瞭然だ。

マスコミの調査を総合すると、現状は「脱原発・反原発」派対「原発推進・原発維持」派の比率は、3対2ないし2対1で前者が多い。日本テレビの調査になると、これが7対3くらいになる。大雑把に言って、日本国民の6割ないし7割は「脱原発・反原発」論者と言って良い。

東電原発事故が収束すれば、「人の噂も七十五日」の諺に従って原発推進論者が増えるのだろうが、事故が収束する見通しが全く立っていない以上、そうはなりようがない。

ここでもっとも問題なのは、これまで自民党政権、特に中曽根康弘や田中角栄、それにマスコミでは読売新聞や産経新聞が原発を積極的に推進してきた事実に目を向けない能天気な国民が多いことだ。

昨日のテレビ朝日の極右番組で、右翼の黒鉄ヒロシが、「原発推進の是非を争点にして解散総選挙を行え」と言っていたが、現在のように自民党が犯してきた原発推進犯罪に対する国民の評価が甘い時点でこれを行っても、自公政権が復活し、原発推進路線に逆戻りするだけだ。

たとえば自民党には河野太郎のような「脱原発」論者がいるが、原発を争点にして解散総選挙を行うというのなら、その前に自民党の原発推進論者は党を割って出て行かなければならないし、朝日新聞同様「鵺」のような民主党が本当に「脱原発」路線に舵を切るなら、旧民社や電力総連出身議員や右翼議員などを党から追い出し、選挙ではかつて「郵政総選挙」で小泉純一郎がやったような「刺客」を送り込むくらいでなければならない。現状、国民が自民党に甘いのは、「民主党だって結局は自民党と同じ」だと考えているからであって、それなら社民党や共産党に投票すれば良さそうなものだが、「政治改革」を是とする長年の刷り込みによって、「社共は論外の少数政党」という空気がすっかり日本に定着してしまった。

冗談じゃない。原発を争点にして解散総選挙を行うなら、その前に原発政策を軸とする政界再編が行われなければ理屈が合わない。そして、国民世論はこの声を盛り上げていかなければならない。

一見もっともらしいことを言いながら、実は原発推進路線の維持へと国民を導こうとする「電波芸者」どもに騙されてはならない。
東日本大震災から2か月が経過したが、震災当日に起きた東京電力の原発事故が未だに収束しないどころか、昨日になって同電力の福島第一原発1号機でメルトダウンが起きていたことを東京電力が認め、収束がさらに遅れる見通しになった。

今朝(5月13日)の朝日新聞に、事故発生直後の東京電力の内部資料が報じられているが、それを見ながら私は、ああ、当日に「2ちゃんねらー」たちが追いかけていた通りだったなあと思った。あの3月12日の土曜日、政府や保安院、東電などが何も言わないものだから、苛立った私はずっとテレビをつけっ放しにして「2ちゃんねる」にかじりついていたのだ。

「2ちゃんねる」はベントの件についてもずっと追いかけていた。ベントがなかなか進まないのは放射線量が高過ぎるからだと「2ちゃんねらー」たちは書いていたが、その通りだった。朝日新聞は、

国会では野党がベントの実施の遅れが事故悪化を招いたと批判したが、内部資料には高い放射線量下でその作業がはかどらなかった様子が見て取れる。

と書いている。

朝日には、ベント作業の際、作業員が被曝したことも書かれている。

3月12日10時57分、1F-1【号機】(引用者註=福島第一原発1号機)のベント操作で作業員が100ミリ(引用者註=100ミリシーベルト)超え

との東電内部資料が示されているのだが、この情報も3月12日当日に2ちゃんねるで流れていた。ワープロ打ちした文書をスキャナで読み取ったと見られる官邸の資料がpdfファイルでインターネットに公開されており、それにリンクが張られていたのだ。2ちゃんねらーにも慌て者がいて、「ミリシーベルト」と「シーベルト」を取り違えて、「致死量の数十倍の放射線を浴びた」と大騒ぎしていたことは、当ブログか『kojitakenの日記』に以前書いたと思う。作業員の被曝量は106ミリシーベルトだった。その後、被曝量の上限が250ミリシーベルトに引き上げられたことは周知の通りだ。

事故の対応に当たった作業員の被曝にしても、事故の起きた原発の近くにお住まいの方々についても当てはまることだが、生身の人間が被曝していることを考慮していない意見があまりに多過ぎる。「事故処理、オレなら手がある」と称して、「決死隊の突撃」を口にしたという某政党の元代表もその一人だ。決死の作業なら、事故直後からずっと続けられてきたのである。元代表はそんなことも知らないのだろうか。

福島第一原発1号機の圧力容器内に水がたまっておらず、炉心溶融(メルトダウン)が起きていたことを東電がようやく認めた件についても、3月12日に2ちゃんねるで活発に議論されていたことはもちろん、翌3月13日の新聞紙面に、毎日新聞から産経新聞に至るまですべての新聞で「炉心溶融」という見出しが躍っていたにもかかわらず、またその後にも田中俊一やら石川迪夫やらの御用学者たちが「燃料は全部溶けている」と繰り返し発言していたにもかかわらず、東京電力は昨日になるまでメルトダウンを認めなかった。これは、1号機の圧力容器の水位計が示す計測値が事故直後からずっと変わっていなかったためだというが、もちろん水位計が壊れていたためであり、東京電力は壊れた計器の値にすがって虚構の「収束計画」を立てていたことになる。

経産省の原子力安全・保安院は、燃料棒内部にある焼結された燃料が溶けて崩れることを「燃料ペレットの溶融」、解けた燃料棒が原子炉下部に落ちることを「メルトダウン」と、わざわざ別に定義したが、メルトダウンの定義の件も3月12日に2ちゃんねるで議論されていた。保安院の言う「燃料ペレットの溶融」も炉心の溶融なのからメルトダウンだとして、「広義のメルトダウンなら既に起きている」と指摘した2ちゃんねらーに対し、原発安全厨の2ちゃんねらーが「(狭義の)メルトダウンはまだ起きていない」と、噛み合わない反論をしていたのだった。

今朝の朝日新聞は、

専門家によると、実際にはこうした過程(引用者註=「燃料ペレットの溶融」及び「メルトダウン」)は短時間で進み、区別が難しい。

と書いている。つまり、狭義のメルトダウンも3月12日には既に起きていたと見られるし、そもそも「燃料ペレットの溶融」と「(狭義の)メルトダウン」をわざわざ区別すること自体ナンセンスということだ。

なーんだ、結局事故発生当初に「2ちゃんねらー」たちが言っていた通りだったじゃないか、というのが朝日新聞記事を読んでの私の感想である。「2ちゃんねらー」たちが活発に議論していた間、日本テレビ系の福島中央テレビが1号機が爆発した映像を流し、イギリスのBBCは「日本の原発が大爆発」とインターネットで全世界に発信していたのに、東京電力から官邸には何の報告もなく、この爆発が水素爆発と見られるとの推定を枝野官房長官が発表したのは、爆発から5時間も経ってからのことだった。

このように、事故発生直後から醜態を晒し続けてきた東京電力だが、その後も壊れた水位計の計測値にすがって「メルトダウン」を否定し、虚構の事故収束計画を立てていたのだ。それは根底から覆った。東電の罪深さは想像を絶している。

ところで、今回の東京電力原発事故に伴う損害賠償枠組みの決定を、政府は13日に先送りした。この政府案については、「脱原発」側の毎日新聞が「東電の責任追及が不十分だ」、「原発を抱えた民間会社としての東電存続を前提にすることで、全国10電力体制のあり方や原発政策の見直しには触れずに済む仕掛けにもなっている」と批判する一方、原発推進勢力の本家本元の一つである読売新聞は、「問題は、国の負担が極めて限られている点だ。(国は)全面に立ち、さらなる負担に応じるべきではないか」、「賠償法には、『巨大な天災地変』が原因とされれば、国が全面的に負担するとの規定もある」などと、毎日新聞とは正反対のベクトルからやはり政府を批判している。

昨日(12日)開かれた民主党の原発事故影響対策プロジェクトチームの会合で出た政府案への批判は、主に原発推進論に立つ議員から、読売新聞社説と同主旨の批判が続出したものらしい。昨日のテレビのニュースでは実名は聞かなかったが、朝日新聞には実名が出ていて、電力総連などの支援を受ける旧民社党系議員から異論が噴出して会議が一時中断したとして、電力総連(関西電力労組)出身の藤原正司参院議員の、

枠組みは国が後ろに下がりすぎだ。国の負担をもっと明確にするべきだ。

という発言を紹介している。また、毎日新聞と同様の、

東電に甘い枠組みで、これでは国民の理解を得られない。

という意見も出たと報じている。結局、午後8時すぎに荒井聰座長に一任して枠組みは事実上容認されたが、「旧民社の害毒」がまた一つあらわになった。

民主党では、旧民社だけではなく右翼の吉良州司も読売的な立場から政府案を批判したし、同じく右翼の西岡武夫が浜岡原発停止を批判するなど、どちらかというと原発推進勢力側からの首相批判が目立つ。私は、毎日新聞が書くように、「原発を抱えた民間会社としての東電存続を前提にすることで全国10電力体制のあり方や原発政策の見直しには触れずに済む仕掛け」などもってのほかだと思うので、その立場から菅政権を批判するが、自公はいうまでもなく、民主党でも旧民社や右翼議員の多い小鳩派主導の内閣になった場合にも、読売新聞的な方向性に則った政策に再転換されることは火を見るより明らかだから、現時点では菅政権の継続を容認するしかないと考えている。
まさか連休谷間の金曜日夜に、あんな発表があるとは思わなかった。

菅直人首相が中部電力に発した浜岡原発停止の要請である。私はその時出かけていて、携帯に入った当ブログへのコメントを読んで知った。

西日本では浜岡原発が話題になることなどあまりなかっただろうが、東京では違った。私が務める職場でも、浜岡原発の話題は頻繁に出ていた。現政権(民主党主流派)を支持する人は、「あんなのを運転するなんて何を考えてるんだ。とんでもない」と中部電力を批判していた。原発事故がなかなか収束せず長引くにつれ、当初の「放射性物質の大気中の飛散量は大したことない」等の楽観論は次第に影を潜めてきていて、「反原発」ないしは「嫌原発」の空気が首都を覆ってきていた。もし東京都知事選が数か月遅く行われていたら、「私は原発推進論者だ」などと福島で放言した石原慎太郎は袋叩きに遭ったのではないか。まだ、人々が内部被曝の脅威などを知らされておらず、CTスキャンでの被曝量と比較する「専門家」の粗雑な解説がまかり通っていた頃だったから、石原は福島であんな暴言を吐くことができた。どこまでも悪運の強い男である。

なぜ東京で浜岡原発の話題が沸騰していたかというと、いうまでも静岡県御前崎市にある浜岡原発から近く、もし東京電力の福島第一原発と同様の原発事故が起きた場合、西から東に吹く風によって、中部電力の本社がある名古屋以上に東京や神奈川など首都圏への影響が大きいからだ。反面、東京の人間は福井その他の原発のことはたいして気にしていない。人間とは身勝手なものなのだ。

だから、というと語弊があるが、菅首相は今後30年間に起きる確率が高いと予想されている東海地震の対策を根拠に、浜岡原発の停止を中部電力に要請した。この要請が出されるなり、テレビでネットで議論が沸騰したことはいうまでもない。

浜岡原発の停止要請に対する、各政党の政治家の反応が昨日(7日)の朝日新聞に出ていた。昨日付の『kojitakenの日記』で一部を紹介したが、与党やもともと「反原発」ないし「脱原発」の社共はもちろん、これまで原発を推進してきた自民・公明両党からも原発停止自体を表立って批判する声は出ていない。自民党でも原発利権と関係ない議員たちほど容認し、原発利権と関係していたり、石破茂のように娘が東京電力に入社した等の事情のある政治家は批判している。思想信条の左右はあまり関係なく、原発銀座・福井選出の極右議員・稲田朋美は浜岡原発停止を容認するコメントをした。無所属で、浜岡原発のある静岡県(浜松)のやはり極右議員である城内実も、少し前から「脱原発」を打ち出しており、浜松財界のドンともいえるスズキ会長の鈴木修も浜岡原発停止を支持する発言をした。

自公の批判としては、「唐突だ」とか「なぜ浜岡原発だけなのか」などの論法しか使えないのが現状だ。後者は、「脱原発」、「反原発」側をさらに勢いづけるから、自公などの推進派にとって使いにくい。

菅直人一派と激しい権力抗争を展開している小沢・鳩山派でも、鳩山由紀夫のほか小沢グループの武闘派代表とも言える森ゆうこが菅首相の判断を評価するコメントを出した。ただ、小沢一郎は今に至るもこの件に関して発言した形跡が見当たらない。東北で大地震が起きた直後にも小沢一郎は雲隠れしていたが、肝心な時になると姿をくらましたり沈黙したりするのが小沢一郎という政治家の特徴だ。いざという時には何の役にも立たない男なのではなかろうか。

小沢一郎の思惑とはおそらく異なり、普段小沢一郎に近い文化人、たとえば江川紹子も今回の菅首相の判断を支持している。また、これまで「小沢左派」系と見られてきた池田香代子は、5月1日にTwitterで、

一部に今こそ小沢との待望論がありますが、小沢一郎さんは原発容認のようです。おすすめはトリウム溶融塩原子炉というものだそうです。どうする? 脱原発にして親小沢のみなさんは?http://p.tl/Ygs5

と書いて、原発推進と思われる小沢一郎の姿勢に疑問を呈した。池田氏があげたリンク先は旧自由党・平野貞夫のコラムであり、それによると「トリウム溶融塩原子炉」が小沢一郎のおすすめなのだそうだ。この技術については、河野太郎も推進派だとの情報も聞いているが、確認はできていない。

昨日(8日)のTBSテレビ「サンデーモーニング」では、政権交代前後には「グリーンニューディール」推進派として知られ、飯田哲也やNHK取材班との共著もある寺島実郎が菅首相を批判する一方、社論を「脱原発」に転換した毎日新聞主筆の岸井成格が今回の原発停止を支持するなど、一見すると従来と立場が入れ替わったかの観を呈しているが、事実は寺島の姿勢が一貫しており、岸井成格が論調を転換したものだ。つまり、寺島は元々自然エネルギー(再生可能エネルギー)とともに原発も推進する立場だった。寺島は鳩山由紀夫のブレーンとして知られる人物で、鳩山由紀夫もこの政策に関しては立場が一貫している。だから今回も観首相の判断自体は支持しながら、併せて「安全な原発推進論」をコメントに付け加えることを忘れてはいない。それはそれで、原発推進派なりに首尾一貫した姿勢だといえる。一方、小沢一郎は「鵺(ぬえ)」そのものだ。

もちろん、今回の菅首相による浜岡原発停止要請を、今後の「脱原発」にいかにつなげていくかが大事なのであり、与野党や与党内での権力抗争など二の次三の次なのだが、それにもかかわらずなぜ延々と書いたかというと、民主党の小鳩派に「脱原発」の夢を託そうなどという一部の人たちの非現実的な妄想は、「脱原発」を実現するために百害あって一利なしと言いたいからだ。

菅首相は昨日(8日)、浜岡原発以外の原発停止を求める考えがないことを明言した。強硬な原発推進派と見られる仙谷由人はさらに踏み込んで、原発政策を堅持すると言った。今朝の朝日新聞1面に堀口元記者が書いた解説記事を読むと、

首相は浜岡原発の停止要請を東海地震との関連で「特別なケース」(菅首相)と位置づけ、エネルギー政策の見直しそのものとは切り離した形だ。政権は、稼働中の原発は安全性の確保を条件に運転を認めつつ、新規の増設は抑制するという方針で臨む考えだ。

と書かれている。概ねその通りだろうと思うし、これが現在の政権にできることの限界だろう。

今回の原発事故で、一躍環境エネルギー政策研究所の飯田哲也が注目を浴びているが、当ブログでは3年前からしばしば飯田氏の論考を取り上げてきた。今後、原発を増設しなければ原子炉が次々と耐用年数に達して原子力発電の依存度はどんどん下がってくるとは、以前からの飯田氏の指摘で、特に耳新しい話ではない。その飯田氏は、「戦略的エネルギーシフト」を提唱しているが、下記pdf資料の12ページに、廃炉に伴う日本の原発の設備容量のグラフが出ている。
http://isep.or.jp/images/press/ISEP_Strategy110404.pdf

赤線が、震災後に福島第一、第二、女川、東通、浜岡をすべて廃炉にした場合の「40年廃炉」に伴う設備容量の変遷だ。飯田氏は廃炉をさらに前倒ししたいとしているが、仮にそうせずとも、新規の原発を増設しないだけでもゆるやかな「脱原発」は進む。原発推進派にとっては、「原発の新設」が新たな目標になるのだが、そのハードルは極めて高いのが現状だ。

だから、自民党や極右の政治家でも、若い人ほど原発推進には消極的になる。先に挙げた稲田朋美や城内実のほか、大阪府知事の橋下徹が特に「脱原発」に熱心で、今回の菅首相の判断を「英断だ」と絶賛したこともその表れだ。民主党政権でも、先の短い仙谷由人は原発推進に熱心だが、若い枝野幸男は消極的だ。一方、「老害」の代表格といえる石原慎太郎、与謝野馨、平沼赳夫らは、特に強硬な原発推進派である。

積極的にであれ消極的にであれ、今後は「脱原発」に舵を切らざるを得ない。政治家の世代交代が進めばなおさらだ。今こそ、さらば原発と言おう。
連休後半の朝日新聞はウィキリークス情報で紙面を埋めている。震災前には「ミニ日経」に堕して、震災発生後は東京電力原発事故の報道で毎日新聞に大きく遅れを取るなど、さっぱり冴えなかった朝日新聞が、他人のふんどしで相撲を取ろうとしているようにしか私には見えない。

むしろ、朝日の報道で目を引いたのは、5日付の4面に掲載された自民党の原発推進勢力の妄言だ。

政界の原発推進勢力では、私は政権政党・民主党に巣食う電力総連や電機連合出身議員の批判を書いてきた。特に、関西電力労組出身の民主党参院議員で、昨年の民主党代表選で小沢一郎に投票した藤原正司がブログに書いた寝言(下記URL)はひどかった。
http://m-fujiwara.com/seiji/post-241.html

そこで、4月21日付の『kojitakenの日記』で、藤原正司をこっぴどく叩いた(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110421/1303392406

だが、戦後日本の政治で、原発を積極的に推進してきたのは、なんといっても自民党である。その自民党が本気を出せば、藤原正司程度の「トンデモ」なんてかわいいものだ。それを痛感させてくれたのが、自民党内の経済産業部会、電源立地及び原子力等調査会、石油等資源・エネルギー調査会の3つを合体させて「エネルギー政策合同会議」が発足したことを伝える5日付の朝日新聞記事だった。この会議は、電力需給政策とエネルギー戦略の再構築の検討を目的に掲げているが、朝日の記事によると、自民党幹部は「原発を守るためにつくった」と明かしたという。

この記事は、asahi.comには出ていないようだが、ネットではかなりの反響を呼んでおり、記事が出た昨日の時点で、多くのブログが取り上げている。

その中で目を引いたのが、『のらりくらりのマナビー』のエントリ(下記URL)だった。
http://wp.mfyk.net/suishin/

ブログ主は、

原発に必要性、合理性、安全性があれば現状維持くらいは支持してもいいと思っていますし、新規立地についてもきちんとした議論がなされた上で国民的合意が形成されればありえなくはないと思います。

としながらも、朝日新聞記事に書かれている自民党原発族は最低だと怒っておられる。以下、同ブログからの孫引きで朝日新聞記事を引用する。

幹部には原発推進派が名を連ねる。委員長は元経済産業相の甘利明氏。旧通産省(現経産省)出身の細田博之元官房長官が委員長代理、西村康稔衆院議員が副委員長に就いた。先月12日の会合では、幹部陣の隣に東電の元副社長で現在は東電顧問の加納時男・元参院議員が「参与」として座った。
甘利氏は「安易に東電国有化に言及する閣僚がいる」と指摘する資料を配布。会議後に河野太郎衆院議員が「原発推進派が並ぶ人事はおかしい」と抗議したが、認められなかった。

(2011年5月5日付朝日新聞4面掲載記事「自民 原発推進派はや始動 『原子力守る』政策会議発足」より)


なんとも香ばしいメンバーだ。

甘利明といえば、あの極右にして新自由主義むき出しの戦後最悪の内閣だった安倍晋三内閣で経済産業大臣を務めた男。中曽根派(のち山崎派)の世襲議員だから、バリバリの原発推進議員であるのは当然だ。しかも山崎派に属していながら2006年の自民党総裁選で山崎拓の出馬に反対し、安倍晋三の選対の事務局長を務めたり、福田康夫と麻生太郎が争った翌2007年の総裁選では山崎派の方針に反して麻生太郎を推すなど、安倍、麻生という極右政治家へのシンパシーが相当に強い。甘利自身も世襲議員にありがちな極右政治家と思われる。

細田博之も第2次小泉政権で官房長官を務めた清和会の政治家だが、出発点は通産官僚だった。西村康稔も通産官僚上がりの清和会の政治家で、安倍晋三との側近とされる。ライブドア事件当時、ライブドアの投資事業組合にかかわったとの噂が流れたが、当時の民主党代表・前原誠司が「偽メール事件」でドジを踏んでしまったこともあってライブドア事件の捜査は進まなかった。西村康稔や、西村のボス・安倍晋三にまで捜査が及ぶことを私は期待していたが、そうはならなかった。この西村康稔は、自民党が下野した一昨年(2009年)に安倍晋三らの支持を得て立候補したものの敗れている。当時私は、『kojitakenの日記』のエントリ「西村康稔のいかがわしさ」でこの男を批判した。甘利明、細田博之、西村康稔の3人は、いずれも「安倍晋三につながる極右人脈」の人間といえる。

さらに呆れるのは加納時男であり、1935年生まれのこの男は、なんと元東京電力副社長で1998年の参院選比例区で経団連が支援する「財界候補」として当選し、昨年まで2期12年参院議員を務めたあと、現在も東電顧問を務めている。この加納時男は保守本流の「宏池会」との関係が深く、保守本流も原発マネーの魅力には抗せず、原発推進勢力に取り込まれていったことがうかがわれる。

朝日新聞にはこの加納時男のインタビューが出ている。昨日のネットで話題になったのは、そのあまりにトンデモない加納の主張である。以下、『のらりくらりのマナビー』経由で引用する。

地元が要望、雇用に貢献

― 福島の現状をどう感じていますか。
 「東電出身、元国会議員として二重の責任を感じている。インターネット上で「お前は絞首刑だ」「A級戦犯だ」と書かれてつらいが、原子力を選択したことは間違っていなかった。地元の強い要望で原発ができ、地域の雇用や所得が上がったのも事実だ。」
― 原発推進のため国会議員になったのですか。
 「そうではない。当時財界と自民党との間に溝があり、経団連は財界の声を反映させたかった。特定の業界のために仕事をしてきたわけではない」
― 電力会社役員から個人献金を受け、自民党が原子力政策に甘くなったことは。
 「お金をもらったから規制を緩くしたとか、そんなことはない」
― 河野太郎氏は「核燃料サイクル」政策は破たんしていると主張しています。
「反原発の集会に出ている人の意見だ。自民党の意見になったことはない。反原発の政党で活躍すればいい。社民党に推薦しますよ。福島瑞穂党首は私の大学の後輩だから」
― 今後も原発を新設すべきでしょうか。
 「太陽光や風力というお言葉はとってもロマンがある。しかし、新増設なしでエネルギーの安定的確保ができるのか。二酸化炭素排出抑制の対策ができるのか。天然ガスや石油を海外から購入する際も、原発があることで有利に交渉できる。原子力の選択肢を放棄すべきではない。福島第一原発第5,6号機も捨てずに生かす選択肢はある」

低線量放射線、身体にいい

― 東電の責任をどう考えますか。
 「東電をつぶせと言う意見があるが、株主の資産が減ってしまう。金融市場や株式市場に大混乱をもたらすような乱暴な議論があるのは残念だ。原子力損害賠償法には「損害が異常に巨大な天災地変によって生じたときはこの限りではない」という免責条項もある。今回の災害があたらないとすると、いったい何があたるのか。全部免責しろとは言わないが、具体的な負担を考えて欲しい」
 「低線量の放射線は「むしろ健康にいい」と主張する研究者もいる。説得力があると思う。私の同僚も低線量の放射線治療で病気が治った。過剰反応になっているのでは。むしろ低線量は体にいい、ということすら世の中では言えない。これだけでも申し上げたくて取材に応じた」


「停戦料の放射線が身体にいい」というのは、「ホルミシス仮説」と呼ばれる学説だが、その名の通り「仮説」であって「定説」ではないどころか、この仮説を否定する方が「定説」に近く、ホルミシス仮説はトンデモ扱いされることが多い。つまり、加納時男は白昼堂々とトンデモを語っているのであり、こんな男が東京電力の副社長を務め、経団連の中枢を占め、自民党の参院議員にまでなった。

要するに、東京電力はカルト企業であり、経団連はカルト団体であり、自民党はカルト政党だということだ。日本はこれらのカルト組織に牛耳られてきた。その結果が東電原発事故だったというわけだ。

朝日新聞には、加納時男にこき下ろされた河野太郎のインタビューも出ている。河野は、原発の「安全神話」を、「おとぎ話で作られた神話」だとして批判し、神話を作った中心は自民党と経済産業省、電力会社だと言っている。加納時男は東大法学部を卒業して東京電力に入社した生え抜きの東電人だから、経済産業省に所属したことはないが、電力会社を経て自民党議員になった男だ。

河野太郎は、「政・官・産・学・メディアの五角形が『安全神話』をつくった」と言っているが、私はこれに「労」、つまり連合(特に電力総連や電機連合などの御用組合)も加えた六角形としたい。「五角形」は民主党小沢系の某トンデモ投資コンサルタントを連想させるので避けるべきだ。

それにしても河野太郎の主張は日に日に過激さを増しており、甘利明の会議、つまり「エネルギー政策合同会議」を批判し、「次の選挙でそういう議員を落とすしかない」とまで言っている。つまり河野は、甘利明や細田博之や西村康稔、ひいては安倍晋三を落選させよと言っているのだ。さらに河野は「政府には原子力政策を促進した中曽根康弘元首相に近い与謝野馨氏がいる。与謝野氏の発言は、明らかに東電を守ろうとしている」と指摘するが、これは正しい。消費税増税厨でもある与謝野は政権きっての原発推進厨であり、こんな人間を内閣に引き入れた菅直人の罪は極めて重く、この事実が河野太郎に「倒閣」を口にさせるのだろう。

だが、河野が自民党の要人たちを批判する一方、加納時男から「社民党に推薦する」などと言われる現状は、仮に倒閣が実現したところで、現在の情勢では間違いなく自公政権が復活し、原発推進政策が維持されてしまう。下関の安倍晋三や、兵庫県でも田舎の西村康稔は、東電原発事故の影響を受けていないから選挙で落選するはずもなく、彼らが日本のエネルギー政策を左右することになれば目も当てられない。民主党の小鳩派が権力を握った場合も同じで、鳩山由紀夫は旧民社の支持を得てのし上がった人間だし、小沢一郎は連合を掌中に収めていると言われているが、裏を返せば連合の機嫌を損ねることは小沢一郎にはできないということだ。

だから、現状では河野太郎が何を言おうが「ごまめの歯ぎしり」の域を出るものではない。単なる倒閣であれば、かえって原発推進勢力を利してしまう。

もういい加減、河野太郎は自民党を割って出るべき時ではないか。河野太郎の父、河野洋平が1976年に自民党を抜けて新自由クラブを結成したように。それから35年。当時の河野洋平より現在の河野太郎の方が年上だろう。

河野太郎は新自由主義者だから、やはり「脱原発」を模索しているらしい、同じ系列の「みんなの党」とくっつき、「みんなの党」の路線を「脱原発」に転換させて勢力を大きくする手もあるかもしれない。私は、新自由主義政党など決して支持しないが、もし新自由主義系であれ「脱原発」の政党ができれば、「脱原発」の一点に限っては支持する可能性もある(間違っても選挙で投票はしないが)。「みんなの党」にしたって、渡辺喜美は当初「劇団ひとり」とバカにされていたが(当ブログも渡辺をバカにしていた口だし、今でも渡辺喜美という政治家は大嫌いだが)、結局「みんなの党」は支持を拡大し、かなりの勢力を占める政党となった。国民の間に根強い「社共アレルギー」には私には頭が痛いが、右側・新自由主義側からもきちんと「脱原発」「反原発」を言える政治勢力が出てこないと、国民の声を反映した政治にはならないことも明らかだ。

いずれにしても河野太郎は動かなければダメだ。このままでは、自民党なり民主党小鳩派なりの原発推進勢力を利するだけだ。いわゆる「小沢信者」の間ではトンデモ学者の武田邦彦が大人気らしいが、ああいう「安全な原発推進」派も、れっきとした原発推進勢力の一員だ(勝間和代も同様だろう)。

「反原発」「脱原発」の世論が高まってきたとはいえ、政財界や労働界ではまだまだ原発推進勢力が圧倒的な力を保っている。これらを打破するためには、「脱原発」勢力の中でももっとも目立っている河野太郎が自民党にとどまっているようではどうしようもないだろう。
明日からゴールデンウィーク。私は暦通り、3連休、出勤、3連休、出勤、連休(土日)の予定だ。

今年はたいへんな春だった。東日本大震災で被災された方々のご苦労はいかばかりだろうか。心よりお見舞い申し上げる。

東日本大震災では、福島第一原発で大事故が起きたため、この問題ばかり追い続ける羽目になった。原発のおそろしさが現実のものとなった事故だからやむを得ないと考えている。

大地震及び原発事故から1か月半以上が経過した現在求められるのは、当初政府や東電が隠蔽していたものの徐々に明らかになった情報を再検証し、原発事故の経緯を振り返ることだろう。

最終的には「レベル7」の大事故と判定されるに至った原発事故だが、原子力安全・保安院は当初、「事故」ではなく「事象」の範疇に属する「レベル3」と暫定的に判定していた。枝野幸男官房長官が「爆発的事象」という意味不明の日本語を使っていたのはこれが理由だ。

「レベル3」の事象というのはいくらなんでも楽観的に過ぎたにしても、事故後最初の3日間は「レベル7」には至っていなかった。それが、おそらくは格納容器につながる部分の損傷により大量の放射性物質が漏出し、15日には「レベル7」に至った。

ここで、菅直人首相が東電幹部を怒鳴りつけたのが3月15日の早朝だったことを思い出そう。あの時、東電幹部は、おそらく現場から放射線量が多過ぎて手に負えないという報告を受け、事故対応からの撤退を言い出し、菅直人はそれに切れたのだった。大量の放射性物質の漏出は、遅くとも15日未明までには起きていた。当時私は、ようやく政府が東電を管理下において統括する姿勢を見せたことを評価したが、今にして思えば、評価するも何も、そうせざるを得ないほど事態は緊迫していたのだ。あの時、保守マスコミは「東電を怒鳴りつけても萎縮させるだけだ」として菅直人を批判したが、これなど見当違いの論外な批判だったことがわかる。

4月20日付の東京新聞は、政府が3月15日、福島原発で事故対策にあたる作業員に限り、被曝限度を従来の計100ミリシーベルトから250ミリシーベルトにする規則の特例を定め、17日には自衛隊員や警察官、消防隊員などに対する限度も同様に引き上げたあと、政府がさらに被曝限度を引き上げて「救命時は無制限」にしようと検討したことを報じている。

原発とは、緊急時にこういう作業が存在することを容認せざるを得ない技術なのだ。原発を推進した者ばかりではなく、原発を消極的にだろうが容認した人間、さらには原発推進を阻止することができなかった原発反対派にも責任がある。上記東京新聞が報じた政府の方針を軽々しく批判することはできない。これは原発を建てた以上、避けて通れない選択なのだ。私はこういう事態に二度と陥らないためにも、原発を段階的にであれ撤廃せざるを得ないと考えるが、今後は今後として、今回政府がこういう検討をしたことは批判しない。

思い出すのはひところ話題になった「暴力装置」という言葉であり、政府こそ合法的な暴力装置なのだ。政府にこういう命令を下させまいとするなら、これはもう原発を撤廃するしかない。

私は事故発生直後に政府と東電を激しく批判し、3月15日に政府が東電を制御下に置いたあとは、もっぱら東電を激烈に批判してきたが、これに対して、「この非常時に東電批判は行うべきではない。事故が終息してから東電や原発の批判はいくらでもできる」と主張された方もおられた。だが、その主張は誤りだと今になって強く確信する。というのは、どんな非常事態であってもそれが日常と化してしまうことを、この1か月半でいやというほど痛感したからだ。

政府や官僚や電力会社(何も東電だけではなく原発を持っていない沖縄電力を除く9社すべて)が言い続けてきた「絶対に起きない」事態は今も続いており、先日の朝日新聞の報道によると、原子力安全委員会が、事故発生4日後の3月15日までの放射線の総放出量が19万テラベクレルであったのに対し、4月5日時点での1日当たりの放射能放出量は154テラベクレルだったとの試算を明らかにした。放出量のピークだった3月15日に15万テラベクレルが一気に放出されたと仮定すると、現在の放出量はその頃の千分の一程度になっている。しかし、同時に注意しなければならないのは、仮に4月5日時点での放出量が1年続くとすると、あとから放出された放射線量だけでも「レベル7」に相当する5万テラベクレルを超えてしまうということだ。

だが、こんな異常な事態でさえ日常と化してしまっている。東京で配られた今朝の新聞の折り込みチラシは、大型連休の直前ということもあって、震災前と変わらないと思えるほどの分厚さだった。権力のやることも、朝日新聞が書くことも、テレビ朝日でキャスターがしゃべることも、以前と同じに戻りつつある。自民党や民主党の小沢派はおろか、馬淵澄夫ら民主党の「親菅派」でさえ復興の財源としての消費税増税に反対しているのに、朝日新聞と与謝野馨と菅直人は消費税増税に執念を燃やすし、一色清に代わってテレビ朝日に出演するようになった朝日新聞の五十嵐浩司という記者は、日本人はこれだけの大事故があっても冷静だ、なぜなら世論調査で原発の縮小や廃止を求める意見は4割なのに、増強または現状維持を求める人は6割もいるなどとほざいていた。ひどいネオリベだった経済記者出身の一色清に代わって、外報部出身の五十嵐浩司に代わって少しはマシになるかと思ったが、とんだ見当違いだった。世論調査の読み方については、当ブログの前々回のエントリで書いたが、毎日新聞の調査では縮小や廃止を求める意見の方が多かったことを五十嵐は意識的に無視して、原発温存へ世論を誘導しようとした。

そして朝日新聞はチェルノブイリ原発事故25周年という特別な日に、なんと原発を推進した張本人・中曽根康弘の巨大なインタビュー記事を掲載するありさまだ。あの岸井成格が主筆を務める毎日新聞でさえ社論を「脱原発」に転換したから、朝日も変わるかと思っていたが甘かった。朝日はやっぱり朝日だった。

政治家もひどくて、東京都知事の石原慎太郎は「震災は天罰だ」と言ったり、わざわざ福島まで「私は原発推進論者」だと言いに行った。与謝野馨は、壊れたレコードのように「自民党の原発推進政策は間違っていなかった」と連呼する。民主党でも鳩山由紀夫は毎日新聞の取材に対して、絶対に大惨事をもたらさない原発システムを研究すべきだ、日本が原発を売り込むベトナムでは、事故を契機に技術が進むとの期待もある、などと答えて、今でも原発推進の姿勢を崩していないことを明らかにした。

要するに、日本に限らないかもしれないが、社会においてもっとも強く働く力は慣性力(惰性)であって、一度方向づけがなされたら、それを止めることは難しい。これは何も政治の世界に限った話ではなく、日々の仕事を通じて痛感されている方も多いだろう。私もその一人だ。

だからこそ、政府批判や東電批判、それにこれまで原発を推進してきた勢力(自民党、民主党、電事連、電力総連、電機連合など)を、事故が起きた瞬間からずっと、特にもっとも危機的な状態にある時にこそ強く批判しなければならないのである。その時の批判の強さが、その後の政策や大手マスコミの社論の転換につながる。批判の自粛などもってのほかだ。今回は、世論の批判がかなり強かったから毎日新聞も社論を転換したし、菅直人も原発推進の政策を白紙に戻すと発言し、自民党総裁の谷垣禎一でさえ一時は原発推進政策の見直しを口にした。だが現在は、原発推進派の巻き返しが目立つ。鵺(ぬえ)的な朝日新聞は、結局社論の転換にまでは至らなかった。先日の五十嵐浩司の発言などを聞いているとそう判断せざるを得ない。

一方で橋下徹が「原発新設を止める」ことを関西広域連合に提案する動きもあり、綱引きは活発だ。関西の場合、関西電力の原発依存度が5割近くに達していて、仮に福井に大災害があった場合などに想定されるリスクが大き過ぎる問題があるが、そういった特殊事情は別にしても、現在は「脱原発」の流れがまだ強い。この流れを大事にしなければならない。

原発反対派や慎重派は、この流れが主流になるように、根気よく、というより執念深く発言を続けて行かなければならないと考える次第である。