きまぐれな日々

当ブログは、平日は朝に記事を公開することが多い。夜は、9時台にアクセス数のピークがあり、10時台、11時台とアクセス数が減っていくのが普通だ。

だが、一昨日(12日)は様相が違った。午後11時台にアクセスが急増したのだ。アクセス解析を見てみると、検索語に「稲田朋美」を用いた検索エンジン経由の訪問が、午後11時23分以降急増していた。

この日は、夜のニュース番組を見ていなかったのだが、おそらくテレビで稲田について何か報じられたのだろうと思った。しかし、ネット検索では何も分からなかった。そこで、某所で質問をしてみてご存知の方に教えていただき、ようやく事情がわかった。

下記の朝日新聞記事をご覧いただきたい。
http://www.asahi.com/national/update/0312/TKY200803120422.html

国会議員横ヤリの「靖国」試写会に80人 偏向指摘も

2008年03月12日23時16分

 靖国神社を題材にした中国人監督のドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の国会議員向け試写会が12日夜、都内で開かれ、約80人の議員らが出席した。試写を求めていた自民党の稲田朋美衆院議員は「偏ったメッセージがある」と話し、映画に政府出資法人から助成金が出されたことの是非を、さらに検証し続ける姿勢を示した。(以下略)

(asahi.comより)

このニュースがTBSの「NEWS23」でも報じられ、検索語「稲田朋美」で当ブログにたどり着かれた方が多数おられたという次第だ。

靖国神社に関する映画を検閲しようという、いかにも自民党タカ派的な発想が端緒となり、映画会社がこれを拒否して、逆に全議員を対象に異例の試写会を開いたものだ。

上記朝日新聞記事からさらに引用する。

 映画は4月12日から都内と大阪の計5館で公開予定で、昨年12月からマスコミ向け試写が始まっていた。映画の中で南京事件の写真が使われていることなどから、週刊誌などが「客観性を欠く」「反日映画」などと報道。政府出資の基金から助成金が出ていたことも問題視した。これを受け稲田議員は「助成が適切だったかどうか、議員として検証したい」とし、同議員が会長を務める自民若手議員の勉強会「伝統と創造の会」と、同じく同党議員でつくる「平和靖国議連」との合同の試写会を、文化庁を通じて要請していた。

(asahi.comより)

要は一部の右翼週刊誌が稲田らをたきつけて、ヒョイヒョイと稲田がそれに乗ったというワケだ。NHKの番組を改変させた安倍晋三や中川昭一と同じ発想である。しかも、肝心の映画の内容は、自民党のタカ派議員仲間である島村宜伸衆院議員が「一貫したストーリーを見せるというよりは、様々な場面をつなげた映画。自虐的な歴史観に観客を無理やり引っ張り込むものではなかった」(前記朝日新聞記事より)と述べるなど、右派を刺激するような内容では全くなく、稲田は振り上げた拳の下ろしどころがわからず恥をかいた格好だ。

そもそも、「稲田朋美」の検索語で当ブログが上位で引っかかるのは、以前に公開した下記記事がアクセスを集めたからだ。

"嘘つきが「教育改革」を進め、テロ肯定者が「伝統と創造の会」を主宰している"
(2006年11月23日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-184.html

上記URLの記事に書いたように、稲田は一昨年夏に起きた加藤紘一衆院議員の実家への放火事件を笑いものにした。この事件は、加藤が当時首相だったコイズミが靖国神社に参拝しようとしていたことを批判したために起きた。言論の自由に対する許されざる挑戦だが、稲田はあろうことかこのテロを肯定したのである。こんな人物が国会議員をやっていること自体許されないと私は思う。

そして、映画を検閲しようとした今回の件も、いかにも稲田らしいというほかない。稲田は衆議院福井1区選出の議員だそうだが、次の総選挙では稲田を落とすべく、福井1区の有権者には良識を求めたいし、野党には強力な対立候補を立ててもらいたい。

[追記] (2008.3.15)
最初にこの件を問題にした右翼週刊誌というのは「週刊新潮」(2007年12月20日号)だったようだ。


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今日(4月29日)の祝日は、昨年までの「みどりの日」が「昭和の日」に改称されたものらしい。祝日法が改正されて「昭和の日」に改称されたことは知っていたが、施行が今年からとは知らなかった。

私の周囲の人も、「昭和の日って何だ?」などと言っているから、知らない人が多かったのだろう。

この改称に至るまでに、改正法案は確か二度廃案になったはずだ。私の記憶では、この案が7年前の2000年に報道された時、フジテレビの田代尚子アナが、「個人的には『昭和』に愛着がある」として、暗に「昭和の日」への改称を支持する発言をしていたのを聞いて、やっぱりフジのアナウンサーだけあって右寄りなんだな、と大いに失望したのを覚えている。

その後、保守化の流れに乗じたのか、三度目にして「昭和の日」への改称が決まったのだが、4月26日に朝日新聞が卜部元侍従(故人)の日記の内容を報道したのは、明らかにこの第一回の「昭和の日」に合わせて、前々から朝日が決めていたことだろうと推測するし、この推測には自信を持っている。

『逝く昭和と天皇、克明に 卜部侍従32年間の日記刊行へ』 (朝日新聞 2007年4月26日)
http://www.asahi.com/national/update/0426/TKY200704250363.html
(リンクが切れている場合は下記まで)

この「卜部日記」でもっとも注目されるのは、昨年7月に日経新聞がスクープした「富田メモ」で明らかにされた、A級戦犯の靖国神社合祀(1978年)に対して昭和天皇が不快感を持ち、以後靖国神社に参拝しなかったという事実を、卜部元侍従の日記も裏付けていることだ。

これは、実は「富田メモ」のスクープ以前から知られていたことであって、現に私は「富田メモ」スクープの半月前の昨年7月5日に、『靖国神社と昭和天皇』 という記事を書き、その中で藤原肇の 『小泉純一郎と日本の病理』 (光文社、2005年)が、下記のように指摘していることを紹介した。

靖国神社を政治的に使った人物としては、1978年に第6代宮司になった松平永芳(1915-2005)がいる。彼は松平恒雄駐英大使(1877-1949)の長男であり、海軍機関学校を出て海軍に任官し、戦後になって自衛隊を一佐で退官して、宮司になるとA級戦犯 class-A war criminal の合祀 honor collectively を独断で密かに実行した。この実行を知って激怒 get mad した昭和天皇 Emperor Hirohito (1901-1989) は、それ以降は大祭への参拝を中止してしまい、皇室と靖国神社の関係は険悪になっている。 事実、天皇家は靖国神社について一切口をつぐんで keep their lips buttoned いる。』
(藤原肇著「小泉純一郎と日本の病理」より)

この記事は、公開した半月後に「富田メモ」がスクープされた時、検索語「靖国神社 昭和天皇」でGoogle検索をかけると、第5位で検索されたため(当時)、全くの零細ブログだった当ブログに多数のアクセス(といっても1000件弱)をいただいたため、たいへん思い出深い。

こういういきさつがあるから、今回朝日新聞が明らかにした「卜部日記」の記述にも、さもありなんと思うだけなのだが、「富田メモ」のスクープ当時、2ちゃんねらーを中心とするネット右翼が「富田メモが捏造であることを証明した」とバカ騒ぎをしたことには呆れ果てたものだ。それは、「富田メモ」スクープの5か月前の昨年2月、当時民主党議員だった永田寿康が、ライブドア事件で武部自民党幹事長(当時)を追及しようと持ち出した「堀江メール」がニセモノであることを彼らが「検証」したのと同じノリだったのだ。

「堀江メール」は結局ニセモノだったが、彼らの「検証」というのもきわめて怪しくて、たとえば彼らは、永田が見せたメールのコピーには、「堀江」ではなく「掘江」とタイプされていると主張していたが、それは事実に反していた。そんな調子だったから、「富田メモ」が捏造であると「証明した」という彼らの主張には、「ハイハイ、ご苦労さん」としか思わなかったし、「富田メモ」が本物であることは、私には疑問の余地はないように思われたのである。

しかし滑稽だったのは、2ちゃんねらーや「きちが石根」(当時有名だった右翼ブログで、「アインシュタインの予言」 なるデマを広めたことでも知られる) だけならともかく、岡崎久彦櫻井よしこまでもが、テレビで富田メモの「捏造説」をほのめかす発言をしていたことだ。結局今回公表された「卜部日記」の下記の記述が、「富田メモ」の信憑性を裏づける結果となった。

前述の朝日新聞記事は、下記のように書いている。

 靖国神社参拝取りやめの理由についても記述されている。

 最後となった天皇の記者会見から数日後の88年4月28日。「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁(はいえつ)のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」。「靖国」以降の文章には赤線が引かれている。

 昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を吐露したとみられる富田朝彦宮内庁長官(当時)のメモも同じ日付。天皇は富田長官と前後して卜部侍従にも戦犯合祀問題を語っていたことになる。そして、卜部侍従は亡くなる直前、「靖国神社の御参拝をお取りやめになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」(01年7月31日)と記している。

(前記朝日新聞記事=2007年4月26日付=より)


「富田メモ」の真贋については決着がついた。29日朝のフジテレビ「報道2001」も、潔くこのことを認めていた。

結局、岡崎や櫻井は赤っ恥をかいた形だ(笑)。そういえば、「アインシュタインの予言」についても、平沼赳夫が肯定的に引用していたことがあった。

この「卜部日記」については、例によって立花隆さんの論考(「メディア ソシオ-ポリティクス」第105回 『"A級戦犯合祀が御意に召さず" 卜部侍従日記が明かした真実』、下記URL)が参考になるので、紹介しておく。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070427_urabe/

この記事の冒頭で、立花さんは、
『間もなく昭和天皇没後19回目の「みどりの日」(旧天皇誕生日)になるなと思っていたら、朝日新聞が一面トップで、「卜部侍従32年間の日記」を入手し、それをはじめて公開するという大ニュースを報道をしていた。』
と書いているが、どうやら立花さんも「昭和の日」への改称を失念されていたのではないかと思う。

立花さんは、同じ記事の中で、以下のように指摘している。

小倉侍従日記によって見ても、天皇が戦争初期(日中戦争)は悩み苦しみつつなんとか戦争のこれ以上の拡大は食いとめようと努力していたことはわかる。しかし途中から天皇の気持ちが変わってしまう。

「戦争はやる迄は深重に、始めたら徹底してやらねばならぬ。また行はざるを得ぬ」

と考えるようになったからである。

そして、1941年12月8日、太平洋戦争が、ハワイの真珠湾攻撃とマレー沖海戦の大勝利ではじまり、その後も年内は勝ち戦をつづけていく過程で、天皇も急に楽観論に転じてしまうのである。

12月25日の記述にこうある。

「常侍官出御の際、平和克服後は南洋を見たし、日本の領土となる処なれば支障なからむなど仰せありたり」

天皇はもう戦争に勝ったつもりになっているのだ。平和になったら日本の領土になった南洋を視察に行きたいなどといいだしているのだ。

日本人全体がこの当時、緒戦の勝利に酔って浮かれていたのだが、天皇もまた浮かれていたということなのだろう。

だが、このように勝利に浮かれていたこともあるとわかると、天皇にも戦争責任ありの声が強くなってくるだろう。

(立花隆 「メディア ソシオ-ポリティクス」 第105回 『"A級戦犯合祀が御意に召さず" 卜部侍従日記が明かした真実』 より)

昭和天皇は確かに戦争初期には戦争に反対しながらも、対米開戦前後にはむしろ戦争を肯定していたことは、これまでにも指摘されていた。

戦争末期には早期の終戦を希望し、敗戦後はA級戦犯の靖国神社への合祀に激怒していたこともまた事実だが、昭和天皇にも重大な戦争責任があったことは、もはや動かしがたい事実であると私は考える。

もうそろそろ、昭和天皇の戦争責任問題についても、イデオロギーを抜きにして史料を冷静に参照して判断しても良い頃ではないかと思うのである。平成もすでに19年、十分すぎるほどの時間は経過した。今後、再び過ちを繰り返さないためにも、昭和天皇をはじめとする当時の指導者たちの戦争責任について、冷静な検証が求められている。


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盆休みの間、インターネットから完全に隔絶した生活をしていました。テレビも、天気予報を見ただけです。こういう時間を持つことも、人生には必要だと思います。

これからAbEndへTBされた記事を読んだり、明日以降はまた記事を書いたりしたいと思うんですけど、とりあえず復帰したことだけ書いときます。こういうのは分家の方に書くことにしてたんですけど、はてなが異様に重いし、こちらの本家には、盆休み中だし全然更新がないのに、結構な数のアクセスをいただいていたので、こちらに書くことにしました。

そうそう、小泉が靖国に「公式参拝」したらしいけど、それも16日、俗界に戻ってきてから知りました。同行の友人に、「あの馬鹿、やっぱり靖国に行きやがったな」と言ったら、当然だ、と言わんばかりに鼻で笑って、「○ね!」とひとことの返事。こういう人や、AbEndにTBしてくれる人ばっかりだったら、世の中良くなると思うんですけど、小泉か安倍晋三か、はたまた馬鹿な2ちゃんねらーに感化されたか、加藤紘一の実家に放火するような基地外テロリストがいるんだから、始末に終えません。

安倍が首相になろうが、AbEnd運動はさらに盛り上げていかなければなりませんね。
2006.08.16 23:57 | 靖国問題 | トラックバック(-) | コメント(-) | このエントリーを含むはてなブックマーク
今朝の朝日新聞(大阪)の一面トップは、「靖国合祀、国主導の原案」という記事だ。日経が始めた靖国キャンペーンのバトンは、朝日に渡された形になっている。

「きっこの日記」と同じ「さるさる日記」に、勝谷誠彦という自称「コラムニスト」が日記を書いていて、これが読みにくい上に内容が右翼的、しかも主張がぶれまくって二転三転するというどうしようもない代物なのだが、一応テレビによく出ている有名人の日記、ということで、日に数万のアクセスがあり、「さるさる日記」のランキングでは、常に「きっこの日記」に次ぐ第二位にいる。日記に表示されている累計アクセス数では、「きっこの日記」より多く、おそらく「さるさる」で一位なのだろうが、「きっこの日記」の急追を受けていて、累計アクセス数がいつ逆転するかをひそかに楽しみにしている今日この頃、皆さん、いかが...っていうのは止めておこう(笑)。ちなみに私は8月31日頃に逆転すると予想している。
まあ、おまえのとこは1日のアクセス数が勝谷の100分の1しかないじゃないか、と言われればそれまでなのだが(笑)。

その勝谷が、日記で今朝の朝日新聞の記事にかみついているのだが、あんなところにアクセスするのは止めてほしいので(と言いながらアクセスしたから書けるのだが)、勝谷の日記から引用する。

あまりに左に傾いての築地をどりが過ぎて靖国問題の本質からどんどん外れて暴走を続けているのが朝日新聞だ。今日の大阪での1面は<靖国合祀、国主導の原案>とトップで大きな活字が踊る。まだ時刻が早いせいかもしれないが奇妙な事にこの記事はasahi.comにはない。あるいはいつもの卑劣な使い分けなのだろう。1956年の段階で厚生省と靖国神社が緊密な連携をしつつ熱心に合祀の数を増やしていったと朝日は鬼の首をとったように書く。これを書いている記者はいくつなのだろう。恐らくその時代の空気に対する想像力など糞ほどもないんだろうね。独立を回復した当時の日本は誇りを取り戻すべく苦悶していた。そんな中で戦争犯罪受刑者の釈放を求める運動は国民的な盛り上がりを見せ何と4000万人の署名を集める。53年の衆議院での「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」は全会一致での可決である。時代の空気には狡猾に乗る朝日新聞のことだ。当時の紙面を少し探して見れば「合祀を急げ」なんて書いているんじゃないだろうね(笑)。靖国神社の存在そのものに手を突っ込み始めた勢力に注意しよう。

(「勝谷誠彦の××な日々」 2006年7月29日付より)


これが典型的な馬鹿右翼の主張なのか、それとも勝谷が右翼の中でも飛びぬけて馬鹿なのかは知らないが、とにかく呆れてものも言えないとはこのことだ。
ナベツネも言っているように、「明治以降に天皇を現人神(あらひとがみ)にしてしまった国家神道。廃仏毀釈をし、国教は神道だけだということをやってでき上がった国家神道の教学だ。そんなもののために日本の国民が真っ二つに割れて、さらにアジア外交がめちゃめちゃにされている。これはたまらない。そんな権力を靖国神社に与えておくこと自体が間違っている」のだ(渡辺恒雄vs.若宮啓文『「靖国」と小泉首相』=朝日新聞社、2006年=より)。そもそも、戦前・戦中の軍国主義日本の指導原理が「国家神道」であり、その具現が靖国神社なのだから、当然のごとく、GHQは1945年12月、神道への国の保護や学校での神道教育の中止を命じる「神道指令」を出している。靖国神社も、国の保護から切り離され、一宗教法人として存続することを余儀なくされたのだ。

だから、『時代の空気には狡猾に乗る朝日新聞のことだ。当時の紙面を少し探して見れば「合祀を急げ」なんて書いているんじゃないだろうね(笑)』などと書く勝谷には、本当にブッ飛んだ。勝谷には十分な検証を求めておこうか(笑)。

それにしても、『靖国神社の存在そのものに手を突っ込み始めた勢力に注意しよう』とは、笑止千万だ。「靖国神社の存在に手を突っ込む」ことこそ、靖国神社を論じるということではないか。勝谷の論理は、安倍晋三がやろうとしているであろう言論弾圧、言論封殺を支援するものにほかならない。
2006.07.29 10:21 | 靖国問題 | トラックバック(-) | コメント(41) | このエントリーを含むはてなブックマーク
30年前の今日、7月27日は、ロッキード事件に関与したとして、田中角栄元首相が逮捕された日だ。「蝉の鳴く頃高官逮捕だ」と稲葉法相が予告した通り、夏の暑い日、角栄は逮捕された。「総理大臣の犯罪」として話題になったものだ。この事件が元で自民党は支持を失い、年末の総選挙で三木赳夫内閣は退陣し、福田赳夫内閣が成立した。しかし、無所属で立候補した田中角栄は、地元新潟三区で圧倒的な得票を得て当選し、以後、闇将軍として政界に君臨することになった。

以上のことはあまりにも有名だが、このロッキード事件で、「編集高官」として疑惑が取り沙汰されたジャーナリストがいたことを知っている人は少ないだろう。そのジャーナリストとは、ナベツネこと渡邉恒雄その人である。ナベツネは、中曽根康弘や児玉誉士夫との関係で知られる、異色のジャーナリストだったのである。

フリージャーナリストの魚住昭氏は、こう書いている。

『ロッキード社の「秘密代理人」児玉誉士夫の周辺を調べていくと、あちこちから渡邉の名が出てきた。3月には、鉱山経営者の緒方克行が渡邉と児玉の癒着を暴露した「権力の陰謀」も出版された。疑惑の「政府高官」として中曽根の名が一部で取りざたされたこともあって、渡邉を「編集高官」と揶揄するも者まで現れた』
(魚住昭「渡邉恒雄 メディアと権力」=講談社、2000年=第9章「社会部帝国主義を打倒せよ」より)

今回、この記事を書くにあたって、私はこの「渡邉恒雄 メディアと権力」を6年ぶりに通読した。この本は稀に見るすぐれたノンフィクションだ。これほどエキサイティングな本は、そうそうはない。

この本をどう要約しようかと思っていたのだが、思いがけずウェブ検索で、魚住氏が自著を語ったインタビュー記事("TIMEBOOK TOWN" より 「知のゆくえ」第14回)を見つけた(下記URL)。
http://www.timebooktown.jp/Service/clubs/00000000/f04/f04_14_01.asp

これは、たいへん長いインタビュー記事だが、印象的な言葉が散りばめられているので、是非全文を読んで欲しい。そして、今では講談社文庫に収められている「渡邉恒雄 メディアと権力」を是非読んで欲しいと思う。

反骨のジャーナリストである魚住氏は、安倍晋三にも挑んでいる。月刊「現代」の2005年9月号に掲載された「『政治介入』の決定的証拠」という記事がそれである。いうまでもなく、安倍晋三らがNHKに圧力をかけて番組を改変させた一件に関する記事である。どういうわけか、雑誌の発行元・講談社のサイトには良い記録が残っていないので、天木直人「メディアを創る」の昨年8月2日の記事 「勝負がついたNHKの政治圧力問題」 をあげておく。

この月刊「現代」の記事に対して、安倍が実にふざけたリアクションを示したのだが、魚住氏は「ゲンダイネット」に、それを痛烈に批判した記事 「安倍晋三の噴飯反論と朝日の弱腰」 を掲載した。しかし、朝日新聞は安倍晋三の恫喝に屈服してしまったのである。この後、朝日新聞の紙面は死んだようになってしまった。
(副題:「ナベツネと靖国と安倍晋三と(その4)」)

日経の次は朝日新聞とテレビ朝日だった。

東京や大阪は違うかもしれないが、香川県に配達された朝日新聞の一面トップの見出しは、こうだ。

『真珠湾「東条元首相の判断」 45年9月米紙向け 天皇回答文発見 宮内庁に控え資料』
(2006年7月26日付 朝日新聞大阪本社発行14版▲ 一面トップ)

以下は、朝日新聞のサイト asahi.comから。朝刊が出てから、ずいぶん時間が経過したのち、サイトに掲載された。

昭和天皇が海外記者と会見 宮内庁で文書控え見つかる
(asahi.com 2006年7月26日 11時05分)

そして、記事にも書かれているように、この件は今日のテレビ朝日「報道ステーション」で「スクープ」として取り上げられた。このニュースが報じられている間、テレビの画面右上には、

『スクープ!昭和天皇が"戦争放棄"最初に表明』

と表示されていた。

でも、この「スクープ」に引っかかりを感じたのは、私ばかりではないだろう。

この間の日経のスクープも、安倍晋三の著書「美しい国へ」の出版日と同日だったことから、いろいろと憶測がなされた。
実は、日経のスクープを知って私が最初に思ったのは、「これってあの人の差し金ではないか」ということだ。だが、報じたのがあの人の新聞ではなくて日経だったから、思い過ごしだろうと思い返した。
日経の記事については、ネットでは2ちゃんねるを中心に捏造説が根強くある(ブログでは こことかここなど)一方、既存メディアでは産経新聞でさえ偽造説に反応せず、ネットウヨを失望させている状態だ。
私は、「富田メモ」は本物だと思うが、この時期にこのスクープが出てきたことに対しては、正直言って政治的意図を感じていた。

それは、今日の朝日新聞とテレビ朝日の「スクープ」を知って、確信に変わった。これは、周到に用意されたメディア横断キャンペーンとでも称するべきものだ。
昭和天皇の件に関する7月20日の日経新聞のスクープ以来、日本中が靖国で大騒ぎになっているが、今日は最近の新聞の社説の比較でお茶を濁すことにする。

7月21日付の各紙社説の比較は、「森田実の時代を斬る」(7月24日付)でやっていて、二番煎じなのだが、22日以降の各紙社説も取り上げることで違いを出そうと思うので、それで勘弁して欲しい。

なお、取り上げる社説は、靖国および総裁選に関するものだけに限ることにする。

まず朝日新聞。
7月21日付 「A級戦犯合祀 昭和天皇の重い言葉」
7月22日付 「日経に火炎瓶 言論への暴力を許すな」
7月23日付 「自民総裁選 安倍氏独走でいいのか」
7月25日付 「靖国参拝 総裁候補は考えを語れ」

まあまあまともな社説が続いている。一時の、翼賛紙と化したかと思われた頃よりは、いくぶんましになった。特に日経新聞社への火炎瓶投げ込みを社説で取り上げて批判したのは、全国紙では朝日一紙だけであり、これは高く評価したい。

次に毎日新聞。
7月21日付 「昭和天皇メモ A級戦犯合祀は不適切だった」
7月23日付 「福田氏不出馬 ああ幕開け前に決着ムード」
7月24日付 「首相の靖国参拝 世論も反対が増えている」

この中では、24日付の社説における、下記の部分に注目したい。
『昭和天皇の考えが明らかになったからではない。私たちはかねて終戦記念日に限らず、首相の靖国参拝にさまざまな観点から反対してきた。』
(毎日新聞 2006年7月24日付社説)

これは特筆すべき社説だと思う。
「昭和天皇が不快感を持ったから」首相の靖国参拝に反対、という論理ではダメなのだ。この論理で批判してたら、いつか足元をすくわれると思う。
たぶん、仮に今年8月15日に小泉が靖国参拝を強行した場合でも、(あまり想像したくはないが)安倍が次期総理大臣になったなら、当初は靖国への参拝を見送るなど、羊の皮をかぶるだろうと私は予測している。そうなった時、「昭和天皇が不快感を持ったから」という論理では、安倍への攻め手を失ってしまうのだ。靖国問題の本質はそんなところにはない。毎日の社説にもあるように、A級戦犯合祀の他にも、政教分離の問題もあり、これらについて、今後議論を深めていかなければならないことだと考えている。
そういう意味でも、これは良い社説であると思う。
「富田メモ」が捏造だと叫ぶネットウヨの狂騒もむなしく、日経新聞は23日も、1ページ全面を使って、作家の半藤一利氏と東大教授の御厨貴氏の対談を中心とした「富田メモ」の特集記事を組んでいる。日経新聞社は、「筆跡、内容などを詳細に分析し、現代史の専門家の意見も聞いた。その結果、書き込まれていた行事、出来事の日付や内容は事実と整合性があり、メモの信頼性は高いと判断した」とハッキリ書いている。今後の、日経新聞対ネットウヨおよび岡崎久彦ら小泉・安倍支持の右翼文化人の壮絶な闘いが楽しみだ(笑)。

さて、もはや旧聞に属することだが、福田康夫が自民党総裁選の出馬を見送ると表明した。福田氏の不出馬の背景を分析した記事が毎日新聞に出ており、私はそれを日曜朝のTBS系の番組「サンデーモーニング」で、大嫌いな岸井成格が得々と語るのを聞いて知ったのだが、この毎日新聞の記事は、「カナダde日本語」の記事「福田不出馬の理由」に全文が引用されている。

美爾依さんの記事に私がつけ加えることはほとんどないのだが、一つだけどんなに強調してもし足りないことがある。それは、福田が不出馬の理由の一つとして、「自分が出ると、(靖国をめぐり)国論は二分されるだけでなく、対中関係にも悪影響を与える」と言っていることだ。

この論法っておかしくないだろうか?

福田は、靖国の問題が国論を二分するものだと認識しているようだが、そんなことでは、それほどにまで重大なこの問題について、極端に偏った片側の主張が、なんの議論も経ないでそのまま通ってしまうことになる。こんなことが、民主主義国家でまかり通って良いのだろうか? これでは、事実上の翼賛体制であり、言論封殺ではないだろうか?

実は、このことは一昨日から腹に据えかねていたことだったので、ぶいっちゃん「らんきーブログ」の 「靖国問題 天皇メモで得するのは?」 や、S氏の時事問題 「福田康夫氏が総裁選出馬を断念」にもコメントをつけた。こうして、私がコメント魔であることを白状しているわけだが、やっぱり一番言いたいことはブログの本文に書いて、AbEndにTBしようと思い返して、改めて記事にする次第だ。

ブログのコメント欄には、いろいろ面白いコメントがあるのだが、中には、掲示板から流れてきて、ブログは未開設かと思われる方で、いろいろと親切なコメントをつけてブログの管理人にアドバイスするのを好む方もおられるし、おっ、と思うような鋭いコメントをつけられる方もおられる。

でも、最近よく思うのだが、コメント欄の読者数はごく限られている。せっかく興味深いコメントも、ほとんどの人の目に触れることなく埋もれてしまうのだ。それはあまりにももったいない。
土曜日の記事でもちらっと書いたのだが、できれば、ブログを開設していただいて、反安倍の記事だったら、AbEndにTBして欲しい。自己満足のコメントを書くにとどまっているのでは、いつまで経っても安倍をエンドになど追い込めないと思うのだ。
今、サンプロで岡崎久彦、櫻井よしこ、加藤紘一、菅直人の4人が昭和天皇のA級戦犯合祀に対する不快感に関する日経のスクープについて、議論をしている。

その中で、正論文化人で対米隷属主義者・岡崎久彦が電波発言を全開させていて、爆笑ものだ。

たとえば、岡崎は、1988年当時、昭和天皇には正常な判断能力がなかったかのように発言し、その裏づけとして、88年に千代の富士が53連勝した時、昭和天皇が感想を述べることのできる状態ではなかったと言っている。
しかし、千代の富士が連勝記録で大鵬を上回り、千秋楽で大乃国に敗れて53連勝でストップしたのは、1988年11月27日のことなのだ。昭和天皇は同年9月に倒れ、死の床にあって、11月には意識レベルも低下したと報じられていた。そりゃ、11月下旬には感想を述べるような状態ではなかっただろう。

しかし、昭和天皇は同年8月には全国戦没者追悼式に出席しているのだ。当然、4月29日の天皇誕生日に会見をしているし、問題の「富田メモ」はその前日の発言を記録したものだ。

「昭和天皇は老人ボケしていた」といわんばかりの発言を岡崎久彦がしたことは、この男がネット右翼並みの知性しか持っていないことを露呈したものとしか言いようがないだろう。

そういえば、この男は、「これから富田メモの信憑性を調査する」とかほざいていた。

2ちゃんねるでカキコやっとく程度が、この男にはお似合いなんじゃない?
(副題:「ナベツネと靖国と安倍晋三と(その3)」)

あまりのことに、ビックルを一気飲みすることも忘れてしまった。

昨日の深夜、何時間もかけて、「ナベツネと靖国と安倍晋三と(その2)」を書き上げた時、まさか日経新聞が靖国問題に関する大スクープをしていようとは、思いもよらなかった。
しかもその日経のスクープは、先日、美爾依さんの「カナダde日本語」(「安倍は靖国参拝を公私混同している」などの記事)と、いわばキャッチボールをしながら取り上げた、「A級戦犯の靖国神社への合祀に昭和天皇が激怒したのではないか」という件にかかわるものではないか。
私がブログを始めて以来、あっと驚くことの連続なのだが、それにまた新しい1ページが加わった形だ。7月20日の当ブログへのアクセスは、ブログ開設以来の最大値となった。それは、7月5日の記事「靖国神社と昭和天皇」のタイトルの効果か、Googleで「昭和天皇 靖国」のキーワード検索をすると、当ブログが5番目に引っかかったためだ。

以下、日経のスクープを「NIKKEI NET」から引用する。

『昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ

昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日本経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった。昭和天皇の闘病生活などに関する記述もあり、史料としての歴史的価値も高い。』
(NIKKEI NET 2006年7月20日 7時00分)

この富田元宮内庁長官のメモについて、「昭和天皇独白録」の出版に携わった作家・半藤一利氏は、次のようにコメントしている。

『メモや日記の一部を見ましたが、メモは手帳にびっしり張ってあった。天皇の目の前で書いたものかは分からないが、だいぶ時間がたってから書いたものではないことが分かる。昭和天皇の肉声に近いものだと思う。終戦直後の肉声として「独白録」があるが、最晩年の肉声として、本当に貴重な史料だ。後から勝手に作ったものではないと思う。

 個人的な悪口などを言わない昭和天皇が、かなり強く、A級戦犯合祀(ごうし)に反対の意思を表明しているのに驚いた。昭和天皇が靖国神社に行かなくなったこととA級戦犯合祀が関係していることはこれまでも推測されてはいたが、それが裏付けられたということになる。私にとってはやっぱりという思いだが、「合祀とは関係ない」という主張をしてきた人にとってはショックだろう。』
(asahi.com 2006年7月20日 11時12分)