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きまぐれな日々

 2019年が明けた。今年もよろしくお願いします、と書きたいところだが、この記事をこのブログの最後から5番目の記事とする予定だ。

 そういえば今年は「平成」とやらも終わるとのことだが、1月10日付の『kojitakenの日記』にも書いた通り、年末年始のテレビで、普段西暦しか使わない民放各局が「へーせー、へーせー」と連呼していたのには本当にうんざりさせられた。個人的には「へーせーの終わり」なんかより「『はてなダイアリー』の終わり」の方が感慨深い。自分から終わりを決めているこのFC2ブログと違って、「はてなダイアリー」はブログサービスの方から終わりを強いられるからだ。ちなみに、昨年後半からブログ更新のモチベーションが目立って落ちていた私は、今年春と聞いていた「はてなダイアリー」の更新停止が1月28日に前倒しされたことを先週木曜日か金曜日だかになってやっとこさ知って慌てふためいているところだ(苦笑)。

 そんなこんなで、終わりか始まりかわからない2019年の幕開けとなったが、「終わりか始まりかわからない」といえば、安倍晋三政権がその最たるものだろう。

 安倍政権及び政権与党の自民党は、中身が腐ってきたばかりでなく、支柱までもがぐらついてきている。かと言って「反安倍」のたとえば「市民連合」が掛け声をかける「野党共闘」が安倍政権を倒すのではなく、何らかのきっかけでいつか政権が自壊するのだろうとしか私には思えないが、とは言ってもその「自壊」はそんな遠い未来のことではないことを感じさせる兆しがいくつも表れ始めた。

 「自壊」が何をきっかけにして起きるかは全くわからない。経済かもしれないし、外交かもしれない。ただ、「市民連合」が熱心な憲法問題から自壊することはないだろう。

 今の日本は、統治機構が溶解しつつある様相を呈している。その表れが、現在話題になっていることを例に挙げれば、たとえば厚労省の「毎月勤労統計」の改竄だし、東京五輪招致をめぐるJOC(竹田恒和)と電通の贈賄疑惑だし、日露外相会談後の共同記者会見への出席を外務大臣の河野太郎が拒否するという前代未聞の醜態だ。この河野太郎は、昨年終わり頃にも記者会見で質問に答えず「次の質問どうぞ」と言って逃げたが(この時河野が答えなかったのも日露関係に関する質問だった)、それと同質のことを日露外相会談後の共同記者会見への出席拒否というかたちでやらかしたものだから、ロシア側から強い批判を浴びた。以下、朝日新聞デジタルから記事を引用する。

https://www.asahi.com/articles/ASM1G0S5YM1FUHBI01G.html

ロシア「日本が共同会見を拒否」 外相会談を前に批判

モスクワ=石橋亮介 2019年1月14日09時28分

 ロシア外務省のザハロワ報道官は13日、ロシア国営放送のテレビ番組に出演し、モスクワで14日にある日ロ外相会談後の共同記者会見を「日本が拒否した」と語った。「日本は平和条約問題で情報の不安定な状況を作り出して人々を惑わす一方、協議の結果を記者会見で伝える意思はない」と主張。「奇妙で矛盾した行動だ」と批判した。

 ザハロワ氏は「最も驚いたのは、協議の前日になって日本が共同記者会見を開かないよう頼んできたことだ」と説明。日本側はその代わりに日本メディア向けの非公開の説明をすることにした、と述べた。

 日ロは昨年11月の首脳会談で、歯舞群島と色丹島の引き渡しを明記した日ソ共同宣言を基礎に、平和条約交渉を加速することで合意した。だが、ロシアは同宣言には引き渡し後の島の主権が「どちらになるのか触れられていない」(プーチン大統領)などと主張し、島の引き渡しに否定的な構えを崩していない。

 このため、日本で北方領土の引き渡しを前提とした議論があることにロシア側はいらだちを募らせている。ザハロワ氏の発言は、日本政府が交渉の進み具合について、自国向けだけに独自の解釈を広めようとしている、との警戒感を示したものだ。(モスクワ=石橋亮介)

(朝日新聞デジタルより)


 要するに、河野太郎というか安倍政権は、ロシア向けと国内向けに二枚舌を使おうとしているわけだ。

 「大本営発表」で日本国民を騙すことができた(?)戦時中ならともかく、世界中から情報が流れ込み、それをシャットアウトできない時代に、こんなことをやっている。ザハロワ報道官は「日本側はその(共同記者会見の)代わりに日本メディア向けの非公開の説明をすることにした」と皮肉っているが、この「非公開の説明」を日本国民に宣伝するのが、いまや平壌中央放送の女性アナウンサーと変わるところが何もないNHKの岩田明子による「外交の安倍」とやらの嘘宣伝なのだろう。

 これを、統治機構の溶解の結果と言わずして何と言おうか。

 もうだいぶはっきりしてきたが、現在の「崩壊の時代」は、前の戦争の時と違って、「終戦」(=敗戦)という形で、いわば爆発して終わるのではなく、徐々に溶解していって最後は混沌(カオス)に至るのだろうと思う。その結果、そこからの再建も、ゼロからの再出発に近かった「戦後」とは異なり、ドロドロに粘りつく溶け残りに足を取られながらの困難極まりないものになるに違いない。

 だから、どのような「再建」になるかは全く想像もつかないのだ。
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 今年は例年だと仕事が楽になる12月後半に飛び入りの仕事が入った。それがようやく終わったのが3連休明けの25日で、やっと今回を含め「あと6回」を残すだけになったこのブログを更新する次第。

 このブログの更新頻度は月1回にまで減ってしまったが、最近では日常的に更新していた『kojitakenの日記』の更新頻度も激減している。

 6年前に坂野潤治の『日本近代史』(ちくま新書,2012)を読んで、強い印象を受けたことはもう何度も書いたが、坂野はこの本の巻末に、

これ(1937年7月7日の日中戦争勃発=引用者註)以後の八年間は、異議申立てをする政党、官僚、財界、労働界、言論界、学界がどこにも存在しない、まさに「崩壊の時代」であった。異議を唱えるものが絶えはてた「崩壊の時代」を描く能力は、筆者にはない。

「危機の時代」が「崩壊の時代」に移行するところを分析した筆者には、二〇一一年三月一一日は、日中戦争が勃発した一九三七年七月七日の方に近く見える。

と書いたのだった。

 その少し後の2013年春、坂野は毎日新聞のインタビューで、2012年末に安倍晋三が政権に返り咲いた衆議院選挙から現代日本の「崩壊の時代」が始まったと語った。その衆院選から丸6年が経過したが、今年ほど「言葉が力を持たない」年は今まで経験したことがなかった。

 直近の話題でいえばローラが名護市辺野古の新基地建設工事の中止を求める署名を呼びかけたことが「政治的発言」とされて批判される騒動があったが、いうまでもなくこの基地建設の強行は安倍政権がゴリ押ししているものだ。マスメディア各社の世論調査によると、安倍内閣を支持する人と支持しない人はほぼ同程度の数だ。しかるに、安倍政権を擁護する発言をテレビでまくし立てる芸人は少なからずいて、彼らの発言は「政治的発言」とされず、ローラの発言がことさらに「政治的発言」と位置づけられる。このこと自体異常以外の何物でもない。しかし、この「崩壊の時代」においては、人々が異常を異常と認識できなくなっている。人々の考え方、感じ方にそういうバイアスがかかっているからこそ「崩壊の時代」なのだ。

 このことは、同調圧力を同調圧力と認識する能力が失われた状態といっても良い。そのことが辺野古新基地建設工事の件以上に異常な現れ方をしているのが、昨今の対韓国の「国民感情」だ。

 安倍晋三は、ロシアに対しては北方四島のうち国後島と択捉島ははっきりロシア領と認めて、下手すれば歯舞・色丹をロシアから「借りる」という、「二島返還」とさえ言い難い形で譲歩しかねない姿勢を見せている。今年秋には、これまでしきりに「火遊び」をして刺激してきた中国に対しても融和姿勢に転じたかに見える。一方で、対露、対中の姿勢とは対照的に、韓国に対してはどこまでも強圧的な態度を取る。私には、衰退、というより「崩壊」しつつある国家の「最高指導者」が晒しているみっともない醜態にしか見えないが、悪いことに、朝日新聞がソウル支局の牧野愛博がイニシアティブを取る形で対韓強硬姿勢を打ち出しており、テレビでは「リベラル」の代表的番組とされるTBSの『サンデーモーニング』が韓国に対しては一貫して批判的だ。このありさまだから、こと対韓国に関しては、「リベラル」の圧倒敵多数までもが平然と批判するようになっており、いつも風を読もうとする野党第一党・立憲民主党代表の枝野幸男も韓国批判のコメントを出した。こんな状態だから、「右」側は「韓国との断交」を強硬に叫ぶ始末だ。もはや正気とは思われないが、これもまた「異議を唱えるものが絶えはてた『崩壊の時代』」のあり方の典型例だ。

 今年は特に、3月に財務省が公文書改竄を認めたあと、人心が安倍政権から離れなかったことが大きかった。あの時には、たとえ右派メディアを作る人たちでさえ、「これでもう安倍政権は保たない」と観念して安倍政権批判に舵を切ろうとしたものだ。私が言っているのは『夕刊フジ』のことであって、あの夕刊紙は、確か3月10日頃からの一週間弱に過ぎなかったと記憶するが、連日安倍政権批判の大見出しを掲げていたものだ。しかし、すぐに従前の政権擁護・野党批判に戻り。それどころかそれをさらにエスカレートさせた。駅売りなどに頼る夕刊紙の場合、読者の嗜好と合わなければすぐ売れ行きが落ち、それがいち早く編集方針に反映される者だろうが、要するに夕刊フジの政権批判の見出しと記事が、東京・大阪などの極度に右傾化した勤め人たちの嗜好と合わなかったのだろう。

 そして、この一件のあと、これまでにも増して内閣支持率が下がりにくくなったように思う。明らかに安倍晋三の意を受けて行われた公文書の改竄や隠蔽(最悪の場合は本当に破棄されているかもしれない)でさえ「国民」に容認された安倍晋三は、「何をやっても僕ちゃんは許される」との確信をますます強めたに違いない。その割には、安倍晋三が最大の悲願とする改憲が、安倍の思うようにはいかない状態に陥りつつあるが、これにはまた別の力が働いているのだろう。

 今年、もう一つ強く印象に残って忘れがたいのが、4月に通常国会で希望の党(当時。現国民民主党)の玉木雄一郎が質問している最中に、灘高・東大法学部卒の経産官僚にして首相秘書官を務める佐伯耕三が玉木雄一郎自身の質問に対して野次を飛ばした一件だった。

 国会で議員以外が野次を飛ばしたのは憲政史上2回目で、前回は軍人の佐藤賢了が国会議員に「黙れ」と野次を飛ばした1938年のことだった。前回の「崩壊の時代」の最中に起きた出来事が、現代日本の「崩壊の時代」で再現された。

 佐伯耕三は、安倍晋三と菅義偉によって若くして異例の大抜擢を受けた経産官僚だが、それなら事務次官レースの筆頭を走っているかといえば全くそうではなく、安倍政権が終わったあかつきには、よほど安倍の「忠犬」みたいな後継者が政権の座につくのでもなければ、スピンアウトを余儀なくされるような人間だろう。異例の大抜擢とは、裏返せば政権が代わってしまえばたちまち冷や飯を食わされる立場ということだ。

 先日、城山三郎の古典的名著ともいうべき『官僚たちの夏』(新潮文庫)を読んだが、池田勇人や佐藤栄作は次官人事に大いに介入し、当時二代続けて「上がりのポスト」とされている特許庁長官に干し上げた官僚を通産事務次官につける人事が行われたようだ(今井善衛、佐橋滋。佐橋を最後に、特許庁長官を経て通産(現経産)事務次官になった官僚はいない)。安倍晋三は、あるいは大叔父の佐藤栄作に倣って好き勝手に人事に干渉しまくっているのかもしれないが、悪い時(第2次安倍内閣時代の2014年)に「内閣人事局」が設置されたものだ。これも旧民主党の「政治主導」の負の側面だろう。こうして、時の総理大臣と一体となって国会で野次を飛ばす劣悪極まりない官僚が生み出された。

 とりわけこの佐伯耕三の醜態などを見ていると、この日本という国の国民であることが本当に嫌になる。「崩壊の時代」これに極まれり。来年早々には天皇の「代替わり」前の最後の正月ということで、また無意味な言葉がメディアやネットや巷にあふれるのだろう。

 昨今は、ネットにあふれ返る「反安倍政権」、「リベラル・左派」の言葉にも、心が動かされるものがほとんどなくなった。多くの者は惰性で発信を続けているだけだし、自分たちが支持する党派や政治勢力の組織防衛にしか関心がないと思われる者も少なからずいる。そんな者が発信する言葉など、馬鹿らしくて読む気も起きない。また私自身も、言葉が力を失った時代に、ブログ記事に空しい言葉を並べる意欲を失いつつあるというのが嘘偽りのない実感だ。こうして、今年、特に年の後半にブログ記事を公開する頻度が激減した。例年より仕事がやや忙しかったこともあるが、それは副次的な要因に過ぎない。

 これでは、このブログ最後の年末であっても、「良いお年を」とは書く気になれないというものだ。
 今月は上旬に体調を崩し、仕事はずっとやっていたもののネットは不活発で、それどころかもっとも調子が悪かった時期には普段見ている夜のニュース番組(報道ステーションを途中まで見て、11時10分くらいになったらNews23に切り替えるのが近年のパターン。両番組ともすっかりダメになってしまったが)もろくに見ないで、おもに休養に充てていた。体調は上旬の後半を底に、徐々に回復して今に至っているが、例年なら10〜11月は1年でももっとも調子が良いのに、今年は散々だった。

 その間、『kojitakenの日記』もすっかり更新がまばらになってしまったが、このところ何回か更新した時には、カルロス・ゴーンの逮捕を取り上げた。こちらではそのゴーン逮捕は中心的な話題としては取り上げないが、この件で一番失望させられたのは、1999年のゴーン来日の歴史的意義、つまりグローバル資本主義の日本への本格的な侵入に対する批判的な視座を欠く「リベラル・左派」があまりにも多いことだった。彼らの多くはゴーン逮捕を「安倍政権が不都合なことから目をそらさせるための『スピン』」だと決めつけて、得意の陰謀論を開陳して内輪ウケしていた。彼らの堕落と頽廃ぶりを見ながら、ああ、これでは「リベラル・左派」が負け続けるはずだよなあと痛感させられた。それと同時に、「リベラル・左派」がこのざまだから、小沢一郎が安心して小池百合子(昨年)やら橋下徹(現在)とつるもうとするんだよなあとも思った。

 今回は、3連休の後半に読んだ、堀田善衛、司馬遼太郎、宮崎駿の3人による鼎談本『時代の風音』を読んで思ったことを書く。これは1992年にUPUという会社から出版された本で、図書館に置いてあったのを借りて読んだ。調べてみると、1997年に朝日文庫入りしたらしい。UPUとは東京大学新聞OBの故江副浩正が創設したリクルートの向こうを張って、京都大学新聞のOBが創設した就職斡旋会社らしい。鼎談は二度行われて『エスクァイア日本版』1991年3月号と同1992年3月号に掲載され、それに3人の著者が手を加えて単行本化された。ソ連崩壊の前後に行われた鼎談ということになる。なお司馬遼太郎は1996年に73歳で亡くなり、堀田善衛は1998年に80歳で亡くなった。

 鼎談は、宮崎駿が堀田善衛と司馬遼太郎の2人の話を聞きたい、と言ったことをきっかけに実現したという。宮崎駿はあとがきに「心情的左翼だった自分が、経済繁栄と社会主義国の没落で自動的に転向し、続出する理想のない現実主義者の仲間にだけはなりたくありませんでした。自分がどこにいるのか、今この世界でどう選択していくべきか、おふたりなら教えていただけると思いました」(前掲書270-271頁)と書いている。

 この言葉からも想像される通り、鼎談とは言っても宮崎駿は主に聞き役で、堀田善衛と司馬遼太郎の2人が主にしゃべっている。「司馬史観」で知られる司馬遼太郎はむろんのこと、堀田善衛もこの鼎談を読む限り左翼では全くなく、それどころか鼎談を読む限りではノンポリに近い印象だ。堀田善衛は「誰それは左翼だからこんなことを言ったら怒られた」などと言っている。ただ、『文藝春秋』1990年12月号に掲載された寺崎英成の「昭和天皇独白録」について、堀田善衛が「私はあんなの読まない、言い訳は聞きたくないですね」(同174頁)と発言し、それに対して司馬遼太郎が中学4年生の頃(1939年頃)に美濃部達吉の憲法論を教わったと言いながら「基本的にいうと天皇に責任なし。美濃部憲法解釈通りです」(同174頁)と反論しているあたりに、2人の政治的スタンスの違いが少し出ていた。ここが、鼎談の中で堀田善衛と司馬遼太郎の意見が食い違った唯一の箇所だ。

 だが、この本をブログ記事に取り上げようと思ったきっかけはそこではない。私の意見とはむしろ遠いはずの司馬遼太郎の発言だった。そのくだりを以下に引用する。

 日本が大人になる時

 宮崎 これから三〇年、日本の人口は減りはじめますから、攻撃性を失うんじゃないかと期待しているんです。そして、この島で緑を愛して、慎ましく生きる民族になってくれないかなと。根拠のない妄想ですが……。

 司馬 ひょっとすると人口が減る間に、外国系の人が日本人の構成員としてはいってきますね。われわれの二〇パーセントくらい外国系がはいると思うのです。二〇年後くらいに。
 憲法下にあって万人が平等という大原則がありますから、日本も小さな合衆国になるでしょう。そうなることをいまから覚悟して、飲みがたき薬を飲む稽古をしなければならない。つまり、決して差別をしてはならない。差別はわれわれの没落につながります。

(堀田善衛、司馬遼太郎、宮崎駿『時代の風音』(UPU, 1992)181-182頁)


 このくだりを読んで、「あちゃあ、やっちまったな、ニッポン。『嫌韓・嫌中』をやらかして大人になり損ね、没落しちまったな」と思ったことはいうまでもない。

 振り返れば、小林よしのりが漫画で「嫌韓・嫌中」を煽ったのはこの本が出てしばらく経った90年代後半だった。その頃から日本経済は傾き、今でいう「ネトウヨ」たちは過去の栄光にすがろうとして「嫌韓・嫌中」の度合いを強め、最近では「日本スゴイ」を連呼するようになった。日本の没落と周辺国に対する差別が同時に進んだと言って良い。

 特に、前回の記事で取り上げた安倍晋三の訪中で、安倍が習近平に対して「競争から協調へ」などの3原則を提示するなどして中国を攻撃しづらくなると、ネトウヨや右翼メディアは中国への反発を強めるのではなく、韓国を集中攻撃するようになった。夕刊フジなどでは「日韓断交」の大見出しが踊るが、仮に日韓が断交したとして、日本の味方をする国など世界のどこにあるだろうか。ネトウヨや右翼メディアや安倍晋三が頼りとするアメリカだって味方してくれないに違いない。

 そんな状態なのに、朝日新聞なども牧野愛博という記者が先頭に立って韓国攻撃に加わっている。あるいは野党第一党の党首である枝野幸男も韓国批判のコメントを出す。枝野は、世論調査の分析に定評のある三春充希(はる)氏のツイートに注目するくらい「風を読もう」とする傾向の強い政治家だが、日本中が「反韓」の言論一色に染め上げられている状態(朝日新聞以外ではTBSのサンデーモーニングなんかも実にひどい惨状を呈している)だから、安心して韓国批判をやるんだろうと私は思っている。

 これぞ「崩壊の時代」の実相だ。前の「崩壊の時代」は1945年の敗戦で終わったが、その頃について、再び司馬、堀田、宮崎3氏の鼎談から以下に引用する。

 司馬 (前略)二つめに思ったのは、なんでこんなばかな国に生まれたんだろう、ということでした。指導者がおろかだというのは、二十二歳でもわかっていました。しかし、昔の日本は違っただろうと思ったんです。その昔が戦国時代なのか、明治なのか知りませんが、昔は違ったろうと。しかし二十二歳のときだから、日本とは何かなんぞわからない。物を書きはじめてからは、すこしずつわかってきたことどもを、二十二歳の自分に対して手紙を出しつづけてきたようなものです。

 堀田 それは司馬さん、私なんかも完全に同じですよ。これまでやってきた仕事は、ずっと戦時中の自分への手紙を書いていたようなものですよ。私の『ゴヤ』も、『方丈記私記』も、『定家明月記私抄』も戦時中に考えたテーマなんですね。いま書いているモンテーニュ(『ミシェル城館の人』)になって初めて解放されましたね。こんな予期しない年齢まで生きたせいもありまして。

 司馬 いまの人は手紙を書く必要がないから、そのぶんだけ前に進むでしょう。だから、ひじょうに幸いだと思うんですね。

 宮崎 私は敗戦後、学校とNHKのラジオで、日本は四等国でじつにおろかな国だったという話ばっかり聞きました。実際、中国人を殺した自慢話をする人もいましたし、ほんとうにダメな国にうまれたと感じていたので、農村の風景を見ますと、農家のかやぶきの下は、人身売買と迷信と家父長制と、その他ありとあらゆる非人間的な行為が行なわれる暗闇の世界だというふうに思えました。

(堀田善衛、司馬遼太郎、宮崎駿『時代の風音』(UPU, 1992)180-181頁)


 現在、外国人労働者が特に多いのは農家や漁村であって、前者は茨城県、後者は広島県が全国一多いという。昨今は日本人労働者も滅茶苦茶な働き方を強いられて過労死や自殺に追い込まれる報道が後を絶たないが、日本人労働者に対してさえそうなのだから、外国人労働者に対しては想像を絶する「非人間的な行為が行われる暗闇の世界」が現に存在しているに違いない。

 高度成長期にも自民党政府は好き勝手なことをやっていたが、それでもまだ行政と使用者との間には一定の緊張関係があった。今の安倍政権にはそれさえもない。戦時中と同じくらい今の日本の「指導者がおろか」であるとは、安倍晋三や麻生太郎や菅義偉を日々見ていれば誰しも薄々と、あるいははっきりと思っていることだろう。ただ、今はそれを口にしづらい空気が権力側によって形成されており、その空気の醸成に自発的に協力する人たちが多い。それは戦争中も同じだったに違いない。

 また、人々が将来「手紙を書く必要」がある時代になってしまった。「崩壊の時代」は、今年もまた一段とその深刻さを増した。
 先週は来年春の更新停止を決めているこのブログだけではなく、『kojitakenの日記』も更新しなかった。週の後半には、一時ネットそのものからも離れていた。

 だが、今週もこの日記を更新しないと、またまたトップページに広告が表示される。止むを得ず、というわけでもないが久々の更新をする。このあと7回更新したら、ブログの更新を停止する。

 先週はジャーナリストの安田純平氏の解放と、安倍晋三の中国訪問が注目された。このうち安倍訪中では、安倍が習近平に対して「競争から協調へ」などの3原則を提示した。

 これについて、「安倍晋三がネトウヨの梯子を外した」という見方と、「いや、それは見せかけであって、安倍政権はアメリカ中間選挙の結果を受けて再び中国との対決姿勢を強めるアメリカの尖兵になる」との見方があるようだが、私の意見は前者に近い。

 なぜなら、安倍政権は「経産省政権」と言われていることからも明らかなように、この政権は基本的に財界の嫌がることはやらないからだ。

 安倍は長年極右思想をウリにして、いわゆるネトウヨ(その実態は「安倍信者」に近くなっていた)ばかりではなく、月刊誌『正論』や『WiLL』や『Hanada』などに寄稿する極右文化人たちの絶大な支持を受けてきた。

 しかし、安倍が本当にこだわっているのは極右思想ではなく、「お祖父ちゃんのなし遂げられなかった『憲法改正』」を自らの手で達成することだけだ。極右思想のアピールも、なんとかのミクスと呼ばれている経済政策も、みんなそのための手段に過ぎない。だから、改憲のためならネトウヨだって平気で切り捨てる。

 とはいえ、安倍は自らの改憲構想をまず日本会議に提示した。そもそも、安倍の改憲構想自体が日本会議から入れ知恵されたものだ。ネトウヨを切り捨てれば安倍が「リベラル右派」の歓心を買うことに成功して改憲を達成できるとの見通しを安倍が持っているとしたら、それは楽観的に過ぎるだろう。まさか安倍も最初からそんなことを考えていたわけではあるまい。

 安倍訪中で見せた中国へのすり寄りは、日本経済の力が急速に落ちている結果採らざるを得なくなった方策であり、その結果ネトウヨの梯子を外さざるを得なくなった、というのが真相ではないかと思う。第2次安倍内閣発足とともに始まった「崩壊の時代」(by 坂野潤治)は、日本経済の崩落とともに終わりを告げ、安倍政権も同時に倒れると私はみている。

 安田純平氏の解放については、安倍に梯子を外されたネトウヨたちの相変わらずの「自己責任論」には心底うんざりさせられたが、この件でダルビッシュ有を見直すことができたのは唯一の収穫だった。今回はこの件をメインに取り上げようかと思ったが、あまりにも語り尽くされているのでいまさらと思う。ここではダルビッシュ有が発したツイートのURLを示すにとどめる。
https://twitter.com/faridyu/status/1055450819645132800

 ここでダルビッシュは、意見を言いっ放しにするのではなく、自らの意見に異を唱える人たちに丹念に反論している。たいしたものだ。いつも書きっ放しの私には真似できない(笑)。

 一方、破廉恥なネトウヨの連中は、戦場カメラマンの渡部陽一氏が「捕まるやつはその時点でジャーナリスト失格」という一文を含む「戦場取材の掟」を捏造し、それが何万回もリツイートされたというから開いた口がふさがらない。

 この件で思い出すのは、2015年にISIS(自称イスラム国)に後藤健二・湯川遙菜両氏が殺害された時、安倍晋三が平然と2人を見殺しにしたことだ。あの時安倍は、わざわざイスラエルでネタニヤフと会談して「テロとの闘い」の姿勢を示すなど、暗にテロリストたちに後藤氏らの処刑を促すかのような言動をとっていた。さらに呆れたことには、世論はこれに安倍内閣支持率上昇で応えた。「崩壊の時代」には為政者のみならず人心もすっかりおかしくなっていた見本だと思う。

 今回は、政権が安田氏を見殺しにしようとしたもののそれに失敗したのか、それとも本当は影で動いていて、身代金もカタール政府が払ったというのが本当でも、あとから日本政府がカタール政府に払うなり、あるいはそれに相当する見返りをするなりするのか。これにも諸説紛々で、本当のところはわからない。

 だが、2015年には勇ましく見殺しにできたことが今回はできなかっただけでも、安倍政権の足腰は確実に弱っているのではないか。そう思う今日この頃だ。
 昨日(9/30)投開票された沖縄県知事選は、予想外の大差で玉城デニー候補が佐喜真淳候補に圧勝した。玉城候補の得票が396,632票(得票率55.1%)に対して佐喜真候補の得票が316,458票(得票率43.9%)であり、得票率で10ポイント以上の差がついた。

 55%対45%というと、たまたま20日の自民党総裁選での安倍晋三と石破茂の党員票の数字と同じだが、まああれは得票率でもないし裏返しの数字でもあるから偶然だ。

 しかし、自民党総裁選で安倍晋三が党員票で石破茂に追い上げられたことと、沖縄県知事選で佐喜真淳が思わぬ大差をつけられたこととの間には密接な関係があるとはいえるだろう。

 つまり、安倍晋三に対する忌避感が、全国の自民党員の間に続いて沖縄県民の間にも広がってきたことを意味する。

 その他にも、常識的に誰もが思う「弔い合戦」の効果(私など首長の死を受けた選挙の時にはいつも選挙戦中に時の首相だった大平正芳が急死した1980年の衆参同日選挙を思い出す)もあろうし、『広島瀬戸内新聞ニュース』が指摘した、小池百合子や松井一郎といった本土の大都市における新自由主義者の首長が佐喜真候補を応援したことで同候補への票が逃げたこと(「『公務員に天誅!』は大都会以外では通用しない」と表現されている)もあろう。特に後者には無視できない効果があると私も考えており、たとえば6月の新潟県知事選で小泉純一郎が新潟県入りして「野党共闘」の候補者を応援したこと及び共産党の志位和夫や立憲民主党の枝野幸男が小泉の新潟入りを歓迎するコメントを発したことは、新潟県知事選で「野党共闘」候補の票を逃がす原因の一つになったのではないか。こうした意見には賛同者は少ないのだが、ずっとそんな仮説を持っている。

 しかし、それよりも今回は「安倍晋三が滅茶苦茶な力の入れようをしている佐喜真淳候補には入れたくない」心理が強く働いたのではないかと思えてならない。こんなことを書くと「沖縄のことを何も知らない本土の人間がいい加減なことを言うな」とお叱りを受けるかもしれないが、一つの仮説として、全国的に大規模な「安倍離れ」が起き始める前兆が、自民党総裁選に続いて沖縄県知事選でも観測されたのではないかと考えている。

 独裁で締めつけを強めれば強めるほど、また誰にでもわかる嘘の上にさらに嘘を重ねることを続けるほど、地震が起きる前の状態にも似て、歪みのエネルギーが蓄積していく。そしてそのエネルギーはいつか解放される。そのエネルギーの解放が、他国に戦争に負けることによってしか実現しなかったのが前回の「崩壊の時代」が終わった1945年であって、日本の国民や日本に住んでいた人々の甚大な犠牲をもたらした。

 現在の「崩壊の時代」は、あの時の反省を踏まえて徐々にエネルギーを解放していくものでなければならない。今回の沖縄県知事選は、その絶好のきっかけになり得る可能性がある。

 もちろん、今回の知事選における玉城デニー陣営にも問題はいくつもあった。その最たるものは、存在するかどうか未だに疑いの晴れない「翁長知事の音声データ」であって、候補者が密室で選定された過程は、2000年に小渕恵三が倒れたあと自民党長老の談合で森喜朗が自民党総裁・日本国総理大臣になった経緯を思い出させるものだった。「新9条論」の推進者として一部で悪評を買っている東京新聞の記者が、今回の候補者選びを「どこの独裁国家の話か」と評した一幕があったが、「新9条」では彼に与しない私も、この候補者選びに対する彼の批判には同意する。

 それでなくても「野党共闘」には不透明な点が多く、特に政党としては泡沫政党としかいいようのない自由党の党首(代表)に過ぎない小沢一郎が異様な影響力を駆使し、自らやその配下の者が接着剤になる形で立憲民主党と共産党とをくっつける形を作り上げてしまっていることは不健全極まりない。

 小沢は先週、自らの改憲論を『AERA dot.』のインタビューに答える形で発表した(下記URL)。
https://dot.asahi.com/dot/2018092700037.html

 これは、私の見るところ、『世界』2007年11月号に小沢が発表したアフガニスタンに展開するISAF(国際治安支援部隊)への自衛隊派兵論を思い出させるものだ。『世界』の「小沢論文」は当時大きな話題になり、左派から強い批判を受けたものだが、現在では打って変わって小沢の改憲構想はそもそも話題にもならない。それが、小沢の影響力が低下したことの反映であればまだしも、現実の野党間の政治においては、小沢が今も強い影響力を持っていることは明らかだ。先日も立憲民主党との間で国会議員の移籍があり、私はあれは今後行われる衆院選沖縄3区(沖縄県知事選の前までは自由党の玉城デニーが議席を持っていた)に立憲民主党から候補を出すことを容認する見返りなのではないかと推測している。つまり小沢一郎と枝野幸男とは「握っている」と想像するのだ。

 表面には出てこないが、立憲民主党以上に小沢が強い影響力を行使していると推測されるのは共産党に対してであって、ネットでも野党支持者たちの間で小沢の改憲構想に触れることが一種のタブーになっているのではないか。そう私は思っている。

 この現状は、安倍晋三の独裁政治の弊害によって日本社会に溜まっている歪みエネルギーを、大きな被害をもたらさない形で解放するためには、むしろ逆効果になっているとしか私には思われない。

 ちょうど安倍晋三が自らに「まつろわない」者は、たとえ自らと同じ極右である石破茂であっても容赦なく弾圧するのと同じように、今の「市民連合」と共産党とが表に立ち、背後(せいごではない)に影の最高指導者として小沢一郎が控える「野党共闘」は異論を許さずタブー化してしまっている。そのことは、反安倍・反自民の勢力の間に別の歪みエネルギーを溜め込むことになると同時に、「野党共闘」の勢力を拡大する上での障害にもなり、安倍独裁政治によって溜まった歪みエネルギーを徐々に解放するための阻害要因になってしまっているのだ。

 心ある反安倍・反自民の者にとっては、安倍晋三の独裁政治を打倒することももちろん必要だが、「市民連合」や「野党共闘」の同調圧力をはね返すことも求められると信じる。後者は、前者を実現するための必要条件だと思うからである。