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きまぐれな日々

 今回の記事を含めてあと12回で終わらせると自ら決めているこのブログの記事だが、そのたった12回の更新にさえ気が乗らないくらい重苦しい空気にこの国は覆われている。

 昨夕(7/24)ようやく出された岸田文雄の自民党総裁選不出馬表明などあまりに予想通りで拍子抜けするくらいだった。岸田はおそらく3年後の安倍晋三から「禅譲」を受ける密約を交わしていると思われるが、そんなものはかつて岸信介と大野伴睦が交わした密約と同様に反故にされるに決まっている。そんなこともわからない岸田は、そもそも総理総裁の器でないとしか言いようがない。

 2015年の自民党総裁選もそうだったと記憶するが、安倍晋三はとことん政敵を総裁選不出馬に追い込む戦略を立てている。独裁志向の強い安倍ならではのことだが、これにはかつての民主党に先例がある。2008年の民主党代表選を無投票にしてしまった小沢一郎がそれだ。徹底的な反民主主義的体質という点で、小沢一郎と安倍晋三とは共通している。それと比較すると、2008年に麻生太郎が選ばれた当時の自民党には、まだ党内で競う文化が残っていたといえようか。今はもちろんそんな文化は影も形もなく、自民党内の民主主義などないに等しい。

 それよりももっと深刻だと私が思うのは、「野党共闘」勢力内部でも、自民党と同様にタブーだらけで自由にものが言える空気がないように見受けられることだ。

 タブーの対象はいくつかある。まず小沢一郎がそうだ。昨年、あれほどあからさまに前原誠司新代表の民進党と小池百合子とをくっつけようと画策し、その結果、小沢が小池に切られたのだが、驚いたことに「野党共闘」集団内で小沢が断罪されるどころか批判されることすらなく、元々小沢が属していた民進党系のみならず、共産党までもが小沢に選挙協力した。

 小沢がタブーの対象になっていることの論理的帰結として、小選挙区制の見直しもまた「野党共闘」集団内でのタブーになっている。

 また、最近特に気になっているのが、「野党共闘」集団内の「菊のタブー」である。

 これを考えるきっかけになったのが、白井聡のトンデモ本『国体論 - 菊と星条旗』(集英社新書)だった。この本のトンデモさを一言で指摘したのは中島岳志だった。中島は、本に開陳された白井の考えについて、下記のように鋭く指摘している。
http://bunshun.jp/articles/-/7756

 白井は、今上天皇の決断に対する「共感と敬意」を述べ、その意思を民衆が受け止めることで、真の民主主義が稼働する可能性を模索する。

 この構想は危ない。君民一体の国体によって、君側の奸を撃つという昭和維新のイマジネーションが投入されているからだ。

(文春オンライン 2018年6月17日)


 もっとも、この文章のすぐあとに、中島は

白井は、そんなことを百も承知で、この構想を投げかける。それだけ安倍政権への危機意識が大きいのだろう。

 激しい問題提起の一冊である。

(同前)

という、なくもがなの文章をつけ加えて書評を締めくくり、せっかくの鋭い批判を自ら台無しにしてしまっているのだが、それでも、「君民一体の国体によって、君側の奸を撃つという昭和維新のイマジネーションが投入されている」という中島の指摘は貴重だ。

 ネットで見る限り、白井の思想は北一輝や2.26事件の青年将校を思わせるものだとの指摘は他にもあった。しかしそうした指摘をした人たちは少数で、しかも保守派が多かった。

 この点について、左派で見るべき指摘をしたのは、リフレ派の論客として特に旧民主・民進系の人たちから評判の悪い松尾匡くらいしか思い当たらない。松尾の指摘については、『kojitakenの日記』に紹介したばかりなので、興味のおありの方はそちらを参照されたい(下記URL)。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20180722/1532240003

 白井聡はひたすら「対米自立」を追い求めるのだが(その議論はかつて孫崎享がトンデモ本『戦後史の正体』と瓜二つであるように私には思われる)、それに対して、白井は

現実に対米自立が実現したらどんな自立になる可能性が一番高いかということについて、怖い想定を何もしていない

と指摘し、さらに

たとえきっかけでも、天皇の声に応答して、しかもその声が国民統合の仕事をさせてくれという声で、しかもその仕事が霊的な「祈り」である時に、現れる可能性が一番高いのは、やはり右翼ナショナリズムの運動でしょう。

と畳み掛ける松尾の議論に、私は強い説得力を感じる。

 しかし困ったことに、最近の白井聡は巧妙に日本共産党に食い込んでいて、同党の機関紙『しんぶん赤旗』に登場している。そのせいもあってか、共産党系の人たち(党執行部、党員、党支持者)から白井聡に対する批判が全く聞こえてこないのが現状だ。

 思い出すのは、数年前に共産党執行部の人たちが、確か脱原発デモでのことだったかと記憶するが、(国粋主義系「反米愛国右翼」である)孫崎享と肩を並べて行進していたことだ。あの頃から懸念していたが、共産党の右傾化は近年ますます露骨になってきている。

 なお、松尾匡の専門は、いうまでもなく天皇論ではなく経済学だが、近年松尾が出している一般書(その一部しか私は読んでいないが)に提言されている経済学は、特に松尾の専門である数理マルクス経済学からくるものというより、欧米のリベラル・左派言論ではごく一般的である「反緊縮」を基調として、その一環として安倍政権の経済政策のうち金融緩和のみを肯定的に評価しているものだと思われる。

 しかし、財務省や「保守本流」や朝日新聞が昔から財政再建にこだわり続けてきた伝統を無批判に受けついでいる(ようにしか見えない)旧民進党系の人たちには松尾の考え方は全く受け入れられないもののようだ。

 彼らの思考の硬直性も、前記の共産党系の人たち(「民主集中制」を、その縛りを受けないはずの非党員の一般支持者までもが進んで墨守しているように見える)に負けず劣らずひどい。

 彼らの中には松尾の政策の賛同者を「松尾信者」と呼ぶ者さえいるが、そんな彼ら自身が1997年と2014年の二度にわたって消費増税が景気を大きく悪化させた事実を直視できないのだから、彼ら自身こそ「消費増税信者」と呼ぶほかないのではなかろうかと私は思う。

 共産党系も旧民進党系(立憲民主党その他)もかくの如し。これが「崩壊の時代」の閉塞感というものか。

 あと何年か安倍晋三の悪政をやり過ごし、その後にくるであろう後継者の時代のカオス(混沌)をやり過ごしながら人生の終わりに近づくほかないのかと思うと、心底うんざりする。

 せめてあと11回更新して、このブログの最終回を迎えるまでには、少しは希望が見えれば良いのだが。
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 11年前、2007年の6月は、「消えた年金」問題が発覚して、4月・5月に支持率を持ち直しつつあった第1次安倍内閣が一気に奈落に突き落とされるきっかけになった月だった。

 その11年後の2018年6月は、末期症状を呈しつつあるかに見えた安倍内閣支持率が、2015年と昨年、2017年のそれぞれ8月に続いて、三たび、あるいは四たびだろうか、支持率をV字回復させるという痛恨の月となった。現時点で既に、9月の自民党総裁選で安倍晋三が3選されることはほぼ不可避の情勢となった。

 この1か月では新潟県知事選と米朝首脳会談が大きかった。

 後者では安倍晋三は何もしなかった、というより何もできなかったのだが、NHKや読売、産経といった御用メディア、ことに大きなできごとになると頼る人々の多いNHKが「外交の安倍」という大キャンペーンを打って「大本営発表」を垂れ流した悪影響がもろに出た。これは、それに先立つ南北首脳会談で安倍が「蚊帳の外」に置かれていたとする正当な指摘に対して官邸が大々的な反撃に打って出たものとみるほかない。官邸の御用メディアコントロールといえば、文科省元事務次官の前川喜平を陥れようとした昨年6月の読売新聞の報道に典型的に見られるように、(もともと右翼の跳ねっ返りを喜ばせるためのメディアだと誰もが知っている産経新聞はともかく)、NHKや読売といった世間一般では(私は全くそうではないが)比較的信頼されている大メディアを使って臆面もなくフェイクニュースを垂れ流させるという由々しき段階に達した。その手口のおぞましさは、安倍晋三が政権をトリモロした2012年以前には想像もつかなかったほど厚かましく破廉恥そのものだ。中でも最悪なのは岩田明子の「解説」であって、あれはもはや朝鮮中央テレビを笑うことなど全くできないレベルにある。

 この御用メディアの大キャンペーンによって、昨年来「人柄が信用できない」とする人が増えて、しばらく前に謎の「失脚」をした木下ちがや(「こたつぬこ」)氏あたりが、もう以前のように内閣支持率が回復することはないと予言していた安倍内閣支持率が、木下氏の楽観的予想に反してまたしても「V字回復」を遂げてしまったのだった。

 私が連想するのは、1944年10月に突如大々的垂れ流された、台湾沖航空戦で日本軍が大戦果をあげたという「大本営発表」だ。久々の「日本軍の勝利」に当時の日本国民は沸き返ったというが、実際には日本軍の戦果など何もないただの虚報だった。今回の米朝首脳会談をめぐるNHKや読売の報道は実質的にそれと同じだ。二度目は笑劇として繰り返されている「崩壊の時代」の崩壊はもうここまできた。

 安倍晋三がここまでメディア支配を完成させるまでには、思えば長い年月があった。古くは2001年のNHK番組改変問題にまで遡れる。これを朝日新聞が報じたのは2005年だったか。しかし朝日は腰砕けとなって安倍と故中川昭一に謝罪してしまった。その間に魚住昭が安倍と中川からの圧力をあったことを立証する記事を月刊『現代』に発表したにもかかわらず、不可解な屈服だった(朝日は同じ誤りを2014年の「慰安婦報道」撤回で繰り返した)。

 その後、一時は政権を投げ出した安倍晋三は政権に返り咲くと、百田尚樹をNHK経営委員に、次いで籾井勝人をNHK会長に次々と送り込んで、NHKの報道を「大本営化」させてしまった。私はもう数年前からテレビのチャンネルをNHKに合わせることはほとんどなくなっている。ここ数年のNHKの報道に対する私の信頼度はゼロなのだが、このような人間では今の日本ではごく少数派なのだろうと自覚している。メディアを支配した権力の暴走はとどまるところを知らない。読売はいつだったか前記木下ちがやが指摘した通り、もはや渡邉恒雄(ナベツネ)はグリップしていないと見られるが、エピゴーネン(追随者)は常に本家本元よりもたちが悪いという私の経験則の通り、ナベツネ全盛時代でもみられなかったほど堕落してしまった(その代表例が前記の前川喜平をめぐる虚報だ)。

 ところで、腐敗した政権の暴走が末期的な段階に達しているにもかかわらず、「野党共闘」の迷走はもはやお花畑の域に達している。新潟県知事選の敗因を総括せよとは、たとえば世論調査の分析で定評のある「はる」氏や、私のあまり好まない菅野完なども言っているが、「野党共闘」の中核をなす指導者たち、具体的には志位和夫、小池晃、枝野幸男、辻元清美、岡田克也といった人たちの言動からは総括どころか反省の色さえみられない。

 特に頭にくるのは労働の規制緩和の総仕上げともいうべき「高プロ」反対のアピールが「モリカケ」問題追及に比べて力が入っていないように見えることと、それと対をなすかのように、新潟県知事選でもみられたように、こともあろうに小泉純一郎と「共闘」している惨状だ。

 高プロが世紀の悪法であることは言うを俟たないが、その前段階として派遣労働の対象拡大という労働の規制緩和があった。小泉純一郎はそのうち、製造業への派遣労働の解禁を定めた2003年の派遣法改定(改悪)に総理大臣として関与したゴリゴリの新自由主義者だ。首相在任中に竹中平蔵と組んだ悪行は実にひどかったが、そんな小泉純一郎と「脱原発」で共闘しているのが今の「野党共闘」だ。

 新潟県知事選の直後に、東京電力が同社の福島第二原発の4基を廃炉にする方針を表明したが、東電がこれを知事選の前ではなくあとに表明したのはむろん意図的だ。投票前に表明した場合、東電が保有する原発で残るのは柏崎刈羽原発だけとなるため、自動的に原発が知事選の争点になる。それを配慮したものであることは明らかだ。

 逆にいえば、2011年の東日本大震災字に起きた東電福島第一原発事故(以後、東電原発事故)以来、「脱原発」のベクトルの方向を持つ惰性力が強く働いており、それに権力ずくで対抗しようとしているのが安倍政権と経産省だといえる。

 米山隆一が勝った2016年の新潟県知事選では、その「空気」というか惰性力の強さを読めなかった自公候補の森民夫がうっかり原発を争点にしてしまったとも聞く。今回の花角英世は極右人士ばかり応援に仰ぐようなとんでもない人間だが、森民夫が犯した誤りは繰り返さなかった。「野党共闘」側は争点隠しだというが、そもそも不利な土俵に自分から上がる馬鹿はそうそういない。「脱原発シングルイシュー」あるいは「脱原発プラス『モリカケ』」で自公候補に勝てるという「野党共闘」側の甘い見通しこそ批判されなければならない。

 しかし、「民主集中制」の共産党と「元祖新保守主義・元祖新自由主義」の象徴にしてかつては多数の[信者」を抱えていた小沢一郎、それに「下からの(草の根)民主主義」というのはどうやら看板だけだったらしいことがはっきりしてきた、小沢と同根ではないかとさえ疑われる立憲民主党とが組んだ「野党共闘」にはどうやら批判に耳を傾けるつもりは毛頭ないらしい。ある意味安倍政権と似た体質を持っているともいえる。「野党共闘」内では、2013年に自由党の前身である生活の党が自民・維新とともにカジノ法案を共同提出した過去を問う議論さえタブーになっている。一説によると、当時生活の党がこれに加わったのは、前年の衆院選で袖にされた橋下徹との連携になお未練を持っていたからではないかともいわれる。橋下といえば、小泉純一郎に優るとも劣らない新自由主義者だ。

 こんなざまだから、「野党共闘」は高プロ反対の世論を盛り上げることさえままならず、敗北に敗北を重ね続けるのかと思ってしまう。

 2018年も早くも半分が過ぎようとしているが、年の前半はますます暗さを増す一方だった。
 先週金曜日(25日)に、政府やマスメディアが「働き方改革法案」と呼んでいるいくつかの法案を束ねたものが、衆議院の厚生労働委員会で強行採決の末可決された。これについて、概略を元民主党衆議院議員の小宮山洋子氏がまとめたブログ記事(下記URL)が『BLOGOS』に掲載されていたので、以下に引用する。
http://blogos.com/article/299828/

働き方改革法案 委員会で強行採決

政府、与党が、この国会の最重要法案と位置づける働き方改革関連法案が、先ほど、衆議院厚生労働委員会で採決が行われ、一部修正のうえ、自民・公明・日本維新の会の賛成多数で可決されました。

この法案は、何回も指摘しているように、規制強化と規制緩和のいくつもの法案をひとつにまとめたもので、これは分けて十分な審議をすべきものです。

委員会採決について、立憲民主党、国民民主党、共産党は、厚生労働省が平成25年に行った労働時間の調査結果の一部に誤りの可能性が高いものが確認されたことなどから、「審議は不十分で、採決には応じられない」と主張し、昨日25日に審議、採決を、という与党側と折り合いませんでした。

このため自民党の高鳥委員長が25日に委員会を開いて、法案の質疑採決を行うことを職権で決めました。

野党側は加藤厚労相の不信任決議案を提出しましたが、本会議で否決され、委員会採決となりました。

働き方を改革することは、超少子高齢社会で働き手が少なくなっていくことからも喫緊の課題です。

方向性としては、男女を問わず、人間らしく働ける、心身ともに健康で能力を発揮できる環境整備のはずです。ところが、同一労働同一賃金も実効性が疑われるもので、長時間労働の規制も過労死の限度時間を上限とするなど、働く側にとっては不十分なものです。

一方で、経営者が強く望んだ高度プロフェッショナル制度は、過労死の危険が増すという、労働組合や過労死家族の会など多くの反対を押し切って導入されることになってしまいます。

この高プロ制度というのは、対象者は専門的で高度な知識などが必要な職種で、新たな契約によって全労働者の平均の3倍(1057万円)の年収が見込まれる人たちです。

それなら関係ないと安心してはいられないのは、経団連などが、すでに年収要件の引き下げを求めているからです。

派遣労働のように、一度堰を切ったら、どんどん広げられる恐れがあります。

問題なのは、経営者が法に基づいて労働者を長時間労働させることが可能になることです。

経営者は「年間104日」かつ「4週で4日」以上の休日を確保すれば、1日何時間でも働かせることができることになります。

必要と考える労働者がどれ位いるのか、厚労省は12人の研究者などからしかヒアリングをしていません。

日本維新の会が、高プロで働く本人が制度適用への同意をした後に撤回できる規定などを設ける修正案を出し、そうなりましたが、経営者と労働者の力関係があり、このことで改善されるとは思えません。

安倍首相は、面会を求める過労死家族の会のメンバーとの面会を断りました。

都合の悪い人たちとは会わず、お友達とは秘密裡に会う、ということなのでしょうか。

この法案では、働き方改革ではなく、働かせ方改革になってしまいます。

参議院で、さらに審議を尽くしてもらいたいと思います。

(『BLOGOS』掲載記事 小宮山洋子 2018年05月26日 08:23)


 少し前に厚労省のデータの誤りが発覚して、本来この「働かせ方改革法案」に盛り込もうと安倍政権が狙っていた「裁量労働制」に関する法案の提出断念に追い込まれたが、その裁量労働制と同じ問題をはらんでいる上、裁量労働制よりさらに悪質な「高度プロフェッショナル制度」を定めた法案が、政権の狙い通り衆議院の委員会を、強行採決の形をとったとはいえ私の目には簡単に通ってしまったように見えた。

 私自身について書くと、四半世紀前の1993年に短期間裁量労働制下で働いたことがある。その後ほどなくして、残業代のもらえない身分になった(私が当時勤務していた企業では、係長級以上になると残業手当がつかなかった)。しかしその企業のうち一部の部署には長時間労働の悪弊があり、私が属していた部署もそうだった。そして私自身あわや過労死の病気を患った経験があるし、その数年後には単身赴任者が月200時間以上もの時間外労働を強いられて脳内出血で倒れてしまった事例にも遭遇した(この時、彼の上司は「事情により出向元の関連会社に戻ってもらうことになりました」とだけ言って真相を社員から隠した)。また、その後転職して働いた企業では、小泉純一郎政権時代の2004年に製造業にも解禁された派遣労働者を部下に持って、全国から職を求めて集まってくる派遣労働者の低賃金が動機となって犯した犯罪行為の実例にも遭遇した。それは、雨宮処凛氏が著書に書いた実例とそっくりのものだった。

 以上の経験を持つ私から見て、下記つしまようへい氏の一連のツイートの指摘は的確そのものだと思ったので、以下に引用する。

https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1000364781973393408

1993(平成5)年の裁量労働制に関する国会での議論の読むとかなり興味深い内容。 裁量労働制について、遂行方法の裁量はあるが、業務量の裁量はない場合どうするのかという質問に対して政府が答えている。高プロの議論とよく似ている。ちょっと長いけれどぜひ読んでみて。 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/126/0340/12604230340009a.html


 以下、1993年4月23日の第126回国会・労働委員会の議事録から引用する。

○石田(祝)委員 安易な拡大をしないということですから、これはどういう形になるのか、ぜひ厳しくやっていただきたいというふうに私は思います。
 それで、この裁量労働制で私は一番大きな問題だと思うのは、要するに、裁量できる範囲というのは、仕事のやり方とか時間を裁量はできるわけですけれども、仕事の量そのものを裁量はできないということだと思います。
 例えば、私が読んだ鼎談というのでしょうか、労働基準法についてのそういう座談会の中でフランスの例を挙げている方がいらっしゃいまして、その中に、その方が企業調査でフランスへ行った、そのときに、フランスの労働省の説明では裁量労働が認められるのはいわゆるガードルという管理職だけと聞いていたけれども、ある研究所に行くと事務員からテクニシャンを含むほとんど半分ぐらいの人が裁量労働の契約を結んでおった、こういうことを知ってびっくりしたという話もあったのです。そしてその中で、裁量労働を結ぶときに条件があった、三つあるということでその方は述べておりましたけれども、一つには本人と必ず書式、書面の契約を結ぶ、それから二番目として、原則として時間の拘束はなくフレックス、これは日本でも同じなようでありますが、そして三番目に仕事の量が適切なものである、こういう三つの条件があったようであります。
 ですから、私は、最初に申し上げましたように、この裁量労働の大きな問題は仕事の量そのものは自分では裁量できない、こういうことではないだろうかと思うのです。企業というものは、例えば一年間でやる仕事の量、これこれの人数の裁量労働のグループはこれこれの量の仕事だ、こういうふうにやっておっても、年度の途中でも仕事が入ってくる。こういう仕事をぜひおたくのこの部門でやってもらいたいというふうに来られたら、いや、うちは裁量労働で労使で協定を結んでこの一年間はこういう仕事しかやりません、お引き受けできませんといって断るところはまずないと私は思うのです。ですから、仕事の量が裁量できないということを考えてどういうふうな歯どめをお考えになるのか。これは私は大事な問題ではないかと思いますが、どういう歯どめを考えていらっしゃるのか、お答えをいただきたいと思います。


 赤字ボールドの部分は、前記つしま氏のツイートに引用された画像で赤字ボールドになっていたのに準じたが、そうだ、それこそが裁量労働制の問題点なんだよ、と私も強く思った。そしてそれと同じ問題が高プロにはある。しかも裁量労働制ではまだみなし残業代がついたが(この手当がつくこと自体、経営者が残業を必要とする労働を前提としていることを意味するが)、高プロには残業手当すらない。もちろん深夜業手当もない。

 上記に続くつしま氏の4件のツイートを続けて引用する。

https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1000366290295390208
https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1000368703458852865
https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1000369670988349440
https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1000370343549194240

 政府は最初、裁量労働制は裁量で判断できるから大丈夫だと説明する。でも業務量が増えたらどうすればいいのかを繰り返し聞かれて、最終的に政府は、業務量が過大になった場合は、みなし労働時間を見直すか、人員を増やすことが必要になるので、労使協定を見直せばいいと言っている。

 で、それから25年がたってどうなった? みなし労働時間と実労働時間が大きく乖離しても、労使協定が見直される事例はまれだろう。裁量労働制の適用労働者が過労死する事例すらある。このときの政府答弁が想定した仕組みは機能していない。

 みなし労働時間と実労働時間が「●時間」乖離した場合は、裁量労働制の適用除外になるとか、裁量労働制適用労働者に対しても、「時間外労働」の上限規制を設けるなどの規制を設けるべきではないか?

 そして、これ、高プロでも必ず同じことが起きると思う。今政府は「対象労働者の裁量を失わせるような過大な業務を課した場合は制度が適用されない」と説明するが、何が過大な業務なのかの説明はまったくない。

  「過大だったら後から見直せ」だけでは、裁量労働制の二の舞になる。具体的な上限が必要だ。


 本当にその通りだ。

 ところで、今回の「働かせ方改革」法案の審議に関して全く予想もしていなかったことは、裁量労働制の間違ったデータの件ではあれほど批判の論陣を張った野党やマスメディア、それに市井の反安倍政権の人々の抵抗がいたって弱かったことだ。裁量労働制のデータ偽造の際にあれほど注目された上西充子氏が、各紙の報道を比較してそれを批判したツイートを上げても、彼らの反応は鈍かった。朝日新聞や東京新聞が、委員会強行採決の翌日の社会面に取り上げなかったことが、「怒りの温度」のどうしようもない低さを示している。

 11年前に同じ安倍晋三がホワイトカラーエグゼンプションを労働基準法に盛り込もうとした時とは、あまりにも違い過ぎる。これもつしまようへい氏のツイートから引用する。

https://twitter.com/yohei_tsushima/status/1000189039905914880

約10年前、安倍首相がホワイトカラー・エグゼンプションを断念したとき、なんて言ったか。 「現段階で国民の理解が得られているとは思わない。働く人たちの理解がなければうまくいかない」 今回も理解は得られていない。世論調査でも明らか。でも強行採決した 今の政権の強引さを表している。


 当時の状況で思い出されるのは、第1次安倍内閣発足直後から、『週刊現代』と『週刊ポスト』の2誌が競って安倍政権批判を展開し、ホワイトカラーエグゼンプションは「残業ただ働き法案」とあだ名をつけられて徹底的に叩かれた。内閣支持率は急落し、自民党からも労基法「改正」に慎重論が続出して、安倍晋三はあっけなく法案の改正案提出断念に追い込まれたのだった。

 だが今回はそれもない。前回から今回までの間に、2度政権交代があって、そのたびに(つまり民主党への政権交代時も含めて)「官邸主導」が強まり、その結果自民党内から高プロを見送るべきだという反対意見は出なくなった。また世論の反発も弱く、5月に入ってから(連休直後にはよくあることとはいえ)内閣支持率がわずかながら上昇するありさまだった。

 それにも増して違ったのは野党の態度だ。私が一番呆れたのは、今回の「働かせ方改革」法案強行採決の直前に共産党の志位和夫が上げたツイートだった。

https://twitter.com/shiikazuo/status/999598901098246144

「小泉元首相、池田氏にエール」 小泉純一郎元首相からの嬉しいエールです! 今日から開始された新潟県知事選挙! 「原発ゼロ」の声を新潟から発信しよう! 私も2日には応援にうかがいます!


 前述のように、小泉政権時代に派遣労働が製造業に解禁になった。これと、派遣労働の対象を一部限定から原則容認へと変えた1999年(小渕政権時代)の二度の法改正が、派遣労働による貧困を招く元凶となった。

 小泉純一郎は、それにとどまらず竹中平蔵と組んで新自由主義の悪政を敷いた。なんと言っても「格差のどこが悪いんですか」と国会の答弁で言い放った男だ。そんな小泉が新潟県知事で「野党共闘」の候補を応援すると言って狂喜する共産党の委員長。これも11年前には考えられなかった光景だ。

 そして、この志位のツイートに「いいね!」をつけた人間がこの記事を書いている時点で1,345人もいる。どうしようもない。これでは「高プロ」が易々と国会を通るはずだ。

 共産党は、今回の「働かせ方改革」法案の審議に関連して、国民民主党、立憲民主党と競うように労働基準法の改正案を出した。残業時間の上限は月45時間、年間360時間というリーズナブルなものだった。これと比べると立民の案では80時間、国民の案では100時間だが、立民の案だと1日平均4時間、国民の案だと同5時間残業させても合法になってしまう。とうてい労働者の側に立った方改正案とは言い難いものだ。それに比べて共産党の案はもっともすぐれている。

 また、同党の機関紙『しんぶん赤旗』の経済面には、欧米では労働生産性と賃金がセットで上昇しているのに対し、日本では、生産性アップの果実が労働者に還元されておらず、大企業の内部留保と高額の役員報酬に消えてしまっていることを指摘する記事が、それを一目瞭然で示すグラフとともに掲載されたという。これは、共産党系の「カクサン部長」氏のツイート(下記URL)に示されている。
https://twitter.com/kakusanbuchoo/status/999607445126172673

 こうしたせっかくの下部の活動をぶち壊しにしているのが、小泉純一郎の新潟県知事選応援に狂喜し、昨年秋には希望の党設立に小沢一郎が関与したことを不問に付した上、岩手3区で小沢を支援までさせた志位執行部だというほかない。

 これは、土台と上部構造とが合致していない状態にしか私は見えないが、このように土台と乖離した上部構造を守っているのが「民主集中制」なのではないか。強い疑問を感じる。

 もちろん、問題は共産党だけにあるのではない。微温的な労働基準法改正案しか出せなかった立憲民主党や国民民主党なども強く批判されるべきだし、与党でも25年前に裁量労働制についての質問をした「石田(祝)委員」というのは、現在も公明党衆院議員を務める石田祝稔のことではないだろうか(議事録の一番最初にフルネームが記載されている)。その石田は、今後行われる衆院本会議での採決では間違いなく法案に賛成票を投じるはずだ。

 自民党に至ってはもう論外で、委員会採決の時にぴょんぴょん跳び跳ねながら両手を振り上げて議員の規律を促すなど、軽薄に喜んでいた堀内詔子という議員は、希望の党から立候補して落選した小沢一郎系の元衆院議員・木内孝胤のさらに上を行く、究極の超エスタブリッシュメント階級の世襲議員だ。なんと、明治の元勲・大久保利通から数えて6代目の人で、係累や配偶者には歴代のエスタブリッシュメントたちが目白押しだ。山梨の選挙民は、よくこんな人に投票したものだと呆れ返る。

 この堀内詔子のような議員を抱えた「階級政党」たる自民党がゴリ押しした「働かせ方改革」法案によって日本の労働者はますます疲弊し、国力は衰える一方だ。深い絶望感を抱かずにはいられない。
 連休前に、安倍政権への追及ムードに水を差す野党の合併があった。連合会長・神津里季生の肝煎りで成立した国民民主党(略称・国民党)の発足だ。昨年末以来、民進党が解党するなどいろんな話があったが、結局解散したのは希望の党で、民進党が存続政党となって解散した希望の党の議員を吸収する形で成立した。その過程で、旧希望の党の新党参加希望者を集めた国民党(略称ではなく正式名称、代表は玉木雄一郎)なる政党が1日だけ存在したらしい。これは民進党と合併するための形式的な政党だった。

 この政党からは、一応希望の党創立時の議員(小池百合子の用語法では「チャーターメンバー」)の多くは排除された。だから細野豪志、長島昭久、松原仁、笠浩史らは入っていない。ただ後藤祐一だけは国民民主党(国民党)に入った。まら、創立時の議員ではないが実質的には限りなくそれに近い前原誠司が加わっている。これは、国民党成立に関与した神津里季生自身が前原・小池(・小沢)らとつるんでいた経緯からそうなったものだろうが、前原の厚顔無恥さには開いた口がふさがらない。

 一方、民主党・民進党時代からの大物議員の多くは国民党に参加せず、国民党の成立前に民進党を離党した。岡田克也、野田佳彦、玄葉光一郎らだ。

 特に、岡田克也が不参加を早々に表明したことが大きかった。このことが、希望の中では比較的中道寄りの言動をしていながらどっちつかずだった議員(たとえば香川の小川淳也ら)を不参加へと踏み切らせた。岡田は、一昨年の参院選で「野党共闘」に腐心したものの、敗戦を細野豪志ら当時の民進党右派議員に追及された上、東京都知事選で鳥越俊太郎が小池百合子に歯が立たない情勢が明らかになっていたことから民進党代表を投げ出した経緯があった。その岡田が不参加とあっては、同じ参院選で香川選挙区を共産党に譲るのに骨を折った小川が国民党に加わる気がしなくなったのも当然だ。もちろん、従来から希望の党内で反旗を翻していた大串博志一派も加わらなかった。

 ただ、注記しておきたいのは、岡田克也が貯め込んだ政治資金はそのまま国民党に引き継がれたことだ。想像だが、これで玉木雄一郎が小池百合子によって押しつけられていたとの噂の借金が返済されるのではないか。要するに、昨年の希望の党設立とかいうとんでもない茶番劇において、小池百合子は民進党の金庫から金を盗んだも同然だったと思う。私は昨年8月2日の時点で、極右の小池がリベラル派候補の「排除」をやらかすだろうと予想したことを誇りにしているが、それだけに希望の党設立劇に踊った国会議員やマスコミ人や市井の人々(たとえば小池と民進党との連携にワクワクしたブロガー氏ら)を今も許せない思いだ。

 案の定、国民党の結成は安倍政権に大いなる「追い風」となった。たとえば、憎たらしい記事を多く書くことから私が目の敵にしている右派のフリーランスのジャーナリスト・安積明子が書いた「『安倍3選』に向け吹き始めた"追い風"の正体 - 永田町の風向きは急速に変わりつつある」(下記URL)を参照されたい。
https://toyokeizai.net/articles/-/220549

 以下、安積の記事をかいつまんで紹介する。国民民主党の成立により、参議院においては最大会派の「自由民主党・こころ」が125議席、次いで「公明党」25議席、「国民民主党・新緑風会」(以下民主)24議席、「立憲民主党・民友会」(以下立憲)23議席となった。以下、安積の記事から引用する。

 これによって参議院内では激震が起きている。民進党は4つの常任委員会委員長のポストを保有していたが、これをどのように分けるかについて5月9日の議院運営委員会で争いがあったのだ。この日の参議院本会議の開始が遅れたのは、それが原因でもある。

 何が問題になったのか。

 立憲は内閣委員長を含む4委員長のポストを民主と分け合うつもりでいた。会期が変わると委員長ポストも変更になるが、今回は会期の最中の変更であり、最小限にすませるべきだと考えていた。

 内閣委員会はIR実施法案や国家戦略特区制度など、安倍政権が推し進める成長戦略の重要案件を管轄する。委員長には決裁権があり、ここを野党側が押さえておこうともくろんでいた。

 ところが自民党は“原則”に従って「大会派順の選択」を主張。これが与野党の筆頭間(すなわち自民党・こころと民主)ですんなり合意されたため、立憲が議院運営委員会に参加しようとした時は、もはや決定事項になっていたという。

 内閣委員会の理事の構成も、自民党から2名、公明党から1名、そして民主から1名という構成だ。「これでは法案を止めようがない」と、立憲関係者は嘆く。「参議院は衆議院から送られてきた法案をより客観的に冷静に審議すべきところだが、このような状態では会期末までに法案をただ採決するだけの場所になりかねない。民主(国民民主党・新緑風会)は自民党になびいているようにみえる」(立憲関係者)。

(安積明子「『安倍3選』に向け吹き始めた"追い風"の正体 - 永田町の風向きは急速に変わりつつある」(東洋経済オンライン 2018年5月13日)より)


 そして、何よりも許しがたいと思えるのは下記の指摘だ。

 さらに安倍政権が「70年ぶりの大改革」と位置付ける「働き方改革関連法案」も、5月下旬に衆議院から参議院に送られるが、厚生労働委員会の委員長ポストは自民党。理事ポストに至っては、公明党と民主が1つずつ保持するほか、自民党は4つも持っている。

 このまま6月20日の会期末まで、とんでもないスピードで法案がどんどん可決されていく可能性があるのだ。

(同前)


 いうまでもなく、安倍政権が今国会の目玉としている「働かせ改革」法案は財界の意にそのまま沿ったもので、悪名高い「高度プロフェッショナル制度」(高プロ)法案が含まれる。経産省のデータ偽造から政府が提出断念に追い込まれた「裁量労働制」法案よりさらに悪質とされる法案だ。

 それが、こともあろうに労組の親玉が肝煎りで成立させた国民党が安倍政権に積極的に協力することもあっていとも簡単に成立する恐れがあるという。これを成立させれば、昨年同様国会は早々と閉会されて議員たちは長い夏休みに入り、7月、8月には何も起きないから安倍晋三の総裁選3選は早々と動かない情勢になり、対抗馬は惨敗するとその後の影響力にかかわるから出馬すらできず、「安倍一強」はびくともしない。そんなうんざりするような事態を安倍政権は狙っているし、それに積極的に協力しているのが大塚耕平と玉木雄一郎が共同代表を務める国民民主党だといえる。

 とんでもない話だ。

 もちろん、既に官僚の多くを敵に回してしまった安倍政権のことだから、今後どんな事実が明るみに出てピンチに陥らないとは限らない。年度替わりの4月や連休明けの5月は、2007年の第1次安倍内閣の時でさえ内閣支持率が一時持ち直した時期だったが、11年前には安倍はそのあと奈落の底へと落ちていった。その再現がないとも限らない。どちらに転ぶか、これから1か月半ほどが正念場と思われる。

 ただ、言いたいのは、連休前後の政局において安倍政権をアシストしまくった国民党の成立にかかわった政治家や労組の人間らの罪は万死に値するということだ。ことに、労組の親玉が仲介した政党が財界首脳の思いのままの労働者酷使に加担している現状に対し、抑えがたい激しい怒りを覚える。

 当然ながら、国民党は早くも厳しい民意の審判を受けつつある。

 連休後最初に発表された共同通信の世論調査で、国民党の政党支持率は1.1%だったのだ。
https://twitter.com/miraisyakai/status/995650686099505152
https://note.mu/sgn_onlaine/n/n10e00d86398a

 自民党の政党支持率は37.1%、立憲民主党は13.3%だった。共産党4.5%、公明党3.7%と続き、維新(1.5%)、国民(1.1%)、社民(0.8%)、自由(0.7%)、希望(0.7%)の5党が、まるでプロ野球のセントラル・リーグみたいな「5弱」を形成している。さしずめ、図体ばかりがでかい国民党は読売ジャイアンツといったところか。

 私は、日本プロ野球において読売ほど有害な球団はないと信じるが、それと同様、日本の政界において、論外の自民党を別にすれば、国民党ほど有害な政党はないといえるかもしれない。昨年の衆院選でも、旧希望の党は安倍政権と自民党の救世主になった。今後もこのトンデモ政党の妄動に目を光らせて批判することを怠ってはならないと思う今日この頃だ。
 最近は月1回の更新になってしまったこのブログだが、今日(4月16日)でブログ開設からまる12年になり、本エントリで1500番目の記事になる(但し公開後に削除した欠番が14件ある)。最初の記事は2006年4月9日付だが、書き始めて1週間後の4月16日に公開した。

 これを機に、今後のこのブログについての心づもりを書いておくと、このまままばらな更新をしばらく続けたあと、記事番号1515番、つまり本エントリのあと15番目のエントリを最後の記事にして、更新を停止しようと思っている。理由はまあ気力と体力の限界と言っておこうか。

 せめてそれまでに安倍政権が倒れてくれるのを願うばかりだ。開設時の記事は安倍晋三どころか政治とは何の関係もないが、それはウォーミングアップに過ぎず、いつかタイミングを見て安倍晋三批判を始めようと思っていた。当時、ライブドア事件への関与が疑われながら、前原誠司が代表を務めていた頃の民主党が犯した「偽メール事件」の大失策によって、阻止できるだろうと思っていた安倍晋三の総理大臣就任が実現してしまいそうな情勢だったが、それが我慢ならなくなって、やっと重い腰を上げたのだった。

 それから12年。安倍晋三はいったんは総理大臣になったものの、その1年後には惨めな政権投げ出しに終わった。そこまでは良かった。しかし、そのあとがいけなかった。民主党への政権交代は実現したものの、民主党政権は党内抗争が国民に呆れられて自滅し、安倍晋三が政権の座に返り咲いた。そして今度は悪夢のような独裁政治を5年以上も続けている。

 本ブログ運営で大きな躓きになったのは、2011年4月のFC2のサーバートラブルだった。それは東日本大震災と東電原発事故の翌月に起きた。それも全部のサーバーだけではなく、本ブログが利用している "blog63" だけだったかほかの一部のサーバーにもトラブルがあったかは忘れたが、FC2の中でもごく一部のブログだけが被害を蒙った。FC2の対応も良くなく、それでなくても前年の2010年には既にこのブログとはてなに開設している『kojitakenの日記』のアクセス数がほぼ同じくらいなっていたので、サーバートラブル後は徐々に重心をはてなの方に移していった。

 以後、本ブログの公開頻度もアクセス数も年々減少して今に至るのだが、実を言えば数年前から着地点を模索していた。しかし安倍晋三の悪政が延々と続いている時にブログを閉じる気にはならず、せめて記事番号1500番までは続けようと思っていた。1500番が近づいてくると、削除した14件を除いて生きている記事が1500件を超えたら更新を止めようと思い直した。1515番目の記事で、生きている記事が1501件になる。

 そうこうしてるうちに、「一強」と言われた安倍政権が揺らいできた。世論調査に見られる支持率は、おかしいものをおかしいと思う能力を失った3分の1ほどの日本国民の支持がすっかり「岩盤化」してしまったためなかなか下落しないのだが、昨日(4/15)のTBSテレビ「サンデーモーニング」で田中秀征が言っていた通り「統治機構が溶解」してしまっている。

 2012年に戦後日本の「崩壊の時代」の始まりを予言したのは坂野潤治だったが、「二度目は笑劇として繰り返される歴史」は、固体が粉々に砕ける崩壊というより、溶けてしまう「溶解」の方が実感に合うかもしれない。「ようかい」という言葉は、安倍晋三の母方の祖父・岸信介を形容するのに用いられた「妖怪」に通じるものがある。あるいは今は「妖怪の時代」というべきかもしれない。

 先週は「愛媛文書」が話題になったが、愛媛県知事の中村時広(日本新党・新進党の衆院議員を1期務めた)は愛媛県の職員を守る発言をしたが、これが組織の長の普通のあり方だ。しかるに、安倍晋三は官僚に責任を押しつけて逃げ回りながら厚顔無恥にも「膿を出す」などと口にする。モラルもへったくれもない。膿は安倍自身じゃないか、と思わない人がいる方が私には信じられないのだが、安倍内閣支持率は未だに3割前後を保っている。こんな現状には「崩壊の時代」よりも「妖怪の時代」という方が適切ではなかろうか。

 せめて、あと15件の記事を公開するまでに、「妖怪」の「溶解」、すなわち安倍政権の終わりが実現しますように。