安倍晋三政権とは何だったか。これを考える時、基本としておさえておかなければならないのは、安倍晋三は新保守主義者であると同時に新自由主義者であるということだ。
私はこれまでずっと、コイズミが「経済右派(経済極右)」であるのに対し、安倍晋三は「政治思想右派(政治思想極右)」であると論じてきたが、これはあくまで安倍をコイズミと比較した場合という意味であり、基本的に安倍はネオコンかつネオリベなのだ。
前にもご紹介したが、「ポリティカルコンパス」というのがあって、これは、政治経済のスタンスを2次元ダイアグラムで表し、縦軸を「政治軸」として上に保守(伝統、秩序、家族重視)、下にリベラル(自由、権利、個人重視)、横軸を「経済軸」として右に右派(市場原理主義、自由主義)、左に左派(社会主義、福祉国家)を位置づけたものだ。
リンク先の設問に答えると、各人の政治・経済問題に対するスタンスが診断されるようになっていて、前にも書いたが、私は政治的な右・左度(保守・リベラル度)が -4、経済的な右・左度(市場信頼派・政府介入派)が -4.81で、「リベラル左派」と判定された。新自由主義者は政治思想の「保守・リベラル」を問わず「右派」と判定される一方、旧来自民党の「保守本流」の人たちは、「保守左派」と判定されるのだと思う。また、共産党支持者は政治的な右・左度と経済的な右・左度がともに -10に近い値をとるようだ。なかなか面白い指標だと思う。
これでいくと、安倍晋三は政治的な右・左度が +10に近いと思われる。一方、経済的な右・左度は、そこまで極端ではないかもしれないが、やはり大きくプラスに振れた値をとるはずだ。なお、コイズミは経済的な右・左度では安倍よりさらに「右」の、+10に近い値をとるだろうが、政治的な右・左度はほとんどゼロに近いのではないだろうか。コイズミは靖国神社参拝を強行したため、「思想右派」と見られがちだが、これは単に数年前に多かった「思想右派」に媚びたコイズミの人気取りのパフォーマンスに過ぎず、実際には政治思想面では無思想に近いと私は考えている。
安倍の話に戻るが、安倍の「教育カイカク」はイギリスのサッチャー政権の教育政策にきわめて強い影響を受けたものであることは、当ブログでも何度か指摘した。たとえば下記の記事などである。
これらの記事で指摘したように、サッチャーの「教育改革」はネオコン的要素とネオリベ的要素が入り混じった醜悪極まりない代物で、こういうのに心酔していた安倍晋三も、当然ながらネオコン兼ネオリベだというほかない。ついでにいうと、このイギリス式教育改革に入れ込んでいた大物議員として、平沼赳夫の名前が挙げられる。平沼もまたネオコン兼ネオリベというわけで、たかが郵政民営化に反対したくらいで、この平沼を「愛国者」と称賛する人たちの気が知れない。また、サッチャー亜流の「教育カイカク」の新自由主義的側面を城内実やその支持者がどう思っているのかも知りたいところだ。新自由主義政策は、何も郵政民営化に限られるものではない。
教育問題というと、絶対に忘れてはならない安倍政権の悪行は、昨年12月の「改正教育基本法」と今年5月の「教育改革関連三法案」の成立だ。後者については、Googleで検索をかけると、「サンデー毎日」の記事を紹介した当ブログのエントリが筆頭で引っかかるので、興味のある方はご参照いただきたい。
なんといっても痛恨なのは、一度成立した法案を廃止することは容易ではないことだ。おそらく来年に行われるであろう総選挙で野党が勝ったとしても、民主党にも結構「思想右派」や「経済右派」の議員は多いから、ことは簡単には運ぶまい。安倍晋三の爪痕を消し去るのは、容易なことではない。
安倍政権が内包した矛盾が、首相在任中に露呈したことは、昨日のエントリで、「論座」11月号に掲載された山口二郎氏の記事を引用しながら指摘した。安倍内閣が抱えていた問題点については、専門家たちの記事がいくらでも読めるから、ここでは、なぜ私がかくも安倍晋三を嫌うのか、その理由を書き記したい。
私はそもそも岸信介、福田赳夫、安倍晋太郎ら岸派のタカ派政治家たちが大嫌いだった。憲法をないがしろにし、政治改革を叫びながら、その実官僚と癒着しているというイメージをずっと持っていて、とりわけ福田赳夫と田中角栄の対比からそうした印象を強めていたのだろうと思う。私の世代だと、現役政治家としての岸信介は全く知らず、物心ついたときには佐藤栄作が首相で、佐藤は新聞に叩かれていた。幼心に、総理大臣というのは新聞に悪く書かれるものだと薄々感じていたところに、マスコミが絶賛する田中首相が現れた印象は鮮烈だった。しかしその田中も2年で没落し、今度は田中金脈と闘う三木武夫が首相になったが、この三木内閣もマスコミ受けは決して悪くなかった。特に、田中角栄前首相(当時)の逮捕までに至る過程で、マスコミは三木をずいぶん応援した。
その三木が「三木おろし」に遭って退陣したあと、福田赳夫内閣が発足したが、これが佐藤内閣以来の新聞に不人気な内閣だった。その頃になると、学校で政治経済の授業を受けるようになったが、靖国神社に公式参拝をしたり、週刊誌のインタビューに答えて有事法制の早期整備を促す「超法規発言」をするなど、そのタカ派の姿勢は政経の教師の不興を買っていたし、私も福田赳夫を強く嫌っていた。1978年の自民党総裁選で、大平正芳が福田赳夫を破った時、大平は「田中角栄の盟友」としてマスコミ受けは必ずしも良くなかったが、私は大平の勝利を喜び、福田の敗北を「ざまあみろ」と思ったものだ。
今にして思うと、福田赳夫は岸派の流れを汲む政治家の中では、もっともマシな部類だったのだが、岸信介がA級戦犯容疑者でありながら戦後わずか十数年で首相になった経緯などを知るにつけ、その嫌悪感は増すばかりだった。1979年に発覚したダグラス・グラマン事件で、岸の名前が「疑惑の政治家」として取りざたされると、嫌悪感はさらに増した。
その当時の高校生の頃が、私の人生の中でももっとも「左傾」した時期だったが、その頃に岸信介や福田赳夫と統一協会のただならぬ関係も知った。私は雑誌「噂の真相」を、その前身である「マスコミ評論」の時代から毎月立ち読みする習慣があったから、自民党右派の政治家と統一協会の関係に関する記事はしょっちゅう読んでいた。
このように私は岸の流れを汲む政治家全体が嫌いだったので、福田赳夫の後継者として登場した安倍晋太郎ももちろん嫌いだった。晋太郎がリクルート事件に絡んでいることが発覚し、総理大臣になるチャンスを逃した時は、これを喜んだものだ。だから、晋太郎の死後、安倍晋三が出てきた時、「いやなやつが出てきたなあ」と思ったものだ。
しかも、安倍晋三のタカ派ぶりは、福田赳夫や父・安倍晋太郎をもはるかに超えていた。例の「サンデー毎日」にスッパ抜かれた「戦術核の保有・使用は合憲」発言など、その最たるものだった。安倍晋三の名を高からしめた2002年の拉致被害者の帰国問題の頃、安倍が民主党の菅直人や社民党の土井たか子を指して「間抜け」と言い放った時には、頭に血が昇って、「間抜けは安倍晋三、お前自身だろうが」と思ったものだ。その頃、同じようなことを感じた2ちゃんねらーが「安倍の方が間抜けだと思った人の数→」というスレを立てていて、私はこれを愛読していた。
http://money.2ch.net/seiji/kako/1035/10350/1035050848.html
http://money.2ch.net/seiji/kako/1044/10449/1044929388.html
安倍が統一協会と癒着している疑惑は、これらのスレでたっぷり指摘されている。「安倍晋三ウォッチャー」にとっては、常識の範疇に属する事柄だったのだ。だから、昨年6月に安倍が統一協会に祝電を送っていたことが発覚した時も、「やっぱりな」としか思わなかった。
しかしそんな安倍をコイズミが引き立てた。そして、コイズミが人気取りを狙って安倍を引き立てれば引き立てるほど、私のイライラは嵩(こう)じていった。03年の総選挙を前に、安倍が自民党幹事長になった時も腹が立ったが、幸いにも同年の世総選挙と翌04年の参院選で自民党は連敗し、「実は安倍にはさほど人気がないのではないか」と思うようになった。
実は、このことは多くの自民党議員たちも感じていたのではなかろうか。しかし、安倍が幹事長代理に降格されていた05年秋にコイズミが仕掛けた「郵政解散・総選挙」はその狙いがズバリ当たり、自民党は大勝した。そして、その立役者のコイズミが事実上安倍を後継者に指名したものだから、誰も異議を申し出る者がなかった。狡猾な福田康夫は、対立候補として立つ愚を避け、安倍とは距離を置く作戦に出たが、大部分の自民党議員は、勝ち馬に乗れとばかりに安倍になびいた。私は当時、「安倍へ安倍へとなびく自民党の馬鹿議員どもは、もう論外。集団自殺でもしたいのか?(笑)」とからかったものだ。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20060910/1157843650
おめでたいと思うのは、この頃、「保守の星・安倍晋三さんがついに総理大臣になった」といわんばかりに、中西輝政や櫻井よしこを筆頭とする極右論壇が浮かれていたことである。彼らは、どうやら本気で安倍晋三に国民的人気があると思い込んでいたらしい(笑)。安倍人気が捏造されたものであることは、私には自明だった。
坂道を転げ落ちるがごとき、そこからの安倍については、改めてここでは書かない。私が安倍を激しく嫌う理由を続けるが、以上に書いたことのほかに、絶対に落とせない一点があって、私は既に90年代後半から「市場原理主義」(当時は「新自由主義」とはあまり言わなかった)とか「グローバリズム」が大嫌いだった。私は「グローバル・スタンダード」(実はアメリカン・スタンダード。「グローバル・スタンダード」は事実上和製英語)が声高に叫ばれる環境にいて、その非人間性を熟知していたからだ。毎度指摘するように、日本の経済政策の新自由主義化は、中曽根政権が始めた。バブルを生成させた責任も崩壊させた責任も、もっとも重いのは中曽根康弘だ。「失われた10年」の責任を宮沢喜一、細川護煕、村山富市、橋本龍太郎の4人に帰そうとするのは、新自由主義者のペテンである。そんなことは私には明らかだったから、コイズミが90%の支持率を誇った頃から「構造カイカク」には反対だった。だから、そのコイズミの経済政策をそっくり引き継いだ安倍は絶対に許せなかった。これと、高校生の頃からの右派嫌い、それに先輩議員たちを「間抜け」と言い放つ安倍の無礼さへの反発などが重なって、安倍晋三は私にとって古今東西の政治家の中でも岸信介と並んでもっとも嫌いな政治家になったのである。
その安倍が、考えられる限りもっとも惨めな辞任をして、実質的に政治生命を絶たれたのだから、これ以上の痛快事はなかった。ただ、忘れてはならないのは安倍の旧悪の追及であり、たとえば「週刊現代」が指摘した相続税脱税疑惑などは、時効にはなっているが、今後徹底的に追及されなければならないと思う。
以上が「極私的・安倍晋三論」である。安倍の退陣で、2001年4月26日の小泉内閣発足に始まった日本政治の異常などん底の時期は、6年と5か月(77か月)で終わった。後世の歴史家は、この時期を「失われた77か月」と呼ぶのではないかと思う今日この頃である。
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私はこれまでずっと、コイズミが「経済右派(経済極右)」であるのに対し、安倍晋三は「政治思想右派(政治思想極右)」であると論じてきたが、これはあくまで安倍をコイズミと比較した場合という意味であり、基本的に安倍はネオコンかつネオリベなのだ。
前にもご紹介したが、「ポリティカルコンパス」というのがあって、これは、政治経済のスタンスを2次元ダイアグラムで表し、縦軸を「政治軸」として上に保守(伝統、秩序、家族重視)、下にリベラル(自由、権利、個人重視)、横軸を「経済軸」として右に右派(市場原理主義、自由主義)、左に左派(社会主義、福祉国家)を位置づけたものだ。
リンク先の設問に答えると、各人の政治・経済問題に対するスタンスが診断されるようになっていて、前にも書いたが、私は政治的な右・左度(保守・リベラル度)が -4、経済的な右・左度(市場信頼派・政府介入派)が -4.81で、「リベラル左派」と判定された。新自由主義者は政治思想の「保守・リベラル」を問わず「右派」と判定される一方、旧来自民党の「保守本流」の人たちは、「保守左派」と判定されるのだと思う。また、共産党支持者は政治的な右・左度と経済的な右・左度がともに -10に近い値をとるようだ。なかなか面白い指標だと思う。
これでいくと、安倍晋三は政治的な右・左度が +10に近いと思われる。一方、経済的な右・左度は、そこまで極端ではないかもしれないが、やはり大きくプラスに振れた値をとるはずだ。なお、コイズミは経済的な右・左度では安倍よりさらに「右」の、+10に近い値をとるだろうが、政治的な右・左度はほとんどゼロに近いのではないだろうか。コイズミは靖国神社参拝を強行したため、「思想右派」と見られがちだが、これは単に数年前に多かった「思想右派」に媚びたコイズミの人気取りのパフォーマンスに過ぎず、実際には政治思想面では無思想に近いと私は考えている。
安倍の話に戻るが、安倍の「教育カイカク」はイギリスのサッチャー政権の教育政策にきわめて強い影響を受けたものであることは、当ブログでも何度か指摘した。たとえば下記の記事などである。
"安倍内閣 「教育カイカク」の行き着く先" (2月20日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-259.html
"「新自由主義」の存在と「哲学」の不在が教育の荒廃を招く" (5月24日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-350.html
これらの記事で指摘したように、サッチャーの「教育改革」はネオコン的要素とネオリベ的要素が入り混じった醜悪極まりない代物で、こういうのに心酔していた安倍晋三も、当然ながらネオコン兼ネオリベだというほかない。ついでにいうと、このイギリス式教育改革に入れ込んでいた大物議員として、平沼赳夫の名前が挙げられる。平沼もまたネオコン兼ネオリベというわけで、たかが郵政民営化に反対したくらいで、この平沼を「愛国者」と称賛する人たちの気が知れない。また、サッチャー亜流の「教育カイカク」の新自由主義的側面を城内実やその支持者がどう思っているのかも知りたいところだ。新自由主義政策は、何も郵政民営化に限られるものではない。
教育問題というと、絶対に忘れてはならない安倍政権の悪行は、昨年12月の「改正教育基本法」と今年5月の「教育改革関連三法案」の成立だ。後者については、Googleで検索をかけると、「サンデー毎日」の記事を紹介した当ブログのエントリが筆頭で引っかかるので、興味のある方はご参照いただきたい。
"安倍政治の目玉「教育改革関連三法案」の真の狙い" (5月21日)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-348.html
なんといっても痛恨なのは、一度成立した法案を廃止することは容易ではないことだ。おそらく来年に行われるであろう総選挙で野党が勝ったとしても、民主党にも結構「思想右派」や「経済右派」の議員は多いから、ことは簡単には運ぶまい。安倍晋三の爪痕を消し去るのは、容易なことではない。
安倍政権が内包した矛盾が、首相在任中に露呈したことは、昨日のエントリで、「論座」11月号に掲載された山口二郎氏の記事を引用しながら指摘した。安倍内閣が抱えていた問題点については、専門家たちの記事がいくらでも読めるから、ここでは、なぜ私がかくも安倍晋三を嫌うのか、その理由を書き記したい。
私はそもそも岸信介、福田赳夫、安倍晋太郎ら岸派のタカ派政治家たちが大嫌いだった。憲法をないがしろにし、政治改革を叫びながら、その実官僚と癒着しているというイメージをずっと持っていて、とりわけ福田赳夫と田中角栄の対比からそうした印象を強めていたのだろうと思う。私の世代だと、現役政治家としての岸信介は全く知らず、物心ついたときには佐藤栄作が首相で、佐藤は新聞に叩かれていた。幼心に、総理大臣というのは新聞に悪く書かれるものだと薄々感じていたところに、マスコミが絶賛する田中首相が現れた印象は鮮烈だった。しかしその田中も2年で没落し、今度は田中金脈と闘う三木武夫が首相になったが、この三木内閣もマスコミ受けは決して悪くなかった。特に、田中角栄前首相(当時)の逮捕までに至る過程で、マスコミは三木をずいぶん応援した。
その三木が「三木おろし」に遭って退陣したあと、福田赳夫内閣が発足したが、これが佐藤内閣以来の新聞に不人気な内閣だった。その頃になると、学校で政治経済の授業を受けるようになったが、靖国神社に公式参拝をしたり、週刊誌のインタビューに答えて有事法制の早期整備を促す「超法規発言」をするなど、そのタカ派の姿勢は政経の教師の不興を買っていたし、私も福田赳夫を強く嫌っていた。1978年の自民党総裁選で、大平正芳が福田赳夫を破った時、大平は「田中角栄の盟友」としてマスコミ受けは必ずしも良くなかったが、私は大平の勝利を喜び、福田の敗北を「ざまあみろ」と思ったものだ。
今にして思うと、福田赳夫は岸派の流れを汲む政治家の中では、もっともマシな部類だったのだが、岸信介がA級戦犯容疑者でありながら戦後わずか十数年で首相になった経緯などを知るにつけ、その嫌悪感は増すばかりだった。1979年に発覚したダグラス・グラマン事件で、岸の名前が「疑惑の政治家」として取りざたされると、嫌悪感はさらに増した。
その当時の高校生の頃が、私の人生の中でももっとも「左傾」した時期だったが、その頃に岸信介や福田赳夫と統一協会のただならぬ関係も知った。私は雑誌「噂の真相」を、その前身である「マスコミ評論」の時代から毎月立ち読みする習慣があったから、自民党右派の政治家と統一協会の関係に関する記事はしょっちゅう読んでいた。
このように私は岸の流れを汲む政治家全体が嫌いだったので、福田赳夫の後継者として登場した安倍晋太郎ももちろん嫌いだった。晋太郎がリクルート事件に絡んでいることが発覚し、総理大臣になるチャンスを逃した時は、これを喜んだものだ。だから、晋太郎の死後、安倍晋三が出てきた時、「いやなやつが出てきたなあ」と思ったものだ。
しかも、安倍晋三のタカ派ぶりは、福田赳夫や父・安倍晋太郎をもはるかに超えていた。例の「サンデー毎日」にスッパ抜かれた「戦術核の保有・使用は合憲」発言など、その最たるものだった。安倍晋三の名を高からしめた2002年の拉致被害者の帰国問題の頃、安倍が民主党の菅直人や社民党の土井たか子を指して「間抜け」と言い放った時には、頭に血が昇って、「間抜けは安倍晋三、お前自身だろうが」と思ったものだ。その頃、同じようなことを感じた2ちゃんねらーが「安倍の方が間抜けだと思った人の数→」というスレを立てていて、私はこれを愛読していた。
http://money.2ch.net/seiji/kako/1035/10350/1035050848.html
http://money.2ch.net/seiji/kako/1044/10449/1044929388.html
安倍が統一協会と癒着している疑惑は、これらのスレでたっぷり指摘されている。「安倍晋三ウォッチャー」にとっては、常識の範疇に属する事柄だったのだ。だから、昨年6月に安倍が統一協会に祝電を送っていたことが発覚した時も、「やっぱりな」としか思わなかった。
しかしそんな安倍をコイズミが引き立てた。そして、コイズミが人気取りを狙って安倍を引き立てれば引き立てるほど、私のイライラは嵩(こう)じていった。03年の総選挙を前に、安倍が自民党幹事長になった時も腹が立ったが、幸いにも同年の世総選挙と翌04年の参院選で自民党は連敗し、「実は安倍にはさほど人気がないのではないか」と思うようになった。
実は、このことは多くの自民党議員たちも感じていたのではなかろうか。しかし、安倍が幹事長代理に降格されていた05年秋にコイズミが仕掛けた「郵政解散・総選挙」はその狙いがズバリ当たり、自民党は大勝した。そして、その立役者のコイズミが事実上安倍を後継者に指名したものだから、誰も異議を申し出る者がなかった。狡猾な福田康夫は、対立候補として立つ愚を避け、安倍とは距離を置く作戦に出たが、大部分の自民党議員は、勝ち馬に乗れとばかりに安倍になびいた。私は当時、「安倍へ安倍へとなびく自民党の馬鹿議員どもは、もう論外。集団自殺でもしたいのか?(笑)」とからかったものだ。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20060910/1157843650
おめでたいと思うのは、この頃、「保守の星・安倍晋三さんがついに総理大臣になった」といわんばかりに、中西輝政や櫻井よしこを筆頭とする極右論壇が浮かれていたことである。彼らは、どうやら本気で安倍晋三に国民的人気があると思い込んでいたらしい(笑)。安倍人気が捏造されたものであることは、私には自明だった。
坂道を転げ落ちるがごとき、そこからの安倍については、改めてここでは書かない。私が安倍を激しく嫌う理由を続けるが、以上に書いたことのほかに、絶対に落とせない一点があって、私は既に90年代後半から「市場原理主義」(当時は「新自由主義」とはあまり言わなかった)とか「グローバリズム」が大嫌いだった。私は「グローバル・スタンダード」(実はアメリカン・スタンダード。「グローバル・スタンダード」は事実上和製英語)が声高に叫ばれる環境にいて、その非人間性を熟知していたからだ。毎度指摘するように、日本の経済政策の新自由主義化は、中曽根政権が始めた。バブルを生成させた責任も崩壊させた責任も、もっとも重いのは中曽根康弘だ。「失われた10年」の責任を宮沢喜一、細川護煕、村山富市、橋本龍太郎の4人に帰そうとするのは、新自由主義者のペテンである。そんなことは私には明らかだったから、コイズミが90%の支持率を誇った頃から「構造カイカク」には反対だった。だから、そのコイズミの経済政策をそっくり引き継いだ安倍は絶対に許せなかった。これと、高校生の頃からの右派嫌い、それに先輩議員たちを「間抜け」と言い放つ安倍の無礼さへの反発などが重なって、安倍晋三は私にとって古今東西の政治家の中でも岸信介と並んでもっとも嫌いな政治家になったのである。
その安倍が、考えられる限りもっとも惨めな辞任をして、実質的に政治生命を絶たれたのだから、これ以上の痛快事はなかった。ただ、忘れてはならないのは安倍の旧悪の追及であり、たとえば「週刊現代」が指摘した相続税脱税疑惑などは、時効にはなっているが、今後徹底的に追及されなければならないと思う。
以上が「極私的・安倍晋三論」である。安倍の退陣で、2001年4月26日の小泉内閣発足に始まった日本政治の異常などん底の時期は、6年と5か月(77か月)で終わった。後世の歴史家は、この時期を「失われた77か月」と呼ぶのではないかと思う今日この頃である。
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ささいなことへの反応ですが、、、郵政民営化に反対した自民党議員への評価が違ってる場合が多い気がするのです。彼らの多くは族議員として己の利権を守るための反対だったと思うのです。民営化が間違いだったことが明白になるにつれ、利権・選挙基盤という自己利益のために反対した人まで、愛国者(?)視されてきている気がします。決して許される評価ではないと思います。平沼など復権させてはいけないと思うのですが。。。
2007.10.10 12:36 URL | TOJC #YD14tAto [ 編集 ]
2000年代よりはまだ、1990年代は幸福な時代でしたね。
2007.10.10 13:18 URL | ナナシ #- [ 編集 ]
このコメントは管理者の承認待ちです
2012.09.27 04:08 | # [ 編集 ]
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祝、きまぐれな日々100万アクセス達成
昨日夜遅くのきまぐれな日々です。この数字なんで昨日か一昨日あたりに通過したのだ
2007.10.09 12:00 | 雑談日記(徒然なるままに、。)