そういえば今年は「平成」とやらも終わるとのことだが、1月10日付の『kojitakenの日記』にも書いた通り、年末年始のテレビで、普段西暦しか使わない民放各局が「へーせー、へーせー」と連呼していたのには本当にうんざりさせられた。個人的には「へーせーの終わり」なんかより「『はてなダイアリー』の終わり」の方が感慨深い。自分から終わりを決めているこのFC2ブログと違って、「はてなダイアリー」はブログサービスの方から終わりを強いられるからだ。ちなみに、昨年後半からブログ更新のモチベーションが目立って落ちていた私は、今年春と聞いていた「はてなダイアリー」の更新停止が1月28日に前倒しされたことを先週木曜日か金曜日だかになってやっとこさ知って慌てふためいているところだ(苦笑)。
そんなこんなで、終わりか始まりかわからない2019年の幕開けとなったが、「終わりか始まりかわからない」といえば、安倍晋三政権がその最たるものだろう。
安倍政権及び政権与党の自民党は、中身が腐ってきたばかりでなく、支柱までもがぐらついてきている。かと言って「反安倍」のたとえば「市民連合」が掛け声をかける「野党共闘」が安倍政権を倒すのではなく、何らかのきっかけでいつか政権が自壊するのだろうとしか私には思えないが、とは言ってもその「自壊」はそんな遠い未来のことではないことを感じさせる兆しがいくつも表れ始めた。
「自壊」が何をきっかけにして起きるかは全くわからない。経済かもしれないし、外交かもしれない。ただ、「市民連合」が熱心な憲法問題から自壊することはないだろう。
今の日本は、統治機構が溶解しつつある様相を呈している。その表れが、現在話題になっていることを例に挙げれば、たとえば厚労省の「毎月勤労統計」の改竄だし、東京五輪招致をめぐるJOC(竹田恒和)と電通の贈賄疑惑だし、日露外相会談後の共同記者会見への出席を外務大臣の河野太郎が拒否するという前代未聞の醜態だ。この河野太郎は、昨年終わり頃にも記者会見で質問に答えず「次の質問どうぞ」と言って逃げたが(この時河野が答えなかったのも日露関係に関する質問だった)、それと同質のことを日露外相会談後の共同記者会見への出席拒否というかたちでやらかしたものだから、ロシア側から強い批判を浴びた。以下、朝日新聞デジタルから記事を引用する。
https://www.asahi.com/articles/ASM1G0S5YM1FUHBI01G.html
ロシア「日本が共同会見を拒否」 外相会談を前に批判
モスクワ=石橋亮介 2019年1月14日09時28分
ロシア外務省のザハロワ報道官は13日、ロシア国営放送のテレビ番組に出演し、モスクワで14日にある日ロ外相会談後の共同記者会見を「日本が拒否した」と語った。「日本は平和条約問題で情報の不安定な状況を作り出して人々を惑わす一方、協議の結果を記者会見で伝える意思はない」と主張。「奇妙で矛盾した行動だ」と批判した。
ザハロワ氏は「最も驚いたのは、協議の前日になって日本が共同記者会見を開かないよう頼んできたことだ」と説明。日本側はその代わりに日本メディア向けの非公開の説明をすることにした、と述べた。
日ロは昨年11月の首脳会談で、歯舞群島と色丹島の引き渡しを明記した日ソ共同宣言を基礎に、平和条約交渉を加速することで合意した。だが、ロシアは同宣言には引き渡し後の島の主権が「どちらになるのか触れられていない」(プーチン大統領)などと主張し、島の引き渡しに否定的な構えを崩していない。
このため、日本で北方領土の引き渡しを前提とした議論があることにロシア側はいらだちを募らせている。ザハロワ氏の発言は、日本政府が交渉の進み具合について、自国向けだけに独自の解釈を広めようとしている、との警戒感を示したものだ。(モスクワ=石橋亮介)
(朝日新聞デジタルより)
要するに、河野太郎というか安倍政権は、ロシア向けと国内向けに二枚舌を使おうとしているわけだ。
「大本営発表」で日本国民を騙すことができた(?)戦時中ならともかく、世界中から情報が流れ込み、それをシャットアウトできない時代に、こんなことをやっている。ザハロワ報道官は「日本側はその(共同記者会見の)代わりに日本メディア向けの非公開の説明をすることにした」と皮肉っているが、この「非公開の説明」を日本国民に宣伝するのが、いまや平壌中央放送の女性アナウンサーと変わるところが何もないNHKの岩田明子による「外交の安倍」とやらの嘘宣伝なのだろう。
これを、統治機構の溶解の結果と言わずして何と言おうか。
もうだいぶはっきりしてきたが、現在の「崩壊の時代」は、前の戦争の時と違って、「終戦」(=敗戦)という形で、いわば爆発して終わるのではなく、徐々に溶解していって最後は混沌(カオス)に至るのだろうと思う。その結果、そこからの再建も、ゼロからの再出発に近かった「戦後」とは異なり、ドロドロに粘りつく溶け残りに足を取られながらの困難極まりないものになるに違いない。
だから、どのような「再建」になるかは全く想像もつかないのだ。
だが、今週もこの日記を更新しないと、またまたトップページに広告が表示される。止むを得ず、というわけでもないが久々の更新をする。このあと7回更新したら、ブログの更新を停止する。
先週はジャーナリストの安田純平氏の解放と、安倍晋三の中国訪問が注目された。このうち安倍訪中では、安倍が習近平に対して「競争から協調へ」などの3原則を提示した。
これについて、「安倍晋三がネトウヨの梯子を外した」という見方と、「いや、それは見せかけであって、安倍政権はアメリカ中間選挙の結果を受けて再び中国との対決姿勢を強めるアメリカの尖兵になる」との見方があるようだが、私の意見は前者に近い。
なぜなら、安倍政権は「経産省政権」と言われていることからも明らかなように、この政権は基本的に財界の嫌がることはやらないからだ。
安倍は長年極右思想をウリにして、いわゆるネトウヨ(その実態は「安倍信者」に近くなっていた)ばかりではなく、月刊誌『正論』や『WiLL』や『Hanada』などに寄稿する極右文化人たちの絶大な支持を受けてきた。
しかし、安倍が本当にこだわっているのは極右思想ではなく、「お祖父ちゃんのなし遂げられなかった『憲法改正』」を自らの手で達成することだけだ。極右思想のアピールも、なんとかのミクスと呼ばれている経済政策も、みんなそのための手段に過ぎない。だから、改憲のためならネトウヨだって平気で切り捨てる。
とはいえ、安倍は自らの改憲構想をまず日本会議に提示した。そもそも、安倍の改憲構想自体が日本会議から入れ知恵されたものだ。ネトウヨを切り捨てれば安倍が「リベラル右派」の歓心を買うことに成功して改憲を達成できるとの見通しを安倍が持っているとしたら、それは楽観的に過ぎるだろう。まさか安倍も最初からそんなことを考えていたわけではあるまい。
安倍訪中で見せた中国へのすり寄りは、日本経済の力が急速に落ちている結果採らざるを得なくなった方策であり、その結果ネトウヨの梯子を外さざるを得なくなった、というのが真相ではないかと思う。第2次安倍内閣発足とともに始まった「崩壊の時代」(by 坂野潤治)は、日本経済の崩落とともに終わりを告げ、安倍政権も同時に倒れると私はみている。
安田純平氏の解放については、安倍に梯子を外されたネトウヨたちの相変わらずの「自己責任論」には心底うんざりさせられたが、この件でダルビッシュ有を見直すことができたのは唯一の収穫だった。今回はこの件をメインに取り上げようかと思ったが、あまりにも語り尽くされているのでいまさらと思う。ここではダルビッシュ有が発したツイートのURLを示すにとどめる。
https://twitter.com/faridyu/status/1055450819645132800
ここでダルビッシュは、意見を言いっ放しにするのではなく、自らの意見に異を唱える人たちに丹念に反論している。たいしたものだ。いつも書きっ放しの私には真似できない(笑)。
一方、破廉恥なネトウヨの連中は、戦場カメラマンの渡部陽一氏が「捕まるやつはその時点でジャーナリスト失格」という一文を含む「戦場取材の掟」を捏造し、それが何万回もリツイートされたというから開いた口がふさがらない。
この件で思い出すのは、2015年にISIS(自称イスラム国)に後藤健二・湯川遙菜両氏が殺害された時、安倍晋三が平然と2人を見殺しにしたことだ。あの時安倍は、わざわざイスラエルでネタニヤフと会談して「テロとの闘い」の姿勢を示すなど、暗にテロリストたちに後藤氏らの処刑を促すかのような言動をとっていた。さらに呆れたことには、世論はこれに安倍内閣支持率上昇で応えた。「崩壊の時代」には為政者のみならず人心もすっかりおかしくなっていた見本だと思う。
今回は、政権が安田氏を見殺しにしようとしたもののそれに失敗したのか、それとも本当は影で動いていて、身代金もカタール政府が払ったというのが本当でも、あとから日本政府がカタール政府に払うなり、あるいはそれに相当する見返りをするなりするのか。これにも諸説紛々で、本当のところはわからない。
だが、2015年には勇ましく見殺しにできたことが今回はできなかっただけでも、安倍政権の足腰は確実に弱っているのではないか。そう思う今日この頃だ。
1月も今日で折り返し点とはいうものの1年の最初の記事だから、「崩壊の時代」云々は今回は止めておく。今回は、昨年ちょっと気になったことを書くことにする。
それは、アメリカ大統領選でトランプ勝利が報じられた日及びその翌日以降の日経平均株価の動きだ。
周知のように、アメリカや日本のマスメディアが全く予測していなかった(私は40%くらいはあり得るのではないかという悪い予感を持っていた)トランプ当選が報じられた日の日経平均株価は、前日から900円以上だったかの下げ幅で暴落し、外国為替市場も円高に振れたが、翌日になると、トランプの当選の弁が選挙選当時の暴言と比べておとなしかったというだけの理由で、トランプは意外と「現実主義者」なのではないかとの根拠のない憶測が広まって、株価は前日の暴落分を帳消しにして余りある1000円以上の上げ幅で急騰し、外国為替市場も大きく円安に振れた。その後しばらくこの流れが続いた。
私にはこの株価の乱高下はひどく不健全なものと感じられた。まず、トランプの当選が全くの想定外だったという日米のマスメディアと、それを鵜呑みにしたとしか思えない市場の動きに、メディアも市場もともに理性的な判断力を失っているとしか思えなかった。さらに、「トランプ=現実主義者」なる根拠のない楽観論に基づく「ミニバブル」としか思えない株価急騰や円安に関しては、おいおい、大統領はまだトランプじゃなくてオバマなんだから大統領がトランプにならないうちから何も変わるはずないだろ、それなのに市場は根拠もなくトランプに期待してしまって、いったい何を考えてるんだと呆れ返ったのだ。
案の定というべきか、2017年が開けてトランプは牙を剥いてきた。米大手自動車メーカーや日本のトヨタが、米国向け自動車の製造工場をメキシコに建設するのに噛みついたり、アメリカの対日本・中国・メキシコの貿易赤字に不快感を示して保護貿易の怪気炎を上げてみたり。トヨタの株価が一時暴落するなどしたらしいが、少なくとも日本の株価上昇をもたらしたであろう楽観論には何の根拠もないことが明らかになりつつあると私は冷ややかに見ている。
昨年12月発売の『文藝春秋』新年号に掲載された福田康夫元首相の「安倍外交への忠告」を本屋で拾い読みして、福田氏もトランプ当選直後の株式市場の乱高下に違和感を持っていたことを知って意を強くした。少なくとも、株式市場の株価は、その時点までに知られている企業の経営状況や景気、それに政治・経済に関する出来事などが織り込まれた最適な値になっているという教科書の説明は、今の日本の株式市場には全く当てはまらないと思った。私には、日本の株式市場はもはや理性とか知性とかいったものを失っている用にしか見えない。
うまく表現できないのだが、何らかの機能不全が起きているように思う。そしてそれは、安倍晋三という理よりも権柄ずくでメディアを制御する術を知ってしまった権力者が、4年以上も続けて日本の総理大臣を務めていることと何らかの関係があるのではないかとの仮説をこのところずっと持っている。「無理が通れば道理が引っ込む」社会では、いろんな機能不全が生じて当然なのではないかと思えてならないのだ。日本は過去にもそういう時代を経験している。いうまでもなく先の戦争中だ。
そして、安倍晋三とそっくりの心性と手口の持ち主が、今週アメリカの大統領に就任する。それがトランプだ。『広島瀬戸内新聞ニュース』は「安倍晋三は4年早いトランプだ」と評したが、本当にその通りだと思う。質問には正面から答えず、自分の言いたいことだけ一方的にまくし立てるトランプのしゃべり方は、あまりにも安倍晋三と瓜二つだ。これからはアメリカも、2012年末以降の日本と同様、無理が通って道理が引っ込む国になる。その結果、アメリカの政治や社会の機能不全が一気に現れるかもしれないと予感する。
安倍晋三のような、本人の能力は低いが祖父のA級戦犯容疑者・岸信介の孫という血筋と、魚住昭の指摘するところの岸の「民族主義」と「選民思想」を受け継ぐが故に右翼に担ぎ上げられた男が好き勝手に独裁権力を振るえる現状は、日本の政治の制度に大きなほころびが生じていることを意味すると思う。もともと世襲政治家に不当なアドバンテージを持っていた日本の政治制度に、やはり世襲政治家である小沢一郎が中心となって「政治改革」と称しつつ衆議院選挙に小選挙区制を力ずくで導入した。その結果制度の欠陥はさらに拡大され、現在の安倍晋三の独裁政治を招いてしまった。これが私の見立てだ。アメリカの場合はまた違った制度の問題があるのだろう。
最近の『広島瀬戸内新聞ニュース』の指摘するところによれば、
とのことだ。私もそう思う。同ブログは安倍政権が歴代自民党政権や民主党の特に野田政権と比べて取り立てて「対米従属度」が高いとは思えません。
と指摘している。安保法も、左派・リベラル派の懸念は「アメリカに従属して海外派兵」でした。
しかし、ここにきて、アメリカのいうことさえ無視して、南スーダンへの武器禁輸に対して棄権するなどしています。
さらに同じブログによると、安倍はフィリピンのドゥテルテ大統領にミサイル供与を持ち掛け、断られたとのことだ。ドゥテルテは安倍に「第三次世界大戦を見たくない」と言って安倍の商談を断った。フィリピン・スター紙が報じた(下記URL)。
https://sg.news.yahoo.com/duterte-rejected-japan-missile-offer-000000071.html
President Duterte has declined an offer by Japanese Prime Minister Shinzo Abe to provide missiles to the Philippines, saying he does not want to see a Third World War.
安倍晋三の現状がかくのごとしだというのに、「戦争をさせない1000人委員会」は、呆れたことにあの孫崎享を講師に招いて「『安倍政治を終らせよう』1.19院内集会」を開くという。馬鹿じゃないか。
なぜなら孫崎とは政治家を「自主独立派」と「対米従属派」に分類し、岸信介や佐藤栄作を前者に分類した人間だからだ。上記『広島瀬戸内新聞ニュース』の指摘する通り、少なくとも安倍晋三は小泉純一郎や野田佳彦と比較すると「対米従属派」より「自主独立派」に近い。そしてより危険だ。現状がそうなのに、5年前に孫崎が叫んだ図式で「アメリカに付き従った戦争反対」を訴えるピンぼけぶりでは、日本の平和運動が低迷する理由もよくわかる。
平和勢力のピンぼけぶりはさておき、安倍晋三の暴走をこれ以上許さないために、この政権は可能な限り早く終わらせなければならない。この一点においては、私も「ピンぼけ平和勢力」と意見が一致するだろう。
反安倍晋三・反小池百合子・反トランプは残り少ないかもしれないこのブログの中心テーマであり続ける。
前回の記事に昨夜から未明にかけていただいたコメントより。
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1413.html#comment19131
大阪ダブル選挙は、知事選、市長選とも極右ならず者集団「大坂維新」が大きくリードの予想です。
狂信的な極右ならず者「橋下徹」。
彼を育てたのは極右全体主義化した日本、そして有権者でしょう。
リベラルの中に当初、選挙目当てで彼が唱えた大嘘「脱原発」に踊らされた者もいましたが、リベラル自体が少数勢力になっていました。
しかし、彼が筋金入りの核武装論者であること、狂信的な極右、そして冷酷思想の持主であることは誰の目にも明らかでした。
リベラルとは対極にある最低、最悪の「橋下徹」とは、まず真っ先に闘わなければいけなかったはずのリベラルが、彼の大嘘に惑わされ、支持するとはリベラルの恥というべきでしょう。
また、最近リベラルの中にも名ばかりリベラルが増えつつあります。
厳重な警戒が必要です。
55年体制の頃だったら、「橋下徹」や「安倍晋三」といった狂信的な極右が支持を受けることはなかったでしょう。
こういった人物の登場を許すこと事体、いかに日本が極右全体主義化したか、退化したかということの現われです。
大阪の政党地図を見てみましょう。
「橋下維新」「安倍自民」の似た者同士の極右政党が一党、二党になり牛耳っています。
極右都市大阪。
日本の絶望的な近未来を暗示させられます。
2015.11.15 21:53 風てん
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1413.html#comment19132
お久しぶりです。
大阪市長選、朝日新聞デジタルによると松井氏が優勢と伝えられていますね。
新聞が「優勢」と言う時は大抵、大差がついているもので、おそらく松井氏が楽々当選するのでしょうね。
そして頃合いを見計らってまた「大阪都構想」をぶちあげて…。
橋下の「演技」は見事なまでに成功しています。もはや大阪は絶望的ですね。
>庶民にこそ届く言葉を発する
ポピュリズムの前にはとんだ綺麗事にしか聞こえませんけどね。
2015.11.16 00:04 飛び入りの凡人
これらのコメントにあるように、大阪府知事選では松井一郎、大阪市長選では吉村洋文という、大阪維新の会の推す2候補が自民党などが推す栗原貴子(府知事選)、柳本顕(市長選)の両候補を引き離している。
朝日のほか、産経と日経の世論調査を『kojitakenの日記』の記事「最悪! 大阪ダブル選、予想通り『大阪維新2勝』の世論調査結果」に引用しておいた。
各マスメディアの世論調査は、私には衝撃は全くない。あまりにも予想通りだったからだ。
とはいえ、このダブル選挙の結果(目に見えている)が、大阪維新のみならず、国政に与える影響も考えると、気分はますます暗くなる。
どっかの「リベラル」とは違って、私はもともと、「野党再編」には何の期待もしていなかったが、維新分裂で様子見を決め込んでいた議員が橋下側につく流れが加速するだろう。また、大阪市長選においては「自共共闘」(+民主党)が効果を持たないことが示される。SEALDsへの必要以上の入れ込み(それに関連してであろう、しばらく前にSEALDsを痛烈に批判した作家の辺見庸へのインタビューを『しんぶん赤旗』がドタキャンしたらしい)など、このところやや浮わついた印象のある共産党は、頭を冷やすべき時だと思う。共産党のような一枚岩の体質を持つ政党が右傾化した日には(まだ「右傾化している」とまでは言わないが、「右傾化が懸念される」とは十分言えると思う)、日本がどれほど恐ろしい国になるか想像もつかない。そもそも、もともと左翼からも批判される立場にある私のような人間が「共産党の右傾化」を懸念するようになるとは、なんという時代になったのだろうか。
昨日思ったことだが、街を歩いていると、昔と変わらない日本があるように見える。だが、その中身は20年、30年前とは大きく変わってしまったのだなあとの感慨にかられた。
そういえば悪くなっているのは日本ばかりではない。先週末、またしても自称イスラム国(IS)がフランスでテロを引き起こした。これも、日本国内では短期的に安倍晋三ら極右のリーダーをますます肥え太らせる悪い影響をもたらすだろう。長期的にも、今はまだ世論では安保法制反対論の方が賛成論より強いが、自衛隊員に死者が出たり、ましてや日本国内でもISがテロを起こしたりすると、世論は「テロとの戦い」支持一色に染め上げられるであろうことは想像に難くない。
何もかも、悪いことずくめ。やはり「崩壊の時代」なんだなあと思う、今日この頃なのである。
4年前は府知事選で橋下一派(大阪維新の会)の松井一郎が民主・自民相乗り候補の倉田薫に圧勝した。また、市長選では府知事から転じた橋下徹が民主・自民・共産の支持ないし支援を受けた当時の現職・平松邦夫にやはり圧勝した。この選挙で橋下は「既成政党との対決」を打ち出すポピュリズム戦術によって、大阪市民をまんまと騙しおおせた。
前回はそれでも、当時谷垣禎一が総裁を務めていた自民党は橋下一派(大阪維新の会)とはっきり対決した。今回は違う。
自民党大阪府連が大阪維新の会と対決しているのは前回と同じだ。だが、自民党総裁の安倍晋三と内閣官房長官の菅義偉は、半ば公然と「維新シンパ」であることを折に触れてちらつかせている。
4年前の総裁で、現在は党幹事長である谷垣禎一は、このような官邸が率先しての「反党行為」について、大阪府連から激しい突き上げを受けていることは間違いない。谷垣自身も安倍や菅の動きに心穏やかではあるまい。一度など、近畿地方選出の国会議員らが国会内で開いた会合で、主語は明確に示さなかったものの暗に官邸を指して、「橋下と連携を一時模索」していたことを「暴露」したこともあった(10月27日)。この件を別々の角度から報じた産経と朝日の記事を読み比べると、そのいきさつが想像できるのだが、これについては『kojitakenの日記』の10月28日付記事「表向き、大阪維新との全面対決を打ち出した安倍晋三だが…」に、産経・朝日両紙の記事を引用してまとめた。その記事についた下記のコメントが、妥当な推測かと思われる。
axfxzo 2015/10/28 09:37
(前略)恐らく、実態はこうだろう。
谷垣が、関西、ことに大阪から突き上げられ続けていて、改めてとりあえず安倍晋三にお伺い、てか、苦情を取り次ぎしたということ。
安倍晋三から、最低限の言質を取りましたよという、谷垣のメンツを誇示したところというのが実態。
本質的には、何も変化はない。
安倍晋三がなんで橋下徹を撃破して得がありましょうや(笑)?
大阪の自民党とか、岐阜の自民党みたいなのがムカついてたまらないのが安倍晋三であり…たかだが街頭インタビューで連続してアベノミクスなり景気なりに否定的な声が示されただけで、色をなして生放送最中に文句を垂れまくる男だぜ(笑)…壊憲大好きな新自由主義者にして、野党を兎に角引っ掻き回す騒動屋の橋下徹を、苦しめる道理はゼロ!(後略)
まあそんなところ、というか、この推測には誰しも納得するところだろう。谷垣が出席したのは、朝日の記事には明記されていないが、産経の記事によると「近畿地方選出の国会議員らが国会内で開いた会合」だそうだから、大阪自民党の谷垣に対する突き上げはさぞかし激しいものであったに違いない。
「壊憲大好きな新自由主義者」であることにかけては、安倍晋三だって橋下に一歩もひけはとらないのだから、コメント主の言う通り、安倍が橋下を苦しめることは安倍にとって何のプラスにもならないから、総理総裁自ら公然と「反党行為」をやらかすって寸法だ。
だから今回の大阪ダブル選挙は、明らかに「立憲主義と地方自治に対する反逆者(=橋下・安倍同盟軍)」と、それを止めようとする(橋下や安倍との比較においては)はるかにまっとうな勢力との対立構造なのである。このダブル選で、反逆者同盟軍を退治する必要があるのは当然だ。
ところで、今回の選挙に出馬はしないものの、橋下が事実上の主役の1人であることはいうまでもない。しかしこの橋下、必ずしも保守や右翼にばかり育てられてきたわけではない。むしろ、「リベラル」が育ててきたモンスターであると言っても過言ではない。
このことは、『kojitakenの日記』の記事「大阪ダブル選挙と『リベラル』と『クーデター』と」にも書いた。そこでは、橋下を時たま「橋下くん」と呼ぶ「リベラル」ブログの悪口を書いたが、当該ブロガーに限らず橋下に靡いた「リベラル・左派」ないし「左翼」の著名人は少なくない。それは橋下が「脱原発」を唱えた頃に特に顕著だった。
テレビ朝日の『報道ステーション』で「I'm not ABE」と書いたフリップを見せて安倍晋三批判派から拍手喝采を浴びた古賀茂明や、2011年の東電原発事故を機に「脱原発の論客」として一時脚光を浴びた飯田哲也らは、「大阪府市特別顧問」になって橋下に取り込まれたし、「脱原発に頑張る橋下市長を応援しよう」と言い出した(元?)共産党系出版人(過去に共産党公認で参院選に立候補したこともある)もいた。ちなみに、この人は「左派(サハッ?)」界隈でいま流行(?)の「新9条」にも一枚噛んでいるのではないかと私はにらんでいる(ちなみに、彼が書いた憲法9条や集団的自衛権に関する平凡社新書の帯には、内田樹や池田香代子の推薦文が麗々しく飾られている。「新9条」は昨日今日急に出てきた話ではないのである)。
あるいは、前記『kojitakenの日記』の記事にも書いたように、小沢一郎は2012年に民主党を離党して「国民の生活が第一」を立ち上げた頃、しきりに「私の考えは橋下市長と同じ」と言っていた。いわゆる「小沢信者」はもちろん、小沢支持者の中にもそんな小沢を批判する者は、私の知る限りほとんどいなかった。
小沢一郎自身は自分が「リベラル」だとも「左派」だとも思っていないだろうが、「小沢信者」や小沢の支持者の中には、「リベラル・左派」あるいは新左翼の範疇に入る者が大勢いるだろう。そんな彼らがなぜ橋下に心引かれたり、そこまでいかずとも容認したりしたのだろうか。
それは橋下が「反逆者」だからだろう。
最近、1970年にジョン・トーランド(1912-2004)が書き、今年になってハヤカワ文庫の新版として刊行された『大日本帝国の興亡』(全5巻、単行本初出毎日新聞社1971, ハヤカワ文庫初版1984)を読んでいるが(まだ読了していないが、広島原爆投下直前のあたりまで、全体でいうと9割ほど読み終えた)、太平洋戦争の通史として書かれたこの本の第1章(この本の表記に従うと「一部」)の副題は「燃え上がる『下剋上』」であり、1936年の2.26事件から記述を始めている。
ここで著者は下記のように書いている。
反乱を起こそうとしていた青年将校たちの動機は、個人的な野心から生まれたものではなかった。以前にも、いくつかの集団が反乱を企てて失敗した例があったが、こんども日本社会の不正を正すために、武力と暗殺という手段を通じて彼らは立ち上がろうとしていた。日本には伝統的にそのような行動を是認する風潮があり、日本人はこれを「下剋上」と特別な名称で呼んでいた。この言葉は、地方の豪族は将軍の命に服せず、将軍はといえば天皇の命令を無視するという、反乱がどの階層にも頻発した十五世紀ごろに最初に用いられたものである。
(ジョン・トーランド(毎日新聞社訳)『大日本帝国の興亡』(ハヤカワ文庫,2005)第1巻32頁)
著者は続いて「2.26事件」のイデオローグにして事件に関与した罪で処刑された北一輝に言及し、北を「社会主義と帝国主義を混ぜ合わすことに成功した民族主義者」(前掲書33頁)と評している。
著者(私の見たところ、特にリベラルでも何でもないアメリカの「フツーの保守」であり、随所に反共的な記述も見られる)は、「下剋上」を日本社会の特質ととらえているようだ。「下剋上」を今の新聞は「下克上」と書くが、「克」に刃物を表す「刂」をつけた「剋」という文字を用いることによって、「武器を用いた『克(よくす=〜できる)』」、すなわちクーデターを意味する言葉であることが了解される。トーランドは「下剋上」という言葉にネガティブな意味合いを込めているようである。たとえば著者が「下剋上の権化」として挙げているのは辻政信だが、陸軍で「作戦の神様」との異名を取ったらしい辻政信は、しばしば暴走して敵味方の多くの戦闘員を不必要な死に追いやった極悪人として描かれている。辻は「ノモンハン事件」(実質的には「ノモンハン戦争」)でも大本営の指示を平然と無視して勝手に無謀な作戦を進めたあげく、敗軍の将に自決を強要したという鬼畜のような人間だが、受けた指示を平然と無視するようなところが「下剋上」好きの日本人の琴線に触れたのか、重大きわまりない戦争責任を負うべき人間だったにもかかわらず、戦後国会議員に立候補して何度も当選した(辻は、さすがに最後にはラオスで行方不明になって果てた)。
私は本に描かれた辻政信から橋下を連想した。橋下は、憲法で戦争を放棄している現代日本の人間だから武力こそ用いないものの、「下剋上」で成り上がった人間だ。しかし、「下」から自分の力で這い上がった人間にしばしばあることだが、橋下は弱者に対して実に冷酷だ。橋下に関する出来事で私が忘れられないのは、大阪の私立女子高校生と論戦して彼女らを泣かせたことだ。橋下の嗜虐性には恐れ入ったが、橋下の大阪府政や大阪市政全体も、弱者に対して徹底的に苛酷なものだった。橋下と辻政信は、「下剋上」という言葉で括ることができる。
そんな橋下を「同じ改憲派でも、立憲主義を無視する自民党と違って立憲主義を理解しているから、自民党の改憲案に対する批判勢力として活用したい」だの、「脱原発に頑張る橋下市長を応援しよう」だの、「私の考えは橋下市長と同じ」だのと言って甘い顔をし続けていたのが「リベラル」ブロガーであり、左翼の出版人士であり、(かつては「新保守」のエースだったが)今では「リベラル・左派」層を主な支持者とする政治家だった。
つまり、橋下は「リベラル」「左派」「左翼」らが育てたモンスターであるといえる。
これというのも、日本の「リベラル」「左派」「左翼」の意識が低く、為政者に力で取って代わる「反逆者」に依存し、その反逆者に無力な自己を同一化して溜飲を下げて事足れりとしてしまう受動的な体質からいつまで経っても脱却できずにいるからではないかと思う。
橋下に限らず、小沢一郎なども「反逆者」といえる。小沢は竹下登の「創政会」結成に参加し、社会党を潰す目的で小選挙区を導入させた「政治改革」の流れで自民党を割って新生党を結成して細川護煕の日本新党と組んで政権を奪うなど、民主党入りして政権交代をなしとげる以前から、一貫して「クーデター」体質の政治家だった。その小沢に、[リベラル・左派」の支持者や「信者」が多数現れたばかりか、「社民」を党名に掲げる政党が、よりにもよってそのルーツである社会党を選挙制度の改変によってぶっ壊した張本人の「衛星政党」みたいな存在と化すという、想像を絶する倒錯ぶりを見せたあげくに、現在では絶滅に瀕している。
小沢が、まだ政権を狙える立場にあった2012年に「私の考えは橋下市長と同じ」というのを口癖にしていたことは示唆的だ。つまり、小沢一郎とは「人気のない橋下」ともいうべき政治家だった。
その小沢が頼りにした橋下は、落ち目の小沢を平然と袖にして石原慎太郎と組み、今また安倍晋三と実質的に手を組む人間である。それが橋下の正体なのだが、そんな橋下に空しい期待をしたのが、少なくない「リベラル」、「左派」、「左翼」の面々だった。
もっとも橋下人気のピークは2012年であり、それ以降は基本的には衰勢にある。しかし、選挙戦における橋下の人心収攬術にものをいわせて、選挙の度にかんばしくないマスメディアの情勢調査を覆して延命してきたのが橋下一派だった。
そう、2011年の統一地方選、2012年と2014年の衆院選などで、(大阪の)維新は、不利、苦戦などといわれた情勢調査をいつも覆してきた。
松井一郎の圧勝が予想されている府知事選のみならず、接戦が予想されている市長選も、楽観は全く許されない。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20130816/1376611808#c1376659175
MakegumiKyoji 2013/08/16 22:19
久しぶりです。日本はおかしくなっていますね。はだしのゲン:松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」
http://mainichi.jp/select/news/20130817k0000m040031000c.html
現実を見つめることさえできない人々、もはやなにをかいわんや。
コメントにリンクされているのは毎日新聞の下記の記事である。
はだしのゲン:松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」
漫画家の故中沢啓治さんが自らの被爆体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」について、「描写が過激だ」として松江市教委が昨年12月、市内の全小中学校に教師の許可なく自由に閲覧できない閉架措置を求め、全校が応じていたことが分かった。児童生徒への貸し出し禁止も要請していた。出版している汐文社(ちょうぶんしゃ)(東京都)によると、学校現場でのこうした措置は聞いたことがないという。
ゲンは1973年に連載が始まり、87年に第1部が完結。原爆被害を伝える作品として教育現場で広く活用され、約20カ国語に翻訳されている。
松江市では昨年8月、市民の一部から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出された。同12月、不採択とされたが市教委が内容を改めて確認。「旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断し、その月の校長会でゲンを閉架措置とし、できるだけ貸し出さないよう口頭で求めた。
現在、市内の小中学校49校のうち39校がゲン全10巻を保有しているが全て閉架措置が取られている。古川康徳・副教育長は「平和教育として非常に重要な教材。教員の指導で読んだり授業で使うのは問題ないが、過激なシーンを判断の付かない小中学生が自由に持ち出して見るのは不適切と判断した」と話す。
これに対し、汐文社の政門(まさかど)一芳社長は「原爆の悲惨さを子供に知ってもらいたいと描かれた作品。閉架で風化しないか心配だ。こんな悲しいことはない」と訴えている。
「ゲン」を研究する京都精華大マンガ学部の吉村和真教授の話 作品が海外から注目されている中で市教委の判断は逆行している。ゲンは図書館や学校で初めて手にした人が多い。機会が失われる影響を考えてほしい。代わりにどんな方法で戦争や原爆の記憶を継承していくというのか。
教育評論家の尾木直樹さんの話 ネット社会の子供たちはもっと多くの過激な情報に触れており、市教委の判断は時代錯誤。「過激なシーン」の影響を心配するなら、作品とは関係なく、情報を読み解く能力を教えるべきだ。ゲンは世界に発信され、戦争や平和、原爆について考えさせる作品として、残虐な場面も含め国際的な評価が定着している。【宮川佐知子、山田奈緒】
毎日新聞 2013年08月16日 19時22分(最終更新 08月17日 14時24分)
松江といえば、もっとも保守的な県庁所在地という偏見を私は持っている。その松江だからこんな騒ぎになったのかと一瞬思ったが、その背景には「在特会」(在日特権を許さない市民の会)を含む狂信的な国家主義者(極右)らの執拗な行動があったようだ。
当該方面の妄動を追及する記事はネットに多く出回っているので、この記事では書かない。故中沢啓治氏の漫画『はだしのゲン』についても、当ブログだったか『kojitakenの日記』だったか、はたまた他ブログのコメント欄だったかで何度も語っているので、繰り返さない。ただ今回の一件について、若干コメントをしておきたい。
この件で私が連想したのは、5年前に、「テロを肯定する女・稲田朋美が今度は映画を検閲しようとした」(2008年3月14日)というタイトルの当ブログの記事で取り上げた、稲田朋美の蛮行だった。稲田らが、中国人監督のドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』を公開前に検閲しようとしたところ、多くの映画館が上映を取り止める「自粛」に走り、映画館の弱腰とともに稲田朋美の暴虐非道が強い非難を浴びる事態になったのだ。
2008年の憲法記念日、私は当時住んでいた四国からわざわざ上京して、渋谷の映画館で『靖国 YASUKUNI』を観たが、稲田朋美の妄動がなければこの映画を映画館で観ることなどなかった。その意味で、稲田は誰よりもこの映画を世に広めた人間といえよう。それもそのはず、この映画には稲田自身も「出演」しているのである。
今回も、松江市の騒動によって『はだしのゲン』が改めて注目されることになった。現第2次安倍内閣の副総理で財務相を務める麻生太郎が、第1次安倍内閣で外務大臣を務めていた2007年に、『はだしのゲン』を国連でアピールしていた事実も発掘され、麻生財務相の先見の明が改めて評価されている(笑)。
http://www.47news.jp/CN/200704/CN2007042901000192.html
はだしのゲンで核軍縮訴え 外務省、NPT会議で配布
ウィーンで30日から始まる核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、日本政府代表団が広島の被爆体験を描いた漫画「はだしのゲン」の英語版を会場内で展示、配布することになった。 大の漫画ファンで知られる麻生太郎外相の肝いりで実現、原爆の悲惨さを生々しく描写した漫画で核軍縮を訴える。 「はだしのゲン」は広島に投下された原爆で父、姉、弟を失い、自らも被爆した少年ゲンが母親、妹とともに懸命に生きていく姿を描いた物語で、米国はじめ各国で出版されている。外務省が英語版30冊を出版社から譲り受けた。 同省は「各国政府、非政府組織(NGO)関係者にぜひ手に取って読んでほしい」とPR。今後も国際会議などの場で漫画やアニメを使った情報発信を検討しており、「漫画外交」が活発に展開されそうだ。
(共同通信 2007/04/29 07:08)
ところで、2008年に『靖国 YASUKUNI』の上映自粛が相次いだのは、稲田朋美の「検閲」に呼応した右翼が騒ぎ立てる可能性に映画館がびびったというお粗末な話だった。今回の松江市の「『はだしのゲン』隠し」は、政治家の行動がきっかけになったものですらない。右翼の末端の末端からつけられたクレームに対するリアクションだった。当の漫画は、かつて麻生太郎が世界にアピールしたほどの作品なのである。マスコミは今回の松江市の件に関して、麻生太郎からコメントをとったらどうだろうか。
ともかく、2007,08年当時と比較しても事態ははるかに悪化している。今回の時流におもねたというべき「『はだしのゲン』隠し」は百害あって一利なしの愚行というほかない。昨夜(8/19)の『報道ステーション』で、「『はだしのゲン』隠し」に加担した松江市教育委員会の委員がインタビューに答えていたが、恥ずべき小心さを露呈した教委に哀れを催した。同教委の「長いものに巻かれろ」根性は、あまりにも卑しい。
だが、言論弾圧や表現の自由への侵害は、居丈高な権力者が行うというより、上記の松江市教委のような小心な人間が、事なかれ主義でじわじわと進めていくものなのだろう。それらに対してはいちいち抗っていくほかないが、それは思いのほか大変なことだ。億劫になって「ま、いいか」と思ってしまう人が増えるとともに、悪しき流れが加速していく。